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幽影の旅路  作者: ysk
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がごぜ編(北の修験道の里)

登場人物設定 ― ビジュアル資料版


『がごぜ編 北の修験道の里』



透牙とうが

•外見:黒髪に白の外套。腰には護符の巻かれた短杖。

•属性:風・静・理

•象徴色:薄藍うすあい

•象徴語:「理を以て風を読む者」

•式神:風狐ふうこ

•特徴:無口で、表情の少ない青年。目は風の流れを映すように澄んでいる。

風の流れと共に動き、敵の気配を先読みする。戦闘時には風狐と同調して動くため、人と式の境界が曖昧になる瞬間がある。

本章では“怨霊を討つ者”ではなく、“風に還す者”としての姿が強調される。



透哉とうや

•外見:淡金の髪、藍の衣。胸元に共鳴紋を刻んだ数珠を携える。

•属性:音・調律・響

•象徴色:群青

•象徴語:「祈りと術を繋ぐ声」

•特徴:理性派であるが、感情に深く動かされる。

指先の印と声の節で“共鳴式”を展開し、術と祈りの橋渡しを行う。

がごぜの怨念に触れ、祈りの声が震えながらも、最後まで仲間の術を支える。



ゆい

•外見:白衣に淡桃の紐帯、背に祈祷鈴を下げる巫女。

•属性:祈・浄・光

•象徴色:桜白さくらじろ

•象徴語:「祈りの旋律を紡ぐ者」

•特徴:言葉よりも音で語る巫女。

祈りの旋律を通じて霊の記憶に触れ、怨霊の心を鎮める。

本章では、がごぜの“僧の悔恨”を受け止め、祈りで導く役割。

鈴が鳴る音は風と共に響き、十二天将陣の陣唱と調和する。



安倍晴明あべのせいめい

•外見:白衣に黒烏帽子。背には十二天将の紋が淡く輝く。

•属性:理・均衡・天

•象徴色:白銀

•象徴語:「天地を調えるもの」

•特徴:静寂をまとう陰陽師。

声は低く、すべてを見透かすような冷ややかさの中に、かすかな哀しみを含む。

十二天将を操り、怨念の流れを“調和”させることに長ける。

がごぜに対しても討伐ではなく“還元”を選ぶ。

使用天将:玄武・朱雀・白虎・青龍・金翅鳥・黒雷



いつき

•外見:浅葱色の修験衣、首に黒数珠。額に一筋の風紋が刻まれる。

•属性:山・祈祷・土

•象徴色:深緑

•象徴語:「祈りを以て山を鎮める者」

•特徴:若き修験者。真面目で融通が利かないが、心はまっすぐ。

修験儀式を通じて“地の気”を鎮める能力を持つ。

晴明との行動を通じて、「祈りと術は一つ」という真理を学び始める。

本章では修験儀式と陰陽術の融合を提案し、封印の要となる。



風狐ふうこ

•外見:白銀の毛並み、尾に青緑の光が走る霊狐。

•属性:風・感知・守護

•象徴色:翡翠ひすい

•象徴語:「風に宿る理」

•特徴:透牙の式神。霊的感覚に優れ、怨霊の“揺らぎ”を察知する。

がごぜの暴走を最初に察知し、一行を守るため風陣を張る。

風を纏うと姿が揺らぎ、まるで空気に溶けるように消える。



■ がごぜ(元興寺の妖)

