ツキネの恩返し 前編
二話目です。前編です。
朝、いつものように目覚める。
寒いのであまり布団から出たくはないが、布団から出ないと仕方がない。
そう自分に言い聞かせ、布団から出ようとしたその時。
「……」
俺は違和感に気づき、恐る恐る横を見る。
隣にはやけにふさふさしたものと、それに包まれて眠る美少女がいた。
「くぅ……くぅ……」
朝から考え事などしたくないのだが……思考回路を巡らせ、この状況を整理する。
……あぁ、そういえば。
狐の美少女と同居することになったんだっけな……。
我ながら冷静に分析出来ていると思う。が、しかし。やはりこの状況は問題だ。
「ツキネ、寝るなら自分の布団で寝ろ」
隣の部屋に敷いた布団がふすまの間から見える。
布団から出た形跡があることだけは分かった。
「寒いから……一緒に寝てた」
「そんなふさふさの尻尾があるくせに何言ってんだ」
「千雪の温もりの方がいい」
「……」
こいつ、頭がおかしいのか。
会って間もない男の布団で一緒に寝て温もりを求めるなんて普通では到底考えられることではない。
「……てかお前、結局何者なんだ?」
昨日から何度か聞いているのだが、ツキネはあまり答えようとしない。
とりあえず、あの助けた狐がこの少女だということは正しいようだが……何故そうなったのかまでは説明してくれない。
「昨日は仕方なく家に連れてきたが、正体が分からない奴と暮らす気はないんだよな」
「う……あの……」
多少突き放すような言い方をすると、ツキネは困惑したような表情になる。
「やっと言う気になったか?」
「……トイレ行きたい」
「…………部屋出て右」
またはぐらかされた。
まぁいい、今日はとことん問い詰めるとしよう。
ツキネがトイレから帰ってくる。
「で、さっきの質問の答えは?」
「……昨日助けられた狐だよ」
「それは理解した。でも、どこから来たんだ? なんで女の子の姿なんだ?」
「生まれたのは奥羽森の北の山。この姿になったのは……その……」
ツキネは口篭る。言いたくなさそうにも見えるが……。
「自分が妖怪だからですー、とでも言いたいのか?」
なんだか問い詰めてることに罪悪感を感じてしまい、冗談を言ってみる。
「え……なんで分かったの……?」
「……え? 妖怪なのか?」
「……ん」
一瞬、思考が停止してしまう。
俺は完全に冗談のつもりで、「そんなわけない」と反論してくると思っていた。
しかしツキネの反応はそれを裏切るかのような、隠し切れない驚きと肯定だった。
「この里には昔から妖怪が出ていた。近年は出ていないけど……それでも、森の中でも人が入れないほどの奥地にはまだ妖怪が住んでいると言われる。私もその一人……」
「……その妖怪がなんで里まで出てきたんだ?」
「自分でも分からない……でも、呼ばれたような気がした」
「そうか……」
俺の反応は客観的に見れば異常なのかもしれない。
妖怪と聞かされ、冷静に理解を示してしまっているのだから……。
しかし、妖怪は珍しいことではない。
和尚と長年関わってきた以上、そんな話を聞く機会は何度もあった……そして、実際に俺も妖怪と関わっていた。
「驚かないの?」
「いや、驚いてるさ。妖怪と関わるのは久々だ」
「そうなんだ……。あ、あと……人間に憧れてた」
「……なんでだ?」
「里の人々は皆楽しそうに生活してた……私も、そんな人間と同じ暮らしをしてみたいと思ったの」
「はぁ……なるほどな……」
口調は静かだが、その目は人間の生活に好奇心や期待を抱いているような目だ。
正直つまらないぞ、とは軽々しく言えない。
