氷の鬼神
もうすぐ年が明けますね。ってことでこの後すぐにお正月の話でも書こうかと。
「――降矢千雪」
うっすらと意識がある中で、誰かが俺を呼んでいる。
威厳のあるような、そんな力強くて低い声。
聞き覚えがあるが……里長ではない。
「――勝手ながら夢枕に立たせてもらったぞ」
誰だ?
里長じゃないとすれば和尚か?
……いや、違う……この声は……!
「氷河っ!?」
「――思い出したようだな」
「どうして……てか、ここはどこだ!?」
うっすらとしていた意識がだんだんはっきりしてくる。
次の瞬間、急に視界が光に包まれたかと思うと……俺は雪原の上に立っていた。
「――これは夢だ。現実ではない」
気がつけば声の主が目の前に立っている。
「夢か……それで、何の用だよ」
俺は両親の仇である氷河を睨みつける。
本当なら今すぐ斬り掛かりたいが、これは夢だ。そんなことをしても意味が無い。
「――貴様に訊きたいことがある。我は今まで何をしていた?」
「は……?」
「――我は気がつけばあの刀から抜け出ていた。そして貴様の精神の奥深くの層にいる……何故そんなことになっているのか分からぬのだ」
「お前……覚えていないのか……!? お前はツキネに大怪我を負わせ、俺にも大怪我を負わせたんだ! そして俺にあの刀で喉を突かれて、俺の体を乗っ取ろうとしたんだぞ!」
「――そんなことがあったのか……すまない。だが、我は思い出せないのだ……」
「っ……思い出せない……だと……?」
氷河の様子が何かおかしい。
「――あぁ。今覚えている一番新しい記憶でさえも……かなり昔のものだ」
「じゃあ、お前は俺の父さんや母さんを殺したことも覚えていないのか……?」
「――我が貴様の両親を……?」
「っ!!」
こいつは二人の仇だってのに、その仇が二人を殺したことを忘れるなんてふざけてる……そんな話があってたまるか。
「ふざけんなっ! このクソ野郎っ!」
俺は拳を握りしめて殴りかかる。
「――っ。急に殴られてはたまったものではないな」
しかし、氷河に軽々と受け止められる。
殴られそうになったにも関わらずこんなに無表情でいられると、もう何を仕掛けても無駄だとさえ感じてしまう。
それに力の差があることはすぐに分かった。
俺は大人しく手を引く。
「お前は……たくさんの剣士を斬ってきたんだろ……それも覚えていないのか」
「――いや、我は我の半身である刀を酷使してきた者達を斬ってきた。それは覚えている。だが、それは単なる殺しが目的ではない。我を使うにふさわしい者かどうかを試していただけだ」
「何……?」
「――我の半身、妖刀『氷河』は危険過ぎる。使い手が未熟ならば、使い手自身の身を滅ぼすのだ。使えば使うほどにな。故に、我はそのような未熟者を斬り捨てた」
「斬り捨てるって……何もそこまでしなくたっていいだろ!」
「――斬り捨てる必要があるのだ。分からないようなら説明してやろう……我はその刀の中に眠っている魂のようなもの。その刀で何かを斬る度に刀は斬った相手の魂を喰らい、その喰らった魂は我の魂が目を覚まして実体化する糧となる。そして我が目覚めるということはその刀をそれほどまでに酷使した証なのだ」
「それが……なんで斬り捨てることに繋がるんだ」
「――強靭な力を使い過ぎた人間は堕ちていく。例に漏れずその刀の使い手達も力に溺れ、性格は横暴になり、最悪の人間性を形成していた。正しい心を持って我の半身を使えた者などほとんどいなかった。だから、我はそのような未熟者達を斬り捨て新たな使い手を探した」
「……」
こいつの話が本当なら、数百年前の氷河一刀流の使い手達は最悪の人間だったということになる。
そんな人間達の剣を……俺や父さんは継がされてきたのか?
