ツキネのお姉ちゃん
キヌさんメイン回です。彼女の口調は訛り気味で一人称は「うち↓」、喋り方も少し独特な方です。
「ふあぁぁ……」
あくびをしながら布団の中で伸びをする。
新たな同居人を家に迎えてから一夜が明けたわけだが……。
「今日もか……」
「くー……くー……」
これで三回目だ。
目を覚まして最初に視界に入るのは狐耳付き美少女の寝顔。
「なんで今日もここで寝てるんだか……」
昨日の夜……キヌに一緒に寝てやってくれと頼んだんだけどな。
二人なら寒くないだろうし、寒くなければこちらへも来ないはずだと思ったから。
「……」
俺は体を反転させてツキネと逆の方向を向く。
そして思考が停止する。
「すぅ……すぅ……」
目の前には信じられないくらい綺麗な寝顔があった。
「なんでキヌまで寝てるんだ!?」
俺は起き上がって驚く。
するとキヌは目を覚まし、眠そうに目を擦りながら微笑む。
「ん……あれ、千雪様……おはようございます……」
「おはようじゃなくて、なんでお前までここで寝てるんだ」
「夜中に一度目を覚ましたらツキネがこっちで寝てて……一人で寝るのも寂しいんで、うちもこっちで寝ました」
しれっというキヌから一度視線を外し、ツキネに視線を向ける。
「……てかなんでツキネはこっちで寝てるんだ。キヌと一緒だったら暖かいだろ」
「んむ……キヌ姉より千雪の方が暖かい……千雪じゃないと満足出来ない体になってきてる……くー……」
質問に答えたらまた寝たよこの子。
そしてそういうことを言うのは止めてほしい……悪意のない発言なのは分かるが、何も知らない人からしたら誤解されかねない。
「……キヌ、頑張って俺より暖かくなってくれ」
「ツキネを抱きしめればなんとか」
「そのツキネが俺の体温を求めてこっちに来るのを防ぎたい」
「……じゃあ三人で寝るしか」
駄目だこりゃ……解決しねぇ。
ところで……キヌに違和感があるような、逆になくなったような。
「……なんで耳と尻尾がないんだ?」
「もぎました」
「もいだ!?」
「嘘です」
「嘘かよ……」
「人間の姿としての違和感を無くすために能力で消しました」
「はぁ……そうなのか」
メカニズムとかはよく分からないけど、納得しておいた方がいいだろう。
それにキヌはこの方が本当に違和感が無いし。
どうでもいいが、ツキネは耳と尻尾を無くしたら……なんかツキネっぽくなくなる気がする。
今日から朝食は三人分作らなければならないので、いつもより材料の量を増やす。
一応生活費とかは親戚中から送られてくるので困りはしないが……買い物に行かなきゃならない機会が増えそうだ。家が賑やかになるのはいいけどな。
「あのう、千雪様。何かお手伝い出来ることがあればなんなりと言ってください。うち、一応料理もお手伝い出来ると思いますんで……」
「本当か? じゃあちょっと手伝ってくれないか」
「はい」
それから数分後、キヌの手際の良い手伝いもあり朝食がすぐに出来た。
掃除とかも得意なようだし、家庭的なスキル高いなこの人……。
「ありがとう、キヌ。お陰で楽に飯が作れた」
「いえいえ。この家でお世話になるんですからこのくらいは」
朝食を皆で食べている時、キヌにお礼を言うと彼女は上品に微笑んでそう言った。
「……」
「ん?」
なんか、今ツキネの視線が痛かったような。
「ツキネ、どうかした?」
「……なんでもない」
ツキネは首を振り、大人しく朝食を食べる。
なんか様子がおかしいような。
朝食を食べ終え、食器を台所で洗おうとすると食器を運んでいたキヌが言った。
「千雪様、うちがやりますよ。千雪様は学校に遅れないようにしてくださいね」
「そうか、ありがとう」
「いえいえ」
と、そこにツキネが残りの食器を運んでくる。
「……キヌ姉。私も手伝いたい」
「じゃあ一緒にやろ。ツキネ」
俺はそんな二人のやり取りを微笑ましいと思いつつ、昔を思い出す。
ああして母さんを手伝おうとして失敗した過去の自分が懐かしいな。
「あっ」
ツキネが洗おうとした皿が洗剤で滑り、ツキネの手から抜けて床に落ちる。
泡塗れの皿は床に落ちた衝撃で当然割れてしまった。
「……うぐっ……あぅ」
そして何故かツキネが泣き出してしまう。
