幸せの味
大きめの魚が居ることで作業が若干ながら難航したが十分な量の糧を手に入れワクワク気分で拠点に戻る。
今日の成果は小アジとサバという青魚の二大巨頭だ、サンマがいたら三大巨頭揃い踏みって感じなんだがな。
ただ個人的な意見ではあるが脂が乗り切る前のこの時期の青魚は最高だと思う、秋ごろの物だと脂が強すぎてどうにも箸が進まないから梅でサッパリ煮付けて食べていた。そう考えると時期とか関係なく青魚は好きって事になるのか、食べ方が時期で異なるだけで。
拠点に戻り、お楽しみの時間となる、と言っても約1時間程の待ちは有るが、無洗米らしい米を一合墨巣さんの土鍋に入れ、水を適量入れて蓋をする、石組みの五徳の高さを確認して火を灯し、後は火加減を確認しながらひたすら待つだけだ。
流石に土鍋で炊き上げるのは久々だな、基本的に炊飯器使ってたし鶴子のアホが真鯛を釣り上げて鯛めし食いたいとか抜かさない限りは土鍋ご飯とか炊かないしな、まぁかなり旨かったけど。
タイミングを見計らい火から下ろして蒸らす、その間におかずとなる魚を焼きつつ、墨巣さんが突いてくれたオコゼを煮付ける、今日の俺は祖母直伝の料理の腕を存分に振るう料理人だ、まぁ祖母はホテルレストランでオーナーシェフを勤めていただけあって洋食が専門なんだが。
何故か家では和食ばかりで洋食は希だったんだがなんでなんだろうか? 本人が逝った今となっては謎だな、祖父なら知ってる可能性もあるが教えてくれそうにない、と言うか和洋中問わず叩き込まれた辺りから鑑みてなんでも作れる人だった筈なんだがな。
魚が焼けた所でご飯をチェックしてみれば美しい白が土鍋に鎮座していた、この匂いと艶、一粒一粒が立っている姿を見るのは2ヶ月ぶりだな、何故か泣けてきそうで感動なのか歓喜なのか、はたまた悲哀なのかよく解らない感情が揺さぶられてしまう。
余った竹を加工して急遽作り上げたしゃもじ擬きでふわりと混ぜてお焦げが表れ完璧な炊き上がりを確信する、手早く茶碗代わりの竹筒に盛り、土鍋に一粒も残さないように綺麗に移し替える。
ご飯と煮魚に焼き魚、向こう10ヶ月は見る事もないと思っていた光景に思わず涎が溢れてくる。
「頂きます」
噛み締める度に甘味を増すご飯とホワホワに焼き上がったアジ、タレが染み込みタレに自らの脂と旨味を移して相乗的にご飯を進めるオコゼの煮付、暴力的なまでの相性と風味と味が口いっぱいに拡がる間隔、これを幸せと言わずしてなんと表現すれば良いのか解らない。
大満足の食事を終えてこのまま微睡みに身を任せたい所なのだが定期報告が有る、数日前に連絡を取ったばかりだから必要ない気もするが確認事項も有るしな。
気合いを入れ直して電話を準備し、片付けを済ました所で一番をプッシュしてコールする。
数秒の間を置いてガチャリと誰かが出たことを確認して素早くスピーカーに切り替えた。




