霊魔編 2
東京都千代田区某所。多くの著名人が暮らす高級住宅街の中に、一際目立つ白い壁に囲まれた屋敷がある。
「お嬢様方、おはようございます」
リュートは、ローザとフレイラの朝食をダイニングテーブルに並べた。
「うむ。リュート君、おはよう」
フレイラは、席に着くなり新聞を広げた。
「おはようございます、リュートさん!」
ローザが席に着くと、リュートはローザのティーカップに紅茶を入れた。
ローザは、ダージリンの香りを楽しみながら一口啜った。
「……コホン。ところでリュート君、私の紅茶は?」
「た……只今、ご用意致します!」
リュートは、フレイラのティーカップに紅茶を入れると、蜂蜜に漬けたレモンを手際良く添えた。
この屋敷には、ローザとフレイラ、そして執事のリュートが暮らしている。
彼等は、神聖ローマ教会からGSTへ派遣された祓魔師である。
彼等が祓魔師である事は、GSTメンバー以外は誰も知らない。
イタリアのローマに本拠地を置く神聖ローマ教会は、祓魔師を擁し、教皇クリストファー13世の下、世界中で暗躍する『悪魔』を祓い浄めている。
「ローザ姉様。昨夜の私達の記事が載っていますよ!」
フレイラは、昨夜の渋谷で起きた霊魔による事件の記事を見つけた。そして、クロワッサンを口にくわえながら記事に目を通した。
「あらあら、フレイラさん。お行儀が悪いですよ」
『18日午後8時30分頃。渋谷センター街に突如現れた霊魔によって、通行人が次々と襲われるという事件が発生した。その後、霊魔は渋谷駅からルート246へ逃走していた所を警視庁の霊魔殲滅部隊によって処理された。警視庁の公式発表によると、この事件での被害者は、死者8名、重軽傷者23名であったという。』
「う~……」
この記事を読んだフレイラは、何故か急に不機嫌になった。
「リュート君。他の新聞を持って来てくれないかね?」
リュートは、他の大手新聞各紙を小型のワゴンに載せ、フレイラに手渡した。
フレイラは、それぞれの紙面を見比べると、それらを無造作にワゴンへ戻した。
「フレイラさん、お食事中ですよ」
「大変です、ローザ姉様。昨夜の我々の活躍振りが、どの新聞にも載っていません!何かの陰謀を感じませんか?」
フレイラは、昨夜の事件で自分達GSTの活躍振りが、各メディアに取り上げられていない事に不満を抱いたのだ。
「それは、大変ですねぇ。……でもね、フレイラさん。それは、仕方のない事なのですよ」
ローザが説明した。
GSTは、公安警察と同様に警視庁内部において、機密性が高い部署である為、その実態を公開していない。従って、マスメディアがGSTについての情報を調査・公開してはならないという暗黙の取り決めがあるのだ。
「フレイラさん。お分かり頂けたのでしたら、朝食の続きをなさい」
「……はい」
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私立天司学園。ローザとフレイラが通う学園だ。
ローザは高等部3年、フレイラは初等部5年と、それぞれの学年で学んでいる。
今朝も初等部校門の手前に1台の白い高級外車が停まった。
「それでは、行って参ります!」
フレイラは車から飛び降りると、校門へ向かって駆け出した。
「最近のフレイラ様は、学校へ行く事が余程楽しみの様ですね?」
リュートは、フレイラの後ろ姿を目で追いながら微笑んだ。
ローザとフレイラが、この学園へ通い始めてから既に2年が経つ。
ローザは、その穏やかな人柄からか、すぐに同級生達と打ち解ける事が出来た。しかし、フレイラに至っては、人見知りな性格と人を見下した物言いのせいで、クラスメイトとも馴染めなく孤立していた。
イジメられる事はなかったが、フレイラはクラスの中でも浮いた存在であった。
それが、5年生の新学期を迎えて間もなく、フレイラの様子がガラリと一変したのだ。
「どうやら、フレイラさんにも、お友達が出来た様ですねぇ」
ローザは、微笑ましくフレイラの後ろ姿を見送った。
そして、車は学園の敷地を大回りし、初等部の反対側にある高等部の校門へ向かった。
この白い高級外車は、登校中の生徒達の目を引いた。
なぜなら、この車の中には、学園中が憧れる高等部生徒会会長のローザ=エスト=ミハエリアが乗っていると知られているからだ。
そして、校門の手前で停まった車の後部座席からローザが降り立つと、彼女の周りには大きな人だかりが出来た。まるで、芸能人でも現れたかの様な光景だ。
「おはようございます、ローザ会長!」
「おはようございます、皆さん」
周りにいる生徒一人一人と挨拶を交わすローザの姿に、リュートは小さく溜め息をついた。
「ローザ様も律儀なのか、お人良しなのか……はぁ」
リュートは、そう呟くと、屋敷へ向かって車を走らせた。
「お……おはようございます、ローザ会長!」
「はい、おはようございます!」