嫌な考えが俺の頭を過ぎる。
「――ただ、我が最後に手合わせをした使い手だけは優れた人間性を持ち、正しい心で正しい目的のために妖刀を振るっていた。我もその人間に手を貸し、共に邪悪な妖怪を封じていたがな」
それを聞いて少しだけ安心する。
正しい心で使えた人もいたことにはいたのか……。
「――だが、巨大過ぎる邪悪な心を持つ妖怪の相手をしている途中に我は意識を失い……先ほど目を覚ましたのだ」
「……でも、お前は確かに俺の両親を殺したんだ」
「――ふん……貴様、先ほど我の喉を突いたと言ったな。その時、我はどんな様子だった」
「え? ……直前に俺に肩を斬られて、斬られたことによって取り乱してたよ。だから、その後は斬るのも簡単だった」
「――そうか……もしや」
「どうした」
「――我は精神を完全に乗っ取られていたのかもしれない……最後に戦った妖怪によって。そしてそのままの状態で数百年の間封印されていた……だが、先日貴様に斬られたことで元の精神を取り戻せた……そう考えてみたのだ」
可能性はゼロではない。
しかし、その考えをどこまで信じていいものか……。
「でも、それならなんで今なんだ? 俺がお前を斬ったのは一週間以上も前だ」
「――分からぬ。だが、何か力を感じたのだ……」
「力……?」
「――貴様、あの妖刀を使ったのか?」
「……」
静かに頷いてみせる。
確かに今日、鎌鼬を斬るのに使った。
「――それだな。先ほど目覚めたのもそれで説明がつく」
「そうか……」
「――とはいえ、まだ分からぬことばかりだな……ときに降矢千雪。貴様、我と手合わせをしろ」
「なんだと……?」
「――貴様もあの刀を使う者なのだろう。我が貴様の力を見てやろう」
「……ここは夢の中だぞ」
「――妖刀『氷河』はそこにある」
「なっ……」
俺が足元を見ると、そこには鞘に収められた『氷河』が。
夢の中は何でもアリということかよ……。
「――言っておくが、我は斬られたことで取り乱したりはしない」
分かってる。あの時の氷河は本気じゃなかった。
何故記憶が無いのかは分からないが……こいつがとてつもなく強いということは分かる。
俺は鞘から刀を抜き、目の前に構える。
氷河も手に氷で出来たあの時と同じ刀を持っている。
「――行くぞ」
「っ!!」
一瞬で距離を詰めてきた氷河は隙の無い動きで刀を薙ぎ払ってくる。
紙一重でそれをかわすが、氷河の次の攻撃が飛んでくる。
次は縦に振り下ろしてきたか……なら!
「もう一度突いてやる! 『氷柱』!」
相手が刀を振り下ろすと同時に半身になり、相手の喉を突く返しの型。
俺はこれで氷河から……。
「――ふん」
「刀を捨てた!?」
氷河は振り下ろそうとしていた刀をぱっと放し一瞬で身を引き俺の突きをかわす。
そしてまた一瞬で地に刺さった刀を抜き、斬りかかってきた。
俺もそれに応戦する。
鍔競り合いをしてお互いに一度離れた後、俺は先に攻撃を仕掛ける。
「――今のは妖刀を使った剣術のカウンター技。『氷柱』だったか」
「なんでっ! 知っている!」
氷河は俺の振るう刀を受け流しながら言った。
今は俺の方が攻めているはずなのに、余裕があるのはあっちだ。
そして、なんで『氷柱』を……。
「――我はその剣術を使う人間と共に戦ってきた。知っている」
「なら、これはどうだ!」
俺は一度氷河から距離を取り、飛び込むように距離を詰める。
次は攻めの型『氷雨』だ!
「――それも知っている。一瞬の間に相手を三段に渡って斬る『氷雨』だろう?」
「くそっ!」
氷河は『氷雨』の一撃目である逆袈裟切りを防ぎ、余裕のある態度を見せ付けてくる。
「――我も剣術を使わせてもらおう……これは攻めの奥義だったか。ふんっ」
「っ! 刀が!」
氷河は自分の刀で制していた俺の刀を弾き飛ばし、丸腰の俺の背後に素早く回りこむ。
俺は体を捻りつつ氷河から距離を取ろうとするが……。
「――『大氷山』」
「っ……ぁぁぁぁぁああ!」
体の全体が激しく刺されるような衝撃が走る。
下から突き上げてくるように襲ってくるその剣に、俺は為す術も無く吹き飛ばされる。
地にどさっと体を叩きつけられるが、痛みは無い。
夢の中だから痛みは無いのだろうが、衝撃は感じた……もしもこれが夢じゃなかったら、完全に命を落としていただろう。
「――どうやら勝負あったな」
「くそっ……」
「――この程度では我の力を貸すわけにはいかない」
氷河ってこんなに強かったのか。
気迫も技術も動きも……以前とは段違いだ。
「――だが、貴様……少しだけだが見込みもある。今はまだ力を貸せぬ……と言っておこう」
「……誰が……お前の力なんかっ」
「――貴様がこれから使っていこうと考えている刀も我の力の一部なのだぞ?」
「……」
それじゃあ……こいつに認められなきゃ、妖怪を倒すことも出来なくなるのか?
