得意と好悪
朝の一連の流れを済ませつつ漁に向かう、完全に慣れきって目を閉じていてもは言い過ぎだが基本的にほぼ同じ動きを繰り返している、無駄が極端なまでに取り除かれて効率化された動きと言うか洗練されてしまった、慣れや惰性は危険な面も有ると解ってはいるのだが省ける部分を省かないと精神的にも肉体的にも辛い。
極力無駄を排し、極力手間を省き、可能な限りニュートラルな状態で行動を可能とする、集中なんてしないでも余裕で動けないと疲れるだけで色々と持たないしな。
まぁ困った事にそれでどうにかなってしまう、だから慣れているのかね、慣れてしまえば後はもうそれを繰り返すだけでさらに慣れるだけだ、完全に済し崩しだな。
さて気分転換に転換とでも彫るか、調子を取り戻せるかは五分五分だがギャンブルなら得意と言うと語弊が有るが分の悪い賭けなら兎も角として半々なら良い方を引ける、まぁ勝負としては下らない物を商品にしているから微妙だが。
しかし数日ぶりの彫刻か、中々にワクワクする、最高にって感じじゃないが自分でも知らない間に彫刻好きになっているのかね、個人的には編みの方が得意だが得意と好きは違うしな、竹の加工を続けて長いがしかしジャンルの好き嫌いなんて考えたのは一度も無かったかもだな、いや一度は有ったかもだしもしかしたら百度有ったかもだが覚えていない、つまるところ大事な筈なのにどうでも良いのだろう。
得意不得意とか好悪なんてのはどうでもよくてやるかやらないか、できるかできないかが大事だと勝手に思っている、今の自分の腕ならどの程度なら通用してどのレベルから厳しく、不可能になるのかを把握する事に終始する事は有っても好きとか嫌いとかは付属品としても微妙だ、オマケのオマケと言うか熨斗紙以下の存在である。
ひたすらチマチマと彫り進めていくが昨日とは違い手が勝手に動くようだ、どうやら知らず知らずにフラストレーション溜まってたのかね、最も得意な筈なのにストレスヤバイとかなんだこの意味不明は、金属アレルギー持ちの鍛冶師とか野菜嫌いの八百屋みたいなソレ大丈夫なのってなる感じだろう。
まぁ続けるとどうしたって飽きは来るからな、どんな大好物でも一年三食欠かさず食べ続ければ嫌いにはならなくとも食べ飽きはする、俺の場合竹工に関しては極端な苦手がないからその分だけ飽きは遠ざかるだろうが連日となると厳しい、新境地なら話は違うが籠とかは今までで千は作ってるからな、片手間でも質は落ちないし速度も極端に遅くなりはしないが飽きによる効率の悪さはいかんともだ。
毎回素材の表情と言うか癖は違うし毎度同じ事を繰り返しても成功しないジャンルなのだがパターン化はするからな、扱いにくい物でも全く困らない程度には卓越している。




