霊魔編 9
東京都千代田区内のとある高級住宅街。
水月と圭四郎は、白い豪邸の門前に立っていた。
「水月姉ちゃん。やっぱり、着替えて来ていい?」
「何を言っている、圭四郎?せっかく、ガールフレンドからの招待を受けたのに、小綺麗にして行かなくてどうする!」
「でも……、これは、ちょっと……」
何と圭四郎は、紋付き袴の出で立ちでミハエリア邸へやって来た。勿論、水月が半ば強引に着せたのだ。因みに、水月の方はごく普通の私服姿である。
水月がインターホンのスイッチを押すと、重厚な白い門扉がゆっくりと開いた。
2人は門を抜け、正面に見える宮殿風の建物を目指した。外廊の両側には、程よく手入れの行き届いた庭が広がっている。
「フレイラの家って、凄いお金持ちなんだね」
「そうだな……」
水月は、ミハエリア家についての詳しい事情を聞かされていない。
知っている事といえば、ミハエリア家が神聖ローマ教会に多大な影響を与える熾天貴族の一つであるという事くらいだ。
ローザ達は、家柄や教会に関して深く語ろうとはしない。
それは、水月にも同じ事が言える。水月もまた、ローザ達に伍代家や輪光宗の内情を深く語る事はしない。
彼らは、あくまでもGSTの同僚だ。お互い、それを割り切っている。
「水月様。圭四郎様。ようこそ、いらっしゃいました。主達が、お待ちかねで御座います」
黒スーツ姿のリュートが玄関先に立ち、2人を出迎えた。
「リュート。私達に『様』付けは無用だ」
「申し訳ありません。……ですが、今日の私はミハエリア家の執事ですので、ご容赦下さい 」
2人は、リュートの案内で屋敷の中へ通された。
「水月姉ちゃん。あの人もGSTの隊員さんなの?」
圭四郎は水月に小声で尋ねた。
「ああ、そうだ。彼は強いぞ」
水月達はリュートの後に続き、エントランスホールを抜け、真正面の大きな扉の前で立ち止まった。
「どうぞ、お入り下さい」
リュートは、その大きな扉をゆっくりと開け、2人を中へ通した。
「2人共、お待ちしておりましたわ!あなたが、圭四郎さんですね?まあ、可愛いらしい!七五三みたいですね!」
ローザは、紋付き袴姿の小柄な圭四郎を目の当たりにし、思わず舞い上がってしまった。
「私、フレイラの姉のローザ=エスト=ミハエリアと申します。『お姉さん』と呼んで頂いても構いませんよ!」
ローザは、優しく微笑んだ。
「ちょっと待て、ローザ!圭四郎は、私の可愛い弟だ。そう簡単には渡さんぞ!」
「あらあら、水月さん。姉弟だからといって、圭四郎さんを独り占めとは、ズルいですよ!」
「何を言う?お前には、フレイラがいるだろう!?」
「……私、知っているのですよ。フレイラさんが、姉の私にではなく、水月さんに何かと相談を持ち掛けている事を!」
2人共、仲が良いのか悪いのか……。子供染みた言い争いを続けた。そんな2人のやり取りをフレイラと圭四郎は、唖然としながら眺めていた。
しばらくすると、香ばしい香りと共に、リュートが料理カート一杯に料理を載せて現れた。
リュートは、白いテーブルクロスが敷かれた円卓の上に所狭しと料理を並べた。
圭四郎は、今までテレビでしか見た事の無い様な西欧料理のオンパレードに、目が釘付けとなった。
「水月姉ちゃん。僕、こんなご馳走は初めてだよ!」
精進料理中心の伍代家の食卓に肉や魚料理が並ぶ事は、滅多にない。その為、肉や魚を贅沢に使った西欧料理は、圭四郎にとって、まさに宝の山であった。
「圭四郎。君は、いずれ私の為にたくさん働いてもらうからね。今の内に体力を付けておくのだよ」
フレイラも上機嫌だ。
ローザ、フレイラ、水月、圭四郎による会食は、終始和やかな雰囲気の中で行われた。
