職人とアーティスト
今日は雨の気配はなく集中が途切れる事も無さそうだ、切りが悪かったし集中の有無はかなり重要だ、ある程度なら技術でゴリ押し可能だが限度が有るからな、特に半端からスタートだと一刀目が物凄く集中しないとだ、まぁ漁が済んでからだしストレッチやらが済んでからになる、それもまた集中しないとだが慣れてしまってどうにもな、まぁ体力温存の意味でも良いと言えば良いが悪いと言えば悪い。
両面を見ながら、しかし片面しか見れない、右と左どちらかしか選べずだが両方を見る事は許される、しかし選べずか、選択の余地が有るだけまだマシなのかね。
清濁併せ持つにはまだ経験も技術も足りない、酸いも甘いも苦いも辛いも噛み分けていける領域に達するのは何時になるのやらだな、成長中と思えば嬉しいが未熟を恥じるばかりだ、まぁ恥じるだけ成長する気力も有るとプラスに考えよう、落ち込んでいても仕方がないしな。
漁果は上々、とりあえず昼飯の心配は無くなったし集中の前提条件がまた一つ埋まったな、全て埋めても発揮できるかはまぁ良く見積もって八割強かね、とりあえず深呼吸でもして意識を切り替えつつ行くとしようか。
瞑目に深呼吸、気を整えて意識を指先刃先にまで集中だ、一気に刃を入れて大胆に削ってスタートダッシュとしつつエンジンをフル回転させるイメージで加速、より集中の度合いを高めるつもりで刃先を動かす。
細かく精緻にしかし大胆に、チマチマチマチマだ、昔は石やら木やらでこうして職人が手作業で彫っていたと思うと感慨深い、今は基本プラスチックだからな、木や石の駒は無くはないが嗜好品でしかない、むしろガラスとかクリスタルとかの方が見た目にも綺麗で好まれる傾向が有ると何処かで聞いたような記憶が有るが流行りに逆行したいひねくれ者は何時の世にも居るからな、石や木も当然ながらニーズが有る、金に物を言わせて宝石とかで作る場合も有ると聞いた記憶もあるから竹もまた何処かに需要とか有るのかね。
まぁ篭やら灯籠やら地味に売れていたし竹のチェスセットとか将棋セットとかも何処かの好事家が買いそうだ、他人と違う物を求める心は何時だって存在してだから唯一無二の美術品とかは価値が有るとされる、極論を言えばキャンパスに絵の具、後は描く人の時給くらいしか原価はなくとも研鑽やらパッションやら目に見えない描いていて描かれていない物に価値を見出だし他とは違う一品だからと億を出すのも珍しくはない、その世界に居ながらその辺りが全くと言って良いくらいに解らないのはなんでなんだろうな。
竹ならそれが良いか悪いかはおおよその見分けは着くしどれだけの技術が有るかはやはり解るが値段と言われればトンと検討が着かない、一万円と言われれば『あぁそうか』だし同じ物で五万と言われてもやはり同じくだ、せいぜいがこの程度の物にこの値段は高くねぇか? このレベルでこれは安くねぇか? くらいは思うがそれは美的感覚ではなく技術とかを見ての感覚だからな、おそらく俺は職人としては一流に入れてもアーティストとしては二流三流なんだろう。




