4.これが地獄への片道切符だクソ野郎!!!!
「――ぎぇあああああああああああ!」
うすら笑む小さな殺人鬼から、ゲンタは猛烈な勢いで逃げ出した。
「なんだアイツなんだアイツなんなんだよアイツ!」
「ご注文通り、頭のイカれた野郎がきたわね」
「だれがあんなクレイジーサイコショタよこせつったよ! アイツ絶対デスゲームでも終盤まで生き残って主人公の親友を殺したり、主人公をギリギリまで追い詰めたあと最後にちょっとだけ人の心を取り戻して死ぬタイプのやつだろ!」
「この場合、あなたが主人公なんだから勝ち目はあるんじゃない?」
「テメェ、親から『産まれたときから存在感が赤字』と言われ続けてきた俺のモブ力ナメてんじゃねえぞ、無理に決まってんだろ!」
「あら、いい顔をするじゃない。うふふ、それよ、そういうのよ私が求めていたのは! もっと無様に逃げ惑ったり抗ったりなさい!」
どこから取り出したのか、ドミ子は小型のカメラを構えていた。
「うるせえ撮んじゃねえ事務所通しやがれボケェ! テメェ、さてはこうなるのわかってて、わざと俺の罪悪感を煽りやがったな!」
「さあ、なんのこと? あなたが勝手に飛び出していったのでは?」
「こうなるってわかってたらあんな真似しなかったわクソが! だいたいなんでアイツはワープバグに引っかかってねえんだよ!」
「――おしえてほしい?」
全力疾走するゲンタの真横からアキラが顔をのぞかせた。「あひゅっ!?」間抜けな悲鳴とともにゲンタは飛び退った。
「お、おまっ、いつの間に、どうやって」
「ワープバグ回避バグ……知らないの?」
【ワープバグ回避バグ】
ラストダンジョンに強制転送させられたプレイヤーたちが、数多の屍の上に築き上げた回避策。
クエスト開始の合図となる選択肢において「はい」を選択した後、一フレーム(六十分の一秒)以内に「いいえ」を選択することでワープバグを回避することができる。またその際、一瞬だがデバッグモードに入ることができ、ステータスを自由に改変することが可能。
「普通なら筋力値をカンストさせるんだけど、今回は敏捷値にしてみたんだ。その方がアソびやすいと思って――さ!」
アキラはおもむろに短刀を真一文字に薙いだ。「ひィ!」とっさにしゃがんでそれを回避したゲンタは、そのまま地面を蹴り跳びあがった。だらしなく肉の乗った短軀が、似つかわしくない放物線を描いた。
「わあ……」
常人離れした跳躍力で民家の屋根に飛び移るゲンタを、アキラはぽかんと口を開けて見送った。
*
「……く、クソッ、ワープバグ回避バグ、だと? なんでアイツそんなもん知ってんだよ。つーかバグを回避するバグってなんだよ。どうなってんだよこのクソゲーは、なあ!」
「なによ、私に言わないでよ」
「お前にしか言えねーんだよ!」
「それより逃げなくていいの? 屋根飛び乗ったくらいじゃ追いつかれちゃうわよ」
「いや、おそらく大丈夫だ。ヤツは敏捷値をカンストさせたと言ったが、それ以外のステータスは初期値のはずだ、ならば――」
ゲンタは屋根から伸びる煙突の陰から様子をうかがった。アキラは、屋根に飛び移る素振りも見せずに、ただ民家の軒先をうろうろしているだけだった。
「やはり、アイツは越えられない――この【初期村摩天楼バグ】を!」
【初期村摩天楼バグ】
ガイアクラフトに存在する建築物には全て『高さ』というステータスが設定されており、それに見合った跳躍スキルを取得していないと飛び越えたりできないが、初期村の建物はなぜかそれがマックスになっているというバグ。
このバグのせいで初期クエストのひとつである「屋根に引っかかった風船を取って!」において、高尾山を飛び越す程度のスキルが要求されることとなり、前段のラスダンワープバグを乗り越えた猛者たちをさらにふるいにかけた。
「クックック……ワープバグを回避したことは褒めてやろう、だがな! その程度でこの『バグがエンドコンテンツ』と呼ばれたゲームを三年やり込んだ俺を出し抜けると思うな!」
「その呼び名が初耳なんだけど私」
高笑いするゲンタを尻目に、なにかを探すように建物の周りをうろついていたアキラが、ゲンタのちょうど真下で足を止めた。そして、
「みつけた」
短く言うと、アキラはおもむろに壁面に腕を突っ込んだ。壁は腕を弾き返すこともなく、泥土のごとくずぶずぶと腕、肩、そしてアキラの半身を呑み込んでいった。
身体半分がすっかり壁にめり込んだかと思うと今度は、アキラの全身が激しく痙攣を始め、そしてゆっくりと、壁面を滑るように上昇しはじめた。
