土の章 ― 命芽ぐる祠 ―
登場人物紹介
―― 命は選ばれず、巡る。芽吹きは祈りの形となって、大地に息づく。――
◆主要人物
透牙
風の符使い。炎と水の理を経て、今は“命を赦す”という新たな道を見出そうとしている。
誰かのために拳を握る少年。その純粋な怒りと優しさが、芽羽の心を動かした。
「奪う理があるなら、赦す理を俺たちが作る。」
結
祈りの筆使い。筆に刻むのは言葉ではなく、命の記録。
土に触れ、芽羽の記憶を綴ることで“選ばれなかった命”の祈りを形にしていく。
「命の声は、まだここにある。消えたなんて、誰が決めたの?」
晴明
理を読む陰陽師。五行の理を統べる者として、“命循陣”を編み出す。
過去の理を否定せず、赦しへと導く静かな力を持つ。
「命は土に還り、祈りは芽となる。それが理――そして赦しだ。」
⸻
◆土の祠に関わる者たち
芽羽
土の祠の守人。幼い少女の姿をしているが、実は大地に宿る“命の記憶”そのもの。
かつて選ばれなかった芽たちの声を受け継ぎ、祈りとともに蘇った存在。
「わたしは、“選ばれなかった命”の記憶でできているの。」
彼女の涙が、新たな命循環の理“命循陣”を生んだ。
根巫
土の理を司る巫女。目を覆い、地中の声を聴く“命の選別者”。
かつて神の命によって芽吹く命を選び、枯れる命を封じた。
しかし芽羽との出会いで、“選別”の理を“赦し”へと変えていく。
「死もまた、次の命の土となる。」
土禍
大地に封じられた禍神。命の終わりを担う“滅びの理”。
かつて根巫に抗い、命の選別を拒んだために封印された。
芽羽の祈りに触れ、滅びの理から“巡り”の理へと還っていく。
「終わりではない……始まりだ。」
⸻
◆命の祠に息づく記憶たち
芽吹きの声たち(“選ばれなかった命”)
芽羽の中に宿る無数の声。かつて芽吹くことを許されなかった命たちの祈りが、
芽羽の笑顔とともに花として咲き誇る。
「わたしたちは、まだここにいる。」
⸻
◆象徴と技
命循陣
晴明が編み出した、命の流れを止めず巡らせる五行の陣。
芽羽と根巫の祈りを媒介に、滅びを赦しへ、終わりを始まりへと転ずる。
芽ぐる祠
大地そのものが祈りの器となった場所。
芽羽が還った後も、命の記録と祈りが絶えず循環する“理の根”。
あらすじ
水の祠を後にした晴明たちが次に辿り着いたのは、
風の止んだ森――大地が息を潜めた“土の祠”だった。
そこはかつて、神が命を選び、
「芽吹く命」と「枯れる命」とを分けた地。
選ばれなかった命の記憶は、土の底に封じられ、
祈りも涙も届かぬまま、永い沈黙を続けていた。
その祠で彼らが出会ったのは、土の中から生まれた少女――芽羽。
彼女は無垢な微笑みの裏に、無数の“選ばれなかった命”の記憶を宿していた。
やがて姿を現す“命の巫女”根巫。
彼女はかつて、神託に従い命の選別を担っていた存在だった。
彼女の涙を見た者はいない。
だが、芽羽だけは知っていた――根巫が夜毎、
土の中で“赦されぬ命”のために泣いていたことを。
そして封印の底から目覚めるのは、滅びを司る禍神・土禍。
彼はかつて命の平等を願い、理に逆らった罰として封じられた神。
彼の怒りが再び地を揺らし、大地は裂け、命は再び裁かれようとする。
透牙と結は、芽羽と共に“選別の理”に抗う。
晴明は五行の水陣ならぬ“命循陣”を展開し、
土の理そのものを書き換えようと試みる。
芽羽の最後の祈りが、朽ちた地に光を落とす。
「命は選ばれない。命は、巡るものだから。」
芽羽は土に還り、
根巫と土禍は赦し合い、
沈黙していた大地が、再び芽吹きを取り戻す。
その朝、
大地には花が咲き、
風が息を吹き返す。