伍代姉弟は、ミハエリア家の贅沢なもてなしを堪能した。特に、圭四郎に至っては、初めて口にする料理にカルチャーショックを受けるほどであった。
今回の会食は、近い将来、フレイラの守護者となるであろう圭四郎をローザにお披露目する事が目的であった。
ローザは、圭四郎を大変気に入った様子だ。その事にフレイラ自身も、確かな手応えを感じた。後は、契約の儀式を行うタイミングを見計らうだけである。
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会食も無事に終わり、水月と圭四郎は帰り支度を始めた。
「また、いらして下さいね。圭四郎さん!」
ローザは右手を差し出し、圭四郎と握手を交わした。
その瞬間、ローザは脳内を電気が駆け巡る様な感覚に襲われた。そして、ローザの顔色は見る見る内に青褪めていったのである。
「ど……どうかしたのか、ローザ?」
「い……いえ、急に気分が……」
ローザは円卓にもたれ掛かった。咄嗟にリュートがローザの肩を抱き抱え、身を起こした。
「だ……大丈夫です。少し休むと治りますから……」
ローザは力無く微笑んだ。
「……そうか。あまり、無理をするなよ」
そして、水月と圭四郎は、ローザの容態を気に掛けつつミハエリア邸を後にした。
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「……ローザ姉様。お体の方は、大丈夫ですか?」
フレイラはローザの手を取り、気遣った。
「ええ、心配は要りません。それよりも、フレイラさん。圭四郎さんを守護者にするのは、おやめなさい」
「な……なぜです、姉様?」
突然の反対宣言に、フレイラは面を喰らった。
「圭四郎さんは、近い将来あなたを悲しませてしまいます。可愛い妹の悲しむ姿など、私は見たくはありません!」
「姉様、おっしゃっている意味が分かりません!」
フレイラは反論した。
「私は、あなたの為に言っているのです。素直に、姉の……私の言う事を聞きなさい!」
ローザの口調が厳しくなった。
「……姉様のお考えが、私には理解出来ません!」
そう言って、フレイラは食堂を飛び出し、自室へ駆け込んだ。
「フ……フレイラ様!」
リュートは、初めて目にしたローザとフレイラの姉妹喧嘩に困惑している。
「……ローザ様。あの少年の未来が見えたのですね?」
ローザには、『予見者』という二つ名がある。
彼女は、無意識下で触れた者の未来を頭の中に映し出す事が出来る。これは、ローザが正聖霊術師として守護熾天使の加護を受ける際に与えられた能力だ。
「いいえ、逆なのです。……私には、圭四郎さんの未来を……見る事が出来なかったのです……」
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ある平日の夕方。天童好子は、経堂駅に降り立った。
彼女は、普段ここからニ駅手前の梅ヶ丘駅を利用しているのだが、今日は所用で此処へ来ていた。
その所用というのは、水月が学校に置き忘れた学生鞄を自宅へ届ける事である。
水月は、今日も剣道部の練習途中、家の急用との理由で先に帰宅してしまったのだ。
水月の実家は、両親不在で祖父が住職を務めるお寺という事もあり、彼女の多忙な生活に関して、周りの者達も充分に理解を示している。実は、その早退理由のほとんどが、GST絡みである事を誰も知らないのだが……。
「水月ったら、鞄を忘れるなんて、意外と抜けてる所があるのよね~。久し振りに圭四郎の顔でも拝もうかな?」
好子と水月は、初等部からの付き合いだ。以前は、よく浄霊寺へ遊びに来ていた。勿論、圭四郎との面識もある。
浄霊寺は、経堂駅から徒歩で15分程の所にある。好子は、久し振りに歩く駅前通りの風景を懐かしんだ。