ローザは教室へ向かう途中、擦れ違う生徒達とも丁寧に挨拶を交わした。
すると、ローザの周りにいる生徒達が、急にザワつき始めた。ローザの前方から、漆黒のポニーテールの少女が歩いて来る。
「伍代水月だ……」
ローザの取り巻きの一人が口に出した。
その瞬間、廊下にいた生徒達は、まるで海が割れるが如く一斉に左右へ退いた。
ローザと水月は、互いに見つめ合いながら、ゆっくりと近付いて行く。
「おはようございます、伍代さん」
「おはよう、ローザ会長」
2人はニコッと微笑みながら挨拶を交わし、何事も無くすれ違った。
この2人の一触即発の雰囲気に周りにいる誰もが息を呑んだ。
それと言うのも、この天司学園高等部は、大きく2つの派閥に分かれている。
1つは、分け隔てなく、誰にでも笑顔で接する『エンジェル・スマイル』ことローザ派。もう1つは、面倒見が良く、頼り甲斐のある『クール・ビューティ』こと水月派だ。
本人達の知らない所で、いつの間にか派閥なるものが出来上がり、しかも派閥同士のいがみ合いもあるという。そうは言っても、2人の仲が悪いという事実は全くないのだが……。
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初等部の玄関から5年生の教室へ向かうフレイラの姿は、どこか落ち着きがない。
周りをキョロキョロと見回し、時には後ろを振り返りながら歩く姿は、まるで不審者だ。
「おはよう、フレイラ!……誰かを探してるの?」
「け……圭四郎!?」
フレイラの不審な行動の原因は、この男の子・伍代圭四郎を探していたからである。彼女にとって、この少年は特別なのだ。
それまで、誰からも敬遠され続けてきたフレイラに、5年生になって初めて話し掛けてきた同級生が圭四郎であった。
フレイラも、初めは人懐っこい圭四郎に対して鬱陶しさを感じていたが、圭四郎のあまりのしつこさに根負けし、いつの間にか友達同士になっていたのだ。
「ひょっとして、僕の事を探してたの?」
「バッ……馬鹿者!誰が君の事などを探すかね!?わ……私は、首を鍛えていたのだよ!」
フレイラは、首を回す体操をして誤魔化した。
「何やってんだ、お前ら?」
「おはよ~。圭ちゃん、フレイラ」
クラスメイトの黒羽御影と九条留奈も、フレイラとは5年生になってからの友達だ。
御影は、何故かいつも怪我をしている。今日は、額に絆創膏を貼り、右腕には包帯を巻いている。
留奈は、お下げ髪の似合う可愛らしい女の子だ。
リーダー気質な御影、少々控え目な留奈、そして人懐っこい圭四郎。フレイラは、この3人といる時が一番楽しいと感じている。
「さっき、来る途中に仔犬を見つけたんだ。放課後、見に行かねぇか?」
御影が切り出した。
「仔犬かぁ……。僕も見に行きたいな」
「け……圭四郎も行くのかね?……仕方がないな、私も付き合うとしよう!」
「みんな、ダメだよぉ。学校帰りに寄り道なんかしちゃ……」
留奈以外は、御影に賛成だ。
「留奈は、来なくても良いんだぜ!」
「えーっ!みー君の意地悪~」
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GST本部は、警視庁本庁舎内のとある一室に設けられている。
元々は、倉庫として使われていた部屋だったが、GST発足直後、GST司令本部室となった。
しかし、『本部』とは名ばかりで、今では隊長・宗方の『仮眠室』となっている。
「隊長~、起きて下さいよ~」
午前8時40分。月島早彩の一日は、出勤後、書類の山に埋もれた隊長・宗方を探し出して起こす事から始まる。
「隊長~、朝ですよ~。起きて下さいよ~!」
早彩は、宗方の背中を揺さ振り続け、やっとの思いで起こす事が出来た。
まだ眠気が残っている宗方に、早彩は冷たい缶コーヒーと手作りのサンドイッチを手渡した。
「いつも、済まないね。月島君」
「隊長、また徹夜ですか?無理のし過ぎは、身体に毒ですよ」
早彩は、机や床に散らかった顛末書やら請求書やらを片付け始めた。
「また、請求書が増えましたね……」
基本的に霊魔との戦闘時で被った物的損害については、GSTが責任を負う事となっている。
「あくまでも形式上だよ。責任の所在をハッキリとさせておかないとね」
まさに、お役所仕事だ。結局は、税金で支払われるのだが……。
『緊急連絡。新宿区下落合の雑居ビルから、男性が飛び降りたとの通報あり。付近の警察官は、至急現場へ急行せよ。住所は……』
突如、中央管制センターから庁舎内の各部署に緊急連絡が響いた。
「自殺……ですか。ウチの管轄外ですよね?」
早彩は呟く様に言った。
宗方は缶コーヒーに口を付け、天井を見上げた。
(それは、どうかな……)
自殺者の多くは、絶望感からのストレスが原因で自らの命を絶つという。しかし、何かに怨みを抱きながら死に行く者も少なくはない。
怨みを抱き続けた魂は、いずれ霊魔となり、人々に牙を剥くのだ……。