「ごめんなさいっ……千雪……うぅ……」
「はぁ……泣くな。別に皿くらい大したことないから。怪我とかないか?」
「うん……」
なんだかなぁ……氷河から俺を庇った時のような勇敢さが微塵もないというか……。
「千雪様、時間が。片付けはうちがしておきますんで、早く行ってくださいな」
「そうか、じゃあ頼んだ」
俺が玄関まで行くと、ツキネとキヌも後ろからついてくる。
ツキネはしょんぼりとした顔でしばらく俺を見つめた後、小さな声で
「……行ってらっしゃい」
と言った。
「ん……行ってくる」
軽く笑いかけながら俺も言う。
そういえば、誰かに送り出してもらうのは……久々だ。
「行ってらっしゃいませ、千雪様」
「あぁ、行ってくる。あ、そうだ……キヌ」
「はい?」
「ツキネのこと頼んでいいか? 俺よりキヌの方があいつのことは詳しいと思うし……それと、まだ怪我も完治してないから包帯変えてやってくれ。あと、昼飯を作ってやったり退屈しないように相手してやったりしてほしい」
「……」
「どうした?」
「……くすっ……了解しました」
一瞬呆気に取られたようなキヌの顔には穏やかな笑みが生まれる。
どうかしたんだろうかと思いつつも、俺は家を出た。
千雪様が家を出た。
会って間もないはずのツキネのことをかなり気にしていて、そんな所が少し面白い。
さて、うちはそんなツキネの心のケアをしなければ……。
「ツキネ、いつまでも落ち込んでたらいかんよ? 失敗は誰にでもあるんだから」
「でも……私……キヌ姉みたいに万能じゃない……」
「うちだって最低限のことしか出来ないんよ。それにツキネはまだまだ若いし、これから少しずつ頑張っていったらいいと思うな。うちに教えられることがあれば教えてあげるから」
「キヌ姉……うあぁぁ……」
「ほらほら、簡単に泣いたらいかんよ」
そう言いつつもツキネを抱きしめてしまう。
この子は昔から変わらないうちの可愛い妹分ね。
たった数日で千雪様に懐いてしまったようで、そこはちょっと羨ましかったりするけど。
「キヌ姉……千雪、怒ってないかな……ぐすっ」
「怒ってるはずないよ。さっきだって、ツキネのことを心配してたじゃない」
千雪様は少しドライな時もあるけど根は優しい性格だ。
それに動物が好き。
動物好きな人に悪い人はいないって知ってる。百年くらい前に人間が言ってた。
「千雪様はツキネのこと、ちゃんと気にかけてるから心配しなくていいんよ」
さっきもうちにツキネの色々と頼み込んできたしね。
うちも言われた通りのことを実行しなきゃ。
「さ、ツキネ。服脱いで。包帯替えてあげるから」
「え……うん」
服を脱いだツキネから包帯を取ると、その真っ白な背中に一筋の長くて大きな傷があった。
「これは……また随分ばっさりと斬られたんね」
見ていて痛々しい。
それに、この子がこんな傷を負ってしまったことを悲しく思う。
うちはその傷を軽く撫でた後、薬を塗って包帯を取り替える。
「ツキネ、こんな傷を負ってまで千雪様を守ったんね。……以前はあんなに臆病だったのに」
「だって、千雪は私を助けてくれたから……恩返しがしたくて」
「ん、いい子ねツキネは。ところで……怪我をしてたっていう足は大丈夫なの?」
「大丈夫。もう痛くないから……」
「そっか。ならいいかな……はい、背中はこれで終わり」
「ありがと。キヌ姉」
「さて、うちはお掃除しなきゃ。ツキネ、手伝ってくれる?」
「うん」
うちとツキネは家中をお掃除する。
廊下や縁側、玄関に居間。寝室や道場など。
広いお屋敷だけあって、雑巾掛けなどもなかなか大変だった……途中で例の黒い奴も出て、ツキネが泣き喚いて大騒ぎ。
でも、ツキネが少しだけ楽しそうに見えたのは気のせいじゃないと思う。
さ、次は洗濯。
「洗濯って何?」
「洗濯っていうのはね、着た服とかを洗うことなんよ」
「人間は着た服を洗うの?」
「そう。そしてそれを干して乾かすんよ。昨日の夜、うちが洗濯機を回してたでしょ?」
「洗濯機……あのごとごと動く怪しい物体?」
「あはは……ツキネにはそう見えたんね」
ツキネは人間世界のことをまだまだ知らない。
人間の文化や道具なども未知の物ばかりで、きっとこれから毎日が勉強になるはず。
