死んだら神様
「※※ちゃん、起きて」
目を擦りながら体を起こした。若い男があたしを見ている。この人は…… お父様の友達だ。名前は知らないけれど。
「ごめんな、疲れてるのに。でも、お父さんに最後の別れしてあげて」
無言で腕を伸ばした。
「うん、行こうか」
彼は微笑み、あたしを抱き上げた。
「ちゃんとできるかしら」
首に腕を回して頬ずりする。いい匂いがした。
「大丈夫。簡単だから」
気がつけば階段を下りていた。彼は足音を持ってないのかも。
「すいません、連れてきました」
皆、一斉にこちらを振り向いた。年に一度会うかどうかの顔の群れ、それに彼に似た服を着た男たち。彼はあたしを下ろして、背中を軽く叩いた。なにかの合図だろう、でもあたしには分からなかった。困ったように彼を見上げたけれど、収穫は顎にそり残した髭を一本発見した程度だった。
「ごめんなさい」
少し離れたところに立つお母様に向かって頭を下げた。正解ではないけれど、的外れでもないはず。
「そんなことはいいから、ああもうっ、とっととおし。みんな待ってるんだ」
お母様は黄色い花をあたしに握らせて腕を引っ張った。
「入れなさい」
お父様の顔は酷く歪んでいた。苦しみ抜いた最期が容易に想像できた。でもそれに至る過程は全然思い浮かばなかった。
「お父様、今まで育ててくれてありがとう」
お母様の声を追いかける。
「さよなら、忘れません」
花が落ち、窓が閉まり、釘が打たれた。
「忘れません」
皆、泣いている。知ってる顔も、そうでない顔も。お父様は厳しい方だったけれど、本当は優しい人だった。要約するとそういうことらしい。
それはどうなのだろう。でも、あたしよりも長くお父様と居た人たちが言うことの方が正しい気もした。分からない、モヤモヤする。お父様の顔が浮かび、妙に心細くなった。
もうお母様しか居ないんだ。
「お母様っ」
気がつくと走っていた。
「大きな声を出すんじゃないよ、みっともない」
お母様はこれ以上ないほどゆっくりと振り返り、眉間に皺を寄せた。
「すいませんね、もう。できそこないで。困ってるんですよ」
お母様はヘラヘラしながら、周りの人に頭を下げた。
「なんだい? 早くしな」
「あの、お父様のこと…… 前に、お母様が言ってたとおりですね」
「分からないね。なんのことだい?」
「ほら、前に…… 死んだ人はみんな偉くなるって」
一瞬、音という音が消えた。
「まったくなんて子だよっ、父親が死んだっていうのに」
名も知らぬ花が尻の下敷きになった。頬が熱い。それに耳元でグワングワン鳴っている。
「お前が…… お前が死ねばよかったんだっ」
お母様は目頭を押さえて、駆けだした。周りの人は皆、あたしに一瞥もくれずにお母様を追いかけていった。
あたしは喧騒が去ってから自力で立ち上がり、尻と手についた泥を払った。
「※※ちゃん、大丈夫?」
彼だ。声だけで分かった。
「駄目。ねえ、抱っこして」
彼は微笑み、あたしを抱き上げた。
「お母様に叩かれてしまったわ。どうしてかしら。ねえ、死んだ人はみんな偉くなるんじゃないの?」
顎のラインを鼻先でなぞる。髭は反対側だった。
「どうだろう。神様になると言う人もいるね」
「神様…… みんな?」
「うん、そうだよ」
「嘘よ」
彼の肩に顔を埋める。
「どうして?」
いい匂い。
「ねえ、どうしてそう思うんだい?」
お母様の匂いだ。