ファイターになるということ
翌日。
不要不急の外出を避けるように言われているので、門下生たちは当面の間、来ない。
しかし、歩は目覚めると、手早く準備をして、日課の朝の稽古を開始した。汎用決戦グローブは昨日からつけたままで、しかも同人誌をリュックに入れて携帯している。念のためだ。
まずはランニングをする。戻ってきてから、道場に入ろうとするのだが――、足が動かなかった。
疲れているのではない。
自分が道場に入ってこのまま空手をしていいのかどうか、判断がつかないのだ。
昨日からの悩みの種はそれだった。
「どうした、入らんのか」
道場の中から、師範でもある正太郎が声をかけてくる。
「俺、空手やって、いいのかな」
「どういう意味じゃ」
「……俺、殺し合いに空手を使った……! 相手は化け物で、悪い連中だけど、それでも殺し合いに空手を使っちまった!
もう、俺に空手をやる資格は――」
「ある。お前は悪くない」
正太郎は、力強く断言した。
「でも……」
「でももヘチマもない。
そりゃあ、人殺しに空手を使ったらダメなことがほとんどじゃろうが、この場合、悪者の怪物から仕掛けてきている。それにそもそも、非常時じゃ」
「頭では、そういうことだって、わかってるんだけどよ……」
正太郎は頷いた。
「そういうこともあるじゃろう。しかし、じゃ。空手は、身を守るため、誰かを守るためになら使っても構わないはずじゃろう。そうは思えんかね……。
お前の父親だって、武道を使わずに犯人に突撃していったわけではあるまい」
歩の表情が理解のものに変わった。そもそも、警察官は武道を警察学校で習う。そのことを思い出したのだ。
「ましてや、お前は人類を守るために戦っとるのじゃ。
何も悪いことはしておらん。
わしの、自慢の孫じゃ」
「……ありがとう、じいちゃん。
押忍!」
歩は立礼と挨拶をして、道場に入った。
準備体操を終え、基本の技の練習に移るころには、もう悩みは消えていた。
□ □
歩が稽古を終え、シャワーを浴びてから部屋に戻り、持ってきていたノートパソコンをWi-Fiにつなぎ、インターネットのイラスト投稿SNSの「Picoup」を見ると、「同人ファイター」のイラストで溢れていた。
「おっ、こりゃあすっげえな」
どれもこれも、「頑張れ!」「頼む、勝ってくれ」「必勝祈願」などと寄せ書きや前書き、コメントがついている。
歩は目についたものから順番に、「原作者で同人ファイターに描我転身した者です。応援ありがとう」などとコメントをつけていった。
しばらくコメント付けに夢中になっていると、ドアがノックされた。
「歩さん!」
妙に上機嫌な声のエイミィだった。
「おう、まあ入れよ、すげえぞ」
「はい!」
「おっ、おまえ、そりゃあ――」
歩が振り返ると、地球の服――空色のワンピースに身を包んだエイミィがいた。
「私がテレビの地球の服のCMを見ていましたら、清美さんがくれたんです。若いころの服だそうで、もう着れないからいいって。どうですか?」
「おふくろが?」
その場でくるっと一回転するエイミィ。
「似合ってる、可愛いけどよ、どこかで見た気がするな?」
「子どものころに見たのではないですか?」
「そうかなあ……なんかもっと違うところで見たような……まあ、いいや。
平和になったら、もっといろいろ服でも見に行こうぜ」
「はい! ……あれ、この画面は……」
「Picoupだよ。みんながイラストを投稿できるインターネットの……わかるか?」
「こちらの言語は装置で習得したのでわかります。サイバー空間ですね?」
「まあ、そんなとこ。うれしいよな、こういうの。勝たなきゃな」
歩は笑顔で語る。
「迷いは吹っ切れたようですね」
「気づいてたのか……」
「私、こう見えても歩さんよりは年上ですから」
「そ、そうだったのか……」
豊かな胸を張るエイミィにくぎ付けになりそうになりながら、歩はとりなすように言った。
そうしていると、清美の声で「ごはんよー」と呼ぶ声が聞こえてきた。
「飯だ、食いに行こうぜ」
エイミィを加えた一同で朝食をとっている間、つけていたテレビからニュースが流れていた。チャンネルはいろはテレビだ。
テレビの中でアナウンサーが、昨日の夏コミ襲撃事件を扱っている。警察では、描王対策本部を設置することになったらしい。
「今日、エイミィと一緒にいろはテレビに出演してくることになってるから」
「え?! 歩兄ちゃん、テレビ出るの?! すっげー!」
「おう、これの件でな」
「そういうことなら仕方ないけど……気を付けて行ってらっしゃいよ」
家族の激励を受けていると、ニュースが進行した。
『この事件を受けて、各同人誌即売会を含め、数々のイベントが、相次いで、急きょ中止になっています。事件が解決するまで再開のめどはたっていません』
「まあ、当然じゃな」
「私の星でも、最初はこうしてイベントが中止になりました……」
「大丈夫だ、地球には俺がいる」
歩が安心させるように言うと、正太郎も頷いた。
「それには、しっかり食わんとな」
「ああ。おかわり!」
「僕もおかわり!」
歩と武は、元気よくお茶碗を突き出した。
