1.俺しかいねーつってんだろ!
「なんだと、どういうことだ」
ゲンタはひとり呆然と、暗雲立ちこめる空を見上げた。視線の先には少女――深紅のローブに身を包んだ少女が、剣呑な笑みとともに浮かんでいた。
「聞こえなかったのかしら? ではもう一度言ってあげる。あなたたちの人生は私の創造したこのVRMMO――ガイアクラフトの中に幽閉された。もうゲームは終わり。この世界での死はそのまま現実での死を意味し、逃げ出すことも敵わない。誰一人、決してね」
ようやく事態を理解したゲンタが、あわてて手元のバーチャルメニューを探った、が、ない――なくなっていた。メニューから【ログアウト】という項目そのものが消滅していた。
「理解したようね。でも安心なさい、ひとつだけ助かる方法があるわ」
「たすかる、方法……?」
「ええ、ただし先着一名――」少女は愉快で仕方ないという風に口端を吊り上げた「すべてのプレイヤーを殺害し、最後に残ったただ一人を、ここから出すと約束してあげる」
「ふ……ふざけるな! そんなこと、できるわけ、ないだろ……」
「だったら死ぬか、殺されなさい。それも嫌なら逃げ出すのもいい。けれど街から一歩でも出たが最後、私の創造したモンスターたちが容赦なくあなたたちに牙を剥くわ!」
雷鳴が轟き、閃光の向こうから巨大な悪魔が姿を現した。
地獄を管理する鬼のようなその威容を見て、しかしゲンタはなおも声を張り上げた。
「いい加減にしろよ、できるわけないって言ってんだろ!」
「往生際が悪いわね。現実をみなさい、あなたたちは踊るしかないの、このデスゲームの中でね!」
「現実を見ろ、だと?」
その言葉にゲンタは歯を軋らせた。
「ログアウト不可のデスゲーム……? 最後に生き残ったひとり……? 現実を見るのはテメーだクソ野郎!」血走った眼差しでゲンタが吼えた。「寝言いってる暇があったら降りてこい、そしてよおく見やがれ。いま、ここに、プレイヤーが何人いるか!」
「――えっ」
少女はしばらく天空からきょろきょろと下界をうかがっていたが、やがて首をかしげながらゆっくりとゲンタの元に降りてきた。
「……なんであなたしかいないの?」
「俺しかいねーからだよ」
「おかしいわ。ヘンよ。ちゃんとシステムメッセージで布告したし、テレポーターへの誘導もした。なのに、この集まりの悪さはいったい……?」
「だから俺しかいねーつってんだろ」
「あっ、ははーんわかった! あなた達はあれね、避難訓練とかでたらたら歩くタイプなのね。静かになるまで五分かかるタイプなんだわ、そうでしょう!?」
「聞けよ、俺しかいねーんだよ! いま、このゲームにログインしてるのが! 俺だけなんだよ!」
「そっ、そんな――」
ゲンタの剣幕に一瞬たじろいだ少女だが、すぐさま前のめりに反駁した。
「そんなわけないでしょう! この天才である私のVRMMOに、プレイヤーがたった一人!? 無粋で無価値で原始的なのはその顔だけにしてもらえるかしら!」言うと、少女は手元で忙しなく何かを操作し始めた。「いいわ。そこまで現実が見えていないのなら、教えてあげる。私の管理者権限で、このゲームのリアルタイムプレイ人口を特別に表示してあげるわ! そーら、あまりの人気ぶりに震えなさい!」
【現在、アクセスしているプレイヤーは 1 人です】
「あなただけじゃない!」
「だからそう言ってんだろうが!」
「えっえっなんで? どういうこと? 私、右と左の乳首から母乳とドクターペッパーが出る夢を見たときぐらい動揺してるわよ!?」
「その夢がまずどういうことだよ」
「この天才である私のゲームなのよ。世界初のVRMMOなのよ。それが……ひとり? プレイしてるのがたった一人!? なにか理由が……システムの不具合……オーバーフロー……と、とにかく理由があるはずだわ」
「わかんねーなら教えてやるよ、このゲームに俺しかいないのはな――」
ゲンタは拳を握りしめ、少女を正面からにらみ据えた。
