月での目覚め
目覚めたら、見たことのない場所だった。
空気、物、音、何もかも知らない。
無機質な部屋。たくさんの機械。
星にはなかった、異質な場所。
ボクは何故ここにいるの?
キミはいない。
キミはどこにいるの?
目の前にあった画面が明るくなる。知らない誰かが映る。
「おはよう、“人造少女”」
男のような声。キミ――ユウじゃない。
ユウは女の子だ。
「あなたは誰ですか?」
ボクは聞いた。
「その言葉を、君に返そう。“人造少女”、君の名は?」
……ボクは答えられない。
名前なんて、もうないんだ。
「名前はありません」
謎の“男”は、少し考えた。そしてこう言った。
「ないはずはないが……まあいい。では、君の型番は?」
ボクの番号はずっと覚えてる。いや、“忘れられないようにできている”って言ったほうが正しい。
「T-01-793です」
だからそのまま答えた。
「そうか。では、君の質問に答えよう。私はこのドームの“王”だ」
ドーム?王?
「ちょっと待ってください。ボクには理解できません。説明してくれませんか?」
ここがどこなのかすらわからないのに、「このドーム」も何もあったもんじゃない。
「うむ、それもそうか。説明を忘れていた。まず、君は月面にある安全ドームの一つ、“コロニー”にいる」
安全ドーム“コロニー”か。
脳内の地理情報に追加する。
真っ白な地図に、点。
「“コロニー”の中心地、“グラスタワー”地上57階層、“人造人類研究室”第七号室が君のいる部屋だ」
さっきの“コロニー”を中心に円を描く。中心が“グラスタワー”。その中の“人造人類研究室”……
一瞬でここまで終わらせる。
「そして私は“コロニー”を治める“王”だ」
……わからない。いや、意味はわかってる。けど何故“王”なのかがわからない。
「他に何か、質問は?」
ボクはユウのことを聞こうかと思った。でもやめた。
本当に忘れられていたら嫌だ。なら知らないほうがいい。
「……ありません」
「そうか。では、少し昔の話をしよう。君の“所有者”は“アマガサユウ”だったか?」
“アマガサユウ”。キミの名前。
「はい。ユウを知ってるんですか?」
「直接的な繋がりはない。登録番号から見出だした君の“所有者”が“アマガサユウ”ならば君の名は“アイ”だ」
アイ――それが、ボクの名前だったんだ。
“王”は今後の話を始めた。
「今後、君は基本的に“コロニー”で生活してもらう。いくつかの決まりを守り、それ以外は自由に過ごせばいい。“グラスタワー”に部屋を用意した」
なんということだ。ボクを無償で直した上にこれは……いまいち“王”が何を考えているのかわからない。
「決まり、とは?」
決まりの話は横道に反れたりして、無駄に長くなってしまった。
まとめると、「一部の禁止区域に立ち入ってはいけない」「無許可で“コロニー”の外に出たり、“コロニー”の外壁を傷つけてはいけない」「犯罪行為をしてはいけない」ということらしい。
“グラスタワー”の部屋はここなのか、と聞いてみた。
ここに住むのはいくらなんでも……なあ。
「君の部屋は別に用意してある。第52階層の4号室だ」
一度自分の目で見たいと言うと、画面が暗くなった。
通信が切れたようだ。
早速、ボクの部屋を見に行こう。
第52階層の4号室。
可愛い家具に彩られた部屋。
ベッドは赤いチェックの掛け布団がかかっていて、ふかふかしてそう。ピンクのミニテーブルとハートの座布団。
この部屋の前の住人が置いていったのか、冷蔵庫やクローゼットもある。
ユウがここに住むとなったら大喜びしそう。ユウは可愛いものが大好きだったから。
無機質な部屋だと思っていたから拍子抜けだ。
ぐるりと見渡したとき、ドアが開いて女の人が入ってきた。
「アイ様、お部屋は気に入られましたか?」
「あ……はい。あなたは誰ですか?」
「わたくしはこの“グラスタワー”の職員です。アイ様のお世話を申し付かりました」
ボクの世話って、“グラスタワー”の職員に言うほどのことなのかな?
「ボク、この部屋に住むことになりました。よろしくお願いいたします」
「はい。なんでもお申し付けください」
「あの……ボクの世話って、具体的にどんなことを……?」
「1ヶ月に一度の定期メンテナンス、“グラスタワー”内外の案内、その他アイ様のお命じになったことを」
要するに、専属メイドってことなのかな?
昔、星にもメイドを雇っている家はあった。
ただしそれはごく一部で、とてつもなくお金持ちのすることだった。
ユウの家はそんなにお金持ちじゃなかったから、前にメイドを雇っている家に行ったとき、びっくりしたことを思い出した。
「最初に、名前を聞いていいですか?不便なので」
「“モエギユカリ”と申します。ユカリとお呼びください」
“モエギユカリ”の顔と声を覚える。お世話になる人だから。
「ユカリさん、よろしくお願いいたします」
こうして、ボクの新しい生活が始まった。