晴明は祠に新たな符を刻む。
「命を選ばず、命を巡らせよ。」
それは、滅びの地を再び命の循環へと還す――
新たなる理の誕生だった。
第一章 芽吹く祠、沈黙の地
霧を抜けた先、世界は音を失っていた。
風もなく、鳥の声もない。
ひび割れた大地が、まるで長い眠りに落ちたように沈黙している。
透牙が一歩、足を踏み出すたびに、土が乾いた音を立てて崩れた。
空には雲ひとつなく、だが光もない。
灰色の天と焦げた土の境界線に、古びた祠がぽつりと佇んでいた。
「……ここが、“土の祠”か。」
透牙がつぶやいた声は、風にさえ流されず、ただ空気の中で沈んでいく。
結が筆を取り、足元の土をそっとなぞる。
その筆先が音を立てることもなく、乾いた地を走った。
「……ここには、“息”がない。」
彼女の声は、まるで祈りを吐くように小さかった。
晴明が前に出て、祠の前に膝をつく。
掌を大地にかざすと、微かに脈動のようなものが伝わってきた。
「沈黙しているが……死んではいない。」
彼の瞳が、地の奥を覗き込むように細められる。
その瞬間、足元の土が柔らかく膨らみ――ぽん、と音を立てて弾けた。
乾いたはずの土から、小さな芽が顔を出す。
その芽はふるえ、光を浴びぬまま、まるで呼吸をするように開いた。
そして――その芽の中から、少女が現れた。
土の色をした髪、陽に透けるような白い肌。
年の頃は十にも満たぬように見えるが、その瞳の奥には、無数の時を越えた静寂があった。
彼女は祠の前に立ち、手を胸に当てる。
「ここは、命が眠る場所。」
その声はまるで土そのものが語るように柔らかく、どこか懐かしい響きを持っていた。
透牙が思わず一歩前に出る。
「君は……誰だ?」
少女は小さく首を傾げ、微笑む。
「わたしは――芽羽。」
彼女は両手を広げ、周囲の荒れた大地を見渡した。
「ここには、たくさんの命が眠っているの。
でもね……みんな、目を覚ましたの。」
沈黙していた空気が、わずかに震える。
結が筆を止め、晴明が目を細める。
「あなたたちは――誰の芽を探しに来たの?」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
風が吹かぬまま、祠の鈴がひとりでに鳴った。
それはまるで、大地そのものが目を覚まそうとしている合図のようだった。
第二章 芽羽、記憶の花
祠の前に立つ少女――芽羽は、両の掌をそっと地面に当てた。
乾ききった大地が、わずかに震える。
沈黙が走り、次の瞬間、ひび割れの隙間から光が漏れた。
光はゆっくりと伸び、やがて土の中から――小さな一輪の花が咲いた。
花弁は透き通るように淡く、まるで命の息をそのまま形にしたようだった。
風もないのに、微かに揺れている。
芽羽はその花に触れ、静かに語る。
「この花は、かつてここで生きた命の記憶。
忘れられた命たちの声なの。」
結が息をのむ。
晴明は一歩進み、懐から符を取り出した。
符が花の上で光り、淡い青の文字が空中に浮かぶ。
晴明の瞳に、その文字列が映る。
「……“選別”された命。神の名のもとに、咲くことを許されなかった者たちか。」
その言葉に、芽羽の肩がわずかに震えた。
彼女は両手で花を包み込み、目を伏せる。
「私は……選ばれなかった“芽”の記憶でできているの。」
その声は小さく、それでいて祠の奥深くにまで響いた。
透牙が拳を握りしめる。
「選ぶなんて……誰がそんなことを決めたんだ。」
怒りと悲しみが入り混じった声に、芽羽が顔を上げる。
その瞳には涙の代わりに、淡い光が宿っていた。
「命はね、本当は、みんな同じなんだよ。
でも――“地の理”は、そうじゃなかった。