•外見:影のような僧衣の塊。面はなく、ただ目の位置に赤い光。

•属性:怨・闇・罪

•象徴色:墨黒

•象徴語:「忘却を拒む怨」

•特徴:かつて悪行を働いた僧の怨念。

“滅びること”よりも“忘れられること”を恐れている。

夜ごと鐘を鳴らし、人の心の中の罪を映し出す。



空然くうねん

•外見:破れた法衣、穏やかな顔の残影。

•属性:悔・静・赦

•象徴色:灰白

•象徴語:「罪を抱き、祈りの中に沈む者」

•特徴:がごぜの核をなす僧。

生前に犯した罪を悔い、自らを封印したが、完全には消えなかった。

最後に結の祈りと透哉の共鳴によって解かれ、風に還る。

あらすじ


『がごぜ編 ― 北の修験道の里の幽霊 ―』


北の修験道の里に、夜ごと寺院を徘徊する幽霊・がごぜが現れた。

それは、人の悪意と怨念が積もり重なって生まれた、静かにして恐ろしい妖。

寺の境内や宿坊を漂い、訪れる者の心を惑わすという。


透牙・透哉・結、そして安倍晴明と修験者の斎は、

十二天将陣と式神、祈りの調律を駆使し、

幽霊の核を鎮めるため、北の寺に向かう。


討つのではなく――還す。

それは怨念と祈りのはざまで繰り広げられる、

陰陽師と修験者の、静かなる鎮魂の記録である。


第一章 北の里、寺の異変


 北の修験道の里に、冷たい風が吹いていた。

 冬の名残を含んだその風は、山の奥に潜む古寺の鐘を震わせ、どこか人の呻きにも似た音を立てている。


 透牙、透哉、結、斎、そして風狐。

 五人は雪解けの山道を進んでいた。先頭を歩く晴明の衣が、白い霧の中で静かに揺れている。


「……この里、何か“重い”ですね」

 結がつぶやく。彼女の掌には、淡い光を放つ護符が握られていた。

 その光が弱々しく揺らぎ、まるで怨念の気配を拒んでいるかのようだった。


 透哉が足を止め、周囲を見渡す。

「音が……少なすぎる。鳥も、風も、止まってる」


 斎が目を細めた。

「この里に古い寺があります。“元興寺がんごうじ”――かつて修験の行を納める場でしたが、今は無人です。夜ごと祠が鳴ると聞きました」


「鳴る?」

 透牙が問う。


 斎は頷き、淡々と続けた。

「鐘でも経でもない。呻き声のように、夜風と共に響くのです。……私は封印を試みましたが、祈祷の気が何かに押し返されました」


 晴明がその言葉に反応する。

「押し返された、か。……ならば、ただの幽霊ではないな」


 彼は袖の中から札を取り出し、風にかざす。紙片は淡く光を放ち、次の瞬間、黒い靄が一瞬だけ形を結んだ。

 それは人の顔のようでもあり、鬼の面のようでもあった。


「……がごぜ、だ」

 晴明が低く呟く。


「がごぜ?」

 透牙が眉を寄せると、晴明は静かに答える。


「人が悪意を抱いたまま死んだとき、その魂が寺の結界に囚われることがある。

 僧の戒律が穢れを拒めば拒むほど、怨念は歪み、やがて“がごぜ”となる。

 ――つまり、これは“人が作った妖”だ」


 沈黙。

 透哉が息を呑む。

「じゃあ、討つことは……」


「容易いが、無意味だ」

 晴明の言葉は冷たく、けれどどこか慈しみを含んでいた。

「討てば、怨念は霧散しても根は残る。ここで鎮めねば、またどこかで芽吹く」


 風狐が前方で小さく吠え、尾を広げた。

 その尾が指し示す先、山の中腹に古い寺の屋根がうっすらと見えた。


 結が息を呑む。

「……あれが“元興寺”」


「行こう」

 透牙が短く言い、杖を握り直す。


 斎は一歩前に出て、護符を結界に結びながら言った。

「この寺は、私の師の修行の地でもありました。……だからこそ、鎮めたい」


