劉備死す 後編
「おお、これは……。
炭火を受けてぷくりと膨らんできまする!」
「誠、奇妙なものよな。
いかなる働きによって、そうなるのか……」
趙雲に対し、劉備が頷いている間、孔明は羽扇で鼻まで隠しながらじっとそれを観察していた。
しかし、続く言葉を思えば、これは鼻のひくつきを隠していたに違いない。
「香りを嗅いでみますれば、これは米を焼いたもののように思えます。
が、米の粒というものは見えない。
ならば、すり潰して固めたということか……。
それにしても、なんと白きことか。
これは、よほどに時間をかけて丁寧につき、脱穀したのでしょう」
軍師の言葉を受け、趙雲と共に香りへ意識を集中する。
孔明の観察力には一歩譲るが、劉備たちとて野戦を駆け抜けてきた将であり、五感には自信があった。
実際、意識を集中してみると、なるほど、炭火の香りに混ざって米の芳香が感じられたのである。
「言われれば確かに……。
一也殿、我が軍師の観察は当たっているかな? どうか?」
「ご明察。
さすがは、世に名高き臥龍というしかありません。
これは、蒸し上げた米をついてこねあげ、固めたものです」
「ほおう。
蒸すまではともかく、そこからさらについてこねる、か。
想像すれば乱暴だが、出来上がったものはこう……愛らしい」
一也の解説を受けながら、眼下のそれを見る。
取り除いた鉄板に代わって敷かれた網の上で、炭火を受けて焼かれしもの……。
それは、四角く小さな純白の塊であった。
正体は今解説された通りのものであり、炭の火によって焼き目を付けつつ、内からぷくりと膨らんできているのである。
これを愛らしいと劉備が感じたのは、調理と思えぬ面白おかしさが、餅の膨れ上がる様に感じられたからだろう。
「愛らしい。
なるほど、食べ物に使う言葉ではありませぬが、これなる品を表すには、いい得て妙と思えまする」
「陛下も、なかなかに詩人であらせられますな」
「ははは、盧植先生からは、あまり詩文には向いていないと言われたがな」
趙雲と孔明の言葉は明らかなおだてであったが、しかし、悪くは感じない。
それに、自分としては素直な感想の発露でしかないのだから、他者にどう思われようとも関係はないのだ。
「兄ィ、そろそろいいんじゃない?」
「そうだな。
味付けは――」
二人並んで餅を焼いていた北海兄妹だが、不意に妹の方が兄に耳打ちした。
「……ん。
まあ、そうだな。
それに、高岩さんが丹精込めて育てたもち米を、昔ながらに蒸籠で蒸してついた餅なんだ。
そのままの味を確かめてもらうのは、いい案だ」
会話の内容を思えば、味付けに関して話していたのだろうか?
しかし、劉備からしてみれば、炭火――思えばこの炭も信じられぬ良質さだ――によってかぐわしく焼かれ、米の風味を香りだけで感じさせるこの品に、塩などは不要と思える。
らー子もまた、そう考えて兄を諭したのだろう。
(女人であり、年下である者の意見も柔軟に取り入れるか。
なるほど、一也殿は出来ておられる)
その一也が、感心する劉備に向けて、長い箸で餅を掴み上げる。
「さ、まずは何を置いても、陛下にご賞味頂かなければ」
「ありがたい。
では、ご好意に甘えるとしよう」
すでに餃子も焼売も食い尽くし、空となっている皿にそっと餅が載せられた。
「では、さっそく……」
自身が愛らしいと称したそれを箸で持ち上げ、早速にも齧りつく。
趙雲を始め、配下の者たちは興味深げにその様を見ていたが……。
続いて起きたことには、孔明すらも目を見開いたのである。
「こ、これは!」
「――伸びた!?」
「なんと、摩訶不思議なことよ!」
ざわりざわりと、驚き慌てる蜀の精鋭たち。
一方、口の塞がっている劉備は当然何も言えずにいたが、驚きへ目を見開きはしていた。
何に驚いたか。
ぐにゅりと伸びた餅に対してなのは、当然。
しかし、それ以上に驚いたのが……。
(う、美味すぎる……!)
このことであった。
そも、白米というものが馳走の第一であることは、説明するまでもない。
多くの人間にとって、日々の糧とは粟やひえなどの雑穀。
土地の力が強いこの成都周辺であっても、その原則は変わらないのである。
劉備自身も、父母やこれまで師としてきた人物たちの教えに従い、普段は節制を心がけ、戦場でないなら白米は自重していた。
ゆえに、これは――染みる。
ほんの一口噛んで、口中に広がった味……。
それは、米の持つ甘みを濃縮したものであったのだ。
(あわく、上質な米の甘さが、ねっとりと絡みつきながら口の中を蹂躙していく。
なんという贅沢。
そして、他に得られぬ食感よ)
伸びに伸びた餅をようやく噛み切り、口の中で咀嚼する。
歯を受けた餅は、もちゃりもちゃりと変幻自在に口の中で形を変え、その度に淡い甘さを解き放っていく。
しかもそれが、炭火の香りをまとっているのだから、なるほど、調味料を用いるのは愚行と思えた。
米というものは、食材の王。
で、あるならば、その良さを濃縮することに成功しているこの食べ物は、神の食と呼んで差し支えあるまい。
(この劉備玄徳。
食というものに、感動を抱いたわ!
そう、これは……これはまるで……。
天にも昇るかのようだ!)
そのような思いと共に、咀嚼した餅を飲み込んだ!
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そして劉備は、夢を見た。
夢の中で自分は、実家の前に生えていた大きな桑の木の下に立っており……。
目の前には、亡き父母と、長坂の戦いで死んだ妻が立っていたのである。
懐かしき顔に出会った劉備は、思わず駆け寄ろうとしたが、しかし、それは制止された。
ちょっとやそっとの制止ではない。
大慌てになって両手を突き出し、必死に声を張り上げながら押し留めようとするガチのやつである。
不思議なことに彼らの声は聞こえなかったが、「バカ」とか「アホ」とか言ってるのが唇の形で読めて、ちょっと悲しくなった。
自分、がんばってるんだけどなー。
漢中王名乗って蜀を興して、これから曹操へ目にもの見せて漢王朝の復興するところなんだけどなー。
そんな風にちょっぴり拗ねてしまう劉備を、不意に落下感が襲う。
それはきっと、目が覚める予兆。
ともかく……寂しい夢であった。
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一方その頃、現世では。
「逝くな劉備! 帰ってこーい!
趙雲さん! 強いの一発、頼んます!」
「心得た!
陛下許されよ……!
――おあたあっ!」
餅を喉に詰まらせて窒息死寸前の劉備が一也に抱きかかえられ、趙雲から決死の腹パンを受けていた。




