閑話 「逃がさないよ」
「逃がさないよ」
闘技場から出て行く後ろ姿を見つめ、フェイは小さく呟いた。
「フェイさん?」
呟きを耳にしたのか、フェイの隣にいた勇者が首をかしげる。
「何でもないよ」
フェイは優しく微笑んだ。
勇者は不思議そうにしていたが、やがて視線を闘技場に戻した。そこには武道大会の優勝者と準優勝者がいる。
悔しそうな顔を隠さない弟子をチラッと見て、フェイは勇者に視線を戻した。
2ヶ月前に異世界から召喚されたばかりの、黒髪黒目の幼いながらも整った顔立ちの少年。魔王討伐の切り札。
不安も戸惑いもまだあるだろうに、必死に押し隠して前を見つめている。
魔物は増え続け、最近では凶暴化しつつある。もはや一刻の猶予もない情勢だが、彼はいまだサニエスタ王国の王宮から出たことはない。正確には王宮に閉じ込められているというべきか。
切り札だけに、軽々しく行動されて、呆気なく死んでもらっては困る、という王国の思惑である。
にもかかわらず、彼女は勇者を見つめていた。
フェイは、あの瞳を100年前にも何度か見た覚えがあった。誰にも言えずに、何かを抱え込んでいるときの、思いつめた瞳だ。
それを聞くことが自分の役目だとフェイは決めている。
だから。
「どうかしましたか?」
勇者が再び彼を見る。見つめすぎたらしい。
「いや」
短く否定して、フェイは視線をこの国の国王に移した。
「では、陛下。無事に勇者のお仲間も決まったようですし、僕は本日をもってお役御免ということでよろしいですね」
有無を言わせぬ口調で話しかければ、王をはじめ重臣たちも、そして勇者も驚いたようにフェイを見つめた。
サニエスタ王国の上層部としては、勇者の仲間を選抜したあともフェイに王国に留まってもらうつもりであったのだろう。そして勇者の教育のためとか何とか理由をつけながら、彼を王国に組み入れるつもりだったに違いない。
だが、フェイがそれを受け入れる理由はない。
少しの沈黙ののち、王が慌てたように口を開くが、フェイはそれを遮るように告げる。
「最初のお約束では、僕が勇者の仲間になるのは武道大会で認められないほど弱い者が優勝した場合ということでしたが、もちろん僕の弟子は僕が認めた者ですし、その弟子に勝った黒髪の彼にも問題ありません。彼らのほうが伸び代がありますし。僕が認めた弟子が信じられないということであれば、僕も信じていただけないでしょうし、信じていただけるのであれば、人数面からいって定員オーバーですよね。どちらにしても僕は不要となりますので、本日をもちまして城下へ下がらせていただきます」
にっこりと有無を言わせない笑みを浮かべたエルフの美形魔法使いは、王たちの声に耳を傾ける気はなく、もう一度勇者を見た。
「勇者ケント」
「は、はい」
「僕の弟子を、エリンをよろしく頼みます。少々わがままなところはありますが、人の言うことが聞けない子ではありませんので」
フェイは深々と頭を下げた。
勇者は目に見えて慌てだす。
「え、え? あ、あの、フェイさんはこのままここにいてもらうわけには・・・」
その声に、王たちが期待のこもった眼差しを向ける。
しかし。
「ダメ」
「なんで!?」
「君が今後頼るのは僕じゃなくて彼らだよ。僕がいると邪魔になる」
大会の優勝者たちを視線で示す。
「あ・・・」
ケントは馬鹿ではない。説明すれば理解もするし納得もする。足りないのは経験なのだ。
「応援してるからね」
「・・・はい、ありがとうございます」
ケントは仕方なさそうに頷いた。
「じゃあ、これで」
王たちがまだ何か言っていたが、フェイは無視した。
その場で『魔力探知』を使う。探知対象はもちろん彼女である。
魔法が使われたことに気づいた黒髪の魔法使いと弟子のエリンが顔を上げた。