芽を吹くことを許された命と、眠らされた命。
その区別を……“根巫”が決めたの。」
沈黙が降りる。
晴明が目を閉じ、土に掌を当てる。
大地の奥から、低く、深い呼吸のような音が響いた。
「……根巫。地の理を司る巫女か。」
晴明の声が、静寂を裂く。
「彼女こそが、“命の選別”を行った存在――」
土の奥から、かすかな声が届いた。
それは誰かの祈りにも似て、悲鳴にも似ていた。
『選ばれぬ命は、地に還れ。芽を吹く資格なし。』
結の筆が、震えた手の中で止まる。
「……これが、“土の理”?」
芽羽はゆっくりと立ち上がり、祠の奥を見つめる。
「理は、ただの掟。でも、掟が命を縛っている。」
彼女の声は土の奥へと溶けていく。
そして、静かに告げた。
「――根巫は、まだ眠っているの。
でもね……もうすぐ、目を覚ます。」
その瞬間、祠の奥から低い唸りが響いた。
土の表面がわずかに波打ち、まるで大地そのものが息をしているようだった。
晴明は符を握りしめたまま、静かに言った。
「ならば、目覚める前に――真実を見なければならぬな。」
芽羽は振り返り、柔らかく微笑む。
その瞳には、咲いたばかりの花と同じ光が宿っていた。
「どうか、忘れないで。命は、選ばれるために生まれたんじゃない。
――ただ、生きたかっただけなんだよ。」
第三章 根巫の審き
大地が、低く唸った。
祠の奥――ひび割れた地面の裂け目から、白い霧が立ちのぼる。
霧の中に、ゆらりと人影が現れた。
白土の衣をまとい、顔の上半分を布で覆った女。
その足元からは、土の粒が絶え間なく零れ落ちていた。
――それが、地の巫女・**根巫**だった。
彼女は一歩ごとに、まるで大地と一体となるように静かに歩み出る。
そして、乾いた声で言った。
「命を選ぶのは、私。
育つもの、枯れるもの――それが“理”。」
祠の空気が凍りつく。
芽羽が息をのんで、地面を見つめた。
晴明が静かに符を展開しながら、一歩進む。
「では――枯れた命に、祈りはないと申すか。」
根巫はその問いにも動じず、ただ淡々と答えた。
「祈りは、芽吹きを妨げる。
土は流れを選ばねばならぬ。
だから私は、泣かない。」
その瞬間、芽羽が声を張り上げた。
「うそ……! あなたは泣いていた!
土の中で、ずっと――!
枯れた命たちの声を、あなたは聞いていたのに!」
根巫の身体が、わずかに揺れる。
静寂が流れた。
その頬に、ひとすじの涙が落ちた。
白い布の下からこぼれたその涙は、土の上に吸い込まれ、
一輪の小さな花を咲かせた。
「……見えていたのね。
私の、“赦されぬ涙”を。」
根巫の声が震えた。
その震えは、祠の奥に眠る無数の命の記憶を呼び覚ます。
地の底から、ささやきのような声が溢れ出した。
『私たちは、咲きたかった。
陽の光を、一度でいいから見たかった。』
結が筆を握りしめる。
「……これが、選ばれなかった命たちの記憶……」
透牙が低く呟いた。
「じゃあ……“理”ってなんだよ。
命を分けるための掟なんて、誰が望んだ?」
根巫は黙って立ち尽くす。
彼女の足元では、芽羽がそっと膝をつき、
両の掌でその花を包み込んだ。
「根巫……あなたは、悲しみを抱えたまま“理”を守ってきたんだね。
でも――今なら、変えられる。
泣いていいよ。命のために、あなたが泣いていいんだよ。」
その言葉に、根巫の布がはらりと落ちた。
光を受けたその瞳は、閉じたままなのに、確かに“見て”いた。
「芽羽……あなたが、私の失った“芽”なのね。」
彼女の声に、芽羽は静かにうなずいた。
大地が震える。
祠の壁に刻まれた紋様が、柔らかな光を帯びて浮かび上がった。
晴明は符を掲げ、祈るように呟く。
