プロローグ~狐の少女~
狐娘と少年のお話です。どうぞよろしくお願いします。
山に囲まれた地方の田舎町・奥羽森は今年も冬を迎える。
俺が生まれ育った里が空から舞い降りてくる冬の象徴によって白く染め上げられていく。
空気を吸えば肺の中が張り詰めるように冷え、歩き出せば積もったばかりの雪がきしきしと音を鳴らす。
もう完全に冬、だ。
今年で18回目の冬。一人になってから過ごす冬としては8回目。
今、目の前に広がる真っ白な世界とは間逆の、真っ赤な世界で……俺・降矢千雪は独りになったのだ。
忌々しい過去の思い出ほどいつまでも消えてくれないもので、いつまでも俺を苦しめる。
――もう、嫌だ。
何度そう思ったことだろう。
俺には両親がいない。そして友達と呼べる相手もほとんどいない。
毎日朝起きて、学校へ行き、特に何もせず家へ帰って来る。
そんな毎日のサイクルはつまらなくて、退屈で、もうたくさんだ。
それでも、今日も俺は学校へ行く。
親戚の人が高校くらいは卒業しておけ、と言って両親のいない俺を学校へ通わせてくれているからだ。
ただ、やっぱり学校はつまらないし行くのも正直面倒だ。
いっそのこと、学校へ行かずそこらの雪にでも埋まって眠ってみようか。
そんなこともなんとなくで考えてしまう程に、今の俺はどうかしている。
「……なんだ?」
バス停まで向かう道の途中、雪の上に何かが横たわっているのを見つける。
茶色いような黄色いような、そんな色の獣の毛のようにも見える。
近づいて見てみると、狐色という言葉をこの世で一番体言している獣が。そう、紛れもなく狐だった。
「……」
狐の後ろ足付近の雪が少し赤く染まっている。これは……血だろうか。
後ろ足をよく見てみると、深い傷がありそこから血が流れていた。
幸いにもまだ狐に息はある。
「おい……大丈夫か?」
「っ……きゃんっ……」
俺は狐の体に触れる。
足の痛みに悶えているのか、狐は苦しそうに小さな声で鳴く。
相手にしてしまうと、自然と情が湧いてしまうのは当然のことで……。
だが、俺は学校へ行くバスに乗らなければならない。乗り過ごすと、次のバスは一時間後だ。
さて、どうする?
……なんて、考えるまでもない。
意味も無い、つまらない、そんな時間を過ごす学校より狐の治療の方が大事だろう。
俺は狐を抱きかかえると、とある寺へ向かった。
寺には、唯一友人といえる恩人がいるのだ。
「和尚、いる?」
「おぉ、千雪か? どうしたんだこんな朝に。学校は行かなくていいのか?」
「この狐、放っておけなかっただよ」
俺は抱きかかえた狐を見せる。
この人は、この寺の住職であり両親を失った俺をつい最近まで面倒見てくれていた恩人だ。
名前は成田悟。そこそこ偉い坊さんなので和尚と俺は呼んでいる。
敬語を使うのが常識かもしれないが、距離感を感じるからと言って和尚が嫌がったのでタメ口だ。
「ん? 怪我をしているのか?」
「そうみたい」
「よし、こっちへ来い。暖かい場所に寝かせて手当てをしてやろう」
和尚は寺を出て、隣にある家へ向けて歩き出す。
俺は和尚についていく。
寺の隣にある家は和尚の家であり、過去に何度も訪れている場所だ。
居間まで行き、ストーブの前に厚めに敷かれたタオルの上に狐を寝かせる。
和尚は狐の足に消毒をしておいた包帯を手際良く巻く。
「まぁ、歩けるようになれば自然へ戻れるだろう。それまでは千雪が世話をしてやってくれ」
「分かった。ありがと、和尚」
「うむ。しかし、お前は本当に動物に優しいな」
「動物と和尚しか友達がいないんでね」
すると和尚は苦笑する。
「お前もいい加減友達、いや、恋人でも作ったらどうだ? お前の顔、多くの女は好きになるだろうに」
「なんか坊さんらしくない発言だな」
「俺は普段はこんなもんだって知ってるだろう?」
「全国の坊さんはこうでないことを願うよ」
なんというか、和尚は気さくで大雑把な所がある。そしてよく俺をからかう。
そんな和尚だから俺も打ち解けられたんだろうが。
「……きゅう」
狐の傍に座っていた俺に、狐が擦り寄ってくる。
「狐って人に懐くもんなんだな……」
和尚は感心したように狐を見つめる。
こうしてみると、狐って意外と可愛いな。
狐の頭を撫でてやると、ふわふわしている毛が気持ちいい。
「おぉ、そうだ。寺を空けるわけにはいかん。千雪、もうしばらくここにいて狐を見ているか?」
「そうするよ。今日はもう学校行く気分でもないし」
「じゃあ留守番頼むな」
和尚はそう言って去っていった。
他人である人間に何故留守番を頼むのか昔から疑問だったが、きっとかなり信頼してくれているのだろう。
「……」
狐はこちらをじっと見つめている。
……人間に慣れているんだな、こいつ。
「お前の名前、なんていうんだ?」
狐には答えられるはずもないのに、何故かそんなことを尋ねてしまう。
答えてくれるような気がした……そんなことを思いながら狐から視線を外し、天井を仰ぐ。やっぱりどうかしてるな。俺。
「私は――ツキネ」
「……え?」
それは一瞬のことだった。
俺が狐から目を離した数秒間――その間に狐はいなくなり、代わりに見慣れない女の子が座っていた。
どこか薄幸そうな整った容姿、狐色の綺麗な長い髪、頭の上には狐の耳のようなものがあり、ふさふさした尻尾がゆらりゆらりと彼女の後ろで揺れている。そして、着物のような服から覗く足には包帯を巻いている。
微妙に引っかかる部分もあるが……かなり美少女だと思う。
「君は……? てか……あの狐は?」
周りを見渡すがあの狐はどこにもいない。
戸惑う俺を見てか、その子はうっすらと笑みを浮かべる。
「私は狐火ツキネ。千雪、助けてくれてありがとう……」
ツキネと名乗った少女は可憐な声で答える。
そして、ゆっくりと俺の首に手を回し抱きついてくる。
服越しに伝わってくる彼女の体の感触は柔らかく、何故かいい匂いがする。
「っ……何をしてるんだ?」
「助けてくれた千雪に抱きついた。暖かい……」
正直、何がなんだか分からない。
狐がいた場所にいつの間にか女の子がいて、その女の子が俺に抱きついてきて……。
「さっきの狐が私なの」
「え?」
さっき狐がこの女の子に変身したとでも言うのだろうか。
にわかに信じがたいが、この女の子に触れられて感触はあった……少なくともこれは夢ではない。
しかし、狐が女の子になるなんてアリなんだろうか……?
そんな風に色々と考え込む俺を余所に、ツキネと名乗った少女は静かに笑って俺の手を握る。そして言った。
「助けてもらった以上、お礼をしたい……だから千雪、一緒に暮らしてもいい?」
これが俺とツキネの出会いだった。
そして……この出会いが、俺が抱えるもう一つの呪縛と向き合うきっかけとなった。
狐ときたら次は……ですよね。