霊魔編 12
「アンタ!いったい何があったんだい!?」
桜子は、本堂前でへたり込む好子の両肩を掴み、前後に揺さぶり続けた。
間もなくして好子は、意識を取り戻し我に帰った。
「……圭四郎が、あの女の子を庇って、そして……」
フレイラの役割は、ローザ達が到着するまでの間、金剛寺から圭四郎を守る事であった。
異常なほどに敏感な嗅覚をもつ金剛寺は、圭四郎から漂う水月の匂いを感知し、圭四郎に襲い掛かって来た。
フレイラも、金剛寺を食い止めようと必死に応戦するが、彼女の力不足は認めざるを得ない事実でもある。
それでも、フレイラなりに細かい術陣を組み合わせながら金剛寺を翻弄したのだ。しかし、地力に勝る金剛寺は、その体格からは想像もつかないほどの俊敏さでフレイラを一蹴した。
そして、金剛寺がフレイラに向けて止めの一突きを放った時、圭四郎がフレイラを突き飛ばし、自ら食らってしまったのである。
「圭四郎は助かるわよね?あの子に何かあったら、水月に合わせる顔がない!」
好子はそう言うと、両手で顔を覆い隠しながら泣き出してしまった。彼女は、圭四郎を巻き込んでしまったと罪悪感に苛まれたのだ。
「オォォォーー!!」
その時、鐘楼堂の裏手から何者かの叫喚する声が聞こえた。
桜子が鐘楼堂へ駆け付けると、一心不乱に霊刀・十六夜を振り下ろし続ける水月がいた。水月は狂気染みた雄叫びを上げながら、かつては金剛寺であったと思われる霊子結晶の塊を何度も何度も叩き斬っていた。
「うぇっ……!」
桜子は、そこら中に散らばった霊子結晶化した金剛寺の肢体やら内臓物やらを目の前に、思わず口を押さえてしまった。
そこには、いつもの冷静沈着な水月の姿は無く、狂気に取り憑かれた『鬼』がいたのだ。
「どうしたってんだい、伍代水月!?」
桜子は水月を背後から羽交い締めにしたが、水月はそれを強引に振り解いた。
「邪魔をするなッ!コイツが……、コイツが圭四郎を……ッ!」
水月は霊刀・十六夜を振り回し、今にも桜子に斬り掛からん勢いだ。
「いい加減にしろ!」
リュートは水月の頭上を飛び越え、三叉槍で金剛寺の胴体を魂もろとも貫いた。その瞬間、結晶化した金剛寺の肉片は、弾ける様に消滅した。
「落ち着け、水月!」
リュートは水月に手を差し延べる。しかし、水月は手を振り払い、リュートに霊刀・十六夜を突き出した。
「うるさい、黙れ!私に近付くな!」
リュートと桜子は、水月を落ち着かせようと試みるが、2人では手に負えない。
「……まったく、困った孫娘じゃよ」
いつの間にか、舟越が水月の背後に立ち、首筋に手刀を打ち込んだ。水月は軽い脳震盪を起こし、その場に倒れ込んだ。
「二刀流のお嬢さん。済まんが、その子を母家へ連れて行って下さらんか?」
「お……お任せ下さい」
桜子は、舟越が頭を下げて頼んだ事に恐縮してしまった。
「……私にも、手伝わせて貰える……かな?」
好子が、何とか気を落ち着かせて申し出た。
「それじゃあ、反対側を頼むよ」
好子は、水月のもう片方の腕を担ぎ、桜子と共に水月を連れて母家へ向かった。
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「私のせいで、圭四郎が……!ああーー!!」
フレイラは圭四郎の頭を抱え、泣きじゃくっている。
「フレイラさん。自分を責めてはいけません。これは、圭四郎さんの運……」
ローザは言葉を詰まらせた。彼女は、予見する事が出来なかった圭四郎の未来をフレイラに話していなかった。
「な……泣かないで……、フレイ……ラ」
圭四郎が薄れ行く意識の中、フレイラに語り掛けた。
「……フレイラが……無事で、良かっ……た。僕に……とって大切な……人を守れて……良かった……よ」
『大切な人を守る』。それは、圭四郎が舟越と水月に叩き込まれた教えである。
圭四郎が大切に思う者。それは、家族であり友人であった。彼は、ただ純粋に大切な者の為、命を賭して守り抜いたのだ。
「……圭四郎。私は、決して君を死なせはしないよ!」
フレイラは、金剛寺との戦いで負った左腕の傷口から血を吸い取り、それを圭四郎の口に含ませた。
「フレイラ様、何を!?」
リュートがフレイラの行動を制止しようと、彼女の肩に掴み掛かった。
「フレイラさん!貴女は、自分の行動を理解しているのですか?」
ローザはフレイラの片手を取り上げ、彼女にそう問い掛けた。
「勿論です!彼は私を庇ったお陰で、この様な大怪我をしたのです。私は、圭四郎をこのまま見殺しにする事など出来ません!」
フレイラが行おうとしている事。それは、圭四郎との『守護者契約』である。
正聖霊術師との間で守護者契約を交わした者は、霊子圧と身体能力、及び外傷に対する治癒力が飛躍的に高まるのだ。
フレイラは、守護者の驚異的な治癒力を利用して、圭四郎の傷を治そうと考えたのだ。
「……分かりました。貴女の覚悟、しかと見届けさせて頂きましょう!」
守護者契約とは、即ち血の盟約を結ぶ事だ。
一度結ばれた盟約は、どちらかに『死』が訪れるまで解かれる事はない。それは、相手の人生をも背負う事を意味している。それ故に、守護者契約は、確固たる覚悟を持って結ばなければならない。
ローザはフレイラの眼差しから、確固たる覚悟を感じ取ったのだ。
「我が守護者たる熾天使ミカエルの加護の下、この者との契りを交わさん。時には盾、時には矛となりて、我が身を守護する事を此処に誓わん」
フレイラの身体から静かに立ち上る青白い霊子が、やがて金色に色付いた。
(金色の霊子……!?)
