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2章 王宮での邂逅 2-5

 王宮の内部は、ヴァンドーナが期待していた通り、いや、それ以上のものであった。


 白亜に輝いていた外壁は、優美な線となだらかな面とが複雑に配置され、計算されつくしたかのごとき精密な紋様を巧みに重ね描いていた。それらすべてが守護たる力を発揮する魔法陣を展開していたのだが、内部にはもっと驚嘆すべき光景が広がっていた。


 光の当たる角度や方向によって空気を循環させる渦を形成する微細な魔法陣、換気のための力場など、徹底された空調管理が整えられていたのである。つまり、季節ごとの太陽の傾きや日々の天候に合わせているのだ。内部の魔法は守護のためではなく、快適な環境に保てるようにとの配慮に満ち溢れていた。


 そして重要なことは、魔法による快適さだけではなかったことだ。


 透明度の高い硝子(ガラス)のはめられた窓や間隙が取り入れる陽光は、磨かれた白壁や細やかに施された彫刻によってやわらげられ、空間全体を満たしている。目にも晴れやかな装飾のひとつをとっても、見る者の心を憩わせ、穏やかな歓迎の意を伝えるに相応しい見事さだ。


 すなわち、驚嘆すべき建物が、魔法によって造られたものでないということだ。複雑に絡み合ったすべての魔法陣が、確かな設計と建築技術によって組み上げられた紋様とそれらの配置によって展開されているのだ。そのため、柱や壁、床そのものからは魔法の気配が感じられない。スイッチを入れることで電灯の光があふれるように、柱や紋様を正確に配置することで魔法陣を織り成しているのである。


 そういった内と外に展開された魔法が重ね合わさり、王宮そのものを守る巨大魔法陣として機能しているのであった。


 万物を構成している魔力(マナ)の流れを視覚的に理解することのできる魔導士だからこそ、目にすることができる秘密――ヴァンドーナは(まばた)きも忘れ、目の前に配された技術の巧みさに見入った。


「魔導の瞳というものは、計り知れないほどの叡智をもたらしてくれるものなんだな……」


「どうかしました? ヴァン」


 ちいさなつぶやきを耳にしたルレアが振り返った。小首をかしげて、こちらとの背の高さの違いを見上げるようにして立っている。そういえば、この二年で彼の背は彼女より頭ふたつぶんほども高くなった。


 彼女の幼かった体も、ずいぶんと成長していた。まろやかな肩にかかる蜂蜜色の髪がゆるやかに流れ、にっこりと形を成した唇はふっくらと瑞々しく、艶めいている。腰は今でも折れてしまいそうなほどに細いが、他の部分にはほどよく肉がついている。


 淡色のリボンを編み込んだワンピースはわずかに出っ張りをみせはじめている胸のあたりから砂時計のようにいったんすぼまり、そこからふわりと広がって優美な曲線を描いていた。嬉しそうに跳ねながら体の向きを変えたときに目に飛び込んできた脚も、とどこおりなく健やかに成長していることを示していた。


 それに加え、光と魔法に満たされた王宮のなかでもなお際立っている、生命そのものである魔導の輝き。


 魔導の気配に敏感な魔導士だからこそ、こうして惹きつけられるのであろうか。それとも、このタイミング、この場所であるからこそ、改めて気づかされたのだろうか。目の前に立っている少女は、もはや少女とは呼べないのかも知れない、とヴァンドーナはふいに気づいたのであった。


 幼さはあるが、それもすぐに成長という変化によって花開いてゆくのであろう。本人の意識には関係なく。


「――ァン、どうしたの、ヴァン?」


 覗き込むようにして名を呼ばれ、彼はやっと我に返った。


「う、うん。なに?」


「早く行きましょう! わたし、待ちきれないの」


 つっかえながらも訊き返すと、焦れたルレアが華奢な腕をこちらの腕に絡めるようにして、突っ立ったままであった彼をエントランスの奥へと(いざな)った。


「ヴァン、こっちよ!」


「待てよ。そう引っ張らなくても大丈夫だって」


 絡められた自分の腕が彼女の身体のやわらかな箇所へぶつかり、我知らず頬が熱くなる。


 ルレアの()き動かされたような好奇心に導かれて先へ進むと、そこで信じられないほどに巨大な空間がふたりを出迎えた。


 圧倒的な高さの柱。それらがぐるりと立ち並び、壁そのものと繋がっている円状の巨大ホールは、見上げているだけでくらくらと眩暈(めまい)を誘発しそうなほどの規模があった。遥か上のドーム天井には五つの梁が掛けられ、見事な五芒の星を描いている。五という数字は魔導の技のみならず、この世界の森羅万象にも多大なる意味をもつ。中央に配された何かの紋様といい、もっと近くで眺めることができれば、と思う。


