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1章 魔導の転生 1-5

 暗転した脳裏の闇。その狭間で思い出したもの。失ったはずの記憶、心の奥底に残る僅かな残滓ざんし。それは夢のかたちとなって彼の意識に浮上した。


「俺は……誰だ。どこから来たんだ」


 夢は彼に答えていた。彼がここではない世界に属していたという事実を。


 何の変哲もない日常にあって、普段とは少しだけ違っていた夕刻だった。篠突しのつく雨が降り、怒声が響いていたのを覚えている。そこで言い争いがあったのか、妬みからくる悪意から発せられたものであったのかはもはや彼にとって問題ではない。


 彼の人生を変えたことが、確かにそのとき起こったのだ。


 誰かの悲鳴が耳に届く。それはもしかしたら、自分のものであったのかもしれない。視界に飛び込んできたのは、瞳が射抜かれるほどに強烈な光源だった。


 それは足もとからの凄まじい振動とともに一気に距離を詰め、次の瞬間には彼の意識を吹き飛ばしていた――それは、もといた世界から彼の存在を完全に引き離してしまうほどの衝撃であった。


 彼の意識は永遠ともつかぬ時間をさまよい、事象の地平面でも踏み越えたかのような喪失感のあとに引き伸ばされるような感覚を味わい……次元の弥終いやはてのさらに先で再び意識を取り戻した。


 それはあの少女と出逢う前のことだった――はずである。


 そのとき彼が意識を取り戻した場所は、蛋白石オパールのような輝きが果てしなく散りばめられた空間であった。その輝きに満ちた空間の中、彼は闇そのものであるかのような漆黒の色を纏った存在と対峙していたのである。


 その存在は、ひとりの少年の姿をしていた。だが、表情や雰囲気は人間のもつそれらを遥かに凌駕りょうがしていた。ただそこにいるだけで相手に畏怖を感じさせ、その眼差しのなかに宇宙そのものような広がりを投影することができるほどの存在を、何といえばよいのか――。


(われ)は、《名無き神》と称されておる」


 その存在は語った。不思議な言葉だったが、彼は苦もなく自然に理解することができた。まるで新しい変換ソフトをインストールされたかのように。


 しかも言葉は音ではなかった。声は直接心に響いていたのだ。その振動エネルギーを伴わぬ不思議な声は波紋のように広がり、空間そのものに影響を与えながらこちらの意識に届いていた――声無き言葉だ。


 なるほど確かに相手は、神であると言われれば頷けるほどの圧倒的な存在感を放っている。だが、その姿かたちは彼にとって親しみのあるものに感じられた――なぜかとても懐かしいものを感じたのだ。


 少年の背はまっすぐで姿勢よく、肌は白く、手足はすらりと長い。あるはずのない風に揺れているのは、くせのないつややかな黒髪だ。その下のすずやかな両の瞳の色は、銀と青の煌めきを内に秘めた灰色グレイであった。美術品さながらに整った目鼻の配置、その瞳の色には違和感を感じていたが……彼はふいに思い至った。


「お……れ? まさか、俺なのか?」


 それは確かに、幼少の頃の自分自身の面影を内包していたのだ。もちろんこれほどまでに整った容姿ではなかったが、懐かしさを感じていたのは自分のかつての姿を彷彿とさせていたからだろう――だがいったい、何が起こったというのだろうか。


 このときにはすでに、彼の記憶のほとんどが失われていた。というより、彼の『彼であった人生の記憶』、それだけがきれいさっぱり消されてしまったかのように。


「いったい、何が起こったんだ」


 つぶやいてから、彼は気づいた。自分の声も音を伴っていないことに。思わず、自分のからだを確かめようと視線を落としてみる。だが、そこにあるはずの胴はおろか足すら見い出せず、腕が動く感覚はあるのに、まるで透明人間にでもなったかのように視界に入らなかった。


 呆然とした彼の意識に、闇そのものを纏ったかのような気配もつ少年がクスリと笑ったような気配が届いた。


「……まさか俺のからだを乗っ取ったのか?」


「どうした、このわれの姿に関心があるか――まあ、よい。それは無理からぬこと。この姿は、おまえのかつての姿を模したもの。アーストリア世界に合うよう、我が調節したものだが。どうだ、気に入ったか? 容姿は万人の目にも(こころよ)く映るように整えておいたぞ。瞳の色は黒だったようだが、大量の魔力マナを肉体に詰め込んだことで変化した。魔導の本質は瞳に宿るのだから、これは避けられぬ変化だったのだよ」


