おじさま呼びの基準
時間の流れというものは、一定ではない。
楽しい時や忙しい時ほどあっという間に流れていくもので、劉備玄徳が餅を喉に詰まらせるというあんまりにもあんまりな理由で史実より早く逝きかけるというイベントも、俺たちの時間をマッハで流し去った。
で、そもそもおやつ時にふさわしいという時間帯に劉備と出会い、あっという間に時間が流れてしまうと、どうなるか?
答えは簡単。夜になったのである。
「本当にいいんですか? 配下の方々は野営で。
薪もないから火を起こせないし、夜の外は冷えるでしょう?
――あ、履物は脱いでお入りください」
らー子と共に玄関口へ蜀の英雄たちを案内した俺は、壁にかけられた温度計を見ながらそう尋ねた。
爺ちゃんのそのまた親父の代から使っているという大型の木製時計が示す気温は、17度。
そして、現在の時刻は、腕時計によると20時――合ってるかは知らない――である。
感覚から考えると、深夜帯には10度くらいまで下がるのではないかと思えた。
暖もなく外で過ごすには、きつい気温だ。
「無論、南蛮の者たちならばいざ知らず、土足で他者の家に踏み入る我らではありませぬ。
そして、配下の兵たちに関しては、どうかおかまいなく。
いずれも、趙雲殿によって鍛えられし野戦を得意とする者たち。
まとうものも用意してありますから、今時分の夜くらいはなんともありませぬ」
したり顔で履物を脱ぎつつ、孔明がすらすらと答える。
「私としては、風をしのげる場所に入れてくれるというのですから、廊下でもどこでもいいので兵を入れてやりたいのですが?」
「うむ。
不満というのは、上の人間がつまらぬと思うことでこそ溜まるものだ。
自分たちは夜風に耐えているというのに、上司は暖かい家屋へ逃れているというのは、あまりよくなかろう」
それに対し、反対意見を述べるのが直接の上司である趙雲と、そのまた上司というか蜀の王である劉備だ。
見方を変えれば、戦士組ともいう。
兵たちの健康と心情をおもんばかっての発言は、それゆえにこそだろう。
やっぱ、歴史に残されてる通り人間のできた人たちなんだなあ。
ちなみに、さきほど窒息死寸前まで追い込まれ、趙雲必殺の腹パンによって餅を吐き出したばかりの劉備は、思いのほかに元気である。
ばかりか、命を救ってくれたことを俺と趙雲に厚く感謝してくれた。
事情があるとはいえ、封建社会で王に対し腹パンしたことを不問とするとは、なんたる器の大きさよ。
そういうところでも、“仁”の人だということを強く意識させられるな。
だから、近衛兵さんたちを含む俺らは互いに目配せし合い、あのクソほど情けない一件は忘れようと無言で誓い合ったのである。
「趙雲殿と劉備殿が愛する兵たちを大事にする想い、この孔明よくよくわきまえております。
しかしながら、これは一也殿とらー子殿の身の安全を思えばこそ。
今後も、選定された者以外は、一歩たりとも敷居をまたがせぬのがよいでしょう。
また、僭越ながら申し上げますが、ご兄妹にも、そのことは徹底して頂きたい。
屋敷の主であるお二人を差し置き、半ば命じるような形となるのは恐縮ですが、それがあなた方のためにもなるでしょう」
羽扇で口元を隠した孔明の眼差しは、なんというかこう……怖い。
これは、意図して威圧感を与え、俺たちに釘を刺しているに違いないと思えた。
つまり、あの諸葛亮孔明がそうすべきと判断しているのだ――どこまでお見通しなんだろう?
「兄ィ。
他ならぬあの孔明おじさまがこう言ってるんだから、言われた通りにしよ?」
「そうだな。
孔明様の仰る通りにいたします」
相変わらず伝説の英傑をおじさま呼びするらー子に対し、うなずく。
孔明さんの言うことには従った方がいい。俺は詳しいんだ。
ちなみに、従わず失敗するとどうなるかは、我らが馬謖パイセンによって証明されている。
……そのうち、ご本人とも会うことになるのかなあ。
「むう……。
孔明先生がそう言われるのならば、わしはその言を聞き入れよう」
「ですな。
いつも通り、深いお考えがあるのでしょう」
そして、あっさりと引き下がる劉備&趙雲の武人ズ。
さすが孔明だ。信頼が厚い。
多分、他の人間が同じことを進言しても、聞き入れられないんじゃないかと思う。
「それで、こんなのしか明かりがなくて、恐縮なんですけど……」
さておき、そんな俺たちがいかなる明かりによって照らされているのかといえば、らー子が手にしたろうそくであった。
非常用に備えているろうそくを、空の缶詰に立てているのである。
何しろ、電気がもう通ってないからな。
……といっても、懐中電灯という選択肢は当然存在するのだが。
アニメやドラマに登場する都会の夜と違い、俺が暮らしていた町の夜はガチで夜。街灯すらろくに存在しない。
ゆえに、大型の懐中電灯は必須……それも、複数備えているのだ。
これを使わない理由は、電池をけちったからではない。
複数所持している中には、ソーラーランタンもあるからな。
永遠に使えるものではないが、無駄にケチる必要もなかった。
が、あえてそれを使わず有限のろうそくに頼るのは、どこまで現代のテクノロジーを見せるか、慎重に判断していきたいから。
妖怪扱いされて、首をはね落とされる。
そんなことが、現実に起こったとしても俺は驚かない。
今は西暦220年代。
人々の中で、幻想と現実が入り混じっているだろう時代なのだ。
そうすると、こういう意見も俺の中で出てくる。
だったら、劉備たちも家の中に入れるべきじゃないだろう、と。
何しろ、隠す時間などないので、家の中は現代の家電などが普通に置かれたままの状態だ。
多くは電気がないので動かなくなっているが、電池式の壁掛け時計などはツッコミ待ちの五秒前みたくなっていた。
それを踏まえて彼らを泊めることにしたのは、処されるのが怖いから。
王様を外に放り出して自分たちは家屋の中でぬくぬくとか、打ち首待ったなしである。
ゆえに、覚悟を決めてフルオープンしたのであり……。
……「ふふふ、分かってますよ一也殿。余人に家の中は見せませぬよ」と言わんばかりな孔明の進言には、内心ガクブルしているのであった。
「なんと、謙遜するな。
これほど見事な質のろうそくを見たは、初めてのことよ」
「いかにも。
これは相当に腕利きの職人が手がけていますな」
そんなわけで、俺たちからすれば頼りなく小さな光であるが、劉備と趙雲は感心しきりという顔でろうそくを見つめている。
あー、そうか。
この時代に使われているろうそくは、多分蜜蝋とか動物の脂を使ったもの。
俺たちの時代で使われているろうそくすら、超オーバーテクノロジーなのであった。
「ふむ……」
やめて孔明、考え込まないで。
あなたがそれやると、超怖いの。
「寝るのは、こちらの客間で。
お布団と枕、合えばいいんですけど」
さておき、らー子が能天気に英雄三人組を客間に案内する。
そこで、ふと立ち止まるとこんなことを言い出した。
「ところで、趙雲様は鎧を脱がないのですか?」
「ああ、寝所に通して頂いてからと思いまして。
ところで……」
なんてことのない質問に、なんてこともなく返す趙雲。
その瞳が、きらりと輝いた理由とは……?
「私は、おじさまではないのですな?」
「えー?
だって、趙雲様はすっごく若々しいし!」
グッとガッツポーズする趙雲子龍を、劉備と孔明が冷ややかな目で見つめた。