「このゲームが、超……超、超、超! クソゲーだからだ!」
「く、クソゲー……ですって……?」少女の顔色が曇った。「こ、この一片の非の打ち所もない完璧な仮想世界のどこがクソゲーだと言うのよ!」
「全部だ! ゲームバランスも、レベルデザインも、フラグ管理もインターフェースもデバッグも! 前後左右天地一分の隙もなく、見渡す限りクソの大海原なんだよ!」
「ふ、フン! どうせただの難癖でしょう! あなたたちの批評なんてものは『商品は問題ありませんでしたが、鼻にカナブンを詰めてたら取れなくなったので星一つ減点です』とか、その程度のものなのよ! ア○ゾンのレビュー欄で見たことあるもん! 具体的にどこが問題か言ってみなさいよ、具体的に!」
挑戦的なその物言いに、ゲンタの眉がぴくりと動いた。
「そうかよ、じゃあ具体的に言ってやる。まずはじめのクソは、母親NPCとの会話をトリガーにして始まるチュートリアルクエストだ」
「無知で非力な新規プレイヤーを、せめて束の間導いてやろうというしごくまっとうなシステムよ。それのどこがおかしいのよ」
「ああそうだ俺もそう思ってたよ。クエスト開始と同時にラスボスの目の前にワープさせられるまではな!」
「うっ――」
少女が目をそらした
「ログインして数秒後にラスボスに殴り殺されるのがクソじゃなきゃなんだ? あ? なんとか言ってみろよ!」
「あれは、あのその、し、親切……そう親切心よ! どうせ世界を救うつもりだったんでしょう? 手間が省けていいじゃない!」
「段階ってもんがあんだよ! テメェ、五百ゴールドとオカンの弁当だけでラスボスと対峙するやつの気持ち考えたことあんのか!」
「うるさいわね。だいたいそのバグはとっくに対策済よ! 今はちゃんと最下層から地上まで戻るハシゴが設置してあるじゃない!」
「ハシゴじゃねえ! バグを直せ、バ・グ・を! ラスボス眺めながら弁当を食ったあとハシゴを数千メートル登るクソゲーに、何万人のプレイヤーが心折れて引退したと思ってんだ!」
「なによ、まるで自分たちが被害者みたいに! こっちだってね、あなたたちが弁当のゴミを持ち帰らないせいで、ラストダンジョンの景観が崩れると魔王から大量に苦情が来ておりますぅ!」
「知ったことかー!」
ゲンタは持っていた棍棒を思い切り地面に叩きつけた。
「クソ要素はそれだけじゃねえ、そもそも村の建物が全部――……」
そこまで言って、ゲンタは少女の様子がおかしいことに気づいた。
気づけばデスゲームの創造者が、うつむいたまま肩を小刻みにふるわせていた。
「おい、お前、おい」
「なによ、なによう……そんなにクソクソ言うことないじゃない。天才なのにがんばったのよ……天才なのに一生懸命つくったのよ……なのに、なのに」
「お前、泣いてんのか?」
「泣かされてないわよ! 泣かされるわけないじゃないあなたなんかに!」
「泣いてはいるのかよ」
少女はとうとう地面にうずくまると、すんすんと嗚咽を漏らしはじめた。
「もおやだあ……なんでいつもこうなるの……今度こそやっと、やっと復讐できると思ったのに」
「復讐? なんのことだよ」
「決まってるじゃない、私の作ったゲームたちをクソゲーとあざ笑ったこの世界によ」
「お前、まさかそんなことのために俺を巻き込んだのか?」
「そうよ。ろくな審美眼もないくせに、うわべだけで私の芸術品をクソゲーと断じ、軽んじ、あまつさえクソゲー量産家とまで侮辱したユーザーたちが、デスゲームで必死にあがくのを見てスカッとしたかっただけよ、悪い!?」
「控え目に言って巨悪だわ」
「それがこんなことになるなんて……私は……どうすればよかったというの……」
「少なくとも開始数秒で即死するゲームにすべきじゃないことは俺でもわかる」
「フフ……あなたも、かつて私の乙女ゲーをプレイした奴と同じことを言うのね……」
「そのジャンルでそんな感想が出たことをもっと深刻に受け止めろや」
