うつくしいせかい その三
一方、道本家では、いち早く戦闘をドローンで中継し始めたいろはテレビチャンネルにくぎ付けになっていた。
『正気に戻れ、ゆっき―!』
テレビの中で歩が叫ぶ。
「え……あれ、雪美ちゃんなの?!」
清美が動揺して叫ぶ中、エイミィはプロトグローブを使って描力を探知していた。
「間違いありません、描力反応が宮野さんと同じです! 改造されたのでしょうか……でも……」
「どうしたの、エイミィちゃん?」
「勝負になっていません。攻撃は素人丸出しですし、おそらく防御も。なぜ宮野さんを改造する必要があったのでしょう?」
「確かに、このままなら直ぐに勝負がつきそうじゃな。しかも殺さずに済みそうじゃ」
空手道場の師範としての観察眼を持つ正太郎も同意した。
テレビの中では、戦闘が始まってからずっと雪美の攻撃を避けることに徹してきた歩だが、埒があかないと判断したのか、攻撃に転じた。
吸い込まれるように突きが急所に命中し、雪美は崩れ落ちた。
「大丈夫じゃ、加減しておる。おそらく気絶させて事態を収拾するため――」
『負けた……負けない……わたしがすぐるをまもるのよぉっ!』
正太郎が言葉をつぐんだ。雪美は叫び声を上げながら姿を醜く変えたのだ。先ほどまではマジカルレインボーとしてのヒーロー・ヒロイン然とした姿だったのだが、今は化け物としての部分が非常に自己主張をし、マジカルレインボーだった部分とのギャップで見るも無残な姿となっている。
「描力が急激に上がりました!
これは……おそらく、描力を扱えるように、心をつかさどる部分の身体ごと改造されているのでしょう――いけない、なんてことを……! そんなことをすれば精神に異常をきたしてしまう!」
エイミィが、プロトグローブの反応を見ながら分析した。
「俊……って、亡くなった弟さんの名前よ。さっきからちらちら映ってる小さい子供、もしかして――俊くんなの? 描力って生き返らせることもできるわけ?」
清美がエイミィに問う。
「いえ、さすがにそんなことはできるはずがありません。よく似たダミーではないかと」
「そうよね……むごい……」
テレビの中の戦闘は、激しさを増した。雪美の速さ、攻撃力、全てが跳ね上がったのだ。いかに雪美が素人と言っても、基本スペックが上がれば挙動にも鋭さが増す。歩はすべての攻撃を避けることはできなくなり、受けも使わざるを得なくなった。
『はっ!』
歩の反撃の手加減された下段蹴りがきれいに命中する。しかし雪美は崩れ落ちるどころか、よろけることすらない。
『ふんっ! ふんっ!』
『くっ……ごめん、ゆっきー!』
歩は雪美のパンチを受け、流しながら、手加減なしの突きを命中させる。しかし雪美は何事もなかったかのように攻撃を続けた。
『死ねぇぇぇえええ!!』
雪美はぶんぶんと駄々っ子のように拳を振り回す。それは子どもの拳とは違い、描我転身した歩にすらダメージを負わせる。しかし歩はそれを表に出さず、的確に反撃を加えていった。
「どうしてあのすごい技を使わないのかしら?」
「マグナムアタックを使えば、おそらく殺してしまいます。だからためらっているのだと……」
「殺すわけにはいかんし、かといって殺されるわけにもいかない。究極の二択じゃ。敵も非情な手を打ってくるのぉ!」
「なんとか三択目を見つけない限り、殺すしかなくなります。それは避けないと……」
雪美が強力に変化したとはいえ、戦闘は歩に優勢で進む。
『ゆっきー! いくらやっても無駄だ! 降伏してくれ!』
『くそっ……くそくそくそっ……倒せない!! 倒せないいいいいいい!!!』
正気を失った雪美とは会話すら成立しない。
そればかりか――
『うっ……ゆっきー……』
雪美はさらにグロテスクで醜悪な姿に変貌した。先ほどまでとは違い、完全にマジカルレインボーの面影はなくなった。
「ひどい……」
