2章 王宮での邂逅 2-1
銀色の軌跡が尾を引くように弧を描き、キィンという高らかな音が火花ともに響き渡った。
広場の端にある噴水は、水晶色の滝を幾筋も陽光に煌めかせていた。草色の地面はそよ吹く風にゆったりと撫でられながらも、揺るぎない足場としてどこまでも平らかにならされている。
その広場を囲む花壇では、めぐる季節で咲き誇る色とりどりの花々が、暑さ寒さに影響されることなく芳醇な香りをあふれさせているのであった。
そこはあたたかな陽光と、魔法の気配に満ちた自宅の庭。普段は静かな、そよ吹く風だけが葉ずれの音を微かに生じるだけの穏やかな場所である。
だが、いまは途切れることなく繰り出される剣戟の最中であり、刃の奏でる心地よい緊張にも似た雰囲気に満たされているのであった。
剣を手に動き回っているのは、ふたりの男――その片方は大柄で屈強な肉体をもつ壮年の偉丈夫、そしてもうひとりは年端も行かぬ少年であった。
どちらも研がれた刃の長剣を手に、盾もなく、真剣そのものの顔つきである。
「たあぁぁぁぁッ!」
まず少年が動いた。掛け声とともに踏み込み、真横に剣を振るう。
「ぬっ!」
大柄な男のほうが己の剣で受けとめ、次いで繰り出された突きをも弾くようにして軌道をそらせた。少年は焦ることなく落ち着いたまま重い剣の刀身を振りぬき、そのままの勢いで跳ね上げたあと一気に振り下ろした。
自身の筋力では剣の重みを自在に止めきらぬことを理解しているのだ。そのことを見抜いた歴戦の兵士でもある男は、「まだまだ!」と言いつつ少年の剣を力任せに押しやりながらも、内心舌を巻いていた。
堪えきれず後ろに押し退けられ、少年は尻餅をついた。何事もない表情をして起き上がり、からだについた草の切れ端を手で払う。
少年の落ち着いた表情の奥底には、悔しそうないろが秘められている。そのことを正しく読み取れる人間は数少ない。そのうちのひとりである男は、少年を見下ろしながら嬉しそうに破顔した。
「太刀筋は良いですよ、ぼっちゃま。力ではまだまだですが、剣術ではわたしをすでに超えておりましょう」
ぼっちゃま、と呼びかけられて少年の口元がほんの少し下がった。
男は困ったように笑いながら、剣を持たぬほうの手で頭を掻いた。
「いっぽぉぉんっ! ですね」
軽やかに響く可愛らしい声が割って入った。空高く吸い込まれたその声は、すぐにも笑い出しそうな気配を伴っている。少年は苦笑し、重さを確かめるように持ち上げていた長剣を下げた。
白く薄いレースを重ねたワンピースの裾をひるがえしつつ駆け走ってきたルレアは、彼のすぐ目の前で急停止した。万が一にも少女に当たっては危ないと、あわてて手にしていた長剣をからだの後ろに回した少年を見上げ、ルレアはにっこり笑った。
「ヴァン、どんどん強くなっているのね。今度こそバルガスを負かしてしまうんじゃないかと、わたし、ドキドキしてしまったもの!」
「まだまだ、だそうだけれど」
微笑しながらヴァン――ヴァンドーナは肩をそびやかしてみせた。傍に立っていた男が野太い声で大笑いし、膝を折るようにして大柄な体躯を屈め、幼いふたりに視線を合わせて言った。
「いやいや、それは謙遜すぎるというものですぞ。このバルガス、ラウスミルトの武大会では負けたことがないほどの腕前。いかな天才ぼっちゃまといえど、おいそれと軽く追い越されるわけにはまいりませぬゆえ」
「ぼっちゃま、は止めてくれよ」
「はいはい。冒険者として大活躍していた王国一の剣士、バルガス殿ですものね」
ヴァンドーナとルレアの言葉が同時に発せられた。ふたりは思わず顔を見合わせ、ルレアが吹きだすように笑う。ヴァンドーナは困ったように整った眉を互い違いにしてみせたが、ますます楽しそうに笑い転げるルレアにつられるように、自分もまた笑顔になった。
「ルレアお嬢さま、冒険者たちを笑ってはいけませぬぞ。この大陸では彼らなくして遺跡の発掘や魔導書の捜索、果ては傭兵護衛その他いろいろ、とてもではありませんが需要に応えられるだけの人手が足りなくなってしまいます」
「あら誤解しないで、バルガス。わたしが笑ったのは、ヴァンのことをぼっちゃまって呼んだことなの。だってふたりとも、同じ遣り取りをもう二年も毎日繰り返しているのに、ぜんぜん凝りないんですもの」
ヴァンドーナは無邪気なルレアの言葉に、思わず歳に似合いのふくれっ面になりかけたが、ふと気づいたように訊ねた。
「傭兵……だって? もしかして他所の国で戦乱が始まりそうなのか」
「もう始まっていますよ。このソサリアは静かでございますが……大陸の西半分では毎日どこかの村や町が焼かれているという話ですから」
バルガスが苦々しげにそう答え、いつになく不安そうなふたりの子どもの様子にあわてて笑顔を作り、冷えてしまった場を取り繕おうとした。
「隣の、そのまた隣の国の話ですよ。ここまでは火の粉ひとつだって飛んできやしません。それに――いまのソサリアの国王は平和を望んでおられるとのこと。ルキアス卿という優れた相談役もおられます。魔導士は大陸でも数少ない、貴重な人材です。王や側近、実力者のほとんどが戦乱を好まぬ王国が戦火にくすぶる道を進むことは、万が一にもありませぬ」
「でも、いまこの瞬間にも……そのぅ、自分と同じ命を殺したり、殺されたりしているひとたちがいるってことなんでしょう?」