 晴明が静かに頷く。

「ならば共に行こう。術と祈り、どちらも必要だ」


 彼らはゆっくりと石段を登り始めた。

 山の空気は次第に冷たくなり、灯の消えた寺の中から、微かな鈴の音が――まるで人を誘うように、響いた。


第二章 寺の影、動き出す幽霊


 夜。

 北の山里に月はなく、黒雲が山を覆っていた。

 古い寺の屋根に風が這い、灯の消えた堂の中は、ひそやかに息づいている。


 静けさが、不自然だった。


 透牙は灯明を掲げ、堂の扉をそっと押し開けた。

 軋む音が夜気に溶け、冷たい風が頬を撫でる。

 その瞬間――壁の影が、動いた。


 滑るように走り、柱の裏へ、天井へ。

 まるで生き物が闇の中を泳いでいるかのようだった。


 風狐が低く唸り、尾の炎を灯す。

 赤い光が壁を照らすと、黒い影の中に、ひとりの僧の輪郭が浮かび上がる。


「……出たな」

 透牙が息をのむ。


 次の瞬間、堂の奥で、鐘がひとりでに鳴った。

 がらん――。

 重く鈍い音が夜を裂き、堂の柱が微かに震える。


 晴明が扇を開き、静かに前へ進む。

「これは、ただの幽霊ではない。怨念が形を持ち、己の信を見失った僧の残滓――“がごぜ”だ」


 斎が低く呟いた。

「この寺はもとより修験の場。罪を悔いながら死んだ僧が、経を読まずに祈りを終えた……。その魂が迷ったまま残ったのだ」


「ならば討つしか――」と透哉が言いかけたとき、

晴明の扇が静かに上がる。


「いや。討つは容易い。だが、“還す”には覚悟が要る」


 晴明の足元に淡い光が走った。

 地をなぞるように、複雑な円陣が広がる。

 十二天将陣。


 十二の守護神が象徴される符が瞬き、空気が重く変わる。

 晴明の声が響く。


「玄武、朱雀、金翅鳥――三陣、開。」


 風が止まった。

 光が走り、三方の方位から異なる色の陣が展開する。

 黒、赤、そして金。


 金の羽音が鳴り、朱の炎が揺れ、黒い影が地を這う。

 それらが交差し、がごぜの影を押し包んだ。


 だが――。


 鐘が再び鳴る。

 がらん、がらん――。

 影が裂け、光の中から腕が伸びた。

 腐った経巻を握る手。

 それが幾重にも伸び、天将陣を押し返す。


「晴明様!」

 透牙が叫び、風狐が前に飛び出した。

 炎の尾で腕を焼き払うが、すぐに煙のように再生する。


 晴明の声が冷静に響く。

「これは……寺そのものが宿主になっている。堂も、祠も、すべてが“身体”だ」


 結が祈りの旋律を紡ぐ。

 静かな歌声が堂内に広がり、灯明が揺れる。

 その祈りに合わせて、透哉が小陣を展開し、音の共鳴で術の力を増幅させた。


 だが、がごぜは呻き声をあげる。


『……我は経を捨てた者。赦しを求めることも許されぬ……』


 その声は、どこか悲しげだった。


 斎が拳を握る。

「罪を背負い、なお祈りを捨てられなかった者……。かつての修行僧に、似ている」


 晴明は扇を閉じ、目を伏せた。

「まだ、核は見えぬ。

 だが覚えておけ。怨念とは、滅ぼすものではない――“聴く”ものだ」


 夜風が吹き抜けた。

 鐘が最後にひとりでに鳴り、堂の灯が一斉に消える。

 闇の中で、がごぜの影は壁の奥に消えた。


 沈黙が戻った寺に、晴明は静かに言葉を落とす。


「この寺に眠るのは、呪いではない。

 ――祈りを失った声だ」


第三章 核の暴走、風狐の警告


 夜半――。

 山の寺に、突如として風が唸りを上げた。

 竹林がざわめき、堂の瓦が軋む。

 月も雲に隠れ、世界がひとつの呻きに覆われる。


 風狐が先に反応した。

