髪を切れば宇宙人に会える
2015年6月。日本。都内某所。
斉藤隆は前髪を切り過ぎた。
22歳の彼は、初めての一人暮らしに際しなるべく節約をするよう心がけていた。無事就職を遂げこの四月から上京したは良いものの、都内の物価の高さと会社の安月給を思い知った結果がこの前髪である。
「あー、やっちゃった……」
不自然に短い前髪と足元に散らばった髪の毛を見て、斉藤は後悔した。こんな頭では恥ずかしくて外にも出られない、散髪代をケチるくらいなら他のもので節約すれば良かった、と。そして、いっそのことボウズでもいい、と中途半端に残った髪を刈り始めた。
さて、三ヶ月に一度の数千円を惜しむ彼である。せっかくだから切った髪も何かに使えないか、と考えている。
同時刻。日本。ある研究機関の一室。
藤原正弘は最後の材料の調達に頭を抱えていた。
彼はこの研究機関で画期的な発毛剤の開発に励んでいた。長年の試行錯誤の結果ついに完璧な開発方法を仕上げ、あとは実際に試作品を精製し効果を確認するのみ、という段階までこぎつけた。しかし、完成まであと一歩のところで、大事な材料の調達に手間取っていた。
「髪の毛さえ、手に入れば……」
この発毛剤の精製には、若く健康な成人男性の髪の毛が必要だった。二十代前半の日本人の染色していない髪の毛がベスト。しかし、藤原は孤独だった。もともと頑固な研究者だったが、この発毛剤の開発に着手してからはその人格は悪化し、彼の周囲から人は離れていった。ストレスで髪も抜け落ちた。目的の材料が手に入らなければ、自分の研究成果は誰にも認められず、自分は日陰者のまま一生を終えるかもしれない。
藤原は立ち上がった。もう手段を選んではいられない。自分の明るい未来の為、何としても髪の毛を手に入れるべく彼は街に出た。
2015年10月。アメリカ。ニューヨークのカフェ。
キャシー・フレミングは恋人の欠点について友人に相談していた。
恋人のタツヤは、落ち着いた性格でいつでも彼女を優先してくれる。顔も決して悪くはなく、笑顔の可愛さが交際の決め手でもある。仕事は宇宙航空関係の研究職とのことで、収入も申し分ない。恋人としてはパーフェクトである。ある一点を除けば。
「あのハゲさえ無ければ、最高なのに……」
キャシーは男性に多くを求めない。常識のある人であれば見た目も収入も我慢はできる。しかし、ハゲだけは受け入れられなかった。どんなに良い男性でも、頭髪が薄いだけで生理的に受け付けられないほど。彼と付き合い始めた頃はまだ良かった。ただ、交際して二年を迎えた頃には無視できないほどに額の面積が広がり、今では会うこともためらうほど無惨な頭部になり果てている。このまま状況が進行すれば、彼との別れも考えるだろう。
そんなキャシーの悩みに、友人は呆れながらも、最近日本で話題になっている画期的な発毛剤の話をした。
2016年10月。日本。奥秩父山地。
ギギルエズル=ヤマはコクピットの中で生命の危機を感じていた。
故郷の惑星にて研究の為に別の恒星系の環境調査を命じられた彼女は、ここ太陽系に自分達と同じ知的生命体がいることを知り、コールドスリープも使用しつつ超長距離の旅路の果てに、目的の第三惑星まで辿り着いた。しかし、宇宙船の故障により地上へ不時着を余儀なくされ、またその際の衝撃で船内の環境維持装置にも異常が発生してしまった。
「こうなったら、最後の手段か……」
船内の環境を徐々に外部の環境に近づけていき、それに併せ自身の体も外部に適応できるものに変質させていく。急激な変質は体への負荷が大きい為、長い時間をかけてゆっくりと行う。ここまで来て余計な時間を使いたくはないが、死ぬよりはずっとマシだ。
環境同化システムを起動させ、念の為母星に緊急信号を発しておき、彼女は再びコールドスリープを実行する。故郷の友人や家族のことを思いながら、ギギルエズル=ヤマは眠りに就いた。
2026年10月。日本。埼玉県秩父市。
高橋ケビンは山中で星に想いを馳せていた。
十歳のケビンは天体観測が趣味だった。民宿を営むアメリカ人の母同様、金髪碧眼の彼は周りの子供達から「宇宙人」とからかわれ、JAXAに勤める日本人の父の影響で、宇宙の知識を半端に持つことから、自分は宇宙人でありいつか母星からの迎えが来るものと考えていた。
「早く母星に帰って、宇宙人の友達がほしいな……」
孤独な地球人の子供は、空に浮かぶ星々のきらめきに希望を抱く。その背後で、鬱蒼と茂る草むらに隠された巨大な繭が、光を放った。ケビンが突然の発光現象に驚き振り返ると、巨大な繭が割れ、中から光り輝く美しい森の妖精が現れた。
ケビンは恐れなかった。直感的に分かった。彼女こそ自分を迎えに来た宇宙人なのだと。
同時刻。日本。埼玉県秩父市。
