表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サムライ熱  作者: モギイ
3/4

その3

 こうして私は誠二郎さんと恋仲になった。恋仲と言ってもキス以外には恋人らしいことはしなかった。ただ傍にいるだけで満ち足りた気持ちでいられたのだ。


 私はこの先もずっと彼と一緒にいるつもりだった。私が子孫を残さなければ彼の因縁もそこで消える。そうすれば私が死ぬと同時に彼も成仏できるだろう。正気の沙汰ではないのは分かっていたけれど、誠二郎さんと別れるなんて考えたくもなかった。霊に取り憑かれるというのはこういうことを言うのかもしれない。


 彼が生まれたのは二百年近くも前の事だったから実に色々なことを知っていた。 死んでからは私の先祖の家に住み込みで祟っていたので、私の家の歴史にも詳しい。私が生まれてからのことも彼はよく覚えていた。


「美緒殿には昔から欲というものがございませんでしたな。義彦殿に物をねだって困らせるいうこともありませんでしたから拙者は心配しておりました。欲や競争心がなくては人間は伸びませんからな」


「別にいいじゃない。それで困ったことはないんだから」


「確かに将来有望な弁護士に言い寄られながら、幽霊で満足できるのは美緒殿ぐらいでございましょうな」


「やめてよ。あの人は不気味なの。幽霊の方がずっとましだってば」


 それに私に欲がないわけじゃない。手に入らないと分かれば、すぐに別の選択肢を探せばいいと思っているだけだ。志望校も然り、就職先も然り。一つの物に固執する必要なんてないんだから。


「あの小さな美緒殿がよう立派になられましたな」


「誠二郎さんは歳をとらないの?」


「死んだ当時から変わらぬようでございます」


「それじゃ私だけ歳を取っちゃうよ。誠二郎さんは構わないの?」


 彼は答えなかった。その時の彼の目が妙に悲しそうに見えたのだけど、私はすぐに忘れてしまった。



           ******************************





 その夜、私はまた突然に目を覚ました。金縛りにはなっていなかったが、それよりも遥かに不快な得体の知れぬ不安が私の胸を締め付けていた。佐久間さんと初めて出会った時の胸騒ぎに似ていた。


 何かが起きようとしている。


 上体を起こせば、目の前に誠二郎さんが立っていた。


「美緒殿、お別れの時が参りました」


「誠二郎さん?」


「ようやく冥土へと渡る決心がついたのでございます」


 唐突に言われて私はうろたえた。


「幽霊が居ついておりましたら美緒殿はボーイフレンドを連れてくるわけにいきませぬからな」


「何を言ってるの? 私はあなたが好きなんだよ」


 誠二郎さんはゆっくりと首を横に振った。


「もう美緒殿もお気づきでございましょう。拙者との暮らしは美緒殿のお体に障るのです」


「今までは大丈夫だったでしょう? 急にどうして?」


「美緒殿との距離が近くなり過ぎたのでございましょうな。本来ならば拙者はこの世にいてはならなぬ存在……亡者なのです。これ以上美緒殿に負担をかけるわけには参りませぬ」


「……じゃあ、誠二郎さんは……成仏……できるのね?」


「いえ、地獄へ真っ逆さまでございましょう。他人を恨み、ましてや祟るなど人として最低の所業でございますから」


「そんなことないよ。悪いのは私のご先祖だもん。私の看病をしてくれたから帳消し。ね、そうでしょ?」


 彼が笑った。


「それでは参ります」


「え、もう?」


「祟らぬと決めたからには、留まるわけにはいきませぬからな」


「嫌だよ。もう一度……もう一度だけ祟ってよ。まだ恨みは晴れてないんでしょう?」


「実を申せば恨みなどとうの昔に消えておりました。この世におりもせぬ者を恨む虚しさは拙者とてよく分かっております」


「じゃ、なんで私を祟ってたのよ?」


「祟らねば拙者がここに存在する理由がなくなってしまうからです。大義名分という奴ですな」


 彼は笑顔を浮かべた。


「拙者、生前は地獄を見せられ、死んでからは人様に苦しみを与えてまいりました。なんと悲しく虚しい人生でございましょうか。一度はこの世に生を受けながら、何も成し遂げぬまま消えてしまうのはあまりに悔しい、さりとてどうすればよいのかも分からぬまま現世に留まり続けておりました。美緒殿と出会い、拙者は初めて喜びというものを知りました。美緒殿、あなたが拙者をこの苦しみより解き放ってくれたのです」


