番外編1-2
チマチマと竹を編む中でいつの間にかお昼の情報バラエティーもワンコーナーのお宝鑑定に変わっている、どうやらソレなりに人気コンテンツらしく司会の芸人も手慣れているな。
鑑定士に依頼人、それにゲストとして芸術家、と言うか三郎さんだよな、間違いない異種ではあるが兄弟子の一人で師匠の四番目だか五番目だかの弟子で版木師の三郎さんだ。
「おっ、ようやくか、久しく顔を拝んでないからな、出ると聞いて楽しみにしてたんだ」
そんな風に言いつつ手を休めるついでに見入っている、珍しいな片手間でも作ると思ったがどうやら相当に久しぶりに顔を見るらしい。
俺もなんとなくテレビを見れば紫の布から出された竹灯籠に愕然とする、アレ俺が作った奴だな、それも最高傑作の観音だ、買ったのはこのオッサンかと世間の狭さを実感する。
作った本人がテレビに出演する顔を知らなかった購入者を師匠と共に見て、さらに現場には兄弟子がいるって確率的に何%くらいなのか解らないがレアケースだな。
「これはおそらく元田宗右衛門先生の作では無かろうかと購入したのですが友人にはソレはないと言われまして真贋を確かめようと依頼しました」
そんな事を依頼人は言っているがこの場合俺は申し訳なく思えば良いのか怒れば良いのか嘲れば良いのかどれだ? 作風が多少似るのは仕方がないにしても師匠のとは比べ物にそれこそ天地くらい差がある。
ソレを見誤るなんて審美眼が無いなと笑えば良いのか、せっかく買ったのに不肖の弟子の作で申し訳ないと恥じ入れば良いのか、師匠ありきで買ったのかと怒れば良いのか、物凄く微妙で感情が動かない。
「これは偽物ですね、真っ赤な偽物、紛い物、似てはいますが似せるつもりが欠片も無い、元田先生に対する冒涜も良いところだ、勉強と思って捨ててしまいなさい」
鑑定士がそんな風に言うが、うん間違ってはいない、そもそも似せるつもりは毛頭ないからな、だが捨てろとは酷いな、コイツ嫌いだ。
「うん、不勉強だ、酷く不勉強だ、貴方は何も解っちゃいないし見えていない、こんな狭い了見で居るつもりなら今すぐに鑑定士なんて肩書きを名乗るのをお辞めなさい」
諭すように言い含めるように、しかし目が笑っていない、本気で睨むように三郎さんが静かに老練の鑑定士を見ている、さっきまでのんびりとした、ソレこそ近く有る個展の宣伝に来ただけって空気だったのが今は修羅の如くだ、その場に居たなら俺が言われた訳でもないのに身がすくむし震えそうだな。
「お父さんね、コレは確かに師匠の作では無いし似せるつもりもない、当たり前だ、それは私の作品を見て師匠の作に似せるつもりが無いと言うようなもので学びはした、影響も受けた、似もするがコピーになるつもりは最初っから我々には無いのだから、コレはねお父さん、僕の弟弟子、師匠にとって7番目の、隠居して竹でいろいろやるようになってからできた最初の弟子の作品だよ、ソレを受けて捨てると言うなら買値の倍で僕が買おう、そして僕はそうだな、十年か二十年かもっと先か、彼が名を馳せる頃に数十倍で売って葬式の花代にでもするよ」
「そんな事も知らないで、この片隅に彫られた名前にも気付かないような鑑定士の言葉を聞くか、僕の言葉を聞くか、それは貴方にお任せするが僕に言わせると間違いなく貴方は良い買い物をした」
本気でそう思っていると目が口調が言っている、なんだろうな、いろいろと作ってきてこれ程までに嬉しいのは初めてだ、もしかしたら師匠に一人前に届いていると認められた時より嬉しいかもしれない、有り体に言っても老練の鑑定士を非難している、もしかしたら自分の今後の仕事がやりづらくなるかもしれないのに不肖の、その道を志してすらいない、ただ作っているだけの弟弟子の名誉を守ってくれている、認めてくれている、泣きそうなくらいに嬉しいな。
「ふむ、どうにもあの老害、承服しかねとるな」
そんな風に言うと同時に作務衣の懐から携帯取り出している、何処に入れてるんだと疑問に思うより早くテレビの向こうで三郎さんが携帯取り出している所を見るとあぁいろんな意味で今日ここに来たのは正解なのか不正解なのか解らないな、虫の知らせも無かったしリバウンドでもないから正解なのだろうが。
「よぉ見てたぜ、良いタンカだ、その老い耄れに正面きって喧嘩売るんだ覚悟もしてるんだろうさ、ちょうど作った本人も一緒に居るしな、師匠として良いところを見せるためにも言っておいてやる、家の弟子と戦争すんなら俺も出張ると覚悟して考えろよ老害、お前さん手前様がお偉い先生だと思っとるようだが此方はお前さん以上にお偉い老害だと確信しとる、俺とやりあうか素直に非を認めて笑い話にするか今選べや」
最初っからスピーカーでテレビにも師匠の声が放送されているのはツーカーと言うかこの自称老害の老人の気風を知ってるからだな、俺でもそうしたが好々爺で鷹揚な、しかして炎のように苛烈な反骨精神も持ち合わせている。
その苛烈さがどうやら鑑定士の態度を見て火を灯すに足ると決めたらしい、なるほど鑑定士として目利きをする者としてその大家として『奴の作品なんぞ下の下』と酷評するのは簡単で派閥に属する者は右習えだ、例え三郎さんが既に評価されていようとも一つの派閥から蹴落とされると関り合いの有無で他にも波及して戦争になりかねない、そうなった時に世界随一の自分が出てきて状況をややこしくして、さて後の人間や他者が見た時に始まりの引き金のくだらなさと大人気なさで笑い者になるのはどちらかだ。
死んだ後も後ろ指されるか一触即発だったと笑い話に済ませるかの二択を迫っている、自分の事なのだが何処か他人事のようで、やはり申し訳なく思った方が恥じ入っていた方が良かった気がしてきたな。