少女の涙で気が削がれたゲンタは、地面に寝かせた棍棒の上にどかりと腰を落とした。
「まあ、とにかくお前のたくらみは失敗に終わったわけだ。もういいだろ。俺をこのクソゲーからログアウトさせろ」
「無理よ」
「……は?」
「ログアウトするシステムごと破棄したんだもの。できるわけないじゃない」
事もなげに少女は言った。
「いくらメニューから見えなくしたって、システムが残ってたら外部からのハッキングで容易にデスゲームが破綻しちゃうでしょ。完全な閉鎖空間にするためにはシステムごと破棄するのが一番確実なの、そんなこともわからないの?」
「いや、おま、え? は? はー!? じゃ、じゃあどーすんだよ、どうやってこっから出ればいいんだよ!」
「自分以外全てのプレイヤーを殺害なさい。それが唯一の方法よ」
「ああわかったよ、じゃあテメーを血祭りにあげてやるよ!」
「うっふふふ、そう来ると思ったわ! でもお生憎様、私のこのドミネーターアバターには不死属性が付与されているのよ! 斬ろうが叩こうが潰そうが殺すのは不可――あ、痛っ、痛たた、ふふふ、無駄だと言っているのに、痛っ、痛い痛い、ちょ、わかったわ、あなたはあれね闇雲に怒りをぶつけたいだけね? 図星でしょう!? あなたのような凡人の考えることなど全部お見通し……痛たたたたぎゅーってしないで! 腕を雑巾しぼるみたいにぎゅーってするのやめてー!」
*
「くそ、くそ、くそ……最悪だ……なんで俺が……よりにもよってこんなクソゲーに閉じ込められなきゃいけねえんだよ……」
さきほどまでとは対称的に、今度はゲンタが地面にうずくまり頭を掻きむしっていた。
「まあいいじゃない。くだらない現実世界を捨てて、私の作った理想郷の中で一生過ごせるんだし。飛空挺に乗って旅にでも出てみなさいよ」
「あの出国手続きにリアルで半日かかるクソ移動手段か。誰が乗るかよ」
「それはあなたが機内に刃物とか魔導書とか持ち込もうとするからよ。自業自得だわ」
「剣と魔法のファンタジー作っといてそのセリフはいい度胸だな」
「飛空挺がいやなら、砂漠をラクダで旅するなんてのはどう。あれは私のちょっとした自信作よ」
「あの後頭部に料金メーターのついたラクダか。メーター上がるたびにラクダがこっち見るのがマジ不快だったな……もう、誰も乗ることはねえだろうが」
ゲンタはガイアクラフトの空をみあげた。
自分を閉じ込めた作り物の世界を見た。
ここは自分以外に誰もいない世界。
ここは自分以外、全員いなくなってしまった世界。
「そして、もう誰もこない世界……」
そうつぶやいた瞬間、ゲンタの脳裡に稲妻が走った。
晴天の霹靂に似たそのひらめき、この状況を打破する唯一の希望――それが可能か不可能か判断するよりも早く、唇は勝手に言葉をつむいだ。
「おい、ドミ子。ひとつ教えろ」
「だれがドミ子よ」
「このゲームの管理者なんだろ」
「不愉快という意味では、ゴキブリといい勝負してるわよあなたのネーミングセンス」
「気に入らないのか」
「当たり前よ。そもそも私が美少女だという偏見に満ちて命名されているのが気にいらないわ。神は性別を持たず、よ。もっと中性的で神聖な名前にすべきよ、そうでしょう!」
「ドミ彦」
「オーケー、ドミ子で譲歩してあげる。なに?」
「ゲームからログアウトするのは絶対に無理だと言ったな」
「くどいわね」
「逆は、できるのか」
「……逆?」
ゲンタの心臓が早鐘を打つ。勢い余って口から飛び出してしまうのでないかというほどだ。作り物の世界にひとりぼっちの囚人は、ゆっくり深呼吸をして言った。
「だれかが、この世界にログインすることはできるのか?」
「そうね、ログインサーバーは閉じてるだけだから、開き直せばもちろん可能だけど――」
なにかに気づいたドミ子は言葉を切った。
そして、怪物を見るような眼差しをゲンタに向けた。
「あなた、なにを考えているの」