清美が独り言を漏らす。
雪美の猛攻が始まった。相変わらず型はめちゃくちゃだが、とにかく速さも重さも段違いだ。
『ぐはっ……』
動揺した歩は、受けも十分に取れずに攻撃をいくつも食らってしまった。
しかし歩はひるまず、後退しながら受けをとりつつ――後の先――上段回し蹴りを雪美の頭部に向けて放つ。気絶させる作戦だ。
「入った!」
正太郎が叫ぶ。よほど綺麗に入ったのだろう、雪美はよろけた。
「やったか……?」
期待もむなしく、雪美はすぐに体勢を立て直した。
その時、家の電話が鳴った。
「誰じゃ、こんな時に……!」
「私が出ます」
清美が電話に出る。すると――
『もしもし、相馬です。ブリーズさんはいらっしゃいますか?』
「少々お待ちください……エイミィちゃん、相馬さんだって!」
「もしもし、代わりました! 相馬さん、どうしました?」
『僕もいろはテレビを見てるんですけど、道本くんがものすごく苦戦しているから……二人で何とか知恵を絞れないかと』
相馬にはいろはテレビ襲撃事件の時の実績がある。エイミィはこの話に飛びついた。
「宮野さん――歩さんの友達――は、描王の手によって改造されてしまったとこちらは見ています!」
『宮野さんで間違いないんですね?』
「描力反応が同じです! 間違いありません!」
『すると、見せかけだけではないわけだ。……本当に非人道的な敵だな。しかし改造されたとなると、こちらで外科手術を行って余計なものを取り去るくらいしか手が思いつきませんね……』
「取り除く……そうか、そんな手が!」
『ブリーズさん? 外科手術と言ってもまずは取り押さえなきゃいけないし、それは映像を見る限り難しいですよ……?』
「大丈夫です、ひとつ手を思いつきました。しかしそれには歩さんとコンタクトをとり、届け物をしなければなりません……どうにかなりませんか?」
『本当かい! 直接届ける……のは危険か。高松先生の時は何とかなったけど、敵が伏兵を用意しているかもしれないし』
「あの少年の姿をしたものが監視役でしょうね。故人の姿を真似ているそうですから」
『……なんということを。
――そうだ、いいことを思いついた。策に必要な手段をどうにか用意しますよ。すぐにそこへ車を飛ばします』
「それまでに私も準備をします! よろしくお願いします」
『了解しました!』
電話を切ると、エイミィは自室へ向かった。清美がそれについていく。
「エイミィちゃん、どんな手があるの?」
「私がマグナムファイターの新しいフォームの絵を描きます。それを使って描我転身してもらうんです。ただし問題もあります」
「問題?」
「強力なフォームに描我転身してもらうには、それだけ心の……描力のこもった絵を描く必要があります。私に描けるかどうか……」
心の筆が折れた自分に、そんな絵が描けるかどうか。エイミィはそれを心配していた。
「大丈夫。きっと上手く行くわ。エイミィちゃん、絵が好きでしょう? 好きこそものの上手なれって日本のことわざがあるのよ」
「はい……何とかやってみます」
エイミィと清美はエイミィの部屋に入る。エイミィは歩にもらったスケッチブックと鉛筆を取り出した。
うまく、行くだろうか。不安がよぎる。しかし、とにかく描くしかない。
描けなければ作戦は失敗し、歩が死ぬばかりかこの地球も滅んでしまうだろう。
エイミィは鉛筆にこの世すべてが乗っているような錯覚を覚えた。
エイミィの手が止まっていると、清美がそっと手を重ねた。
「大丈夫、楽しく描けばいいのよ。それでいいんでしょう?」
「楽しく……」
「歩はいつもそうしてる。それで戦えてるんだから、エイミィちゃんもきっと同じ」
エイミィは、歩の同人誌を楽しく読んだことを思い出した。
――私の心に、創作物を楽しむ部分は残っている……なら……それだけを意識して創作すればいい!