「ところで……千雪は何者なの? 妖怪と知っても驚かないし、順応するのが早いから気になる」
「お前にそれを聞かれるのか……俺は、そうだな。強いて言うなら、妖怪に両親を奪われたんだ」
「え……?」
そう、今から八年前のことだ。
俺は妖怪に両親を殺され独りになったのだ。
「ここまで言ったら、全部話さないわけにはいかなさそうだな」
俺の父は古き剣術を継承してきた剣豪だった。
母は日本の古き良き文化を脈々と伝える華道家。
二人共、この家で剣術の道場なり生け花教室なり開いていた。
父に影響され剣術を学んだこともあったし、母に影響され生け花やお茶を習ったこともある。
俺はそんな両親と『和』の中で暮らすのが好きだった。
でも、それは八年前に終わってしまった。
俺が十歳の時のことだ。
『ただいまー』
家へ帰ると家の中は静かだった。
『誰もいないのー?』
家の中を回って両親を探した。
居間や台所、トイレや家の各部屋も虱潰しに探したが見つからない。
そして最後の部屋。ここは時に剣術を学んだ道場であり、時には生け花やお茶を習った場所でもあった。
『父さんー、母さんー……っ!?』
そこで俺が見たもの。
思い出すだけでも吐き出しそうになってしまう。
――一面真っ赤に染まった床の上で、横たわる母。そしてその隣には父が胸から血を噴出しながら痛みに悶えていた。
『父さん! 母さん!』
俺が駆け寄った時、二人は息を引き取っていた。
頭の中がぐちゃぐちゃになり、何が起きたか分からなかった当時の俺は、二人の亡骸にすがって泣き叫んだ。
服や手足が二人の血にまみれることなど気にする暇もなかった。
そして、近くに黒くて見慣れない刀が落ちていたことに気がつく。
俺はそれに近づき、恐る恐る触れた……そこからの記憶は無い。
それから目を覚ましたのは、二人の葬式が終わってから数日経ったある日のことだ。
目を開けると和尚がいて、全ての出来事を説明された。
和尚が独自に調べた結果によると、全ての元凶はあの黒い刀だったらしい。
家の蔵を整理していた父が見つけたその刀は古来より伝わる妖刀で、妖怪が宿る代物だというのだ。
妖怪に精神を喰われおかしくなった父は母を斬り、それから自分を斬った。
そして最後に和尚が教えてくれた……その刀へ触れた際、俺も妖怪に乗り移られ、体を乗っ取られかけていたと。
「その刀は今でもこの家にある。妖怪が宿ったままでな」
「……ごめん」
「なんで謝ってるんだ」
ツキネは悲しげな表情を浮かべている。
「千雪はそんなことがあったんだから……妖怪は嫌いでしょ? それなのに、一緒に暮らしたいって言っちゃったから……」
「嫌いだよ、妖怪なんか。正直、お前と暮らすのも嫌かもな」
「……」
何故そこで泣きそうになるんだ……。
「……まぁ、そのことは後々考える。今はさっさと朝食食べて学校へ行かなきゃならないからな。留守番しとけよ」
ツキネは狐の耳と尻尾が生えている以外はどこからどう見ても人間だ。しかし、その正体は俺が嫌う妖怪なんだ。
一緒に暮らしたいとは思っていない。
ただ、何故だろう。
捨て猫を拾って、その猫をまた捨てなければいけなくなった子供の立場……今の俺はそんな立場にあると思う。
家へ帰ると、家の中は静かだった。
朝、ツキネは今の炬燵を気に入っていたからな……炬燵で寝ているんだろうか。
「ツキネ……って、あれ」
今の炬燵にツキネはいない。
台所や、他の部屋を探したがいなかった。
……ここで俺は、八年前を思い出してしまう。
あの日も、こんな感じだった。
「あとは……道場か」