そんなんじゃツキネを守ることが出来ないじゃないか……。
「――ふん、まぁいい。刀の力だけは使うことを許してやる。だが……あまり使い過ぎるな」
「……それは忠告か?」
「――忠告だ。あの刀には、どうやら我とは別の意思が宿っていて……貴様の体を乗っ取ろうとしているようだからな」
「何!?」
「――それが何かはまだ分からない。だが、それを抑える役がいる以上安心していい」
「……お前は違うのか」
「――いや、我も隙があれば貴様の体を乗っ取ろうとしている」
「っ……」
「――そんなに強く睨むな。眠っている貴様に寄り添っている者がいる限り、我は貴様に全く干渉出来ぬ」
「え……」
それってツキネのこと……だよな。
「――眠っている時が一番乗っ取りやすいのだがな……それを見越しているかのようだ」
ツキネがいつも俺の布団へ来ている理由もそこにあるのだろうか……?
「――まぁいい。我はこれからも貴様の精神の深層で眠るとする……」
「ちょっと待てよ……」
「――なんだ? 貴様の私生活を覗くような真似はしない。我にはやることがあるのでな」
「そういうことじゃねぇ……お前の目的はなんなんだ? なんで俺の体に……」
「――我は何故、数百年以上もの間の記憶が無いのか知りたい。そして現代における妖刀『氷河』の使い手を見極めなければならない」
「……ギブアンドテイクってことか」
「――その言葉の意味はよく分からぬが……我は貴様に力の一部を貸す。代わりに貴様は妖怪達を斬り、我が抱える謎を解く手助けをしろ。そういうことだ」
「そうするしかなさそうだな……不本意だが」
「――だか忘れるなよ。貴様のことを未熟だと完全に判断した時は貴様の精神を喰らう」
「……くそ」
とんでもないじゃじゃ馬だな……こいつは。
「――今の貴様はまだまだ弱い。精々死なないようにするんだな」
「……」
言い返せない。
それほどまでの完敗を喫したのだから。
「――ふん……また会おう」
氷河は俺を尻目にそう言い残すと、ふっと消える。
結局、何がなんだか理解が追いつかないまま……か。
それに……俺、あんな奴に完全に負けたんだよな……ちくしょう……。
現実だったとしたら俺はあれで死んで、ツキネやキヌと離れ離れになって、二人を悲しませてしまうことになる。
そんなことを考えた瞬間……目頭が熱くなり、涙が溢れてくるのが分かった。
「弱い……な」
自分以外誰もいなくなった空間で、自分を嘲笑うように呟く。
この夢を現実にしないためにも……もっと強くなりたい。
「っ……」
俺はがばっと起き上がり、周りを見回す。
ふすま、畳、天井……いつもと変わらない寝室だ。
「……今日も」
ツキネはなんだかおかしな体勢で眠っている。
きっと俺に腕枕をしていたが、勢いよく俺が起き上がったせいで腕から転がり落ちたのだろう。
「ん……痛い……」
「あ、ごめん……大丈夫か?」
ツキネは頭を打ったのか、自分の頭を押さえている。
「ん、大丈夫」
頷くと、ツキネはちらりと俺の顔を見て固まる。
「千雪……泣いてるの?」
「え? ……あ……」
俺は手で目を擦る。
すると確かに手が濡れる。
……朝起きたら泣いてるとか、そしてそれをツキネに見られるとか。格好悪すぎだろ俺……。
「何があったの……泣かないで……? よしよし……千雪はいい子いい子」
ツキネは俺の頭を優しい手つきで撫でる。
子供扱いされてるのがちょっとムカつくな……。
「お前に撫でられると何故か涙も乾くんだが」
撫でられた驚きと子ども扱いされた悔しさ的な感情によって涙は乾いてしまう。
「泣き止んだならそれでいい……でも……」
ツキネは俺の手の上に自分の手を置く。
「手が震えてる……怖い夢でも見たの……?」
「……ツキネ」
「にゃっ……どうしたの? 苦しい……」
ツキネの体を抱き寄せ、少し強く抱きしめる。
急に抱きしめられたツキネは苦しいと言いつつも抵抗する素振りは見せない。