「でも、私達の服は洗濯してない」
「まぁ、人のとは根本的なものが違うからね」
妖怪であるうち達は、人間の姿になった時にその妖怪に適した容姿と服装になると長寿の妖怪に聞いたことがある。
この服は洗濯出来ないこともないけど、基本的にほとんど汚れない。そして、破れてもしばらくすると元に戻る。
ただ人間の姿で長く過ごすと、それもただの服になってしまうらしい。
それに人間の姿でこれから生活するなら、うち達も人間と同じ生活をしていかなければならないとも思っている。
「今日からうち達もお風呂に入ったり、服を洗濯した方がいいかもね」
「お風呂?」
「お風呂っていうのは体を洗ったりする場所なんよ。うち達も人と同じように血を流したり、汗をかくでしょ? それを放っておくのは汚いからね」
「おぉ……」
「ただ、そうすると次は着替えが必要になってくるんよね……そこはどうしようね」
「……千雪に頼んでみる?」
「まぁうちはともかく、ツキネはお年頃だもんね。ただ、あまり千雪様にわがまま言うわけにも……ね」
「うーん。難しい……」
「これも人間関係の一部なのよ」
「ほー……なんでキヌ姉はそんなに詳しいの?」
「うち、ツキネより長生きしてるからね。その分勉強する時間があっただけよ」
「……」
ツキネの目がキラキラと輝いている。
……これが憧れの眼差し?
「まぁ、それは千雪様が帰ってきてから考えよ」
それから洗濯を終える。
もともと量があまりないのと、ツキネが手伝ってくれたお陰ですぐに終わった。
「ありがとう、ツキネのお陰ですぐに終わった」
「へへ……」
「そろそろお昼時だし、お昼ご飯作ってあげるね」
照れたように笑うツキネはあまりにも可愛くて、撫でずにはいられない。
お昼ご飯は腕を振るってあげよう。
「すぅー……すぅー……」
ツキネは何度も「美味しい」と言ってお昼ご飯を食べてくれた。
でも、その後疲れたのか眠ってしまったみたい。
お掃除も頑張ったもんね……いい子いい子。
うちは食器を洗った後、炬燵で寝ているツキネの隣に座る。
この子の寝顔を見ていると、森の奥でそれなりに平和に暮らしていた時を思い出す。
あの場所はここと全くの別世界で、人間の世界とは完全に切り離された場所だった。だから人間と関わる機会はほとんど無かった。
でも、うちが人間の話をしてあげているうちにこの子は人間に興味を持ったようだった。
そしてつい最近、復活をしようと企んでいた氷河の存在を感じてか、ツキネは里へ行ってしまった。
人間の仕掛けていた罠に引っ掛かってしまったのか、足を怪我して動けなくなってしまったみたいだけど……そこを千雪様に助けられて、千雪様に懐いて、千雪様のために傷を負うことも躊躇しなくなって。
……どうしてそこまで出来るんかな。
「降矢千雪様……か」
ツキネにとってそれほどまでに魅力がある人なのかな、千雪様は。
うちはあの人のことを優しい性格の人だと思う反面……少しだけ頼りなく感じてしまう。
もちろんあの氷河に勝てる人間などそうそういないし、千雪様が強いのは確かだ。
でも……力を持ちすぎるといつかその身を滅ぼす、うちはそのことを知っている。
ツキネやうちの力で氷河の力を抑えているとはいえ、完全ではない。
きっと遠くない未来、氷河はまだ動き出す。
その時に千雪様がどう対処するのか……対処出来るほどの力があるのか。
それに氷河だけじゃない。ツキネ、うち、氷河がこの里にいる以上、もっと色々な妖怪がこの里へやってくるだろう。中には悪さをする邪悪な心の妖怪だっているはずだ、皆ツキネのように善良なわけがないんだから。
その時、千雪様はどうするのだろう。
氷河を体内に宿し、妖怪の力を封じる刀を持つ者である以上、戦わなければいけないことは明らかだけど……。
「でも……ツキネは相手を見る目があるのは知ってるんよ、うち」
眠っているツキネの頭を撫でる。
この子は相手を見る目がある。
そんなツキネが懐くのだから、千雪様だってそういうことなんだろう。
ちょっと色々と考え過ぎなんかな……うちは。
「ん……」
ふと目を覚ます。
どうやらいつの間にか眠っていてしまったようだ。
時刻は午後五時を回っている。
