番外編3-1
時は寛文十二年、正月も明けて半月程経った頃、美濃苗木藩三代藩主遠山友貞の元に珍しい客が現れた、基本的に自らの土地に引きこもり年賀の挨拶すら手紙程度という無精をするような男で藩士の受けは悪いがしかし藩主たる己より地位は間違いなく上の町人、名前は兎も角として納める土地の精緻すら覚えて貰っていない拝謁すらも根回しに奔走する有り様の己に対して顔も名前も所も覚えめでたく、何時如何なる時で有ろうとも徳川はこの男に会うだろうという町人。
天下広しと言えども家康公より格別の計らいを持って治世を任された唯一の町人の一族、天下無双の強運を脈々と紡ぐその当代、高田亮一が晴れ着を着込みつつ己の前に座っている、ともすればこの男が上座でもおかしくはないがしかし特に気にした風もなく下座に座り頭を下げている。
例えば仮に頭を上げていたとしても無礼だなんだと藩士や自分が切り殺せば三代続いた遠山家は離散では済まない、軽く言って一族郎党さらし首、下手をすると家老から下働きまで連座でもおかしくはない程に目の前の男は大物で有りそれが粛々と頭を下げているのは自分に対する当てこすりではなく単に血気に逸る若者でも居たならば困るのが領民と重々承知してだろう。
故に早々に頭を上げさせて少し離れた位置に座る彼に己から寄り、同じ高さで座って用件を聞く、仲は良好で有ると示して少しでも愚かな考えを出す者を封じつつ本来なれば江戸で家老や老中に取り立てられてもおかしくない程に手柄を立てた男の子孫に対して卑屈になりつつも対等であると嘯く。
「遠山殿、明けましておめでとうございます、本日はお頼みしたい義が有って参上つかまりました」
「挨拶も前置きもよい、用件を言ってみよ」
町人として藩主としては普通なのだろう会話も何処か芝居のようで堅苦しい、立場が上の藩主だとか、はたまた重役侍なんてのを相手にするのは小藩の常だし、事によっては商人に頭を下げる事も有るが虎の威を借る狐ではなく虎の威を借る妖怪相手にとなるとどう対応するのが正解なのか答えは出ない、相手は初代の様な天を味方に付ける運は持ち得ないがしかし己よりは運が良いと百も千も承知で、その後ろは徳川家綱様その人で、直訴だなんだと騒ぎ立てるは簡単だがその後はやはり一族郎党下働きまでだ、対応一つ間違えてはいけない。
「近々、我が子信一と共に江戸へ、そのための往復の道中手形を頂きたく」
無理難題かと思えばその程度ならば軽い、一筆書いて終わりでありその子細を聞くのも野暮だ、確かこの男の長子信一は今年で十五、目の前の男は四十だ、直ぐにでもの世代交代の願い出か数年先を見越してかは知らぬが如何に高田と言えども箱根を越えるには関所破りか手形が要る、参勤交代に追従させても良いがそれはそれで角も立つし春まで待てと言うのも酷だ、急ぎかは知らぬが手早く済ますとしよう。
「江戸へはお主と息子の二人で良いのか?」
そう訪ねつつ手早く手形を書いてしまう、小藩とはいえ藩主自らの手形なれば役人も小うるさくはないだろうし高田の名と見れば田舎なら兎も角として箱根ならばその名も知れているし越えてしまえば問題が起こる筈もない。