和やかな笑いがこだました。
□ □
食後、歩が自室に戻ると、スマホに電話がかかってきていた。歩がお世話になっている、大手同人誌委託店「ししのあな」の担当からだ。折り返し電話をかける。
「もしもし?」
「道本さん! ししのあなの山田です。いやぁ~、みたよ、いろはテレビ! 無事でよかった、よかった」
「ありがとうございます。ところで、何の用でしょうか? 何かトラブルでも?」
「いやいや、そうじゃない。いいニュースだよ。君の同人誌が、昨日からの騒ぎでバカ売れでね……紙の書籍も電子書籍も、一躍トップクラスの勢いで売れて! 紙の方はすぐ品切れになっちゃったんだけどね。いやーみんな、目ざといね!」
「マジすか」
「マジマジ。……そこで相談なんだけど、紙の同人誌、まだ在庫あったりしない?」
「いや……コミバに持って行った余りがちょっとあるだけですね」
「やっぱりそうかぁ~~。じゃあ、増刷かける気はない? 是非当店であずかりたいんだけど!」
「そうですね……、検討してみます。ちょっと今は忙しくて無理ですが、やるとしたら、遅くても、冬コミの新刊と一緒になると思いますよ」
「そうかそうか! じゃ、当面は電子書籍だけね! いや、よかった! これからもよろしくね! ……早く平和になってくれるといいねえ」
「はい、任せてください。よろしくお願いします!」
「あ、いや、そういう意味じゃ……。ごめんね」
「いえ、気にしないでください。それでは、また」
歩が電話を切り、ある作業をしていると、「歩―、美花ちゃんよー」と清美の呼ぶ声がした。歩は作業に夢中になっていたので「部屋に上がってもらってくれー」と返した。
ほどなくして、美花が歩の部屋にやって来た。
「あーくん、昨日はありがとう! 退院できたよ」
「おう……入院してたのか。大丈夫か?」
「うん、検査入院だから。ばっちり異常なしだって」
「そりゃよかった」
「うん……あれ? あーくん、それ、原稿じゃないよね……」
「ああ……遺書だよ」
歩の作業とは、遺書を書くことだったのだ。
「遺書……?! なに、どこか怪我が残ってるの?!」
「いや、違う。昨日、剛本さん……警察の人に、命を懸けて戦うなら、死んだときのことを考えろ……って教えてもらってさ」
「どうしてあーくんが?! 警察や自衛隊の人にそのグローブを渡して、代わりに戦ってもらえばいいじゃない!」
動揺して叫ぶ美花の肩に、落ち着かせるように手を置く歩。
「いや、俺にしかできないんだ。適性ってやつが必要でさ」
「でも……」
「俺だって、本当は家で漫画描いたり、普通にしていたい。でもよ、奴らを倒さなきゃ、そんなことできやしないだろ?」
「それは……そうだけど……」
美花は視線をさまよわせながら、さらに何か言い返そうとした。
「それに俺の場合、死ぬって決まったわけじゃない。死ぬために書いたわけじゃない。そこは誤解しないでくれ。どちらかっていうと、覚悟を決めるために書いたんだ」
「……こんな……こんなのってないよ……」
泣きそうな美花に、歩は、残りの同人誌を一冊、ダンボールから取り出して見せた。
「もし死んだら、俺の魂は、ここにあると思ってくれ」
「え……?」
「原稿、魂を込めて描いたからよ」
「う……うん……ごめんね……」
歩が同人誌を渡すと、美花は震える手で受け取った。
□ □
「では会議だ、同人ファイターをどうやって殺すか」
過激派集団である悪政粉砕団のアジトの一軒家で、リーダーの冷泉がそう告げると、人間の姿になっている描王を含む他の5人のメンバーが一斉に頷いた。
描王が現れたときに怯えていた、今もどこか怖がっている太った構成員が挙手をする。
「斎藤、発言していいぞ」
冷泉が指した。
「びょ、描王さんが殺しに行くのではダメなんですか?」
「描王殿、どうなのだ?」
描王はおどけて、挙手をしてから発言する。
「最初はそれでいいと思ったのだがな……予想外に奴が強い。
あれは私を殺すための兵器だからか、こちらの描力を頂く能力を無効化しているのだ。またそれだけではなく、攻撃の力の源泉もこちらと同じだから、こちらの再生や防御を超えてくる。実に厄介だ。
そこで君たちの知恵に頼っているわけだよ」
描王を除く全員が、なるほど、と頷く。
「では、どうするかだ……みんな、何か案はないか」
しばらくすると、痩せた男が挙手をした。
「ふむ……鈴木、言ってみろ」
鈴木と呼ばれた痩せた男は立ち上がって満面の笑みで言う。
「同人ファイターは空手と思われる巧みな動きがウリです。
そこを逆に考えると、奴を動けなくすれば、一方的に殺せるのではないでしょうか!」
「それは……実現すれば確かに良いが……可能なのか、描王殿」
冷泉が描王を見ると、描王は再び挙手をしていた。気に入ったのだ。
「先ほど言ったように力の源泉が同じだから、直接変化能力で干渉するのは不可能だな」
鈴木は見るからに落ち込んだ様子で座った。
「うん……みんな、ダメ元でもいいから、とりあえず案を出せ。視点を変えれば使えるかもしれない」
冷泉がそう言っても、みんな考え込むばかりであった。