隣を見ると、ツキネは炬燵に肩まで入って眠っていて、とても暖かそう。
うちは普通に炬燵に入っていただけだから、上半身が少しだけ寒……あれ、寒くない。
「あ……」
ここでうちは気づく。
肩から背中にかけて毛布が掛けられている。
おもむろに炬燵を出て、居間から出る。
少し冷えている廊下を歩き、うちは道場へ向かった。
「……」
何故かここにいる気がした。
うちに気づいた袴姿の千雪様は、振り上げていた刀を降ろしてこちらを見る。
「あれ、キヌ。起きたのか?」
「千雪様、帰ってたんですね。おかえりなさい」
「あぁ、ただいま。帰ってきたら二人が気持ち良さそうに寝てたから起こさなかったけどな」
「そうですか……あの、もしかしてうちに毛布を掛けてくれたんですか?」
「あの居間だと上半身が寒いだろ」
「……ありがとうございます、千雪様」
やっぱり千雪様だったんね。毛布を掛けてくれたの。
うち、そういうことが自然と出来る人間は素敵だと思う。
「ところで、どうして刀を振ってるんです?」
「この間はたまたま氷河に勝ったけど……氷河はまだ全力じゃなかった。そして、いつか全力の氷河と戦うような予感がするんだ……そのためにも今から鍛えておかないと」
「……くすっ」
「どうした?」
「いえ。ただ……心配する必要もなかったかなって」
「え?」
「なんでもありません。特訓、頑張ってくださいね」
「あ、あぁ」
どうやら難しくこの人のことを考える必要はなかったみたい。
千雪様は優しくて強くてしっかり者だ。そしてどんな困難にも打ち勝てる強い心を持っていると思う。
それでも、この人が倒れそうな時は……うちやツキネで支えればいい。
それが人と人の助け合いなんよね。
「……千雪」
「お、ツキネ。ただいま」
「ん……おかえり」
「わっ……おい、ツキネ」
ツキネは千雪様に歩み寄ってぎゅっと抱きつく。
ちょっとだけ寝ぼけてるみたい。
「ツキネ、今日はお掃除や洗濯を頑張ったんですよ」
「そうなのか。偉いぞ」
「えへへ……」
千雪様に撫でてもらったツキネは心底嬉しそうに微笑む。
きっとツキネは千雪様のことが大好きなんだろう。
その感情がもしも恋愛的な意味になったら……ちょっとだけ面白そうだけど、今のツキネにはまだ恋愛は早いかな。
「ツキネ、千雪様の特訓の邪魔になるといけないからこっちにいらっしゃい」
「うん」
道場の端でうちとツキネは剣術に勤しむ千雪様を見守る。
袴姿で汗を流す千雪様は凛々しくて、ちょっとカッコいいと思ってしまう。
「ツキネ。千雪様、カッコいいね」
「うん、カッコいい」
「あ、そうだ。あの袴と胴着も洗ってあげなきゃいけんね」
「……」
そう言うとツキネがこちらをじっと見つめてくる。
「どうかしたん?」
「なんだか……キヌ姉、千雪のお母さんみたい」
「え、そう?」
「うん」
ツキネはこくりと頷く。
「ふふ、でもうちは二人のお姉さんでありたいんよ?」
そう言ってみて、ふと思った。
いつかこの三人で家族のような関係になれたらいいな、と。
そうしたら、どれだけ幸せなんかな……。
「キヌ姉は私のお姉ちゃん……千雪はお兄ちゃん」
「じゃあツキネはうちの可愛い妹。千雪様は素敵な……弟?」
「分からないの?」
「うーん……どうなんだろ……」
千雪様はあまり年下という感じがしない。
どこか大人びた感じがするからかな……?
「うち、人間の年齢だと千雪様より5つも年上なのにな」
「……2300歳なの?」
「そういう計算は早いんね、ツキネ……」
我ながら少し気にしているんだけど……。
「千雪、頑張って」
あ、目逸らされた。
そういえばそろそろ夕飯の準備をしなければ。
「さて、うちは夕飯の準備をしてこようかな。ツキネはここにいる?」
「うーん……お手伝いする」
「そっか、じゃあ行こ」
「うんっ」
「あれ? 夕飯の準備するのか?」
「はい。あ、千雪様はまだ特訓してても結構ですよ? 今日はうちに任せてください」
「……ん、じゃあ頼んだ」
千雪様は少し考えるような間を空けた後、うちに一任してくれた。
さて、この二人が喜ぶような夕飯を作らなきゃ……ふふっ。
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