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2章 王宮での邂逅 2-3

 夕暮れが過ぎ、漆黒の屏風に振りまかれた銀砂のごとき夜空の下、ヴァンドーナたちを乗せた馬車は街道沿いにある交易都市テミリアにたどり着いた。


 馬車を御していた者に休むように伝え、ルキアスは眠りこんだルレアを抱えて宿に入った。


「さきほどの件だが」


 ルレアの寝かされたベッドのある寝室から、続き部屋となっている隣室で、ルキアスは切り出した。


 ヴァンドーナは途中まで飲んでいたあたたかい飲み物を置き、魔導の師であり育ての父であるルキアスの言葉に耳を傾けた。


「今回王宮に呼び出されたのは、他でもない、王ご自身の意思なのだ。有事の際に使えるよう、王宮に設置してきた魔導による仕掛けがあってな。言葉を魔法で即時に届けることができるものだ。その仕掛けは王とわたししか知らぬ内密の緊急信号でもある。そして届けられた伝達は」


 そこでルキアスはわずかに間を置き、何事か気配を窺っているようだった。すぅすぅと規則正しい寝息が続き部屋から聞こえる。ルキアスは声を低めたまま、言葉を続けた。


「『危機が迫っておる。すぐに手を打たねばならぬ! 魔闇が余を喰らい尽くす前に』というものだ」


 聞いたヴァンドーナは目をすがめた。語るルキアスの横顔に、尋常ならざる不安と焦燥に揺れる影を見たと思ったからだ。それは部屋に灯されていた蝋燭の炎のせいではないだろう。


「急ぎ……なのですか。なぜ《転移の門》を使われなかったのです?」


 目の前の聡明なる魔導士が、そのように簡単なことを思いつかなかった訳がないと承知しながらも、彼は尋ねずにはおれなかった。王宮と屋敷とを瞬時に繋ぐことができる、魔導の技による移動手段のことである。遥かいにしえから伝わる技術が、現代でも魔法使いたちによって活用されているのだが――。


「使えなかったのだ。王宮側で、魔法の発動を妨げた者がいる」


 そのいらえを耳にして、意味を理解し、ヴァンドーナは背筋に冷たいものを感じた。


「西棟の上階にある《転移の間》は、誰彼構わず出入りできる場所ではない。此度こたび、王宮就きの魔術師となった者が、なにやら不穏な動きをしているとの噂を聞いていた。予見は悪いほうへ向かうばかりだ。直接的な移動手段しか残されておらず、こうして馬を飛ばして馳せ向かっているのだが……ヴァンドーナ、ルレア、そなたらを何日も屋敷へふたりきりで残してゆくわけにはいかなかったのだ」


「なぜです?」


「そなたらは、計り知れぬ価値を内に秘めておるからだ」


 ルキアスは大きな両の手を、息子として愛している少年の両肩にずしりと乗せ、互いの眼をしっかと合わせた。


「よいか」


 ルキアスは言った。厳しくも温かな、低くよく響く声音で、励ますように力強く。


「そなたの内にある魔導の力は、そなたが考えている以上に強大かつ有益なものだ。いついかなるときも水鏡のようにたいらかに心を澄まし、瞳を凝らして物事の奥深くに隠された真実を見極めよ。表面を掻き乱さんとする波紋には、決して惑わされてはならぬぞ」


「……はい」


 ルキアスがこのようにして語ることには、いつも意味があった。ヴァンドーナは言葉を心に留め、素直に頷きながらも、なぜ父がこのように言ったのかという真意にまでは到達できなかった。漠然とした不安を感じてしまう。


「己を信じよ、ヴァンドーナ。不安に思うことはない。だが、これから向かう先では、よく心しておくのだぞ。わたしも王宮に近づくごとに不穏な兆しを感じずにはおれないのだ。何が起こっているのか――あるいはこれから起こるのか、常に心と瞳を研ぎ澄ませていなければならないのは確実なようだ」


 ルキアスは言い、すっかり冷めてしまったテーブルの上の飲み物を魔導の技でぬくめた。


 その魔力マナの輝きと流れを目で追いつつも、ヴァンドーナはさきほどの言葉を脳裏で反芻していた。ルキアスの低いがよく通る声が、揺らめく蝋燭の灯りとともにやんわりと響いた。


「飲んだら寝よう。明日の朝も早く出立するぞ。陽が天頂に差し掛かる前には、王都に着けるだろう」




 優しげな風が吹き渡り、野に咲く花や草の原が、一斉におじぎをしながら楽しげな音を立てていた。


 朝早くに地表を白闇に沈み込ませていた重苦しい霧は、燦然と輝く陽の光に照らされ、すっかり消え失せていた。その名残のような白い影が、大河ラテーナの水面上にぼんやりと浮かんでいるのみである。


「すてき! 見てください、ヴァンあそこ!」


 ルレアの弾むような声に顔を上げたヴァンドーナは、前方へ向けた視線の彼方に横たわる白亜の城壁を見た。


 大河ラテーナは急速にその水量と川幅を増し、いつのまにか広大な三角州エスチュアリーとなっている。右手に見えていたカクストア大森林は遥か奥へと引き下がり、よく整備された農地や街路、真新しい家屋が並び増えはじめた。


 都市を囲っている城壁にはまだかなり距離があるというのに、旅人や隊商に交じって多くの住人たちの行き交う姿が見られるようになっていた。


「王都はいま急速な人口増加を迎えておる。周辺国のみならず、遠方より戦地をのがれて安住の地を捜し求める者たちが、ここまでたどり着いているのだ。大陸内に、争いを好まず和平を望んでいる国家は少ない。人口増加によって生じる住居や食料の確保は、いまの王都が率先して取り組むべき問題でもあるはずなのだが」