「理とは、命を縛るものにあらず。
赦しの中でこそ、理は息づく。」
その瞬間、根巫の身体が光に包まれた。
彼女の涙が土へと還り、花々が次々と咲き誇る。
命の息吹が、大地に戻っていく。
芽羽が微笑む。
「これで……少しは、救えたかな。」
根巫の声が、風に溶けた。
「――ありがとう、芽羽。次は……あなたの理を、生きて。」
風が吹いた。
止まっていた森が、静かに揺れ始める。
大地に、再び“息”が戻っていった。
第四章 封じられた土禍
地の底が呻いた。
祠の床に走った亀裂が、蛇のように広がっていく。
空気が揺れ、土の匂いが重く満ちた。
晴明が即座に符を展開し、声を低くする。
「……封が、破れる。」
轟音とともに、地面が裂けた。
黒い土煙が噴き上がり、祠の天井を突き抜ける。
その中心に――巨大な影が姿を現した。
歪んだ角、泥に覆われた腕。
その身体からは、命が腐るような匂いがした。
それが――禍神・土禍。
かつてこの地に「終わり」をもたらした存在。
「命が芽吹くたびに、死が私を呼ぶ。」
低く響く声が、祠の石壁を震わせた。
「私は大地の“終わり”だ。」
芽羽が顔をゆがめ、胸を押さえる。
「……あの声、知ってる……。
あの人は……私を……守ってくれた……。」
根巫が震える唇で言葉を絞り出す。
「彼はかつて、命の選別を拒んだ者。
選ばれぬ命にも祈りを与えようとした。
だから罰を受け、“滅び”の理に囚われたの。」
その言葉に、晴明の目が細められる。
「つまり――“終わり”は、“慈悲”の裏返し。」
土禍が一歩、踏み出す。
その足跡ごとに、花が萎れ、草が灰に変わっていく。
「慈悲は腐敗を生む。命に限りを与えねば、世界は膨れすぎて崩れる。
だから私は、生まれ続ける命を終わらせる。」
透牙が怒鳴る。
「それで……! 誰が生きていいかを、お前が決めるのか!」
禍神は沈黙した。
その瞳に宿るのは、哀しみだった。
「私は決めぬ。ただ……命が尽きるのを見届けるだけだ。」
芽羽が震える手で、祠の土を掬う。
土の粒が、まるで生き物のように彼女の掌の中で震えていた。
「……この土、あたたかい。
あなたの涙で、できてるの?」
禍神の巨体がわずかに揺れた。
黒い煙の中から、低い呻き声がこぼれる。
「かつて……一つの芽を、救おうとした。
小さな命だった。まだ光も知らぬ。
だが、その芽が腐れば、森すべてが滅びると、神々は言った。
私は……救えなかった。」
芽羽が静かに歩み出る。
その小さな背中を、晴明が見守る。
「あなたが救おうとした“芽”――それが、私なのね。」
土禍の瞳が揺れる。
「……芽、羽……?」
芽羽は微笑んだ。
「私、あなたの想いから生まれた。
だから、あなたの涙も、苦しみも、全部覚えてる。」
禍神の身体を覆っていた黒い土が、ひとひら、ひとひらと剥がれ落ちていく。
内側から淡い光が滲んだ。
「命を奪う理ではなく、命を赦す理を――あなたと、作りたい。」
芽羽が手を伸ばす。
その手を包むように、晴明が符を掲げた。
「陰陽・再生の印――“理の結陣”!」
五つの符が宙に舞い、祠の中央に光の陣を描く。
芽羽の掌が禍神の胸に触れた瞬間――
黒い大地から、無数の芽が一斉に伸び始めた。
透牙が目を見開く。
「……これが、命の赦し……!」
禍神の声が、柔らかく響いた。
「芽羽……お前が生きてくれて、よかった。」
その身体がゆっくりと崩れ、土へと還る。
残されたのは、ひとすじの光と、
芽羽の掌の中に芽吹いた、小さな双葉だけだった。
晴明がそっと呟く。
「滅びもまた、命の理。
だが――赦しは、その理を超える。」
芽羽は双葉を胸に抱き、目を閉じた。