プロの作品は、自分のためだけではないのは当然だが、自分も楽しめないものでは成功しない。それと同じだ。
不完全でもいい。元より完全なものなどこの世に存在しない。十分であればいい。
ただ、歩さんとこの世界を救えればそれでいい!
勝算は――ある。
さぁ、自由に、楽しむんだ――。
エイミィの目つきが変わったのを見て、清美はすっと手を引く。
その後はあっという間だった。
エイミィの手が神がかった速さで動いていく。
「出来ました」
とても短時間で描いたとは思えない、ヒーローの絵がそこに出来上がっていた。
清美があっけにとられていると――。
「会心の出来です。清美さん、ありがとうございます」
「あ、ううん、私はたいしたことはしてないわ」
玄関のチャイムが鳴った。
「相馬さんだわ」
「遅くなって申し訳ありません!」
相馬は入るなりそう叫んだ。歩のことが心配なのだ。後ろには、機材を抱えたいろはテレビの取材班も一緒にいる。相馬が呼んだのだ。
「いろはテレビの皆さんに、マイク・スピーカー・カメラなどのついたドローンを飛ばしていただきます。このドローンに届け物をくくりつけておけばいいでしょう? 僕が無許可で飛ばすと違法になってしまうので……仕方がないので、許可を既にとっている、いろはテレビさんに来ていただきました」
「操縦は任せてください!」
操縦する役目のADが胸を張る。
「よかった、何とかなりそうです」
「でも、あまり重いものは運べませんよ?」
「とても軽いので大丈夫です。絵を描いた紙ですから」
「絵……そうか! 新しいフォームですね?」
相馬が指をぱちりと鳴らす。
「はい、至急飛ばしてください!」
「すぐにセッティングします!」
ADは、玄関にノートパソコンを広げ、てきぱきと準備を始めた。
□ □
公野台公園で雪美と戦い続ける歩は、敵が雪美を改造した理由を推測し、心の端に絶望を抱え始めていた。
道本歩に殺せない存在――雪美――を改造し、敵対させる。シンプルだが、効果は絶大だ。その上、どんどん強大になっていくのだ。手に負えなくなる前に殺すのがもはや最善だが、歩はどうしても踏ん切りがつかなかった。
――俺が、空手で、ゆっきーを殺す。そんなこと……!
歩は戦う覚悟はできていたが、それは自らを危険にさらす覚悟と、明解な敵を殺す覚悟であって、民間人を殺す覚悟などではなかった。ましてや、それが友人となれば、なおさらだ。
――でも、ここでゆっきーに負けたら、地球が……終わる……。
歩は訓練された兵隊などではない。空手の腕は立つが、それはあくまで武道で、一介の高校生に過ぎない。だからこの局面でためらいなく雪美を殺すなどということはできなかった。
それだけではない。
こちらの攻撃が有効なダメージにならないだけならまだよかった。問題は、雪美の攻撃によって歩がダメージを負っていることだ。受けというのは、万能ではない。自らの体で相手の攻撃を受け止めるのだから、当然ダメージはたまっていくのだ。それは、タイムリミットを示していた。すなわち、マグナムアタックを撃てるだけの体力までのタイムリミットだ。
――俺は……俺が……決めなきゃならない。地球か、ゆっきーか。
「いける……いけるわ! 私があの子を守るのよ!」
「あの子……?」
「あなたみたいなマンガオタクに殺された弟! 描王さんに生き返らせてもらった子! そして私も描王さんに力をもらった……!
あの子が! 二度と死ぬことのない!
マンガオタクのいない、うつくしいせかいをつくるのよぉっ!」
「死ぬ? ……二度と?
死人は、生き返らない! 親父もそうだった! お前、描王に騙されてるんだよ!」
「そんなことない! そんなことない! そんなことない!」
「お姉ちゃん、がんばれー!」
スグルがいびつな笑いを浮かべて言った。
「ホラァ!」
雪美も凄惨な笑みで叫んだ。
――ダメだ……完全に騙されてる。洗脳ってやつか。やるしかないのか?
