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富士の大あやかし4:ダイダラボッチとぬらりひょん

 月明かりを浴びながら、甲府市内の遥か上空を進む。

 にゃあさんは、脚に炎を纏わせ、空を蹴ってすいすいと軽やかに飛んでいる。金目と銀目は自前の翼で、にゃあさんの後を追ってきている。



「……うう」

「水明、大丈夫ー?」



 水明はと言うと、大きくなったにゃあさんの上でぐったりとしていた。顔色も悪いし、脂汗が止まらないようだ。



「昨今の祓い屋は、随分とか弱いわね」

「うるさい、猫……」



 どうも、ジェットコースターに乗りまくったのが効いたらしい。私は濡らしたハンカチで汗を拭ってやりながら、眼下に広がる景色を眺めた。


 ――そこに広がっていたのは、広大な甲府盆地。


 この甲府盆地も、ダイダラボッチによって作られたのだという言い伝えがある。

 もしかしたら、富士山を作る時に土が足りなくなって、急遽近くの土を掻き集めたのかもしれない――そう思うと、なんとも面白い。


 流石に、明け方が近いからか、住宅の灯りは消えている。けれど、規則的に並ぶ街灯の灯りや、こんな時間でも動いている車のヘッドライトの灯りは、まるで地面で輝く星のように煌めいている。

 それは、人間の活動の証。……ああ、ここは人間の生きる場所なのだと実感する。


 私は、ぐっと顎を引いて、遠くを見据えた。


 私の真正面、遥か遠くに見えるのは、巨大な富士山だ。甲府盆地を見下ろすようにそびえ立つ、日本で一番高い山は、ただそこにあるだけで強い存在感を放っていた。

 私は周囲を見回すと、ぬらりひょんの姿を探す。けれど、もうすぐ明け方になると言うのに、ダイダラボッチどころかあやかしひとりいない。

 焦った私は、金目に尋ねた。



「金目、こっち側だって言っていたよね!? 静岡側じゃなくって……!!」

「ああ、どうもダイダラボッチは諏訪の方からやって来ているらしい! だからこっちで」

「――合っておるよ。夏織」



 するとその時、急に耳元で男性の声が聞こえた。

 ふと声のした方に目を向けると、視界に白くてふわふわしたものが入り込んできた。

 それは、海月(くらげ)の触手だ。白く、それでいて電気のようなものを帯びていて、薄っすらと青く発光している。無数の触手が、ゆらりと風に靡くその様は空中にあって異様だ。



「「ぬらりひょん様! お久しぶりです!」」

「おうおう、若いの。よく来たのう」



 金目銀目が勢いよく頭を下げると、まるで海月が返事をするかのようにふわりと浮かび上がった。その人は、海月をまるで傘みたいに頭上に浮かべて、従えて――うっすらと笑みを浮かべて宙に立っていた(・・・・・)



「夏織、わざわざこんなところまですまぬなあ」



 その人こそ、あやかしの総大将「ぬらりひょん」だ。

 人間で言うと30代くらいに見えるその人は、顔に似合わない年寄りくさい喋り方をしていて、今日は(・・・)僧侶のような格好をしていた。会う度に姿が変わるその人は、謎多きあやかしだ。



「先に渡しておこう」



 すると、ぬらりひょんから一本の触手が伸びてきた。触手の先には、数冊の本が巻き付いている。どうやら、これは返却する分の本のようだ。

 私はそれを受け取ると、過不足がないか確認してから、にっこりと笑った。



「ありがとうございます。ぬらりひょん、これがご連絡頂いた本です。確かめて貰えますか?」

「ああ」



 私は鞄から本を取り出すと、そっと差し出した。その本は、古めかしい和綴じの本だ。表紙には墨で複雑な紋様が描かれ、普通の感覚からすると、魔術書のような非常に怪しい雰囲気を醸し出している。



「おお。おお。すまぬのう。夏織の大事な本じゃろうに……今晩だけ、借りるぞ」

「はい」



 ぬらりひょんは、暗い海のような色の袈裟から触手を伸ばすと、私の手から本を受け取った。ちらりと見えた袈裟と直綴(じきとつ)――僧侶が一般的に纏う黒い衣服の隙間に、みっしりと小さな海月が蠢いているのが垣間見えた。