「あなたの涙は、もう終わり。
これからは、私が“芽吹き”の理を生きる。」
そして、静かな風が吹いた。
大地の亀裂が閉じ、土の祠に柔らかな光が満ちていく。
命の鼓動が――再び、地の底から響きはじめた。
第五章 命の記録、滅びの砂
大地が呻き、祠が崩れ始めた。
壁の符が剥がれ、天井から土が降る。
地の底から吹き上がる風は、砂混じりの呻き声のようだった。
その中心で、土禍の影が再び姿を現す。
禍神の輪郭は崩れ、無数の砂となって流れている。
「命は等しきものではない。」
その声は祠全体に響いた。
「芽吹きは奪い、滅びは均す。
私はそれを繰り返す――それが、大地の理。」
透牙が符を構え、拳を握る。
「なら……その理を、俺たちは書き換える!」
符が閃き、風の刃が土煙を切り裂く。
「奪うことが理なら、俺たちは“赦す理”を作る!」
晴明も立ち上がり、符陣を展開する。
「五行、再構成――“命の循環”を起こせ!」
大地が光に包まれ、封印の符が反転していく。
だが、土禍の影はなお抗うように揺れた。
「赦しは秩序を乱す……命が溢れれば、世界は崩れる!」
その叫びの中で――芽羽が祠の中央に膝をついた。
掌を地に押し当て、静かに呟く。
「……命の声が聞こえる。」
その声は、まるで祠の奥底から響いてくるようだった。
「“選ばれなかった命”が、まだ生きたいって……言ってる。」
芽羽の瞳が光を宿す。
その身体から、淡い光が零れ落ち、やがて無数の光粒となって大地を照らした。
土の割れ目から、小さな双葉が一斉に芽を出す。
光に照らされた芽たちは、まるで命そのものが息を吹き返したようだった。
「芽羽……!」
結が叫ぶ。
筆を握る手が震えている。
「あなたは……命の記録そのもの……!」
芽羽は微笑み、ゆっくりと立ち上がった。
「命は選ばれない。
芽吹くことも、枯れることも――祈りの一部なの。」
その言葉に、土禍の身体が静かに崩れ始める。
黒い砂が風に舞い、やがて祠全体を包み込む。
彼の声が、最後に響いた。
「……それが、お前の“理”か。
ならば、私はそれを抱いて……眠ろう。」
砂嵐が止み、代わりに柔らかな風が吹いた。
祠の中央に立つ芽羽の身体が、光に溶けていく。
透牙が一歩、前へ出ようとするが――晴明が手を伸ばして制した。
「行くな。彼女は――祠と一つになる。」
芽羽は振り返り、微笑んだ。
「私は、土の記録になる。
でも、いつかまた……誰かの芽吹きの中で会える。」
結の頬に涙が伝う。
「芽羽……あなたの言葉、必ず筆に刻む。」
芽羽が静かに目を閉じた瞬間、祠全体が光に包まれた。
崩れた壁は再び形を取り戻し、ひび割れた大地には花々が咲き始める。
土禍の影は消え、代わりに芽羽の声が風の中に残った。
――「命は流れ。赦しは、その根になる。」
晴明がそっと呟く。
「理が変わった。滅びではなく、記録として……命が巡る。」
透牙は地に手をつき、芽吹いた小さな草を見つめた。
「これが、芽羽の祈りか。」
大地は、静かに息をしていた。
滅びの砂は消え、代わりに――無数の芽が、命の祠を覆っていた。
第六章 命循陣
風が止み、土の香が広がる。
祠の崩壊は止まり、ただ光だけが残っていた。
その中心に――晴明は静かに膝をつき、指先で大地に陣を描き始めた。
五色の符が風に舞い、淡い光を帯びながら地に吸い込まれていく。
「流れを断たず、命を巡らせる――“命循陣”。」
晴明の声が、まるで祈りのように響いた。
その筆跡は、火・水・木・金・土――五行の円環を成してゆく。
陣の中央に、芽羽と根巫の姿があった。
芽羽の身体はすでに祠の光と一体となり、輪郭が淡く揺らめいている。