そして、好子が駅前通りを抜け、大通りに差し掛かると、赤色灯を回した救急車と警察車輌の周囲に、黒い人だかりが出来ていた。更に、その中心には、大型ダンプカーも見えた。
どうやら、交通事故が起きた様だ。
人だかりを遠巻きにしながら立ち止まる好子の前を事故現場の惨状を目にしたカップルが通り過ぎた。
「うぇ~、見てはいけないモノを見たって感じね……」
「確か、『武帝』の制服だったよな?」
2人の会話が好子の耳に入ったその時、事故現場一帯に稲光に似た放電現象が起こり、その直後、ダンプカーが爆発した。
爆発に巻き込まれた警察官や救急隊員達は、その爆風によって吹き飛ばされてしまった。
やがて、黒煙の中から大きな人影が姿を現した。その人影は、身長3メートルはあろうかという霊魔であった。しかも、全身に剣道の防具を身に付けている。霊魔の腰元に付けられた大垂れには、『金剛寺』の文字が入っていた。
「武帝の金剛寺……って、うそでしょ!?」
好子は目を凝らした。
《俺は、強い……。俺は、一番だ。あの女を打ち破り、俺が、真の一番となる》
剣道の防具を身に付けた霊魔の正体は、霊魔化した武帝高校の金剛寺であった。水月への強い執念が、彼を霊魔に変えたのだ。
金剛寺は、鋼鉄製の竹刀を振り回しながら、逃げ惑う一般人を無差別に撲殺し始めた。
「何なのよ、これ……」
その凄惨な様子を好子は、ただ呆然と眺めていた。
やがて、放心状態で立ち尽くす好子の姿が金剛寺の目に留まると、金剛寺は路上に転がる死体を踏み潰しながら、グチャグチャと足音を立てて好子に近付いて行った。
「い……いや、来……ない……で」
迫り来る霊魔化した金剛寺の姿を目の当たりにした好子の足は、まるで根を生やしたかの様に動かす事が出来ない。
金剛寺は好子の前で立ち止まると、鋼鉄製の竹刀を上段に振り上げ、そして一気に振り下ろした!
その時、何者かが好子を突き飛ばし、金剛寺が振り下ろした鋼鉄製の竹刀から間一髪の所で救った。
「何やってんだい!死にたいのかい!?」
そこには、好子に背を向けて立つ椿桜子の姿があった。
「椿さん、どうしてここに!?」
「そんな事はどうでもいい!早く逃げるよ!」
桜子は好子の手を取った。……が、好子は水月の鞄を手放した事に気付き、辺りを見渡した。すると、金剛寺が水月の鞄を拾い上げ、しばらく見回した後 、匂いを嗅ぎ始めた。
「何をやってんだい、アイツ?」
桜子と好子は、金剛寺の意味不明な行動に唖然とした。……と、その時、金剛寺は水月の鞄を放り投げ、何かに気付いたかの様に駅から東の方向へ向かって走り出した。
「さぁ、今の内に逃げるよ!」
「待って!あの方角には……」
金剛寺が向かった先には、浄霊寺がある。霊魔化した金剛寺は、驚異的な嗅覚で鞄の匂いから水月の住居を特定したのだ。
「……やれやれ、アイツは犬かい?」
桜子が悪態を吐く。
「この事を水月に知らせないと!」
好子は携帯電話を鞄から取り出すと、水月に電話を掛けた。……が、着信音は、無情にも路上に投げ捨てられた水月の鞄の中から聞こえた。
「水月ったら、こんな時に!」
好子は大通りを見渡し、タクシーを見つけると、道路に飛び出し両手両足を広げ、強引にタクシーを止めた。
好子の切迫した雰囲気に圧倒されたタクシーの運転手は、すぐさま後部座席のドアを開けた。
「浄霊寺まで急いで!早く!」
「ち……ちょっと、どうするつもりよ!?」
桜子が飛び込んで来た。
「椿さんも乗って!浄霊寺へ先回りして、アイツの事を水月に知らせないと!」
好子は、水月の鞄を落とした事が原因で、結果的に彼女やその家族に危害が及ぶ事を恐れたのだ。
「コ……コラッ、引っ張るんじゃないよ!」
たまたま居合わせた桜子を巻き込み、好子達が乗ったタクシーは、浄霊寺へ急いだ。