ルレアは喉になにかつかえでもしているような声で言った。
「……それが戦争なんだ。他人の生命や財産を不当に奪ったり、殺される前に殺したり。この世界にも、そんな莫迦な考えが存在しているというのか」
ヴァンドーナは吐き捨てるように言い、それから自分の持つ長剣を思い出して言葉を足した。
「念の為に言っておくけど、俺が剣を習っているのは、なにかを奪うためではないからな」
「わかっているわ。ヴァンはそんなひとじゃないもの。それからバルガスも」
ルレアが微笑み、目の前の警備隊長の顔を見上げる。
「もちろんですよ、ルレアお嬢さま。わたしたちにとって、剣は主人に捧げたもの、護るべきものを護るための力です。それに命を脅かす相手は、ひととは限りませんからね。魔獣たちであることが多いのですから」
バルガスを見上げて話を聞いていたルレアが、ふとヴァンドーナの目を見た。
ヴァンドーナはルレアを見つめ、しっかりと頷いてみせた。ルレアがほっとしたように表情を緩める。
「さぁさ、わたしはそろそろ戻って警護の任に就きませんと。ぼっちゃま、次にはこのバルガスを負かしてお嬢さまに勝利をお捧げくださいませね」
バルガスは器用に片目をぱちんと閉じてみせた。熊のような大男がウインクをする光景は、なかなかに見応えがある。ヴァンドーナはハッと我に返り、あわてて彼に向かって言葉を発した。
「バルガス。休憩時間なのに俺の稽古に付き合ってくれて、とても感謝している。ありがとう」
見かけ相応の素直な笑顔を心掛けながら、ヴァンドーナは頭を下げるようにして礼を述べた。その仕草を目にしたバルガスはしみじみとした口調で言った。
「これはご丁寧に。勿体無いお言葉です。……しかし、ぼっちゃま。全ての記憶をなくされたとお聞きしておりますが、その感謝や謝罪の意の伝え方、真っ直ぐな黒髪、瞳の色は少々違いますが、遠く東の海向こうにあると聞くドナン大陸出身の者の所作によく似ております。もしかしたらぼっちゃんの故郷の手掛かりがあるのかもしれませぬぞ」
「いや……たぶん可能性はないと思うよ。俺の故郷はこの世界のどこにも――」
目を伏せるようにして答えかけたヴァンドーナの隣で、「あ」とルレアが声を上げた。
彼女の視線を追うと、ちょうど屋敷からルキアスが出てきたところであった。
歴戦の冒険者であったバルガスはいち早く気配で察していたのであろう、屋敷の主が近づいてきたときにはすでに居住まいを正し、背筋を伸ばして胸に片腕を当てている。
「稽古の邪魔をしてしまったかな」
いつものように穏やかな口調とよく響く低音で、ルキアスが三人に声を掛けてきた。
「いえ、稽古はすでに終わっています。まだまだバルガスには一度も勝つことができませんが」
「強い男だからな。冒険者だったのを無理にわたしがこの地に引きとめてしまったが、警護の任に就いてくれてわたしも安心している。賢明かつ慎重な、信頼できる男だ。――ご苦労であったバルガス。休憩時間ではなく剣の師範として堂々と時間を取って良いのだが」
「ありがとうございます。ですが、わたしは進んでヴァンドーナさまの稽古に付き合っているのです。どうかこのままに」
「そうか」
「ねぇ、おとうさま。何か御用があっていらしたのではないのですか?」
父親の言葉を遮るようにして、待ちきれないとばかりにルレアが訊いた。楽しいことでも起こりそうだという予感があるのか、不可思議で美しいオレンジ色の瞳をきらきらさせ、丈高いルキアスの顔を見上げている。
「そのとおりだ、娘よ。おまえは興味のありそうなことに敏感だね。――ヴァンドーナ」
「はい」
何事かと思わず背筋を伸ばした少年に、ルキアスは実の娘に向けるのと同じように穏やかな眼差しを向けた。
「ここへ来て二年になるが、ほとんど外へ出歩くことがなかっただろう。娘にせがまれて屋敷の外へ、《樹擬人》の幼木に会いにゆく以外には」
ふたりだけのささやかな秘密も、父はしっかりとお見通しだったようだ。ヴァンドーナは空いたほうの手で照れたように頬を掻いた。隣ではルレアが頬を赤らめている。
「そこで――どうだ、ふたりとも。良い機会だ。王都ミストーナへ行って、このソサリアのあらゆる中心である王宮を訪れてみたくはないか?」
「え……本当に? 真っ白で美しくて魔法に満ちているあの王宮へ、連れて行ってもらえるのっ?」
ルキアスの言葉を聞いたルレアは両手を胸の前で打ち鳴らした。嬉しいのだたろう、ぴょんと飛び跳ねている。
その大仰なほどの喜びように、ヴァンドーナは首を振って微笑んだのみだったが。それは彼がソサリア王宮を一度も目にしたことがないからであった。文献の記述を読んだり、話には聞いたことがあるが、ただの大きな建造物だと認識していたのだ。
確かにルキアスの言葉どおり、この異世界に《名無き神》によって放り込まれてより二年もの間、この屋敷の周囲より遠くへ行くことを許されなかった。それはヴァンドーナだけではなく、娘のルレアも同じであった。
魔導士である彼らは稀有な存在だ。充分な知識と力を習得できなければ、外の世界は安全ではないということ――はっきりと説明されなくとも、ヴァンドーナはそのような理由があることに敏感に気づいていた。子どもたちを護りたいという親の想いとともに。
「それがいよいよ許されるということなのか。しかも――」
魔法の存在する王国の中枢、ソサリア王宮へと。