「師匠?」
フェイは弟子の声にも答えず、探知範囲を広げていく。時間にして数秒。
「見つけた」
呟きと同時に『転移』を発動させる。
フェイの姿は、その場所から一瞬で消えた。
フェイが簡単に使った『転移』だが、一般の魔法使いには簡単ではない。
まず魔力が足らない。『転移』はフェイでも保有魔力の3分の1を消費する魔法だ。一般の魔法使いならば全魔力を差し出しても使えないのである。
次に、一般に言う『転移』は、明確に場所をイメージしなければ発動しない。『魔力探知』で探知した場所を目標にして転移する、というのは離れ業中の離れ業で、現在この世界で使えるのは、フェイとユーリぐらいだろう。
つまり、彼が使用した『転移』は、一般の魔法使いから見れば、あり得ない高等技術なのである。
それはともかく、彼が転移したのは大通りだった。冒険者ギルドが見える。
キョロキョロと見回してターゲットを探すまでもなく、彼女は目の前で乱闘中だった。
彼女と男たちを大きく囲むようにして見ていた野次馬たちは、フェイが登場したことで一気にざわめいたが、彼女が一人目の男を蹴り倒すと、しーんと静まり返った。そのあとの、二人目と三人目はほとんど同時に倒れたように見えただろう。当然、フェイにもわからなかった。
彼女の腕は衰えていないようだと見て、彼女が四人目の男を攻撃する前に話しかける。
「そのへんにしたら?」
「一人だけ見逃すって、他の人たちに悪いでしょー。仲間なんだから仲良くしてもらわなくちゃ」
その返事を聞いて、性格もあまり変わっていないらしいと思わず微笑んだ。
彼女が足払いをかけて、最後の一人が撃沈する。
「終わり?」
「そうみたい」
振り返った彼女は、紛れもなく100年前にともに魔王討伐をした仲間であり、当時の勇者であり、フェイが愛した少女ユーリ。・・・もう少女という年齢ではないだろうが。
「あたし、今見た通り、トラブル中なんだけど? 偉大なる魔法使い様を巻き込みたくなくて逃げたのに、追いかけてこられたら意味ないじゃないの」
水臭いと思いながら、そういえばと思い出す。ユーリは昔も他人に頼る性格ではなかった。だから、いつもフェイが気づいて声をかけていたのである。
「せっかく再会したのに、そんなこと言うんだ? 僕とユーリがいて解決できないトラブルなんてないよ」
再会を嬉しく思う反面、疑問に思う。彼女はこの世界の住人ではない。異世界の人間で、100年前自分の世界に還ったはずなのである。・・・つまり、フェイは100年前に振られたのだが。
「はぁ、やっぱりかー」
疑問が表情に出ていたのだろう。彼女は苦笑いを浮かべ、ついてくるように言った。
フェイは、ユーリが泊まっている宿屋の一室に案内されて、彼女の話を聞いた。
勇者ケントが彼女の弟だと言われて、とても驚いた。
正直に言って、二人は全く似ていない。
ケントは長身で引き締まった身体に健康的な肌色、整った顔立ちで凛々しい。自信がつけば、彼が勇者だと紹介されて疑問に思う人はまずいないだろう。
一方でユーリは典型的な一般女性である。プロポーションは悪くないが、美女とは言い難く、これといって特筆すべき点もない。勇者だと信じてもらえず、同行した王子を勇者に仕立て、本人は従者のふりをしたこともあった。懐かしい思い出である。
この二人が姉弟。彼女の言葉でなければ、フェイは信じなかった。
そして、弟に同行するのかと思いきや、別行動をとるとのこと。しかも、彼女は自分の存在を黙ったままにするつもりらしい。
抱え込んだユーリが潰れないように注意しなければ、とフェイは己を引き締めた。
宿屋の話も終えて、懐かしい思い出話に花を咲かせていると、トントンとドアを叩く音がした。
