ツキヌ、想い
ツキネとキヌの回です
学校が今日からまた始まるらしく、千雪様は制服を着てカバンを持って玄関で靴を履いている。
うちとツキネはお見送りのために彼の後ろに立っていた。
千雪様は家事と稽古の合い間にちゃんと学校の課題もしていたようだし、忘れ物もしていないはず。
後は送り出すだけね。
「じゃ、行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ。千雪様」
「いってらっしゃい……」
「……おう」
うちとツキネは笑顔で千雪様を送り出す。
千雪様は家を出ることに少し未練がありそうな表情をしていたけど、それを振り払うようにツキネの頭に手を置いてその後ちゃんと登校していった。
他の人とはどこか違う千雪様も、休み明けが憂鬱なのは他の人と一緒みたい。
それとも……ツキネと離れるのが寂しいんかな?
そんなことを考えていると、ツキネがうちの服の袖を掴んできた。
どこかぼーっとしているように見える。
「どうしたん? あぁ、もしかして千雪様が学校に行って寂しいんかな?」
「あっ……えと……違うもん……」
ツキネは、はっと我に返ったように袖を握る手をぱっと離し、居間へ先に戻ってしまう。
あの反応を見るからに、どうやらツキネは無意識にうちの服の袖を掴んでたみたい。
寂しいっていうのはきっと違わない……ツキネは千雪様のことが大好きなのだから。
そんなツキネを微笑ましく思いつつ、うちも居間に戻る。
居間に戻るとツキネは既に炬燵で眠っていた。
眠るの相変わらず早いんねこの子は……。
それだけうちとの時間は退屈だということなんかな、お姉ちゃん悲しい。
「ツキネ……こちょこちょ」
「っひゃん! あっ! くすぐっ……たいっ……キヌ姉ぇ!」
何この子欲しい……。
涙目で真っ赤になりながら身をよじらせるツキネが可愛すぎて、うちはツキネをぎゅーっとせずにはいられない衝動に駆られる。
よし。
「ツキネ、お姉ちゃんの膝の上に来る?」
「え……」
ツキネが怪訝そうな顔ですすっと身を引いた。
……お姉ちゃん悲しいです。
「私……もう子供じゃないし……」
頬を膨らませるツキネも可愛いなぁと思いつつ。
「千雪様にはいっぱいべたべたしてるくせに」
「ち、千雪は別にっ……!」
予想通りの反応が返ってきて面白いなぁ、ツキネは。
でも、最近ツキネとの距離が離れてしまった気がしているのは事実だ。
その分千雪様とツキネの距離が近づいているようにも感じる。
二人が仲良くするのは微笑ましいし、見ていて和むからいいんだけど……どこか寂しい。
「ツキネも昔はうちにべったりだったのに、あっという間に千雪様に乗り換えちゃって……うぅ」
「…………」
「もう、うちは用無しなんよね……ショックでご飯作れないかも」
「よいしょっと」
ツキネは何の迷いも感じさせずうちの膝の上に乗ってきた。
どうやらツキネの中のうちは食い気に負けてしまったらしい。
「ツキネ……うちは自分に素直なのはいいことだと思うんよ……だから……悔しくないもん」
「?」
うちが呟いた強がり、もとい自分への慰めにツキネは何も言わず首を傾げた。
そんな仕草も可愛いなぁと思いつつ静かに抱きしめる。
うちは別にツキネに特別な感情があるわけではない。ただ、可愛くて愛おしい妹分なだけ。
そしてこの子の過去に何があって、この子がどんな思いを抱えているか知っているからこそ守りたいし傍にいたいと思っていた。
そんなツキネは千雪様といる時、時々幸せそうな顔をするようになった。
同時に千雪様も出会った時より明るくなったように見える。
だから今はそんな二人を見守っていたい。
そして……あの時のように、信頼出来る相手と一緒にいるツキネをまた見ていたい。
「キヌ姉?」
「え……あ、どうしたん?」
名前を呼ばれてはっとすると、ツキネが振り返ってうちの顔を覗き込んでいた。
「なんか寂しそうな顔してる」
「そう? 気のせいよ、きっと……」
「ならいいけど……キヌ姉、たまにこういう顔するから」
「そうなん……?」
自分でも気づいていなかった。
ただ、ツキネからしたらそう見えるらしい。
「ごめんね。本当に何でもないんよ」
そう言いながらツキネの肌触りの良い髪の毛を撫でる。
そしてさらさらとした髪を触っているうちにある物を買っておいたことを思い出す。
「そうだ。ツキネ」
「何?」
「髪、結んであげる。ちょっと降りて」
うちは膝からツキネを降ろし立ち上がる。
そして近くのタンスにしまっておいた、以前買ったヘアゴムが入っている紙袋をがさがさと開ける。
色んな色を買っておいたけど、今日は水色がいいかな。
「ツキネなら髪結んでもきっと可愛いからって思って買っておいたの」
水色のヘアゴムをツキネに見せ、彼女の後ろに座る。
そのヘアゴムでツキネの髪をおさげにする。
「よし。これでいいかな」
「ん……どう……なってる?」
ツキネが振り向く。
「おぉ……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
長い髪の毛を耳の下辺りで二つに分けているこの髪型の持つ清楚な感じ……それが存分にこの子の可愛さを引き立てていた。
「可愛い!」
「んむっ!」
そしてぎゅっとツキネを抱きしめる。
あぁもう可愛い……可愛すぎて悶えて死んでしまいそう。
「……ありがと、キヌ姉」
「ん、どういたしまして。きっと千雪様も可愛いって言ってくれるよ」
「千雪が? ……っ」
お、頬が赤くなった。
ツキネはだんだん千雪様に可愛がられることに照れを覚えている。
これは特別な気持ちに昇華するのも遠くないかな……?