「わけが分からないよ。幸せなんだったらこのままでもいいじゃない」


「美緒殿と出会い、現世への未練が強くなったのは紛れもない事実。しかしながらあなたを想う強い気持ちは拙者にその未練さえ断ち切る力を与えてくれたのでございます。拙者が留まれば美緒殿を不幸にするだけ。それは拙者が一番望まぬことでございます。どうかご自分の幸せを見つけていただきたい」


 彼は何を言ってるんだろう? 私の幸せは今ここにあるのに。


「そんなの嫌だって言ってるでしょ?」


「美緒殿?」


「私、初めて本当に欲しいものを見つけたの。誠二郎さんさえいてくれればそれでいい。だから……」


「お気持ちは嬉しゅうございます。ですが拙者は亡者の身。自然の理に反した行いがこれ以上許されるはずもございません。最後に美緒殿と心を通わせることができ、拙者は幸せでございました。これで心置きなくあの世に参れます」


 何を言っても無駄なんだ。彼が決心を変えることはないだろう。死んでいたって彼はサムライなんだから。


「じゃあ、約束して。次に生まれ変わったら一緒になろうよ。それならいいでしょ?」


 私は右手の小指を彼に向かって差し出した。誠二郎さんの小指が私の小指にそっと絡まる。


「針千本だからね」


「ああ、美緒殿。かたじけのうございます」


 彼の小指が私の指を強く締め付けたかと思うと、彼の姿はもうどこにもなかった。



           ******************************





 朝起きたら、お茶碗と湯飲みがテーブルの布巾の上にきちんと伏せてあった。炊飯器ではちょうどご飯が炊き上がり、鍋には味噌汁、小鉢に分けられたおかずは冷蔵庫の棚に並べられている。


 『栄養のバランスにご注意ですぞ!』


 達筆のメモをみて私は泣いた。誠二郎さん、やっぱりあなたは怨霊だ。私に恐ろしい呪いを残していった。あなたよりいい男なんて見つかりっこないんだから。代わりなんてどこにもいないんだから。




 それからは熱を出さなくなった。




           ******************************





 一年後、私は佐久間さんと付き合っていた。付き合っていたと言うと語弊がある。彼と頻繁に外出する関係になっていたという意味だ。


 誠二郎さんがいなくなってからは何もかもがどうでもよくなっていた。化粧もいいかげん、服装にも無頓着になって、傍目にも疲れて見えたと思う。佐久間さんからは相変わらずメールが送られて来たけれど開きもしなかった。


 ある晩、アパートに佐久間さんが訪ねてきた。夕食に行こうという。支度に時間がかかるからと断ったのに、そのままでいいとジャージ姿の私を屋台のラーメン屋に引っ張っていった。私が断り切れなかったのはたぶん部屋に一人でいるのが辛くなってきていたからだと思う。


 仕事帰りの佐久間さんとみすぼらしい格好をした私とではどう見ても釣り合わなかったけれど、私は気にもしなかった。これで諦めてくれれば好都合だ。だけど、翌週になって彼は再び誘いに来た。今度はジャージを着てきた佐久間さんを見て、私は思わず笑ってしまった。その日もまたラーメンを食べに行った。


 それからは私はもっと身なりに気をつけるようになった。会話を交わすようになってみれば彼は普通にいい人だった。時折、傲慢とも思える発言をすることもあったが、それは内に秘めた自信から来るもので不快に思うこともなかった。加奈子が熱心に薦めてくれたのも今では理解できる。彼といてもあの時の胸騒ぎを感じることは一度もなかったし、それどころか最近は一緒にいると不思議に落ち着いた気持ちになれた。


 いつの間にか二週間に一度の食事が毎週になり、週に二度になった。 彼が私と会うときに眼鏡をはずすようになったので、私は不思議に思った。


「コンタクトに変えたの?」


「あれは伊達だよ。俺、初対面の人と話すのが苦手でさ、眼鏡が手放せないんだ」


「弁護士のくせに?」


「自信がないと思われたら仕事も来ないからね。眼鏡をかけないと法廷で足が震えるんだぜ。死活問題だよ」


「眼鏡ぐらいでそんなに変わるもの?」


「俺さ、小さい頃から人見知りが激しかったんだ。気も弱くてよくいじめられた。そんな自分が嫌で仕方なかったんだ。だから正義の味方になったつもりで母親の眼鏡で変身してみた。そしたら怖くなくなったんだ。なんだって言いたいことが言えるようになった」


「魔法の眼鏡みたいだね」


「自己暗示の一種だろうな。こう見えても結構単純なんだよ」


 彼が私に好意を持っているのは明らかだったけど、友達を超えた関係を迫ることはなかった。彼となら付き合ってもいいと思える。誠二郎さんだって私が普通の幸せを手に入れることを望んでいた。でも私にはどうしてもその一歩を踏み出すことができなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