 その人は本の状態を確認すると、目尻に皺を作ってにこりと微笑んだ。銀色にも見える、白髪交じりの結い上げた髪がふわりと風に靡く。



「確かに。これで、ダイダラボッチも心安らかに眠れるじゃろう」

「まるで死んじゃうみたいじゃないですか」

「ぬ。失言した……巨人には内緒にしておくれ」



 ぬらりひょんは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、唇に人差し指を添えた。あやかしとは思えない、なんとも人間臭い仕草に頬を緩める。そして、先ほどから疑問に思っていたことを尋ねた。



「そう言えば、ダイダラボッチはどこに……?」

「ん? ああ、夏織や」



 ぬらりひょんは、黒目がちな瞳を何度か瞬かせると、ぱん! と手を打った。



「……ダイダラボッチは、そこに在る(・・)ようで無い(・・)。ナナシ辺りに聞かなかったかのう?」



 ――その瞬間。

 彼の背後に突然(・・)、視界を埋め尽くさんばかりに巨大な黒い人影が現れた。



「……ひっ!!」



 初めて目にしたダイダラボッチという巨人に、思わず息を呑む。

 それはまるで、闇を煮詰めて固めたような――漆黒の塊。確かに人型はしている。けれど、どのパーツもすべてが黒く染まっていて、凹凸を感じられない。まるで、紙に塗られた墨のような、のっぺりとした存在感。それはまさに――影。

 天を衝くかの如くどこまでも巨大で、人型の山が動いているかの如く、強い圧迫感がある。

 私はそれを目にすると、あっという間に気圧されてしまった。


 ……ごくりと唾を飲みこんで、無理矢理カラカラになった口内を湿らせる。


 あやかしの世界で生きてきたとはいえ、見ず知らずの、それも巨大なあやかしは怖い。ちらりと、ぬらりひょんや金目銀目を覗き見ても、彼らはなんとも思っていないようだ。


 ――ああ、駄目だ。体が震える。


 いつもこういう時は、東雲さんにしがみついて凌ぐのだけれど、いないものは仕方ない。ひとりで耐えるしかないだろう。


 ……やっぱり、私はあやかしとは違う。感覚が――どこかずれている。


 そのことに胸を痛めながら、歯を食いしばって平気なふりをする。けれど、どれだけ隠世(かくりよ)で過ごそうとも、一向に薄れることを知らない人間としての本能が、頭の中でひっきりなしに警鐘を鳴らしている。


 思わず、にゃあさんの背中の上で身を反らすと、背中に誰かの体温を感じた。ふと後ろを振り向くと、それは水明だった。先ほどまでにゃあさんの背中でぐったりしていた彼は、未だ顔色は悪いものの、しっかりと態勢を整えて私を支えてくれている。



「……あ、ありがと」



 思わずお礼を口にすると、水明はゆっくりと首を振った。そして、じっと真剣な眼差しで目の前のダイダラボッチを見つめると、ぽつりぽつりと語り始めた。



「……ダイダラボッチには、夏織が語ったもの以外にも、数多の伝説がある。けれど、それはあくまで伝承の中のものであって、創られたあやかしだと思っていた。夏織がうどん屋でダイダラボッチのことを俺に語った時も、正直、半信半疑だったんだ」



 水明は、ほうと熱い息を漏らすと、興奮したように口元をむずむず動かした。



「――本当にいたんだ。すっげえ、でかいな。んでもって、怖い。怖くて……でも、ああ! とにかくでかい!」



 私は何度か目を瞬いて、じっと水明を見つめた。そして、自分自身に起こった変化に驚きを隠せなかった。

 ……水明の何気ない一言。それは、私の体を支配しようと蠢いていた、「恐怖」をあっという間に霧散させてしまったのだ。自分と同じ感情を抱いた人が傍にいることの「安心感」。それが「恐怖」に打ち勝ったと言うことだろうか。