「千雪様のこと好き?」
「うん」
ツキネが即答する。
「どうして?」
「優しくて料理が美味しくてかっこよくて強い……あと、なんか似てるから……」
うちはこれでもツキネのことは誰よりも知っているつもりだ。
だから、『似ている』という言葉で思い当たるツキネの知り合いは一人しか知らない。
「それって……クロネに?」
「……うん」
久々に聞いたその名前にうちは懐かしさと少しばかりの寂しさ、そしてあの日の自分の無力さを思い出す。
いつもツキネと一緒にいたあの子は、うちにとってもう一人の妹分だったあの子は……もういない。
「クロ姉みたいに真っ直ぐだって思った……正反対に見えて似てると思ったから、千雪のこと……好き」
ツキネはどこか遠くを見つめるように呟く。
きっと思い出しているのだろう……まだ幼かった自分がいつも一緒にいた相手を。
「まだいっぱい話したかったし、一緒にいたかったなぁ……」
「……そうよね」
「クロ姉……会いたいな……」
「ツキネ……」
ツキネを抱きしめる腕に少し力を入れる。きっとこの子は寂しがっている。
うちもツキネと同じ気持ちで、行き所の無い寂しさをどうすればいいか分かっていなかった。
ただ、失ってしまったものはどんなに願っても取り戻せない時があるのだ。
うちはそれを二度経験し、ツキネも一度経験している。
だから後悔の無い生き方をしようと誓った。
「大切にしなきゃならないね……今という時間を……千雪様と一緒にいる時間を」
「……うん」
今、うち達にとって大切な時間は間違いなく千雪様との毎日だ。
ツキネは彼を慕っていて、うちもツキネと同じ気持ちでいる。きっと……千雪様には好意を抱いている。
だから千雪様ともっと一緒にいたいんだ……ツキネも、うちも。
「ただいま」
「おかえり! 千雪!」
「っと。あれ、髪結んでもらったのか?」
「うん!」
「そっか……可愛いな、その髪型も」
「ありがと……」
夕方になり、玄関先から聞こえてくる楽しそうなやり取り。
夕飯の準備の手を一旦止め、うちも玄関へ向かう。
「おかえりなさいませ、千雪様」
「ただいま。夕飯の準備中なら手伝うぞ?」
「いえ、大丈夫ですよ。千雪様は休んでいてください」
帰って来るとすぐに気遣いを見せてくれる千雪様。
彼はきっとそれが当然のように思って言っているだけだと思うけど……こちらとしては、そうやって気遣ってもらえると嬉しい。
だから、この人を慕いたいと思える。
きっとツキネもそうだろう。
『可愛い』という今の彼女にとって一番嬉しい言葉を真っ先にかけてもらえて、また千雪様を好きになったはずだ。
「それより、もうすぐセンター試験なんでしたっけ?」
「うん、親戚の人達がちゃんと行った方がいいって勧めてきたから。本当はあんまり乗り気じゃないけどな……学費とかだってかなりかかるだろうし」
「親戚の人達がそう言ってるならいいんじゃないですかね? いつか恩返しが出来ればいいと思います」
「それも……そうなのかな」
うちも千雪様には色々な恩を受けている。
だからその恩返しは毎日の家事と彼へのサポートでしたいと思う。
最近、彼の身体の中の氷河は大人しく妖怪も現れない。
それが逆に不気味に思えて、近いうちに何かが起こる予感がしていた。
これでも、うちはあの日から強くなったつもりだ。
もしも千雪様やツキネがピンチなら、うちは何が何でも助けてみせる。
もう二度と……大切なものを失いたくないから。
フラグを立てた通り、次回はキヌ回です。多分