「こうしてると落ち着けそうな気がしたんだ……少しだけこうさせてくれ」
「……ん」
ツキネは何がなんだかまだ分かっていないような感じだがとりあえず頷いてくれた。
俺はいつから……こいつが近くにいると落ち着くなんて思うようになったのだろう。
「ツキネ……さっきの答えだけどさ、氷河が夢に出てきたんだ」
俺はツキネを抱きしめたまま話し始める。
「氷河が……?」
「やけにはっきりした夢で、氷河と話したりもした」
「何を話したの?」
「妖刀についてと……氷河の過去について、かな」
「どんな内容だったの?」
「あの妖刀を使った者は堕落していくこととか……氷河の記憶に千年以上の空白があることとか」
「空白……?」
「氷河、どうやらこの前の出来事も覚えていないらしい。それに俺の父さんと母さんを殺したことも……」
「どういうこと……なの?」
俺はその後夢の一部始終を話した。
ツキネはずっと静かに聞いていてくれたが、俺が完敗した話の時だけは悲しそうな表情になっていた。
そして氷河は記憶を失っていようと俺の体を乗っ取ろうとしていることに変わりはないこと、力を借りる代わりに妖怪を倒し続ける約束をしたことなども話す。
全てを話し終えると、彼女は心配そうな眼差しを向けてくる。
どうやら俺が少し傷心していることを見抜いているらしい。
「千雪……元気出して……」
「……ごめんな、ツキネに心配させて」
「いいの。千雪が悲しむのは一番嫌だから」
「……もっと強くならなきゃな」
強くならなきゃ、そうしなきゃツキネを悲しませてしまう。
この子を悲しませることだけは絶対にしたくない。
「……じゃあ、これは応援」
「え……?」
ツキネはそう呟くと、俺の両肩に自分の両手を置く。
そして顔を近づけてきて……
「ちゅっ」
俺の頬にちょんと軽いキスをする。
ツキネはすぐに離れた。
「な……ツキネ!?」
俺はまだ柔らかい唇の感触が残る頬を押さえる。
「キヌ姉に、千雪を応援したい時はこうしてあげなさいって言われたから……」
「き、キヌめ……」
なんてことを教えてるんだ……。
「……でも……なんか恥ずかしいよ。なんでなの……?」
ツキネは俺の胸に顔を埋める。
なんでツキネが恥らってるんだ……こっちまで急に恥ずかしくなってくるだろ……。
こいつ、自分が履く予定だったパンツを見せ付けてくるくらい恥じらい無かったんじゃないのか?
「千雪……」
「なんで尻尾振ってんだお前……」
ツキネは上目遣い気味に見つめてくる。
ふさふさの尻尾がゆらゆらと動いていて、まるで犬みたいだ。
「えへへー……」
「っ……」
俺の腕の中でとろけるような笑みを浮かべたツキネに不覚にも心が揺さぶられる。
こいつ、なんでこんなに笑顔が可愛いんだか……。
「朝から仲がよろしいのはいいんですけど、そろそろ朝ご飯出来ますよ」
「うわっ! いつの間に!」
背後から急に声が聞こえたことに驚きつつ振り向くと、キヌがしゃがんで俺達を見つめていた。
「千雪様がツキネに何かするんじゃないかって思いまして、忍び寄ってみました」
「するか! てか、ツキネにキスとか教えんなよ!」
「でも嬉しかったでしょ?」
「それは……」
俺はキヌから目を逸らす。
まぁ、嬉しくないと言ったら嘘になるが……。
「分かりやすいですね、千雪様」
キヌは楽しそうに笑う。
「う、うるさい」
「とりあえずそろそろ起きてくださいね。うちはもっかい台所に戻るんで」
「あ、あぁ。ほら、ツキネも起きるぞ」
「うん」
そして今日もいつもと変わらない日常が始まる。
夢から目が覚めて、すぐ近くにツキネがいて、こうしてキヌにからかわれて……。
傷心していた自分がいつの間にかいなくなっていることに気がつく。
どうやらこいつらとの時間は俺にとって一番の傷薬らしい。
こんな平穏な時間を失わないためにも……俺は負けたくない。
誤字・脱字、矛盾点などがありましたらご指摘よろしくお願いします。