 尾の炎が強く揺れ、金色の瞳が闇を射抜く。

「……透牙、風が荒れている。気をつけろ」

 晴明の声は静かだったが、その響きは緊張に満ちていた。


 堂の中――。

 木魚が鳴った。誰も触れていないのに、規則正しく、狂おしいほどの速さで。

 鐘が呼応するように打ち鳴らされ、空気が震えた。

 その瞬間、堂の柱の影が伸びた。

 幾筋もの黒い霧が立ち上り、やがてひとつの形を成す。


 ――“がごぜ”。


 かつて僧であった者の残滓。

 袈裟の裾を引きずり、顔は黒く崩れ、眼窩からは鈍い光が滲んでいる。


「核が――暴れている」

 透牙が息を呑み、術式を展開する。

 掌に青白い印が灯り、風狐の尾がそれに共鳴した。

 彼と式神の間に、ひと筋の光が走る。


「風狐、右から誘え!」

「了解だ、主よ!」


 風が一陣、堂を横切る。

 がごぜの影が揺らぎ、半身が崩れた――だが、すぐに再生する。

 黒い靄が舞い戻り、堂の天井に這い上がった。


 晴明が扇を開く。

「朱雀、金翅鳥――陽の二陣、展開。」


 紅と金の光が堂を包み、結界が形成される。

 炎の尾が円を描き、光の羽が空に舞う。

 その中央で、がごぜが呻いた。


『……我は捨てられし経、忘れられし祈り。

 何を拝めばよい……誰に赦されよう……』


 結が両手を合わせ、祈りの声を紡ぐ。

「落ち着いて……形なきものを、鎮めて……」

 旋律のような声が堂内を満たし、空気の震えがわずかに収まる。


 しかし、次の瞬間――。

 がごぜの胸の奥から、強烈な光が噴き上がった。

 それはまるで、心臓の鼓動そのもののように脈打ち、周囲の結界を押し広げた。


「核が視える……!」

 透哉が叫んだ。

 堂の中央、がごぜの胸の奥で、淡く脈動する球体が浮かんでいた。

 金でも炎でもない、灰色の光。

 ――それは祈りと罪が混ざり合った“魂の核”だった。


 透牙はすぐに印を組み、風狐と共鳴を深める。

 風狐の尾が八つに分かれ、それぞれが風の流れを制御する。

 透牙の掌の印が同時に回転を始めた。


 風と術が重なり合う。

 まるで二つの呼吸が同じ拍動を刻むかのように。


 風狐の声が頭に響く。

『透牙、今だ。核の動きが止まった!』

「第七式――風縫・封陣!」


 風が渦を巻き、核を包み込む。

 音が消え、堂内の空気が一瞬止まる。

 光が揺れ、そして――静まった。


 晴明が扇を閉じた。

「よくやった。今は鎮まっただけだ。

 だが、これは終わりではない。がごぜの核は、まだ“誰か”を待っている」


 結が小さく問う。

「誰か……?」

 晴明は灯明の明かりの中で目を細める。


「――かつて、彼に経を授けた僧。

 あるいは、それを忘れたこの寺そのものかもしれぬ」


 風が、再び小さく吹いた。

 風狐が耳を立て、低く唸る。


「透牙、風が告げている。……まだ、この寺の奥に“声”がある。」


 透牙は灯を掲げ、静かに堂の奥を見つめた。

 闇の奥で、確かに“何か”が呼んでいた。


第四章 斎の儀式、祈りと術の融合


 夜がまだ明けきらぬ頃、寺の境内は深い霧に包まれていた。

 月の名残が屋根瓦を淡く照らし、僅かに鐘の影を落とす。

 その静けさの中で、斎がひとり膝をつき、土に指で円を描いた。


「……古の儀式を使えば、幽霊を封鎖しやすい」

 彼の声は低く、だが確かな信念を帯びていた。


 晴明がその手元を見下ろす。

 斎が描く印は、修験の祈祷印――山と風、祈りと封の象徴。

 晴明は扇を閉じ、静かに頷いた。

「修験の儀式と陰陽の陣を合わせるのだな。危ういが……やってみる価値はある。」