根巫はその手を取り、静かに目を閉じた。
「命は選ばれない。命は巡る。」
芽羽の声が風に乗る。
「死もまた、次の命の土となる……。」
根巫が続けた。
二人の声が重なり、陣の紋が脈動を始める。
光はやがて祠の外へと流れ出し、森へ、谷へ、遠くの大地へと広がっていった。
その瞬間、崩れていた土禍の身体が光に包まれた。
黒い砂が溶け、柔らかな輝きに変わっていく。
「……ああ、これが……終わりではなく、始まりか。」
土禍の声は静かで、どこか安らかだった。
その光は風に散り、やがて大地の奥深くへと消えていく。
沈黙のあと、大地が息を吹き返すように震えた。
土の裂け目から、無数の芽が一斉に吹き出す。
小さな葉が、光を浴びて揺れていた。
「芽羽……」
透牙が呟く。
胸に手を当てると、そこに微かな鼓動のような“声”があった。
――「命は流れる。あなたの中にも。」
晴明がゆっくりと立ち上がる。
その瞳に映る陣は、もはや封印ではなく、循環を刻む文様となっていた。
「祠は還った。けれど……理は終わらない。」
結が筆を握り、光の残滓を紙に描き写していく。
墨に溶けるように、芽羽の言葉が刻まれた。
命は選ばれず、赦されて巡る。
祈りは土に還り、やがて誰かの芽吹きとなる。
筆を置くと、風が優しく頬を撫でた。
それはまるで、芽羽の指先の温もりのようだった。
透牙は空を見上げる。
新しい風が吹いていた。
それは東――風の祠がある方角からの風だった。
「行こう。」
透牙が言う。
「芽羽の理が、次の地を呼んでいる。」
晴明が頷き、結が筆をしまう。
――芽ぐる祠、命の循環。
それは終わりではなく、新しい祈りの始まりだった。
芽羽の記録は、今も土の奥で息づいている。
誰かの命が芽吹くたび、その名も知らぬ声が、静かに囁くのだ。
――「赦しの理は、今もここに。」
第七章 大地の赦し
雨が降り始めた。
枯れた森にしっとりとした香りが満ち、ひび割れた大地が静かに息を吹き返す。
「……この音、まるで大地が息をしている。」
結が筆を握りながら、雨の音に耳を傾けた。
芽羽は静かに微笑み、根巫の掌に手を重ねる。
その指先から淡い光が広がり、土のひとつひとつに温もりを残していった。
「あなたが教えてくれた。“命は選ばれぬ”と。」
根巫の頬に、雨と涙の区別がつかない一筋の光が流れる。
芽羽はその涙を見て、柔らかく頷いた。
「わたし……芽吹きの中で生きるね。」
光が舞い上がる。
雨とともに、芽羽の身体が風へと溶けていった。
その光は祠の上空でひとつに集まり、やがて言葉となる。
――「命は還る。還り、次の理を呼ぶ。」
晴明がその声を聞き取り、目を細めた。
「……次の理、か。」
彼の足元で、地面に小さな芽が顔を出した。
だがその芽は、土の祠に属さぬ色――淡い黄金の輝きを放っていた。
「これは……土の理ではない。」
透牙が呟く。
風が吹いた。
雨の中に、かすかに熱のような気配が混じる。
それは火か、あるいは金か――
誰にもまだ分からない。
晴明は結の筆を見つめ、静かに言った。
「理は芽吹いた。次は――その芽が何を求めるか、見届けよう。」
結が頷き、筆先に雨を受けて一文字記した。
「命は巡り、理は芽吹く。」
その文字が、淡く金の光を放った。
森の奥で、微かに響く声があった。
それは火の鼓動にも似て、また風の囁きにも似ていた。
誰かが、次の祠で待っている。
その声が呼ぶのは、“次なる理”。
――芽羽の祈りが、それを導く。
最終章 命芽ぐる祠、旅立ち
夜明けの光が、濡れた大地を包んでいた。
昨日までひび割れていた土は、柔らかく息づき、祠のまわりには小さな花々が一面に咲き誇っていた。
