ハズレ
時間はまだ少し余裕が有るし、銛の練習をしよう。
朝の狩りでも成果無しで若干と言わず虚しくなってしまったし、無駄に体を動かしてスタミナを消費したくない、百発百中は無理でも七割五分は欲しい、最悪でも三割の命中率があれば魚を捕れる確率も上がる筈だ。
狙いとして地面に円を書き、適当な位置から狙いを付けて銛を投げる、数投しての命中率は悪くない、後は水面による屈折の補整と魚の動きを予想しての投擲ができれば理論上は捕れる確率も上がる。
さて、本日も狩りの時間だ、ただし体内時計と大陽の位置から予測した物だから正確ではないのが難点だがそろそろ夕方の干潮は始まる筈だし、多少ズレたところで必ず来るのだから問題はない。
ロープを手繰りよせて罠の中を確認し蛸を一匹確保、続けて潮溜まりをチェックして小魚確保、さてメインかどうかは別として重要なイベントとなる銛漁の時間だ。
水面から見える魚を探し、動きを予測して一気に銛で突く、予測通りの軌道を描き予測通りの位置に着水する、完璧だイメージとの齟齬はほぼ無い結果に練習の成果を確信する、惜しむらくは魚が逃げた事だろう。
だがこれなら必ず魚を捕らえる事ができる、後はタイミングと予測を正確にするだけの経験が身に付けば毎日とは言わないが数日に一度は大きい獲物を捕れる筈だ。
こんな筈ではなかった、例えば今年の3月末に重なる不採用の文字と言葉に似た感情で、例えば一夜漬けのテストでの山を外した時にも覚えがある。
ヒラリヒラリと木の葉が舞い落ちるように、実体のない霧や霞のように、まるで初めからそう決まっていたかのように、俺の投げる銛は魚を捕らえる事なく終わる、1日2日でどうにかできるくらいに熟練はしない事は理解しているが触れる事すらなく、惜しいという事すらない。
食えない事を承知であえてフグの仲間らしき動きの鈍い魚を狙っても避けられたのだ、これはもう才能とかの部類に入るかもしれないが、そんな物で俺の腹と感情は承服しない、明日も明後日も挑戦して必ず成果を上げてやる、努力が才能を上回ると証明しよう、誰にかは知らないが。
悔しさと覚悟を胸に食事を終えて、テントの中に引きこもる、明日にはきっと魚も捕れる筈だ、もしかしたら明後日やその先になるかもしれないがきっと何時かは銛の先に魚が突き刺さっている。
さぁ希望と野心を胸に明日に備えて眠ろう、明日は竹の運び出しだ。