ローザとリュートは驚愕した。
古今東西、金色の霊子を発する者など、彼等が知る限りは存在しないのだ。金色の霊子を発している当の本人でさえも、儀式に集中しているせいか、気が付いていない。
(圭四郎、目を覚ましておくれ。守護者としての役目を果たさなくてもいい。再び、私に笑顔を向けてくれるだけでいいのだよ……)
「契約」
フレイラは、自らの金色の霊子を口移しで圭四郎の体内に注ぎ込んだ。
そして、フレイラの背後に金色の霊子が収束し、それが左右に大きく広がり、金色の翼を形作った。
「……天使様……」
フレイラが、まるで金翼を広げた天使の様な姿に見えたリュートは、思わず声を漏らしてしまった。舟越もまた、目の前の幻想的な光景に息を呑んだ。
やがて、金翼はフレイラと圭四郎を優しく包み込み、更に光を増した。
そして……
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母家。水月の部屋。
好子と桜子は、布団の上に水月を寝かせ、その寝顔を心配そうに見つめていた。
2人は、あれ程までにも取り乱した水月の姿を初めて目にしたのだ。特に、水月とは長い付き合いの好子にとっては、『驚き』の一言であった。
「水月が、あんなに動揺するなんて……」
それは、瀕死の弟の姿を目の当たりにした姉の反応としては、間違っていないのかも知れない。しかし、好子が知る水月とは、母親の死や父親の失踪時でさえ、涙を流したものの、感情を表に剥き出す事などなかった。
それが、彼女が『クール・ビューティ』と言われる由縁だ。水月は、それほどまでにも圭四郎を溺愛していたのだ。
「う……ん……」
水月が目を覚ました。彼女は一時的な記憶障害を起こしていたが、やがて正気を取り戻した。
「好子、桜子……。私は、どうして此処に……?」
「水月……、よく聞いてね。実は、圭四郎が……」
好子が事の顛末を水月に説明しようとしたその時、それまで薄暗かった窓の外から、目映いばかりの金色の光が差し込んだ。
「圭四郎ーー!!」
金色の光が部屋の中に差し込んだ途端、水月は布団から飛び起き、裸足のまま境内へ向かって走り出した。
「どうしたのよ、水月!?」
好子と桜子も、すぐさま水月の後を追った。
「圭四郎ーー!」
水月は境内の脇に立つ桜の木の下で、金色の光に包まれた圭四郎とフレイラの姿を目にした。やがて、2人を包んだ金色の光は、その輝きを次第に失わせ始めた。
……ドクン……ドクン……
静寂の中、圭四郎を支えるフレイラの腕に、彼の力強い鼓動が感じられたのである。
「……圭四郎」
フレイラは、涙を流しながら安堵の表情を浮かべた。
「……圭四郎は、無事……なのか?」
水月は、震える声でゆっくりと2人に近付いた。
フレイラの腕に抱かれた圭四郎から寝息が聞こえる。腹部からの出血は止まり、傷口も塞がっている。
「水月…、圭四郎は、助かったよ」
フレイラは微笑んだ。その瞬間、水月の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「圭四郎ーー!わぁーーん!」
水月は圭四郎を抱き締め、人目も憚らずに大声で泣き出してしまった。彼女は、まるで幼児の様にいつまでも泣き続けた。
この日、圭四郎はフレイラの守護者になった。
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千代田区・ミハエリア邸。
浄霊寺での一件直後、輪光宗南関東支部から退魔僧達が事件調査と称して駆け付けた為、ローザ達は自宅屋敷へ戻る事となった。
現在、フレイラは寝室で爆睡中。
リュートは、執務室にて残務に追われている。
そして、ローザは浴室でシャワーを浴びながら、今日一日の出来事を思い返した。
特に、フレイラの身体から発せられた金色の霊子について、あれこれと考えを巡らせた。
そもそも霊子とは、その個体が存在する為に必要な生体エネルギーの一つとして考えられている。その一方で、死者の魂を核として『霊魔』という集合体を形成する一面も持っている。言わば、負の生体エネルギーだ。
霊子は、青白色の発光粒子である。しかし、フレイラが圭四郎との守護者契約時に解放した霊子は、輝かしいばかりの金色であった。
勿論、ローザにとっても金色の霊子は、初めて目にする光景だ。しかも、ローザが圭四郎の死を予見していたにも拘わらず、金色の霊子は瀕死の圭四郎を蘇生するという奇跡を起こしたのだ。
それが、フレイラ自身の能力に依るものなのか、外部からの何らかの作用に依るものなのかは、恐らくフレイラ本人も自覚していないだろう。
「お父様なら……」
生後間もないフレイラをミハエリア家に養女として迎え入れたのは、父・ウェルスターである。
ローザは、フレイラを養女に迎え入れた詳しい経緯をウェルスターから聞かされていない。
ウェルスターならば、フレイラの出生の秘密を知っているに違いない。ローザは、そう考えた。
「一度、本国へ帰る必要がありそうですね……」
ローザはシャワーを止めると、浴室を後にした。