 透牙が前へ出る。

「俺たちも動く。風狐、中心陣に入れ」

「心得た、主よ」


 風狐が霧の中を滑るように進み、中央に伏す。

 その尾が地を撫で、微かな風が四方に広がった。

 風の流れが霊気を掴み、堂の奥から再び“声”が漏れ出す。


『……ここは……まだ……祈りの途中……』


 結が目を伏せ、祈りの旋律を紡ぎ始めた。

 静かで透明な声が、境内の霧を震わせる。

 その声が、斎の経文と晴明の印と重なり――音が形を成した。


「透哉、共鳴式を重ねろ」

「了解……響け、“風祈調律”」


 透哉の指先が光り、術式が風狐の尾と共鳴する。

 霧の中に音の環が浮かび、幾重にも重なる波紋が核へと届いた。

 がごぜの影が、震えるように形を変える。


 やがて、堂の奥から僧の姿がぼんやりと浮かび上がる。

 黒い袈裟、細い手、そして穏やかながら苦しげな表情。

 その唇がわずかに動いた。


『……私は……祈りを捨てた……

 欲を持ち、罪を犯し、経を穢した……

 その罰として、風に呑まれ、がごぜとなった……』


 斎は経を唱えながら、微かに首を振る。

「経を穢したのではない。悔いが祈りに変わらなかっただけだ」


 その言葉に、透牙が声を重ねる。

「お前の祈り、まだ終わっちゃいない。

 この風に流せばいい――俺たちが導く!」


 晴明が印を結んだ。

「十二天将陣――金翅鳥、朱雀、玄武、護持せよ!」


 光が迸る。

 炎が輪を描き、水の線が絡み、金の羽が空を舞った。

 音と光と風が交わり、境内がひとつの祈りの場へと変わる。


 がごぜの核が、ゆっくりと脈動を止めた。

 僧の影が消えゆく瞬間、彼の声が柔らかく響く。


『……ありがとう。

 ようやく、祈りの終わりが見えた……』


 光が霧に溶け、風が静かに流れる。

 風狐が尾を揺らし、透牙の足元に戻ってきた。


「透牙、風が穏やかになった。もう、怨念はない」

「ああ……でも、まだ何かが残ってる」

 透牙が視線を堂の奥に向ける。

 そこには古びた木札が立っていた。

 ――“悪行僧 空然くうねん


 斎がそっとその名を読み上げ、掌を合わせる。

「この寺が、彼の祈りを忘れていたのだ」


 晴明が静かに言った。

「ならば我らが記そう。祈りは消えぬと――風に刻め」


 その言葉とともに、山の風が再び吹き抜けた。

 霧の中、僧の影が一瞬微笑んだように見えた。


第五章 幽霊の核、最終調整


 夜明け前。

 霧が薄らぎ、寺の鐘楼の上に一筋の光が差し始めた。

 その光を背に、晴明が扇を広げる。


「――十二天将陣、全開放」


 その言葉とともに、地脈が鳴動した。

 玄武が大地を固め、白虎が境界を裂き、青龍が水脈を呼び、朱雀が炎の環を描く。

 金翅鳥が羽ばたき、黒雷が空を裂く。

 六方より現れた天将の影が結界を覆い、寺全体を巨大な封印陣へと変えていった。


 透牙はその中心に立ち、掌を地に置く。

 指先が土を叩くたび、光の紋が地に刻まれ、式神たちが動き出す。


「風狐、北を抑えろ。祓鶴、東を。幻影烏、上空へ――霊猫、堂の下を頼む」

「了解、主よ」

 風狐の尾が舞い、祓鶴が光の羽を散らし、烏が夜の空を切り裂く。霊猫は影のように堂の基壇へ潜った。


 結が祈りの旋律を紡ぐ。

 その声は静かに、しかし確かに境内全体を包み込む。

「穢れは塵に、怨は風に……すべて、還れ……」


 透哉が手印を結び、共鳴式を起動させる。

「――祈りと術、共鳴せよ!」

 光の波が広がり、祈りの旋律が術式と重なっていく。


 結界が震え、がごぜの核が姿を現した。

