痛み
明けて天気は晴々とか、この調子を続けてほしいが明けない夜は無いように止まない雨が無いように何時かは雨が降るし雪だって降る、嵐も来るし凪の日もある、お天気の神様のなさりようは俺なんぞには理解できる筈もなくだ。
ただただ祈るしかないが真剣に祈ったのはおそらく一度も無かったような気がする、こんなだから雨のタイミングが悪かったりするのかね? だとしたら甘んじて受け入れるしかない、自業自得にしては他の手が介在しているが不真面目だったのは認めるしかない。
まぁ天気に真面目になるってのがどういうのか解らないし正解なんて無いと思うが降るなら降るで仕方がないと達観できる様になってしまいたい、間違いなく降るとクソッタレとしか思わず達観からは程遠い心で無我を目指すだけになるが。
漁に向かうが今日も今日とて微妙なと言うか絶妙に腹八分目くらいなんだよな、少し多目に捕って焼き干しをとか出来ず自転車操業的にローテーションしていくしかない、しかもタコがどうにもだ。
記憶が確かならばこの磯にも居たのだがな、時期もほぼ同じくらいだし罠も仕掛けているんだが、どうにも振るわず墨巣さんも同じく銛の先が水を突いている、何か見えざる手が物凄く足を引っ張っているかのように感じるが恨みはまぁ嫌ってくらいに買っているというか買わされていると言うか妬みも恨みも俺にとっては子供の頃からだからな、どうでも良いが恨みって買うというより勝手に押し付けている様に思うが押し売りでもマシだぞ、だって買わないという選択肢無いからな。
重機でも無ければ動かせないようなの置いて言って買ったなと言われても困る、 そして残念ながら詐欺だとかで訴え出れる物でも無いからな、幽霊なんぞ毛ほども信じちゃいないが末代までの呪いやら恨みやら買っている自信は在る家系だ、今生きている者からもそうでなくとも積もり積もっているがしかし声を大にして言いたいがそんな物に足を引っ張られてたまるか、死んだのならば閻魔様だかキリストだかに裁かれろ、生きているならば好きにしろだが念じた程度で俺の邪魔ができるのならば俺が心底念じても魚が少ないのは道理に合わない。
念じた程度で他人を不幸にできるのならば同じくらい念じて己を幸福にした方が手っ取り早いと思うがそれは俺が恵まれているからかね、他の痛みはソイツにしか解らず俺の痛みも俺にしか解らないし自らを高めるより他を追い落としたいと思う経験も無いとは言えない、これは人の抱える業か煩悩か、はたまた原罪ってやつなのか、こんな風に思考が傾くと性悪説が正しいとしか思えなくなって嫌になる、思考が迷子になるのは構わないのだが迷い混む先を少しは考えた方が良いのかね。




