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幕間:瞬間、交錯する

 ゆらり、ふわり。


 燐光を零しながら、幽玄の世界に棲まう蝶が宙に遊んでいる。


 蝶守りの籠から逃げ出した幻光蝶は、ようやく得られた自由を満喫するかのように、気ままに常夜の世界を飛び回る。


 陽光を知らない世界は、今日も停滞し続ける闇の底に沈んでいた。


 天空を彩る星明かりも、有象無象が犇めく路地裏までは届かない。

キチ、ギシと軋んだ音を立てて、道端の泥水を啜っていた名もなきあやかしは、蝶の放つ黄みがかった明かりから逃げるように去って行った。


 ふと、幽世を涼やかな風が渡る。さわさわと庭木を鳴らした風に乗って、蝶は更に舞い上がった。眼下に広がるのは、幽世の町並みだ。


 春の幽世の町。時代がかった木造建築が建ち並ぶ往来は賑わっている。


 調子のいい声を上げている棒手振りは豆腐小僧。金魚売りは品定めしている小鬼に辛抱強く付き合い、つるべ落としが営む夜鳴き蕎麦も多くの客で賑わっていた。


 梅雨の粘つくような湿気に覆われるには些か気が早い。


 なんとも穏やかな春の日であった。


 凍てつく冬の厳しさに疲れたあやかしたちを慰めるような優しい気候の中、空中散歩を楽しんでいた幻光蝶は――。

 突然、伸びてきた手にぐしゃりと握りつぶされてしまった。


「…………」


 手が開かれると、無残にも粉々になった蝶が地面に落ちていく。


 それは狐面を被った男の手だった。糸のような目を引いた、どこかハレの日を思わせる白い狐の面である。しかし、男の纏う空気は決してよき日を祝うには相応しくない。


 身を包む英国調のスリーピースのスーツは、どこか紳士然とした雰囲気を醸し出しているが、狐面から漏れ出る鋭い眼光がすべてを台なしにしている。


 そこにあるのは、他者を断ち切らんと己を研ぎ澄ませ続けている、抜き身の刀のような殺意。体の芯から冷え切ってしまいそうなそれを辺り構わず放っている姿は、明らかに尋常ではない。誰もが男を避けて通るために、蝶入りのガス灯の明かりが柔らかく注ぐその部分だけが、往来の流れの中でぽっかりと不自然に空いている。


 男の隣には、いやに丁寧な口調で話す青年の姿があった。


「大変楽な仕事でした。同じ土蜘蛛の皮を被って近づいたら、少しも警戒しないんですから。間抜け面の蜘蛛の真ん前を横切って、生まれたての子を数匹拝借して。あの慌てようったら。……ああ! 思い出すだけで愉快ですね。非常に有意義な時間でした」


 上品な笑みを浮かべた青年は、男とは違い、如何にも今風な格好をしていた。


 襦袢の代わりにパーカーを着て、その上に濃紺の紬の着流し。半幅帯はベルトで固定されていて、中折れ帽を斜めに被ったその姿は洒落ていた。女性かと見紛うばかりに線の細い整った顔を赤らめた青年は、傍らに立つ男に熱の籠もった眼差しを向ける。


「えらいでしょう。僕、頑張ったんですよ。ご主人様のお役に立てたと思うのですが」


 帽子を取った青年は、撫でろと言わんばかりに赤いメッシュの入った頭を差し出す。


「……ああ。よくやったぞ、赤斑(あかまだら)


 すると、男性は革手袋を嵌めた手でおざなりに青年の頭を撫でた。

 青年の顔が歓喜に染まり、並みの女性であれば見蕩れてしまうほどの色気が滲む。


「ああ……! よかった。ご主人様が望むものなら、なんでもご用意いたします。さあ、次はなにをしましょうか。どうぞなんなりとお申し付けください」


 その時、往来に一際賑やかな声が響いた。


「うっわ、金目ぇ! 急げって! ぬらりひょんに怒られる!」

「そんなに焦んなくても。夏織にいいとこ見せたくて必死なんだ?」

「なっ……! 馬鹿なこと言ってないで、行くぞ!」

「アッハハ。顔、真っ赤じゃん。わかりやすいなあ」


 それは烏天狗の双子……金目銀目だ。彼らはあやかしたちで混み合う往来を縫うように駆け抜けながら、傍から見ても仲よさそうにじゃれ合っている。


「…………」


 男は、そんな双子の様子を狐面越しにじっと見つめていた。


「もう! 金目のバーカ! 俺、先に行くからな!」


 顔を真っ赤にした銀目が走り出す。金目は小さく肩を竦めると――すれ違いざまに、男へ冷淡な視線を向けた。


「…………」


 どうやら、金目は自分たちに注がれる視線に気が付いていたらしい。

 一瞬だけ男を見つめていたかと思うと、すぐさま小走りで銀目の後を追った。


「……面白いものを見つけた」

「なるほど。了解いたしました。この従順なるしもべにお任せください」


 男の言葉を受けた青年……赤斑は、石榴のような瞳をうっすら細めて嗤う。そしてそのまま、双子の後を追った。おもむろに、男は胸元から銀色のスキレットを取り出す。


 仮面をずらして口に運ぶ。ぺろりと口端を舐め取った舌は、まるで臓物のように、やたらどす黒い赤色をしていた。


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