 からかうような響きを交えつつも、相手の唇は微塵も動いてはいない。


 あるはずのない風がひときわ強く吹き、相手の黒髪がさらりと揺れた。灰色の瞳が細められ、少年の指が流れるように典雅な動きで額にかかった髪を横に払う。もちろん、それは視線の主である自分が意図したことではないだろうが、その人智を超越した美としぐさは彼の心を打ちのめした。


 打たれたように意識がおののくが、彼はなんとか自分を持ちこたえさせた。


「それが俺のからだ……? そんな容れ物を用意して俺に与えて、いったいどうするつもりなんだ」


 彼は震えながらも尋ねた。その震えが戦慄なのか喜びによるものなのかは判然としなかったが、どうしてもはっきりさせておきたかった――『神』と名乗るものが、自分なんぞに何を期待しているというのか。


 だが、《名無き神》は気怠けだるげに答えた。


「どうもせぬよ。この肉体はおまえに与えるつもりで作ったものだ。趣向を凝らし、必要となるだろう能力を付与したが、基本的にはおまえのもとの肉体になぞらえたというだけのこと」


「神とやらの与えてくれる恩恵には、かならず見合った犠牲があるはずだろ」


 相手の(いら)えに彼は(いぶか)しみ、睨みつけてやった。肉体が自分のほうにないので、相手にどう見えるのかは定かではなかったが。


 相手に畏怖を感じるとともに、彼はそれが気に入らなかった。


「ひとの運命をすでに定めたようなことを言っておいて、ただ気まぐれにそうしたといわんばかりの態度じゃないか」


「ほほぉう、これはこれは。さすが我の見込んだ者よの。……不服か? おまえはわれが神と呼ばれる存在であっても、おくすることがないらしい。(たの)しいことよのぅ」


 黒髪の青年の姿をしたその存在は、さざめき笑うような気配を周囲に散じた。人形さながらの無感動な肉体のほうは、超然として微塵も笑っていなかったが。


「いやはや。不服とするはお(かど)違いというものであろう。人間を運ぶための鋼鉄の箱に衝突され、おまえの肉体は手の施しようもなくバラバラになっておったのだぞ? それを(われ)が集めて復活させたのだ。次なる世界に適応できるよう、(わず)かばかりの余禄も与えて。そのように好ましい肉体ならば、あの者の気を惹くことも簡単だろうぞ」


 無表情の容れ物とは裏腹に、音を伴わぬその声にはからかうような響きがあった。


 だが語られた内容は、すっかり彼を打ちのめしていた。


「どういうことだ。一度死んだ身だと言いたいのか、この俺が」


 そんな彼の心の内を知ってか知らずか、相手は言葉を続ける。


「その力を天恵とするか呪いとするかは、おまえ次第だ。ふむ、我に対するおまえの犠牲がどうしても問いたいのならば、答えてやろう」


 神と名乗る相手が顔をあげた。彼のかたちのない挑むような視線と、超然とした冷ややかな視線がぶつかりあう。


 神は告げた。


「幾つもの波紋、幾つもの干渉、そして運命(さだめ)や限界に縛られることのない我のこまとなるもの――それを支え護るものが必要なのだ。神なる我が身では次元を越えて手指を伸ばせぬ。いくつも連なる我らの世界を含めた全ての宇宙――その盆をひっくり返すような事態を引き起こすことになるがゆえに。そうなれば喜ぶのは《無の女神》だけだ。それでは面白くない」


 周囲の不可思議な光景が消失した。さまざまな濃さの闇が多重に重なり合った……いや、まるで多次元の宇宙が房のごとく繋がり合ったような世界に放り出された気がした。気がしたというより、知覚したというべきか。


 だが人智を超えたそれらの光景は、彼の理解力で処理しきれるものではなかった。


「ただ波紋を生じ、均衡を乱すことが我が望み」


 神は強く思念を打ち響かせた。


「均衡を乱す……だと? 何の均衡だ」


「むろん、世界の」


 問いかけるような視線に、《名無き神》は答えた。


「すべての色を有し、万物を万色に染めることを可能とする――その魔導の力を運命さだめとする者が真に目覚めるためにどうしても必要な布石なのだよ、おまえは」


 きらめいていた周囲が色彩をなくし、崩壊しはじめる。彼の意識は、どこかの場所を目指して凄まじい速度で移動を始めた。


 最後に聞こえたのは、神のつぶやきであった。


「おまえはその内の一石に過ぎぬ。波紋というものは、どこかへぶつかればさらなる波紋を生じる。互いに干渉し、打消し、強め――いや、あるいは」




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