「……これが大広間か。すごいな、なんという天井の高さだろう。それに、あの螺旋階段」


「ぐるぐるあがっていったら、目が回ってしまいそうね。それとも疲れちゃうかしら、ね、ヴァン。あ、あそこにいらっしゃるのは、おとうさまだわ。そういえばさっき螺旋階段で最上階にある執務室まで行くって」


「そうだったね」


 ルレアが指し示す先、螺旋階段の最上階へ至る(きざはし)の中途に、威風堂々とした、見慣れたルキアスの姿がある。内に秘めたる魔導の輝きは必要以上に発散されていないが、見ているこちらの心を穏やかに落ち着けるような、ホッと安堵させる輝きと気配を放っていた。


 ――そういえば奇妙だな。ヴァンドーナはふと疑問に思った。さきほど、この王宮に入る前に感じた不穏な気配。これほどに守護の魔法に満たされた王宮内部に、在るはずのない邪悪を感じた気がしたのだ。


 気のせいだったといえばそれまでだが……ぽつりと染みのように落ちた嫌な予感は、胸の奥底にじんわりと広がっていった。予感というには余るほどの憂慮に、無視してはいけないと心の深いところが警鐘を鳴らしている。


「予知、とでもいえばよいのだろうか。この感覚。魔導の成せる業だとするならば、やはり――」


 ヴァンドーナがさらに深く考え込もうとしたとき、楽しそうに弾んだ声が彼の思考を断ち切った。


「一番上からこの広間を眺めたら、さぞ素敵な光景なんでしょうね。でも、おとうさまについていくわけにもいかないし、他に行ってみましょうよ、ヴァン!」


 ルレアが、螺旋階段の奥、広間の向こうへと小走りに駆けていく。


 ヴァンドーナの脳裏に、「いかなるときもふたり一緒にいるように」と語っていたルキアスの顔が思い出された。少女の背を追い、慌てて走り出す。


 大広間の奥壁高くにずっしりと掛けられている、(あや)なす見事な色のタペストリーが視界の端に見えた。が、それどころではない。ルレアの姿が大広間の先へ消えてしまったのだ。


「ルレア!」


 胸がざわりと揺さぶられ、鼓動が高鳴る。


 姿を追って走り出た先は、長く続く通廊であった。


 白亜の壁が延々と続く横幅広い空間に、どこまでも等間隔に並ぶ縦細い硝子(ガラス)窓と台座。その台上に飾られて咲き誇っているのは、いまの季節の花々なのだろう。薄く幾重にも重なった花びらの放つ豊潤な香りと、どこからか吹き抜けてくる緑の草の涼しげな青い匂いとが入り混じっている。


 その光と影に彩られた通路が続く先に、無邪気なルレアの姿があった。飾られた花々に向けて爪先立ちをして、それらの香りを楽しんでいたのである。


 ヴァンドーナは安堵の溜息をつき、それから彼女に歩み寄った。顔を上げたルレアが、彼に向けてにっこりと微笑む。


「どこもかしこも、とってもすてき! ここが大好きになりそうよ」


「それにしても、長い廊下だね。どこまで続いているのだろう」


「進んでみましょうよ、ヴァン」


 彼女の高揚した気持ちがうつったのだろうか。ヴァンドーナ自身も内に秘めていた好奇心を刺激され、目の前に差し出されたささやかな探求の旅の(いざな)いに、先ほどまでの懸念を忘れた。


 ルレアとともに、長い廊下を進んでゆく。


 右を過ぎゆく幾つもの窓の外は、緑と陽光に満ち溢れて眩しかった。左のほうは、庭か植物園でもあるのだろうか、反対側よりは幾分か穏やかな光に満たされた空間と、さまざまな色の植物が見えている。


「中庭かしら」


 同じものを見ていたらしいルレアが口を開いた。


「かもしれない。文献で読んだような、南方の種類みたいだけれど。熱帯植物みたいな」


「あとで行ってみましょ!」


 どこまでも続いているかにみえた空間であったが、きちんと終わりがあった。大きな両開きの扉の前に、衛兵がふたり立っている。


 訊ねてみると、この扉の向こうは『謁見の間』であるらしかった。中を見たかったが、その時刻ではないからと断られてしまう。代わりに、この折れた先を進めばさまざまな部屋があり、さらに先には厨房や家事室、外には厩舎があるのだと教えられた。そこまで行かずに手前の通路を右に進めば、王宮の東区域に位置している《図書館棟》なる建物に至る通廊が延びているというのだ。


「図書館棟……? あの、世界にふたつとない貴重な魔導書や歴史書が保管されているという場所ですよね。おとうさまの書庫にもないような本が、たくさんたくさんあるって」


「気になるなら、行ってみようか?」


「はい!」


 満面の笑顔のルレアに、ヴァンドーナも思わず微笑んでしまう。屋敷からほとんど出たことがなかったふたりにとって、父の書庫でむさぼるように読んでいた書物にあった王宮を実際に訪れることができたのは、念願かなった嬉しいこと以外の何ものでもなかったから。




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