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断罪者  作者: 天野悠午
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七章

 一つだけ約束して。

 例え私が死んでも、好きな人は出来てもいいから、その時計は絶対に外さないで。そうすれば私ずっと、あなたの中で生き続けるから―


                          ※


 しばらくすると、全身鏡が二つに開いた。鏡は扉上になっており、中から白衣に身を通した三十代ぐらいの女性が入って来た。神崎と目が合うと女は微笑み、それから「お疲れさま」とだけ声を掛けた。


「律子、少し休憩をとってからまた再開する」


 神崎は上着のポケットから煙草とライターを取り出すと、それに火を付けた。


「まだやるの? これで今日二回目なのよ」


「俺は今日非番なんだ。時間はたっぷりとある」


 大きく煙草の煙を吹かせ神崎は答えた。


「あなただけの問題じゃない。彼女の体だって相当な負担になるわ。カウンセラーとしてそれはいくらなんでも許可出来ない」


 神崎は律子の言うことに耳を貸そうとせず、素知らぬ顔で何かを考えていた。


「―ねぇ。これっていつまで続けるの?」


 そう言いながら律子は、神崎に携帯灰皿を差し出す。


「こいつが磯野笑美としての記憶を全部思い出すまでだ。そうしたらその後取り調べて、根掘り葉掘り動機を全部吐かせてやる。例え思い出さなくても呪いが完成するまで何年、何十年でも続けてやるさ」


 倒れているりおを、神崎は蔑んだ表情で見つめる。律子は伺うように少し間を置き「ねぇ?」と尋ねた。


「あの呪いって本当にあるの?」


「ん? さぁな。でも記憶が戻ったこいつに良心が鼻くそぐらいでもあれば、『生きていたくない』と思わせることは出来るはずだ。あとは勝手にこいつが『これで』死んでくれればいいだけだ」


 煙草を口にくわえながら、神崎は上着の内ポケットから裁ち鋏を取り出し、それを部屋の中央にあるテーブルの上に置いた。


「さっきは少しだけだが焦ったよ。まさかここに凶器を仕込んでるのがバレるとは思わなかった。勿論まぐれ当たりだろうが…。今日の佐々木りおさんはいつもより頭が冴えていたな」


 神崎は口元に笑みを浮かべた。上から覗き込むような体勢でりおを見ると再び真顔に戻す。


「五年や十年治癒して、はい退院。なんてさせてたまるか。仮に一生隔離させたとしても、りおの人格のままで生きているのにも反吐が出る…」


「でも医療刑務所の一室で、こんなことやってるのがバレたら、それこそ私たちもただじゃ済まないわよ」


 律子の言葉を受け、神崎は首を横に振った。


「その時は俺も…約束通りに『呪いをかけた罰』を受けるさ。お前は俺に脅されて仕方なく協力をした。そう言ってくれていい」


「ふふふ…」


 律子が突然何かを思い出したように吹き出した。それに気付いた神崎は、「なんだ?」と尋ねた。


「ずっと奥で聞いてたんだけど、さっき彼女、あなたに『この仕事は自分にとって何か節目的な想いがあったはずなんです』と答えてたでしょ? 彼女、りおさんが節目と思って舞台に立ってたことって知らないはずじゃなかったっけ?」


「あぁ知るはずがない。そうか…そう言えばそんなこと言っていたなぁ。何故こいつがそんなことを知っていたんだろうな」


「あなたが毎日この行為を繰り返し行うようになってから二年。案外亡くなったりおさんが徐々に彼女に憑依していってたりして。もしくは、ずっとこの行為を記憶しているとか…」


「そんなわけがないだろう。たまたまだ。…ありがとう律子」


「別に良いわよ」


「そうじゃない。お前には感謝している」


「何言ってんの? 私たち夫婦なんだし、殺されたのは私の義理の弟とその婚約者でもあるのよ、当たり前でしょ? 今日のあなた、やっぱり疲れてるんじゃないの?」


「あぁ。…神崎正哉を演じるのも疲れるさ…」


 律子に聞こえないくらいの小さな声で呟いた。


「え? 何か言った?」


「いや、なんでもない。遺体の写真の準備は出来てるか?」


「一応プロジェクターのところに仕込んである…ねぇ、どうしてもやるの?」


 律子は心配そうに尋ねた。


「あぁ。今日はこれで最後にする。どうせさっきの出来事は目を覚ませば皆忘れているんだ。今度はもっと泣き叫び苦しめてやる。分かったら、お前はさっさと外に出ろ」


 神崎は律子に携帯灰皿を返す。外に出るため律子は鏡に手を触れようとするが「そうだ」と踵を返した。


「さっきあなたが言った、『人は見た目じゃない』って部分、結構格好良かったわよ」


「律子、一つ教えといてやる…人は見た目だよ。ふふふ…」


 律子が扉を開いて外に出る。

 再び薄暗く真っ白な二人だけの世界に戻る。神崎はゆっくりと落ちている雑誌を一冊一冊拾い上げながら、りおとの撮影現場の思い出を回想した―。


 三十九度の熱の中、雑誌の撮影を終えると、そのまま倒れ込んで救急車で搬送されたこと。初めての海外での写真集。グァムではしゃぐりお。現地での水着撮影。最初は恥ずかしがりながらも、最終的にはいつもの屈託のない笑顔に戻っていたこと。


「…りお…りお…りお…」


 何度も何度も小さな声でりおの名前を呼び続けた。もう戻っては来ない最愛の女性の名前を―。

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