第11話 嫉妬
───ズズン
微かな鈍い音が、上の階から聞こえてくる。
だが、私には関係ない、どうせこの城の最下層にはもう誰も来ないのだから。
「寝よう」
私が目を瞑ろうとした時だった、すぐ目の前の床が光ったかと思うと勢いよく砕け散る。
小さく空いた穴から姿を表したのは黒髪の女性だった。
伸長は170センチ程。
肩まで伸びた黒い髪、こちらを見つめる真っ直ぐな瞳からは私にはない輝かしい生命力を感じる。
片手にはナイフを持っているし、きっと私を始末しにきたのだろう。
だが研究者達が話していた「処分の日」は今日だっただろうか?
とりあえず私は目を閉じて処分されるのを待っていた。
しかし、いくら待っても何も起こらない。
不思議に思い、目を開くと、驚いたことに人間は私の手足に装着されている枷を外していた。
「私の役目は終わったの。助けても意味なんて無いわよ」
生気溢れる彼女への嫉妬が膨れ上がり、何か一言言ってやりたかった。
「何を言ってるんだ?お前はまだ何も成し遂げてないだろ?」
彼女は呆れた顔で私を否定し、続けて言う。
「一人の人間として自由に生きたくないか? こんな薄気味悪いところで一生を終えるのか?」
彼女の説得とも言える誘いは私の心を動かすようなものではなかったが、彼女への嫉妬心が私を激しく駆り立てた。
「私をここから傷一つ付けないで連れ出せるのなら考えてあげてもいいわよ?」
私が答えると彼女は微笑んで私の名前を聞いてきた。
「名前?あぁ、私の名前はディストレよ」
────────────────
「……思い出した、ディストレだったか?」
私は目を開き、まぶたの裏に浮かび上がった記憶から彼女の名前を思い出し、口にする。
「ええ、そうですわ! やっと……思い出したんですね」
ディストレは安堵の表情を浮かべるが、私は険しい表情で話を続ける。
「いや、思い出したといっても断片的なものさ、私はどうやら記憶のほとんどを失っているみたいだ」
「記憶を……?」
心配そうな表情で涙を浮かべていたディストレだったが、突然、ただならぬ殺気を身体中から発し、今にも噛み付きそうな眼色でシルフに視線を向けると、霧散して目の前に迫る。
「お姉様に何をした……?」
ディストレのドスの効いた声と虚ろで冷たい目にシルフは顔を青ざめたようすで答える。
「し、ししし仕方がなかったのよ! 私の泉に着いた時の彼女は危険な状態だったし、彼女の願いを叶えるには代償が必要だったの」
「代償としてお姉様の記憶を奪ってしまうなんて……!許せないわ……私が同化していながら……不甲斐ない!」
自分の至らなさを悔やみ始めるディストレだったが、その発言を聞いてシルフの顔色が変わる。
「やっぱり同化してたのね! それが危険なのよ!? 貴方も私と同じ精霊みたいだけど、契約も結ばないで同化してたでしょ!」
「……何でそんなこと分かるのよ」
今度はディストレがシルフの勢いに負け、目をそらした。
「貴方のお姉様が暴走した時よ、貴方も途中で気づいて、即席で契約を結ぼうとしてたみたいだけど粗すぎて逆に彼女の身体に負担をかけていたことはお見通しだからね」
「暴走? 一体何のことを言っているのよ!」
「はぁ? 自分で蒔いた種でしょうが!!!」
シルフィは反省するどころか、とぼけるディストレに食ってかかる。
「二人とも一旦、落ち着いてくれ」
シルフィは取っ組み合いになってケンカを始めそうな二人を静止する。
「話を聞く限り、呪いの正体はディストレてことでいいんだな? それと、シルフは私の中にディストレがいることを知っていたのか?」
「そんな! 呪いだなんて……私はお姉様のお身体と私を調和させていただけですわ〜!」
と言い張るディストレ。
一方、シルフはしばらく気まずそうに下を向いていたが、やがて、こちらを見上げて、話し始めた。
「ええ、知っていたわ、気づいたのは途中からだけどね」
「それじゃあ私の記憶喪失についてシルフは関与しているのか?」
「まぁ、私の泉の力によって記憶が封じられてしまったからね……でも、その原因を作ったのは今、あなたにべったりくっついてるそいつだからね!」
シルフは私の背後を睨みつける。
気が付かないうちにディストレは顔を赤らめながら私の腰に抱きつき、頬を擦り寄せていた。
「切り替えが早すぎないか……?」
「とんだ精霊がいたものね……記憶はちゃんと戻るわ、さっきそいつと話して記憶が蘇ったでしょ?あんな感じで記憶を取り戻すためには、鍵となる人物や場所を訪れる必要があるけどね」
「となると……記憶を取り戻すために旅する必要がありそうだな」
「いいですわね! お姉様とならどこへ行っても楽しいに違いありませんわ!」
惚けていたディストレだったが目を輝かせて、妄想を広げていく。
「お姉様と一緒に各地を回って旅をして、一緒の宿に泊まって……ふふふ」
ディストレの不気味な笑みを見て、一瞬だが背筋がざわついてしまった。
「そ、そういえばどうして、ディストレはそんなにも私を慕ってくれてるんだ? 私が思い出した記憶の限り、特別、情熱的な出会いはしていないはずなんだが……」
私が問いかけると、ディストレはきょとんとした顔で固まり、やがて真剣な表情で語り始める。
「確かに……お姉様との出会い当初は嫉妬の感情のみに突き動かされてましたわ……でも気がついたのです! 嫉妬するほどお姉様に夢中なんだと……」
「はぁ……?」
「ふくよかな胸にその可愛らしい腕……引き締まった腰周り……すらりとしていて細いけど程よく筋肉がついた足……その他にもまだまだありますが、お姉様の体すべてが愛おしいのです……!」
「い、いや、そんな褒められるほどの身体ではないぞ?」
シルフィは顔を赤らめて否定する。
「ちょっと! 惚気話ならよそでやりなさいよ!まったく……」
シルフは不機嫌そうに頬をふくらませて文句を垂れているが、表情はそれほど険しくはない。
「あぁ、それとディストレ……」
シルフィがディストレに話しかけようとすると、辺りの景色が歪み、徐々に白くぼやけ始める。
「うぅ……?」
歪んだ景色には亀裂が入り、砕け散っていく。
シルフとディストレは驚きの表情を浮かべている。
シルフィは知らず知らずのうちに自然と目を閉じ、意識はまどろみの中に消えていくのだった。
久しぶりの更新です。
しばらく、2.3週間に2回程度の更新ペースになると思います。