あれ以来、あまり立ち入らないようにしている道場。
そこには、例の刀がある。
一時的に触れても大丈夫な状態に出来ないこともないと和尚は言っていて、捨てることくらいはいつでも出来る。
ただ、捨てたところで別の被害者が増えるかもしれない。
だから今はあの場所に放置しておくのがいいと考えた。
そこで俺は気づく。
「っ……まさか……」
もしもツキネがあの刀に呼ばれてやってきたのだとしたら……。
道場以外の部屋を探したがツキネはいない、となると彼女はきっと道場にいる。
下手したら……あの刀に触れてしまうかもしれない。
そんなことになったら、きっとツキネもただでは済まないだろう。
……冗談じゃない、二度とあの刀で誰かが死ぬなんてまっぴらだ。
「ツキネ!」
俺は道場へ向かう。
入り口を開けると、そこにはツキネが立っていた。
「ツキネ! 大丈夫か!」
「千雪! 来ちゃ駄目!」
「えっ?」
ツキネが叫んだその瞬間。
こちらへ向かって黒い塊のようなものが飛んでくるのが分かった。
あまりにも速いその塊は、俺の腹へ直撃する。
「ぐっ……」
次の瞬間――体中を縛られ電撃を流されるような痛みを感じる。
「っあぁぁぁぁぁ!! がっ! あぐあぁぁぁ!」
「千雪……今助ける!」
痛みに意識が朦朧としつつも、ツキネがそう言ったことだけは理解出来た。
「赤く煌き邪を焼け、狐火……っ!」
彼女の周りが赤く輝き、無数の火の玉が現れる。
そして、その火の玉が俺を包み込む。
全く熱さを感じないその火に包まれた瞬間、体から痛みが消えていくのが分かった。
「っ……はぁ……はぁ」
俺はその場で跪く。
「千雪……あなたは私が守る」
俺の目の前で、俺を庇うように立つツキネの声は力強かった。
「姿を現せ……刀に宿りし妖の魂、氷河」
ツキネの言葉に反応するように、刀が震えた。
そして、黒い塊のようなものが刀から抜け出す。
黒い塊は少しずつ人間のような形になっていく。
「な、なんだよあれは!!」
「あれが千雪の両親を殺した張本人……刀に宿る妖怪・氷河」
「なっ……」
若い青年のような容姿に青ざめた体、謎の装飾。一言で言うなら、青鬼のような……そんな不思議な姿だ。
「……降矢千雪。我は貴様の体を所望する」
一歩ずつ歩いてくる氷河と呼ばれた妖怪の声は冷たい……まるで氷のような。
話しかけられるだけで背筋が凍ってしまいそうな……。
「近づくな! これ以上近づけばお前を焼き尽くす!」
「む……その声……その容姿……その態度。貴様、狐火か」
「千雪に近づいたら焼き殺してやるぞ、氷河……」
ツキネはまるで別人のように荒々しい口調だ。
「貴様ごときに止められる我ではない。そこをどけ、さもなくば斬る」
氷河の手の周りで氷が飛び交い、一つの刀を作り出す。
すらりと長く鋭い刀身をツキネに向けて氷河が言う。
「行くぞ……っ!」
次の瞬間、目にも留まらぬ速さでツキネを斬りつけようとする氷河だったが、ツキネはそれを見切っていた。
氷河が薙いだ刀を屈んでかわしつつ、氷河へ向けて火の玉を打ち出す。
「こざかしい……はっ!」
しかし氷河はそれを避け、さらに斬りつける。
ツキネはそれをかろうじて受け止めたが……。
「くっ……」
「降矢千雪を守ろうとして、全く本来の動きを出来ていないようだな。はぁっ!!」
「きゃっ……!」
ツキネの体が浮き、こちらへ吹き飛ばされる。
俺は彼女の体を受け止め、一緒に倒れる。
「ぐっ……大丈夫か」
「千雪……ごめん……っ」
ツキネはすぐに立ち上がったが、彼女の目の前に氷河はいない。
「……終わりだ」
「なっ!?」