 それは炎でも水でもない、黒と金の入り混じった渦。

 中に、無数の声が囁く。


『我らは見ぬふりをした……』『罪を流さず、祈りだけを残した……』


 斎が目を閉じ、数珠を握り締めた。

「……これは、空然ひとりの罪ではない。

 祈りを形式に変えた、この寺の僧たち――私たちの怠慢が招いた祟りだ」


 その言葉に、晴明が静かに扇を掲げた。

「ならば、封ずるのではなく“赦す”のだ」


 光が走る。

 十二天将陣が一斉に輝き、式神たちの気配が重なり合う。

 風が巻き、雷が鳴り、炎が歌い、水が震えた。


 透牙の声が響く。

「――式再構成、『風祈転界陣』発動!」


 地を這う紋が弾け、祈りと術が完全に一体化する。

 結の歌声が高くなり、透哉の共鳴が響き、斎の経が重なる。


 核が震え、音が静まり、闇が光に変わる。


 やがて――黒い霧が晴れ、そこに立っていたのは、かつての僧・空然の穏やかな影だった。

 彼は静かに手を合わせ、微笑みを残して消えていった。


 境内を、朝の風が通り抜ける。

 鐘がひとつ鳴った。

 それは誰の手にも触れられず、まるで魂の還りを告げる音だった。


 風狐が静かに尾を下ろす。

「……終わったな、透牙」

「ああ。だけど――この寺が祈りを忘れたとき、また同じことが起きるかもしれない」


 晴明がゆっくりと歩み寄り、風を見上げた。

「祈りは消えぬ。だが、祈る者が消える時、妖は生まれる。

 ……それが“がごぜ”の教えだったのかもしれぬな」


 斎が静かに合掌した。

「空然殿……あなたの祈り、確かに受け取りました」


 透哉と結が目を合わせ、小さく頷き合う。

 結の唇が、祈りの最後の言葉をそっと紡ぐ。


「風は祈りを運ぶ――忘れられた心に、いつか届くように」


 その瞬間、朝陽が霧の向こうから差し込み、

 がごぜのいた寺を、柔らかな光が満たしていった。


第六章 静かな寺、余韻


 朝の光が、山の稜線を照らしていた。

 霧はすでに消え、寺の屋根に積もっていた露がきらりと光る。

 夜を越えた境内には、あの怨霊の気配も、もはや残っていなかった。


 村人たちが、恐る恐る境内へと足を踏み入れる。

 堂の中を見て、誰もが息を呑んだ。

 焦げた木々の跡も、ひび割れた瓦も、まるで一夜にして修復されたように穏やかだったのだ。


「……本当に、祟りが消えたのか」

 村の長老が、震える声で晴明に尋ねる。


 晴明は扇を閉じ、静かに頷いた。

「祟りではない。迷いが、還ったのだ」


 その言葉に、長老は深く頭を下げ、合掌する。

「長いこと、あの鐘の音が怖うございました……ようやく、朝が戻った気がいたします」


 斎が境内の中央に立ち、数珠を手に祈りを捧げる。

 その姿は、昨夜までとは違っていた。

 肩に宿る気配が軽く、どこか晴れやかだった。


「晴明殿……」

 祈りを終えた斎が、深く頭を下げた。

「救われたのは師ではなく、己だった。あの怨念の中に、自分の未熟が見えた気がします」


 晴明はその言葉に、わずかに口元を緩めた。

「未熟を知る者こそ、修行を続けられる者だ。……それを、空然も望んでいたのだろう」


 透牙が境内の端に立ち、祠の上に貼られた護符を見上げた。

 それは昨夜、結が書いた新しい封符だった。

 風が通るたび、紙が柔らかく揺れる。

 そこにはただ一言――

 「ゆるす」 と記されていた。


 結が隣に立ち、静かに呟く。

「この言葉、今まで書くのが一番難しかった気がします」

 透哉が笑う。

「でも、これでやっと“終わり”じゃなく“始まり”にできたんじゃないかな」