歩がそう思った時、ドローンが接近しているのに気が付いた。
『歩さん! これで描我転身してください!』
「エイミィ?!」
ドローンに搭載されたスピーカーからエイミィの声がすると同時に、歩の目の前に紙筒を括り付けたドローンが静止した。歩は紙筒をひったくり、間髪入れず、
「描我転身!」
すがる気持ちで描我転身した。
同人ファイターの全身から筋状の光が流れ出し、紙筒を包む。
紙筒の包装が解け、同人ファイターの胸に吸い込まれるように一体化し、いっそうまばゆい光に包まれる。
光が割れるように飛び散り、白いスーツと白銀の装甲に身を包んだ、新たなフォームの同人ファイターが誕生した。
電子音声で「マグナムファイター・フラッシュフォーム!」と響く。
「それが何よ! 色が変わっただけじゃない!」
鬼の形相で雪美があざ笑う。
雪美は歩に襲い掛かった。歩はその無造作なパンチを払いのけ、水平に裏拳を返した。
「グギャアアアアアアァッ!」
すると、裏拳が命中すると同時に閃光が走り、命中したみぞおちの異形が消え去り、人間の肌が露出した。
「これは……?!」
残心で敵から離れた歩は、思いもよらない効果に戸惑いを見せる。。
『そのフォームの力は浄化の光です! 異常を取り除く攻撃ができます!』
「よし!」
勢い込んだ歩は、攻勢を強める。
まず左前蹴りが当たり、閃光と共に雪美の右足が人間に戻る。
「ウギャッ!」
苦しむ雪美に対し、歩は冷静に上段突きを放つ。避けようとした雪美の左頬に命中し、輝きと共に頭部の左側を人間に戻す。そのままワンツー、逆突きをするが、雪美が体をかばうように出した腕により防御されてしまう。しかし、その歩の攻撃が光と共に当たった雪美の左腕は人の腕に戻った。
「この……このこのこのっ!」
雪美がまだ怪物化している部分をさらに醜く強大に変化させるが、一度人に戻った肉体は人のままだ。人に戻った左目からは涙が流れている。
「ちくしょう――――っ!」
雪美はまだ怪物化したままの左足で中段の蹴りを放った。しかし、軸足の右足が人に戻っているせいでパワーもスピードも弱くなっていて、マグナムファイター・フラッシュフォームとなっている歩には通じない。歩は難なく受けをとり、反撃の上段左回し蹴りを、雪美の右頭部へと命中させた。閃光と共に雪美の頭が完全に人に戻る。
「お願い……道本くん……わたしを殺して……! 体の奥から、あなたたちへの憎しみがわいて止まらないの……! もう、死ぬしか……!」
「安心しろ、ゆっき―! 今戻してやる!」
――マグナム・フラッシュ・アタック――
雪美の前に六角形の白銀の光が現れ、歩はそこに向かって突進し、そのまま跳び蹴りをする。光は歩と融合し、巨大な光が雪美を通過し、瞬間の後、歩は反対側に立っていた。残心、歩は雪美の方に向き直る。完全に人の姿に戻った雪美が裸で横たわっていた。
「ちっ……」
それを見ていたスグルは舌打ちをし、自らの体を成人男性ほどの、頭部に結晶体のある黒い怪物に変化させ、歩に襲いかかった。
歩はその攻撃を左腕で受け、右の手刀で結晶体を砕いた。スグルは倒れ、ピクリとも動かなくなった。
歩は描我転身を解き、倒れている裸の雪美に駆け寄り、自分のシャツを脱いで着せようとした。
「あ……道本くん……」
すると、雪美は目を覚ました。
「これ、着てくれ」
「えっ? ……わ、いやっ! 見ないで!」
雪美はひったくるような勢いでシャツを奪い、後ろを向いてシャツを着た。
「ご……ごめんなさい……」
「いや、気にするなよ。誰だってそうなるさ」