感謝
「えっと、ありが」
反応できたのは奇跡に近く行動に移して止める事ができたのは幸運にも舌戦に墨巣さんが引いて離れていなかったからだ、もし半歩でも離れていたなら結果は違っただろう。
「うん、ありが? いったい何かな?」
「気にするな、俺の足にデカイ蟻が這ってただけだ、野山だしそこそこいるんだよ」
そう嘯きながら墨巣さんの口を右手で抑え込みつつ左手の人さし指を俺の口に当てて大人しくするように合図を送る。
抗議の目線と反撃としてそこそこ強めのレバーブローを食らいはしたがなんとか頷いてはくれたから口から手を話して先輩と会話しつつ地面に『間違っても感謝の意は示すな、心で思うだけにしておけ、この頭のオカシナ会話とセクハラを受けたくはないだろう?』と素早く書いて意図を伝える。
俺や望、それに鶴子の場合はすでに手後れで恩義と借りを感じれば感じる程に雁字搦めだ、だが同じく恩義を感じる筈の昇は餌食になり得ない、何せ奴は賢くも明確な感謝の意図を発した事はないからな、普通なら恩知らずだし人としてどうかとも思うだろうが先輩に関してはそれが最適解。気に入られても被害を被らない唯一の方法と言える、恩義を感じても構わないし心の中で感謝するのも構わない、足を向けて眠れないとか少し拝んでみるとかもまぁ良いだろう、だが明確な感謝はマズイ、先輩にとってソレは免罪符であり明確な獲物認定の合図でもあるからだ、色々な事に巻き込まれて巻き込んでしまっている墨巣さんを先輩と言う魔の手からは可能な限り遠ざけたい。
上手く立ち回れば朝目覚めたら全裸の先輩と抱き合ってたなんて事にはならないし、まぁ良いやって諦めるような事にもならない、俺や望の二の轍を踏んでしまうのは鶴子だけで十分だ、後は俺たちの卒業前にサークルの後輩が一人餌食になっていたが奴はアホの子だから問題ないだろう。
幸いにして墨巣さんは怪訝な表情から何かしらを考え込む表情に変わり、そこからハッと何かを思い出した表情に変わる、漫画とかなら電球マーク点いてそうなくらいに見事な百面相だったな。
まぁ以前に感謝がどうのと教えたような記憶が有るからソレを思い出したのかね、だとしたらここからはかなり楽だ、少なくとも墨巣さんを守りつつ相手にするには分が悪い、それこそ祖父よりも先輩の方が危険だろう。祖父は変人かもしれないが変態ではないし親愛も有るからな、ある程度の手加減はしてくれるが先輩は変人で変態だ、親愛は有っても目的のために手加減はしてくれない、慣れた俺でも煙に巻かれる事もあれば言質を取られてしまう事もあるんだ、素人である墨巣さんを守りつつなんて無謀も良いところだな。