「な……なにあれ気持ちわるっ!」
「あれは――【絶頂昇り龍】だ!」
「名前もっと気持ちわるっ!」
【絶頂昇り竜】
壁オブジェクトの雑な接触判定に目をつけたプレイヤーにより、初期村摩天楼バグ対策として編み出されたバグ。
接触判定の隙間にキャラの身体をめり込ませ、連続してジャンプすることで位置を上昇させることができる。はたから見ると、小刻みに痙攣しながら壁を登っていくように見えるため、このような名がついた。
「絶頂昇り龍まで使いこなすとは……ヤツはいったい何者だ……?」
「その最低な名前つけたやつの素性が先に知りたいわよ」
「しかしマズい、ここにいるのはマズい! 別の屋根に飛び移って――」
「逃がさないよ」
身体を反転させたゲンタのつま先数ミリのところに、アキラの短剣が突き刺さった。瞬間、ゲンタの両足は縫い止められたように動きを止めた。
「このバグはっ、【真・影縫い】!?」
【真・影縫い】
隠密スキルを極限まで鍛えると、相手の影に刃物を突き刺すことで移動を封じる奥義『影縫い』を習得することができる、が、隠密スキルを習得しなくても、なんならゲームはじめたての超初心者でも刃物さえあれば影縫いができてしまうバグ。
数十時間を費やして隠密スキルをカンストさせた廃人たちが、ありったけの皮肉を込めてこう呼んだのが由来である。
「――くそっ、たれ!」
逃げ場を失ったゲンタが苦し紛れにこん棒を振り上げた。しかし、
「おそい」
振り下ろされるより速く、アキラの短刀がその根元を両断した。柄の部分だけを残し、こん棒が呆気なく宙を舞う。「――ぐえっ!」ゲンタの襟元がねじり上げられ、その喉元に白刃が突きつけられた。
「……あーあ」
アキラが浅いため息をついた。
「つまんない、もう終わりなの?」
息がかかるほどの密着状態、アキラの昏い双眸がゲンタの引きつった顔を映した。
「終わり……そうだな」言葉を切って、ゲンタはアキラに満面の笑顔を向けた。「ただし、テメェがな!」
「――えっ」
「お前が真・影縫いを使ってくることは読んでいた。だから俺は罠を張った! よおく見てみろ、俺とお前の足下に何が落ちているか!」
視線を落としたアキラが目を見開いた。
「『サイリウム』……『布団たたき』……『ふ菓子』……はっ!」
「気づいたな、だがもう遅い! 落ちてくるぞ、お前がさっき弾いた四つ目が!」
ゲンタを突き飛ばし、飛びすさろうとしたアキラの足下に先ほど弾いたこん棒が落ちてきた。こん棒が屋根に接地した瞬間――地面が消失した。
「【棒・トゥ・ヘル】――これが地獄への片道切符だクソ野郎!」
【棒・トゥ・ヘル】
棒状のアイテムを四つ置くと地面が消えるバグ。多くの少年少女に、学校よりも先に「理不尽」という漢字を教えるきっかけとなった。
影縫い状態のゲンタを残し、突如屋根に空いた大穴は容赦なくアキラの矮躯を呑み込んだ。ゲンタは煙突に寄りかかり、大きく息を吐いた。
「はぁ……はぁ、くそ、とんでもねえやつだった。だが、正真正銘これで終わりだ……よお、どうだドミ子、満足したかよ。これがお前の見たかったものだろうが」
「ちょっとまって思ってたのとだいぶ違う」
「なにがだ」
「なにがじゃないわよ、私はもっとこう、鉄火舞う斬り合いとか、狐疑絡み合う騙し合いとか、そういうのが見たかったわけで、デバッグの現場に居合わせたかったわけじゃないんですけど! まるで、まるでクソゲーじゃない、こんなの!」
「だから初めからそう言って――」
言いかけて、ゲンタが突然膝を折った。影縫い状態にあるはずのゲンタの身体が、ゆっくりと穴に沈んでいく。
「なっ、おい、なんだ、落ちる、吸い込まれる、穴に――まさか!」
ゲンタは視界を探り、そして見つけた。控えめに点滅するそのウィンドウ――いつの間にか開かれていた、アキラとのトレードウィンドウを。
「これは――【ふざけんなクソアマ貿易】!」
【ふざけんなクソアマ貿易】
トレード状態にある相手を強制的に連れ回せるバグ。
トレードウィンドウの、トレードを持ちかけた相手からしか閉じることができず、またログアウトなどの行動も取ることができない、という仕様も相まって、バレンタインイベントにおいて猛威を奮った。
バグ名は、このバグによって丸一週間、心を病んだ女性プレイヤーとの同棲生活を強いられたとある男性プレイヤーの断末魔より。
「やられた、ハメやがったなあの野郎――うおおおお!」
アキラの後を追うようにして、ゲンタの身体も深い闇へと沈んでいった。