いつの間にか背後に回りこんでいた氷河が俺を見下ろす。そして、氷の刀を振りかざした。
刀が振り下ろされた時、俺は足がすくんでしまい、這って逃げることさえ出来ない。
駄目だ……やられる……。
「千雪っ!」
ツキネが叫んだ。
刀が肉を切り裂く音が響き、顔に生暖かい血が飛び散ってくる。
しかし、全く痛みは感じない……それもそのはずだった。
「ツキネ……?」
「千雪……逃げて……っ」
「……お前っ。俺を庇って……っ!」
背中が真っ赤に染まったツキネが倒れこんでくる。
しかし、俺が彼女を受け止める前に氷河が彼女の首根っこを掴む。
「ふっ……本来人間を脅かす存在である妖が人間を助けて大怪我とはな、間抜けもここまで来るとただの哀れな存在だ」
氷河は見下すようにそう言うと、ツキネを掴んだまま踵を返す。
「狐火は預からせてもらう。返して欲しければ北の山のふもと、この里で最も広い雪原まで来て我を斬ってみせよ」
次の瞬間、風が吹いたかと思うと氷河は消え去った。
そしてその直後に聞き慣れた声が聞こえてくる。
「千雪! 無事か!」
「和尚……」
「な、なんだこの血……まさか妖怪に!?」
俺へ駆け寄って来た和尚は俺の顔を血を拭いながら慌てた様子で聞いてくる。
「これは……俺を守ってくれた奴の血だ……」
「まさか……あの狐の子か?」
和尚は昨日、ツキネと会った時に驚きはしなかった。
元々狐の姿から何かを感じ取っていたようで、ツキネの姿を見てもすぐに順応していた。
「あの子はどこだ!?」
「連れて行かれたんだ……あの忌々しい刀の妖怪に」
「やはり……あの刀か」
「和尚……もしかして分かってて来たのか?」
「あぁ。あの日、お前さんの両親が死んだ時と同じ予感がしたんでな……」
「俺は無事だ……でも、ツキネが……」
ツキネが連れて行かれた。
俺は何も出来ず、彼女に守られるだけだった……。
「千雪、あまり自分を責めるんじゃない……」
そんなのは無理だ。
俺のせいであの子は……。
「む……?」
和尚は道場に入り、刀に近づく。
「刀から妖気が抜けているな……今なら触っても大丈夫だ」
「……それで斬ってみろって、あいつ言ったんだ」
「何!? まさかお前、行くつもりか?」
……行きたい、と言えば嘘になる。
下手したら死んでしまうのだから……でも、行かなければきっとツキネは……。
出会ってたった一日なのに、どうしてこんなに気にしてしまうんだ。
……逃げ出してもいいじゃないか。
俺はもう嫌なんだ……両親を奪った妖怪なんかと関わるのは。
だから……。
「和尚……あのクソ野郎をその刀で斬れば……封印出来るのか?」
「……おそらく。だが、刀に封印してもまたすぐに喰われるかもしれない。お前の父も、そうして魂を喰われた」
「じゃあ、その刀使わせてくれ……喰われそうになるなら、逆に喰らってやる……」
「千雪!」
「止めても無駄だ……俺、あいつを絶対に許さねぇ」
ツキネは会って間もない俺を命懸けで守ろうとしてくれた。自ら傷を負いつつ、最後まで俺を心配していた。
そんなツキネを馬鹿にした氷河を、俺は絶対に許さない。
「でも、お前! 刀なんて握ったことないだろう!?」
「木刀なら何年間も握っていた。確かに剣術自体久々だし本物の刀は握ったことないけど……なんとかしてみせる」
俺は和尚の手から刀を受け取り、北の山のふもとにある雪原へ向かう。
ツキネ……あいつから俺を助けたことがお前の恩返しなのか?
そうだとしたら、俺はお前がくれた恩返しを無駄にはしない。
父さんが遺した剣術で必ず氷河を斬って、お前を助け出す……。