透牙は花の間にしゃがみ込み、手を土に触れた。
その掌の奥に、かすかなぬくもりが宿る。
「……芽羽の声、まだ聞こえる気がする。」
風が吹き抜け、花びらが彼の髪をかすめていった。
隣で筆を抱いた結が、微笑みながら空を見上げる。
「きっと、この大地のどこかで笑っているよ。
ねぇ……この花、みんな芽羽の記憶なんだと思う。」
晴明は黙って祠の中央に立ち、古い石碑の上に新たな符を刻んでいった。
その筆致はゆるやかで、まるで呼吸のように静かだった。
「“命を選ばず、命を巡らせよ”――これが、新たな理だ。」
刻まれた符が淡い光を放ち、花々の間を流れていく。
まるで大地そのものが、その言葉に頷くように。
そのとき、風が再び吹いた。
花びらが舞い上がり、朝の光に溶けていく。
その中で、確かに誰かの声が響いた。
「ありがとう。
みんなの命が、めぐりめぐって、また会えるように……。」
――芽羽の声だった。
透牙は静かに立ち上がり、空を見上げた。
雲の切れ間から差し込む光は、どこまでも優しく、どこまでも広い。
「……行こう。」
彼の言葉に、結も、晴明も頷いた。
祠の奥から吹いた風が、三人の背を押す。
その風は、暖かくもあり、どこか遠くの理を呼ぶようでもあった。
「風だな……」と、晴明が呟いた。
「次の理が、我らを呼んでいる。」
透牙が笑った。
「芽羽の祈りが導いてくれるさ。どんな理であっても――俺たちが、それを見届ける。」
結は祠に一礼し、筆を胸に抱く。
「命の記録は、まだ続く。芽羽が残した“巡る祈り”を、書き継ぐために。」
三人は花咲く大地を後にし、朝の光の中へと歩き出した。
彼らの背を追うように、花々の間でひとひらの光が瞬く。
それは、芽羽の笑顔のように――あたたかく、やさしく、
新たな“理”の始まりを告げていた。
あとがき
――命は、選ばれない。けれど、選び続けることができる。
「土の章 ― 命芽ぐる祠 ―」をここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この章で描きたかったのは、“命”というものが持つ静かな強さでした。
それは、生き残る力ではなく、還る力。
誰かに引き継がれ、姿を変えてもなお、世界のどこかで息づいていく。
芽羽という少女は、その象徴です。
彼女は「選ばれなかった命たち」の記憶から生まれましたが、
決して悲しみの化身ではありませんでした。
彼女の中にあったのは、“生きたかった”という願い。
その願いが、赦しとなり、祈りとなり、
透牙たちの旅路を静かに導いていきました。
土禍の滅びも、根巫の選別も、芽羽の祈りも――
すべてが「巡る理」の一部であり、
“命循陣”という新たな理は、彼らそれぞれの赦しの形でした。
この物語を書きながら、私自身も何度も考えました。
“命”とは、生きている人だけのものなのか。
“赦し”とは、他者のためだけにあるのか。
芽羽の「命は選ばれぬ」という言葉は、
その答えを静かに教えてくれた気がします。
大地が芽吹くとき、それは新しい命の誕生であると同時に、
かつてそこに眠った命たちの再会でもあります。
枯れた森が再び緑を取り戻すように、
人の心にも、何度でも芽吹きは訪れる――
そんな想いを、この章に込めました。
次なる地がどこであれ、透牙たちの旅は続きます。
命を見つめ、理を越え、
“誰かのために祈る”という、もっとも人間らしい願いを胸に。
この祠で芽吹いた祈りが、
あなたの中にも小さな光として根づいてくれたなら――
それが、この物語にとっていちばんの幸せです。
――土の祠にて、命芽ぐる。
そしてまた、命はどこかで微笑んでいる。




