肯定すらして
拠点に戻り竹と向き合う、まぁ酒の一字なら容易いが難易度上げるためとは言え酒好きとか酒呑みとかだとちょっとな、シンプル・イズ・ベストでいこう。
それに漢字は星の数ほどだ、別に漢字ばかり彫る必要もないのだろうが今のところ妙案は無い、まぁ飽きたらそれこそ武田菱とか六文銭とか彫れば良いしな。
と言うか、たまには灯籠じゃなくて篭で何か作るかね、そっちの方が得意だからな、まぁドングリの背比べ目くそ鼻くそだが微妙に編みの方が上手い。
最もとなるとおそらく玩具作りになるが竹とんぼだとかヤジロベエだとかコマだとかは基本的に良く飛ぶとか回るとかバランス取れるだからな、どこまで言ってもある一定のラインで止まる、師匠でもそのラインをなんとか越えるような感じだからな、越えてる時点でアレだが本当に微妙な差だ。
しかも何処まで行っても所詮は玩具でしかない、難儀な商売だとは思うがそれがまた良いという面も確かに有る、その辺りの物作りの行き着く終着点を飲み込めないと最低限のラインにすら上がれない世界だ。
例えばこれがケーキ作りとかだとしてもどれだけ素材に拘り、見た目に拘り、手を尽くそうとも食ってしまえば写真とかに残さない限りは大抵の場合は忘れ去られる、例外はウェディングケーキだとかバースデーケーキだろうが前者は兎も角後者は特別なパターンでなら心に残るだろうが基本はケーキ食ったなとしかならない、それでもパティシエは手を尽くし見た目に拘りケーキを作る、パンに置き換えようが寿司に置き換えようがそこは変わらない、食べ物ではなく置物芸術着物、パッと思い付く大抵の物作りはやはり行き着く所に行き着いてしまう。
絶対に替えがないってのは稀有で服なら安かろうがボロかろうが着れるなら寒さを紛らわせるならなんでも良いという奴は確かに居る、包丁なんて多少切れ味が悪くとも最低限使えるならどれも同じだと言う奴も居る、箸なんて二本の棒切れだし財布なんて穴さえ空いてなきゃ革だろうが布だろうが構わない、しかしそれぞれの職人はそれらを否定せず理解すらしてそれでも作るのだ。
先輩に言わせればドエム気質が無いとダメだになるのだろうが一面見ればそうだろう、だが本質はきっと誇りだとかそういうのだ、誰にも理解されず苦にもされずそれでも尚も作る、ある意味でその世界に惚れ込んで、好き好んでいないと続けるのは難しく肉体的にもキツイ、故に来る者拒まず去る者追わずの世界でもある。
俺の場合弟弟子は居なかったがしかし師匠の言葉が確かならギリギリの俺を含めてイッパシを名乗れるレベルの弟子は数人、門戸を叩いたのはその数倍らしく早ければ3時間で居なくなったらしい、子供ってのを加味しても特別厳しいような師ではないが肉体的にも精神的にもかなり厳しい世界だからな、数時間を耐えられても3日耐えられるかは別で3日耐えられても一月かは別で、一生となるともはや対極だ。




