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1章 魔導の転生 1-1

「生きていますか、もしもし?」


 その声は優しかった。たとえるなら、静寂しじまに流れる森のせせらぎのように耳に心地よく、野の花をそっと揺らす春風のように穏やかなぬくもりに満ちて胸を撫でてゆくのだった。


「うーん、それとも、返事がないただのしかばねさん?」


 のんびりとした口調はやわらかく、とがめも緊張もまったく感じられない。(ほが)らかな口調はおとなびているが、舌を丸める子猫のような発音は間違いなく幼女のものだ。


 まぶたを透かして白い光が見える。ときおりその光が途切れるのは、遮るように誰かがこちらの顔を覗き込んでいるからだろう。誰かが――声の主が。


「ふしぎ。おケガもないみたいだし、ご病気ともちがうみたい。うぅーん」


 まるい頬を膨らませ、くちびるをとがらせて懸命に考えこんでいるらしい。声の印象から勝手にそんな様子が目に浮かんで、つい笑いがこみあげてしまう。


「あ、動いたっ」


 喜びと好奇心が入り混じったような声とともに、ポンとちいさく手を打ち鳴らしたような音。


 タイミングからして、こちらのことだろうか。ぼんやりとした意識の主はそう考えた。


 パチン、と弾かれたように、夢見心地だった感覚が、ふいにはっきりしたものになった。まず感じたのは胸を打つ小気味良いリズム――心臓の鼓動だ。(すず)やかでひんやりとした大気が喉と肺を押し開いて流れ込み、大地の固い感触が背中を押している。指先が動き……まばゆいほどの光に眼球の奥を刺激されながらもまぶたを()じ開け、ぼやける焦点をようやく合わせた。


 彼は驚いた。すぐ目の前に、吸い込まれそうなほどに綺麗な瞳があった。まるで小宇宙を覗き込んでいるかのような。


 それは現実でも映画でも、今までの人生で一度も目にしたことのないほどになじみのない色彩――地平線に現れたばかりの太陽のごとく、清らかに澄んだオレンジ色だったのだ。


「ぜんぜん動かなかったから、心配しちゃいました」


 さきほどから聞こえていた声が弾んだ。瞳が揺れて微笑むように細められ、少しだけ遠ざかったので相手の姿の全体がこちらの視界に入る。


 夏空のように()(さお)な空を背にして、蜂蜜色の髪が光に透けてやわらかに揺れていた。まるで世界一の人形師が丹精をこめて作りあげた外観に、内側からたましいのもつ光そのものがあふれ出しているかのような。


「ご無事で、よかったです」


 少女は安堵したように笑い、こくんと大きく頷いてみせた。白磁のように肌理きめ細かな肌が、ほんのりと桜色に染まっている。


 あまりに非現実的な状況の中、彼はいまだぽかんと相手を見つめていた。


 伸びやかな手足はすこやかそのもの。胸から腰までの細い線は、ふわりと裾の広がる薄桃色の衣服に包まれている。優美な弧を描く眉は優しげで、ちいさな鼻梁は可愛らしく整い、ふっくらと瑞々しい唇は咲きそめの花のひとひらを思わせた。金色のまつげは微笑むとオレンジ色の瞳にヴェールのごとくかぶさったが、それは隠すというよりむしろ特徴のある瞳をいっそう際立たせていた。


 まだ幼女といってもよい歳なのが惜しいくらいだ。おそらくあと十年ほどすれば、素晴らしく魅力的な肢体をもつ女性に育つことだろう。


 忘れ果てていた呼吸に気づき、吸い込むと、少女の肌と髪から発散されるあまやかな香りが鼻腔いっぱいに広がった。おかげで眩惑と陶酔のあまり、もう一度息を詰まらせるところであった。


 少女はもう一度にっこりと微笑み、こちらを気遣うように顔を近づけながら言った。


「あなたのからだに流れる魔力マナ、おかしなところはないみたい。立てますか? ここはとおぉっても危険なところなの」


「……ッ……?」


 親切な少女にこたえようとしたのだが、喉から音が出てこなかった。それどころか咳き込みかけてしまう。言葉は理解できたのに、からだのほうが発音に反応できなかったらしい。


 焦って起き上がろうとしたとたん、まるで久しぶりに動かしたかのように筋肉が突っ張りバランスが崩れた。


 ぐるんと視界が回り、見えたのは青い空と蜂蜜色の光の滝だ。吐息が片頬をかすめ、もう片方の頬はやわらかな薄絹に押し付けられた。


 ようややくめまいから回復し、周囲を眺め渡す。


 緑に覆われた自然の樹木、生い茂る草や低木、名も知らない野花……そして舗装されていない小道が視界に入る。アスファルトなどではない、尖った石ころだらけの固い大地だ。


 そんな地面に激突するところを少女が腕をのばして頭部に抱きつき、なんとか護ってくれたらしい。


 自分より遥かに歳下の少女に助けられるとは――自分が晒しているだろう醜態に、頬がカァッと熱くなってしまう。


「だいじょうぶ。手伝いますから、ゆっくりと――ね?」


 少女に抱き支えられ、上体を起こしてゆく。


 だがそこで、まさに人生が変わってしまうほどに衝撃的な事実に気づいた。自分自身のからだの変化に。


 それでようやく合点がいった。少女と目の高さがあまり変わらない所以(ゆえん)に。倒れる自分を、非力そうな少女の腕が支えることができた理由に。


 その幼い少女と自分の背丈は、それほど変わらなかったのだ。




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