3.ダメだやめろ答えるな!!!
ゲンタは積まれた酒樽の陰に身を隠しながら、村の入り口の様子をうかがっていた。
はじまりの村の入り口――そこはガイアクラフトにログインしたプレイヤーが、はじめに訪れる場所でもあった。
「――驚いたわよ」
ドミ子が、頬杖をつくような格好でゲンタの顔を覗き込んだ。
「殺す相手をまさか、外からおびき寄せようだなんてあなた、なかなかの外道じゃない」
「……俺は殺さない。ログインしたやつが、たまたまバグでラスボスに殺されるだけだ」
「あなたのせいで死ぬのは変わらないわよ」
「俺はあのウソCMでちゃんと警告した。ここはログアウト不可のデスゲームだと。それを知ったうえで参加するやつがまともなわけがねえ。どうせいつ死んでもおかしくない、頭のイカれた野郎に決まってる」
「欺瞞ね」
「なんとでも言え。そんなことより、アレは大丈夫なんだろうな」
ゲンタの問いにドミ子は深い溜息でこたえた。
「お望みどおり、ログイン可能なのは新規プレイヤーのみ、一人がログインした時点でサーバーはロックされる。だから被害に遭うのは一人だけ――何度確認したら気が済むのよ。この偉大なゲームの創造主である私をどうしてそこまで疑えるのかしら」
「このクソゲーの創造主だから、以上の理由があるかよ」
「まあ私は、たった一人でも愚かなプレイヤーが苦しむ様が見れれば別に良いのだけど、それにしてもその愚かなプレイヤーは――」
ドミ子は、人気のない、誰かが来る気配すらもない村の入り口に視線を戻した。
「――いつ来るのよ」
「もう少し待て」
「もう二時間以上たつわよ」
「まだ二時間、だ。あのでっちあげCMぐらいじゃフォローできないぐらいのクソゲーってことを自覚しろ」
「日本中のあらゆる映像媒体をジャックしたのよ? 数千万単位の人間の目に触れたのよ? だのに一人も姿を現さないなんてことある? 知名度ゼロのパン屋さんだって、あそこまで宣伝したら行列ができてもおかしくないわよ」
「いくら宣伝しても店頭に丸めたうんこ並べてたら誰も店には入らねえだろ」
「ちょっと、なによその聞き捨てならないセリフは。言うに事欠いてうんことはなによ、うんことは!」
ゲンタはドミ子の噛みつくような視線から目を逸らした。
そのとき、ふいに視界の端でかすかに空間が歪んだ。
「お、オイ、あれ」
「ごまかしても無駄よ、さっきの発言を撤回しなさい! 言っておくけど天才である私のうんこはうんこといってもあなたよりIQ高いんだからね! ひとりで山手線から京葉線に乗り換えるぐらいのことはできるんだから! ねえ――」
突然、村の入り口でまばゆい光がきらめいた。
ドミ子もようやくそれに気づいた。
――その光。かつては見慣れた光。ゲーム開始当初、プレイヤーがログインするたびに目を潰す勢いの光が溢れるため、救済措置として全プレイヤーにサングラスが配布される原因となったその光――それは徐々に収束し、やがてひとりの少年の形を為した。
「きた、きた、きた」
【プレイヤー『アキラ』が新たにゲームへログインしました】
「きったあーーーーーーー!」
新たなプレイヤーの到来を告げるシステムメッセージが表示された瞬間、ゲンタとドミ子は同時に叫んで抱き合った。
「ほらほらほーら見なさい! やっぱり天才の私のゲームだわ! モノもわからぬ有象無象に不当な評価をされてきたけど、やはりわかる人間にはわかるのよ!」
「ワーハハハ、寝ぼけてんじゃねえ! このうんこの塊をうまくカモフラージュしてあたかもチョコモンブランのように見せた俺の手腕のお陰に決まってんだろ!」
「……は?」
「あ?」
笑顔で抱き合ったはずの二人は、いつの間にか互いの襟首をねじり上げていた。
「……いや、まてまて待て。喧嘩してる場合じゃねえ。アイツがちゃんと予定通り罠にかかるかまで見届けないと計画は成功とは言えねえ」
ゲンタはドミ子から離れ、再び村の入り口に視線を戻した。
視界にはふたつの人影があった。一人はプレイヤーの母親――チュートリアルクエストもとい、ラストダンジョンワープバグのトリガーとなるNPCだ。
そしてもう一人はプレイヤーキャラクターの分身となるアバターだ。
ゲンタはそのアバターを見て思わず息を呑んだ。
「子どもね」
ドミ子が言った。
母親NPCの横に立っているのは、小柄な銀髪の少年だった。
「子どもの、アバターだ」
「中学生ぐらいの子かしら」
「中身もそうとは限らない」
「操作時の違和感をなくすため、体系は現実世界のものを参照するのよ。あなたも知ってるでしょう」
ゲンタは黙った。反論しようと思えばできたが、しなかった。
村の入り口できょろきょろとあたりを見回す仕草、その目の輝き――それらが紛れもなく少年のそれであることは、だれの目にもあきらかだった。
「VRMMOをプレイするのは初めてなのかしら。かわいそうに、あの子がいまから理不尽に命を奪われるのね」
「……うるさい。黙ってろ」
少年が――アキラが母親NPCの問いに『はい』と答えさえすれば、チュートリアルクエストが開始され、同時にワープバグが発生する。ほどなくしてラスボスがアキラの命を奪うだろう。きっと痛みもない。どこかで知らない少年が静かに息を引き取る。よくあることだ。ニュースにさえならないかもしれない。それだけで自分は自由になれるんだ。よくあることだ。よくあることだ。よくあること――。
ゲンタは目をつむり、刺すような罪悪感に耐えながら、必死に自分に言い聞かせた。
『アキラ、旅立ちの準備はできた?』
ふいに聞こえた母親NPCの声にゲンタは目を開けた。アキラがNPCに向き直るのが見えた。心臓がどくんと鳴った。全身が弾かれたように動いた。
「――ダメ……ダメだ、やめろ、答えるな!」
酒樽の陰から転がり出たゲンタは、あらん限りの声で叫んだ。
同時に、目の前から母親NPCが消えた。
「えっ」
何が起きたか理解する間もなく、一陣の疾風が頬のすぐ横を通り抜けた。
背後で。コンッと間の抜けた音がひとつ鳴った。
恐る恐る振り向くと、ゲンタの真後ろ――酒樽の円筒形の腹部に、深々と短刀が突き刺さっているのが見えた。
赤い葡萄酒が柄から滴り落ちるのを見た瞬間、ゲンタの総身に悪寒が走った。
そこは、先ほどまでゲンタの頭があった場所だった。
「あーあ、動くから外れちゃった」
今しがた短刀を放った右手をひらひらと遊ばせながら、銀髪の少年は言った。
「でもそんな風におびえるってことは、本当にここで殺したら死んじゃうんだね」アキラは恍惚とした表情を浮かべた「うれしいな、誰にも邪魔されずに人間を殺せるなんて。ムシやネズミは飽きちゃったもん。ねえ、お兄ちゃんもそうなんでしょ? だからこの世界にいたんでしょ? だったらさ――」
その目に少年らしい輝きは微塵も残っていない、あるのはただ深い闇――一対の銃口めいた眼差しがゲンタに照準を合わせていた。
「アソんでよ。アソぼうよ、ボクと」
そう言って、アキラは人なつこい笑顔を向けた。