 私は慌てて真正面を向いた。唐突に降って湧いた「安心感」のせいで、涙が滲んできて恥ずかしかったのだ。そして、水明にちょっぴり不機嫌な声で尋ねた。



「本当に怖いの? そうは見えないよ」



 すると、水明は少しだけ弾んだ声で言った。



「沢山のあやかしを屠ってきたからな、こいつらの意味不明さ、恐ろしさは身に染みている。でも――襲ってこないあやかしは、見ていて面白くも思う。……祓い屋が言うことではないが」

「ふうん。やっぱり、水明って変わっているね」

「うるさい」



 ちら、と顔を上げて水明の表情を盗み見る。

 ……ああ、普段は表情に乏しい水明が、キラキラと瞳を輝かせてダイダラボッチを見つめている。無意識なんだろうけれど……自分がそんな表情をしていることを、彼は知っているのだろうか。今、鏡を見せたらどんな反応をするだろう。私は小さく笑うと、改めてダイダラボッチを見上げた。


 ――ああ、もう大丈夫。ただの、黒くてでかいあやかしだ。



「……ほんと、でかいねえ」

「襲ってくるかな」

「それはないよ。ぬらりひょんがいるもの」



 そんな言葉を交わしていると、徐にぬらりひょんが動いた。ぬらりひょんは、ダイダラボッチの頭上を、遊ぶように海月と共にくるくると回る。するとダイダラボッチは、まるで赤ん坊がメリーの人形を追いかけるように手を伸ばした。こうして見ると、ダイダラボッチの動きは、幼い子どもそのものだ。



「夏織。掴まって!!」

「ひゃあ!?」



 ダイダラボッチは、辺り構わずに手を伸ばす。その巨大な手は私たちの方へも迫り、にゃあさんは慌てて高度を上げた。



「た、助けてええええ!!」

「銀目、なにやってんの。あははははははは……!!」



 いつの間にか、ふたごの片割れがダイダラボッチの指にしがみついて振り回されている。顔を真っ青にして、涙を浮かべて助けを求めている――それなのに、兄である金目は、弟の失態に焦るどころか大笑いしていた。すると、その様子を見ていた水明が心配そうに呟いた。



「……あれは助けなくていいのか。猫」

「放って置きなさいよ。空が飛べるのよ。宙に投げ出されても、勝手に態勢を整えるわ」



 にゃあさんの言う通り、暫くすると銀目はぽいと宙に投げ出されてしまった。けれど、すかさず自分の羽で浮かび上がると、ジェットコースターよりも面白いと、今度は喜々としてぬらりひょんの手に自ら飛び込んでいった。



「あいつは馬鹿なのか……?」



 水明の言葉に、私は小さく笑った。



「ああいう奴なのよ」

「……おかしな奴だ」



 水明は眉を顰めると、誰よりも楽しそうにはしゃいでいる銀目を呆れたように眺めた。

 ひとしきり、ダイダラボッチと遊んだぬらりひょんは、優しく眼下の巨人に語り掛けた。



「さあさ、長いこと歩き通しで疲れたじゃろう。夏織に本を持ってきてもらったぞ。眠くなるまで読んでやろう。富士のゆりかごで、暫し微睡むといい」



 彼は私が持ってきた本を開くと、ぱらぱらと捲った。すると、そのページからまばゆい光が漏れ出し、辺りを照らした。



「さあて、ダイダラボッチ。今日のお話は――竹取物語じゃ」

ぬらりひょんは、勝手に自宅に上がり込む妖怪として有名ですが、岡山県備讃灘辺りでは海坊主の類に同じ名前の妖怪がいるんですよね〜。海月みたいな丸い物体が、海の上を浮き沈みして人を惑わすのだそうです。なので、このお話のぬらりひょんは、両方をまぜまぜしてみました。

ぬらりひょん自体、元々、謎多き妖怪なのですよね。

普段は、家庭に勝手に上がり込んでご飯を食べて、眠るときは海でふわふわ浮かんでいるような妖怪なら可愛いなあ。

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