「……それに治安も、でしょうね。文化もさまざまな者たちが集まって暮らすならば、衝突することもあるでしょうから」


「その通りだ。王宮では、人口増加に伴う仕事の斡旋の狙いも含め、異文化間の問題に対応できる人員を増やし国力を強化するために、さまざまな雇用を推し進めておるのだ。有能な人材であり、ある程度身元の保証のある者ならば要職を任される場合もある――」


 ルキアスが投げかけてきた意味ありげな視線から、ヴァンドーナは昨夜聞いた新しい宮廷就きの魔術師のことを言っているのだと理解できた。


「種族間の違いは、それほど気にすることもないのではありませんか? グローヴァー魔法王国の時代から、わたしたちの祖先は平等に暮らしてきたのですから」


 窓から顔を出して景色を眺めていたルレアが席に座りなおし、首をちょこんと傾げるようにして言った。


「文化の違いといっても、そんな些細なことで争うなんて。だってみなさん、戦争がいやでソサリアに来たんでしょう?」


 ルキアスは深く腰掛けたまま、窓の外に目をやった。王都を囲む城壁の門に着く手前で、あまりのひとの多さに馬車が立ち往生しているのだ。こちらの様子を目に留めたのであろう、門脇に設置されている詰め所から、慌てたように数名の兵士が駆け出てきたのを目で追いながら、ラウスミルトの領主ルキアスは娘の言葉に答えた。


「住んでいた国が敵国同士であった場合、愛する者や子を戦乱で奪われた者もあるのだ。復讐や憎悪を捨てきれぬのがひとというもの。小競り合いや盗みなどの争いの種、そして意見の衝突も多かろう。ラウスミルトの民であれば、譲り合うことや助け合うことが当たり前のこととして浸透しているが」


 そこまで語ったとき、馬車の外から呼ぶ声がして、うやうやしく扉が開かれた。制服の下に鎧を着込んだ兵士が、畏まりながら立っている。


「ルキアス卿! まさか門から馬車でおいでだとは思わず、このようなお手間を取らせてしまい申し訳ありません。――どうぞこちらへ。徒歩になりますが、それが一番速いだろうと思われますので。さぁ、どうぞ。王宮までご案内いたします」


 人波の中で動くことができなくなった馬車から降り、ヴァンドーナたちは兵士に案内されて王都への門をくぐった。


 ひとびとの群れは、戦乱から逃れてきたばかりの者たちがほとんどであった。着ている襤褸ぼろ布に黒い血跡が点々とついたままの者や、痩せこけた子どもを抱える母親らしき女性の姿、繋ぎあった手を離すまいとしながらもひとの波に流されてゆく姉弟など、ひどく悲しげで痛ましい光景ばかりがヴァンドーナの目についた。


「……戦争、か……」


 低く発せられたつぶやきは苦い味となって口蓋に残り、いつまでも消えてくれなかった。





 王都のメインとなる大通りは、ヴァンドーナたちがくぐった南門から王宮の正面門まで真っ直ぐに続いている道であった。


 道はほぼ碁盤の目状に整備されており、幅広く、石畳のひとつとして割れたものがなかった。そこかしこに市が立ち、驚くほどに多くのひとびとが行き交っているにもかかわらず、馬車が互いを避けることなくすれ違えるほどの余裕が確保されている。


 他国から来た者たちは、身元の審査が終わらない限り街中まで入れないとのことだ。道すがら兵士が語った。以前より簡略化されているとはいえ、相当に時間と手間がかかるらしい。


 それであの混雑ぶりなのか、と理解できる。理解はできたが、納得までは至らなかった。


 王都の南半分は住宅地や商業区域だ。そこには飛び抜けて背の高い建造物が存在しないので、さらに奥、東から北区域にかけて、きらきらと昼の陽に輝く尖塔を有する大聖堂めいた建物がいくつか、病院らしき大きな建物や図書館だろうと思われる外観の建造物が通りからも眺められた。


 建物の屋根の並ぶ背後のそこかしこに、緑なす木々の盛り上がった間隙かんげきがある。王都で暮らす民が憩うための公園があるのだろう。


「ねぇヴァン。なんだか潮の香りがしませんか?」


「そうだね、確かに」


 風の吹いてくる方向を探り当てて西側に眼を凝らせば、陽光に揺らめく向こうに帆船らしき帆柱の影がいくつも見えた。大きな港と隣接しているはずなので、その方向に海があるのだろうと思われた。


 そして、通りをただひたすらに真っ直ぐ歩き進んでゆくその先――白亜に城砦と、背後に横たわる巨大建造物。


「これが……そうなのか」


 魔導が宿るヴァンドーナの瞳には、魔法陣の影響によって生じる揺らぎのような膜がヴェールのごとく幾重にも重なりつつ建造物全体を包み込み、すっぽりと覆い尽くしているのが見えた。展開されている魔法は守護の結界のようであり、維持の魔法のようでもあり、他にも多種多様な魔法の干渉が織り込まれているようである。


 あまりに数と種類が多すぎて、また互いに重なり合うようにして強め合っていたので、瞬時にすべてを把握することができないほど多種多様な魔法がその建造物を守っているのであった。


「これが『ソサリア王宮』だ。建造されてもう千年近く揺るぎなく、変わりなく、ここに在り続けているといわれている」


 白亜の建造物を前にして、ルキアスが言った。




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