フェイは誰と声に出さずにユーリを見る。彼女は彼を見つめ返して首をかしげた。どうやら心当たりはないらしい。
「はーい」
ドアを開けるユーリを見て、知り合いならば『魔力探知』を使えばすぐにわかるのに、とフェイは苦笑した。彼女は日常生活ではあまり魔法を使うつもりがないのかもしれない。
ドアの向こう側に立っていたのは、武道大会の優勝者だった。フェイは気にしていなかったので名前を聞き流していたが、相手はフェイの存在に大いに驚いたようだ。
「フェイ様・・・?」
「うん。知り合いなんだー。それより、ゼン、こんなとこにいていいの?」
ユーリがそう言えば、彼はそれ以上フェイとの関係を問うことができない。どこか不満そうだ。苛立たしげにも見える。
不満といえば、フェイもである。知り合いなどという安易な言葉で関係を示されるのは不快だ。そんな他人一歩手前の関係ではないと自負しているだけに。
「いや・・・、宿を出ることになったから荷物を取りに来たんだ」
「そっか。優勝おめでとう。これから王宮?」
「ああ。ありがとう。優勝するとは思わなかったんだが・・・」
照れたように頭をかく男。
ユーリは微笑んだ。
「ううん。ゼンは強いよ。勇者と魔王討伐がんばってね」
「そうだな。勝ったからにはやらないとな」
「そうそう」
にこやかに魔王討伐を促す彼女の思惑は、おそらく弟のお守りだろう。
「宿屋のこと、中途半端になって申し訳ない」
「ううん。大丈夫。フェイもいるし。何とかなるよ」
「・・・そうだな。偉大な魔法使い様だもんな」
やや自嘲的な口調。その瞳に宿るのは嫉妬の炎か。
フェイも覚えのある感情だ。
男は彼女に告白しようと思っていたのかもしれない。だとすれば、彼女の部屋にフェイがいるのを見て誤解しただろう。
そう思っても、フェイは訂正しようとは思わなかった。
勝手に思い込んで勝手に諦められる程度の想いならば、さっさと諦めたほうが本人のためである。彼女に告白したところで、結果は見えているのだから。ゆえに、フェイは傍観した。嫉妬心が全くないとは言わないが。
ユーリは美人ではない。顔立ちも体型も彼の同族のほうが遥かに整っている。だが、フェイが愛したのはユーリだった。
外見ではない何かに惹かれたのだろう。
そして、100年過ぎた現在も、彼女以上に気になる存在はいない。
「じゃあ、元気で」
「うん。またねー」
またねと言われただけで少し浮上したらしい。男の顔に照れたような笑みが戻っている。
また会うのが彼女の弟のついでだとしても再会には違いない。
「またな」
パタンと軽い音を立てて扉が閉まった。
その瞬間、彼女の横顔から表情が抜け落ちるのをフェイは見た。
「ユーリ」
「ん? どうかした?」
彼は咄嗟に名前を呼んだが、振り向いたときの彼女はいつもの彼女だった。
その一瞬に、彼は過ぎ去った年月を感じた。
もうあの頃と同じではないのだと。
落ち込んだ顔なら見たことがある。悲しそうな顔も何度もある。
しかし、こんな全ての感情を切り捨てたような表情のない顔を見るのは初めてだった。
「ううん。何でもない」
「変なフェイ」
それは大人の女性の貌。
彼女がゼンという男をどう思っているのかはわからない。
もしかしたら彼女もあの男を好きなのかもしれない。ただ都合の良い男と思っているだけかもしれない。それとも・・・。
いずれにしても、彼女が感情を隠した以上は、その先を根掘り葉掘り追及するのは野暮というものだろう。フェイは彼女の恋人でも何でもないのだから。
彼女はもう保護すべき少女ではない。一人の女性なのだ。
それでもフェイは護りたい。護りたいから彼女とともに進む。
ありがとうございます。
書けば書くほど、ゼンが不憫に・・・。