ギギルエズル=ヤマは生命の危機を感じていた。
まさか環境同化システムの完了に十年もかかるとは予想していなかった。コクピットには非常用の栄養補給装置が付いていたが、それだけでは到底足りなかった。船体が先に周囲の環境に同化したおかげで植物から栄養素を補給できたが、得られた栄養は必要最低限だった。
「駄目だ、今すぐ何か食べないと本当に死ぬ……」
その時、目の前に動物がいるのに気づいた。恐らく、この星の知的生命体だろう。こちらを見て何か言っているが言葉が分からない。それよりも、何か食べ物を。
そこで、ギギルエズル=ヤマは知的生命体が持つ物体に目を奪われた。いや、目だけではなく五感の全てが。植物の塊のようだが未知のものだ。しかし、空腹は理性を押しのける。彼女は、目の前に差し出された物体に口を付けた。
同時刻。日本。埼玉県秩父市。
高橋ケビンは宇宙人におにぎりを食わせていた。
ケビンがあげたのは、父の好物であり母の得意料理の塩むすびである。よほどお腹が空いていたのか差し出したおにぎり二個をあっという間に食べてしまった。満足そうに微笑む彼女の顔を見ると、ケビンの胸に感じたことのない熱が沸いてきた。周りの雑草の蔓のような髪や体から常に発している月光のような光は、普通は恐ろしく感じるものなのだろうが、彼には全てが美しく感じられた。
「君は宇宙人なの?僕を母星に連れて行ってくれるの?」
ケビンは何度も尋ねかけるが、彼女は興味深そうにこちらを見るだけで何も答えない。だが、ケビンは彼女に見つめられるだけで胸が熱くなるので、続く言葉は出てこなかった。
しばらくして、彼女は巨大な繭の中に入り繭を閉じた。途端、繭から強烈な発光が起こり、目の前からその姿を消した。
宇宙船も、美しい彼女も、ケビンの前から消えてしまった。
2047年1月。日本。種子島宇宙センター。
斉藤法子は歴史的イベントを前に興奮していた。
民放テレビ局のアナウンサーである彼女は、五年前に地上にメッセージを送った宇宙人という存在に心奪われ、彼らの報道は必ず自分が行うよう周囲の了解を得てきた。今では「宇宙報道の第一人者」と世間に認知される程となった。彼女が夢中になる宇宙人の名は、ギギルエズル星人。
「皆さん!これから、ギギルエズル星人と地球人の初対面が実現します!」
彼らは終始友好的な態度を示してきた。彼らの存在に危機感を覚える者も当然いたが、そんな者達を黙らせたのは彼らの地球での目的だった。曰く「おにぎりを食べさせてほしい」。そんな彼らとの対面に真っ先に名乗りを挙げたのが、今回の隊のリーダー、高橋ケビン宇宙飛行士。なんでも、子供の頃に彼らの一人に会ったことがあるのだとか。
宇宙人と地球人の運命の再会。そんなコピーを思い浮かべながら、斉藤は打ち上げられたロケットを目で追った。
2047年1月。地球軌道上。宇宙ステーション「アストラル」内。
高橋ケビンは彼女と再会した。
二十年前、突如目の前に現れそして消えた彼女を、ケビンはずっと想い続けていた。彼女に会う。その為だけにこれまで努力し続けていた。彼女は二十年前と変わらない姿でそこにいた。まるで、当時に戻ったかのようだ。
万感の思いを込めて、彼は言う。
同時刻。地球軌道上。宇宙ステーション「アストラル」内。
ギギルエズル=ヤマは彼と再会した。
二十年前、自分の危機を救ってくれた小さな地球人はすっかり大きくなって、あの頃と変わらない瞳でこちらを見つめていた。当時は言葉も分からず何も言えないまま去ってしまったが、感謝の気持ちは忘れたことはなかった。母星に帰り地球の報告の中で強く発したのは、命を救う食物の存在。その甲斐あって、親善大使としてここに来ることができた。
万感の思いを込めた言葉を、彼女は聞く。
「また会えて嬉しいよ。言葉は分かるかな?」
「あぁ、分かるよ。私も嬉しい。地球人の成長は早いな」
「君は変わらないね。変わらず、美しい」
「ありがとう。私も同じ気持ちだ。今なら、この願いも叶う気がする」
「願い?」
「私におにぎりを食べさせてほしい。君の隣で、これからもずっと」
「………………」
「どうかな?」
「……僕も、君におにぎりを食べさせてあげたい」
「……良かった。とても、とても嬉しいよ」
「あぁ、今ここに立つことができた全ての偶然に感謝を」
「うん、今ここに立つことができた全ての奇跡に感謝を」
こうして、また一つの偶然あるいは奇跡が起こった。これによって起こる次の出来事に、次の誰かが感謝するだろう。
そうであることを願う。
終わり
初めて群像劇 (めいたもの)を書いてみました。パズルのような、ドミノ倒しのような物語を意識しました。全ての登場人物の行動が幸せな結末につながる、という理想が表現されていれば幸いです。