 その言葉に、風狐が小さく鳴いた。

 肩に乗った葉羽が尾をふる。

「風も穏やかになった。……がごぜの魂も、きっと眠ってる」


 斎が振り返り、一行に言う。

「私はもう少し、この寺に留まります。修験者として、祈りを整え直したい」


 透牙が頷く。

「じゃあ、また会いましょう。今度は“封じる”じゃなく、“共に祈る”ために」


 風が山を抜けた。

 朝日が差し込み、鐘楼の影が長く伸びる。

 その影の先には、北の修験道へ続く山道がある。


 晴明が一歩踏み出し、振り返らずに言った。

「次の地にも、迷える魂はあるだろう。――だが、今は風が味方している」


 透牙、透哉、結がその背を追い、風狐と葉羽が軽やかに駆ける。

 霧のない山道を、朝の風が渡っていった。


 その風の中に、確かに誰かの声が混じっていた。

 ――ありがとう。もう、迷わない。


 寺の鐘が、静かに二度、鳴った。

 それは鎮魂の音であり、次の旅の始まりを告げる音でもあった。

エピローグ 風の道、再び


 山を下りた先の谷は、深い霧に包まれていた。

 陽はすでに傾き、風だけが、途切れなく吹いている。

 その風に、透牙は小さく目を細めた。


「……この風、少し懐かしい」


 風狐が足元を駆け、葉羽が枝の上で尾を振る。

 どこか遠くで、かすかな鐘の音が響いた。

 あの寺の鐘とは違う、もっと寂しく、もっと柔らかい音だった。


 結が足を止め、霧の向こうを見つめる。

「ねえ、見える? あそこに、また寺があるみたい」


 霧の中に、淡く浮かぶ屋根の影。

 苔むした石段が、静かに山腹へ続いている。


 透哉が地図を広げ、首をかしげた。

「こんな寺、記録にはなかったはずだけど……」


 晴明は扇を軽く開いた。

「世に知られぬ寺は、怨念の眠る場所でもある。

 がごぜが消えた今、その“名”が風に乗って、新たな呼び声となるのだ」


 透牙が足元の苔を踏みしめる。

「行くんですね」

「風が導く限りはな」

 晴明は霧の中を見つめ、微笑を浮かべた。


 風が山の尾根を越え、霧をひとすじ裂いていく。

 その向こうに、黒ずんだ石碑が見えた。

 苔の隙間から覗く文字――そこには、うっすらと刻まれていた。


 「我、がごぜを鎮めし地」


 その言葉を見つめ、透牙は息をのむ。

 ――まるで、あの寺そのものが風に形を変え、またどこかに現れたようだった。


 晴明が静かに告げる。

「怨念は消えぬ。ただ、形を変えて、また人の心に宿る。

 だからこそ、我らの旅は終わらない」


 結が手を合わせ、祈りの言葉をひとつ。

 霧の中、鐘が三度、微かに鳴る。

 その音が消えるころ、空には新しい月が昇りはじめていた。


 透哉が微笑む。

「行こう。次の“風の道”へ」


 晴明、透牙、透哉、結、斎、そして風狐が並んで歩き出す。

 霧の中で、その背を包む風は、まるで祈りのように優しかった。


 ――そして、静かに霧の奥で、もうひとつの鐘が鳴った。


 それは、終わりを告げる音ではなく、

 “新たな鎮魂のはじまり”を知らせる音だった。

あらすじ


『がごぜ編 ― 北の修験道の里の幽霊 ―』


北の修験道の里に、夜ごと寺院を徘徊する幽霊・がごぜが現れた。

それは、人の悪意と怨念が積もり重なって生まれた、静かにして恐ろしい妖。

寺の境内や宿坊を漂い、訪れる者の心を惑わすという。


透牙・透哉・結、そして安倍晴明と修験者の斎は、

十二天将陣と式神、祈りの調律を駆使し、

幽霊の核を鎮めるため、北の寺に向かう。


討つのではなく――還す。

それは怨念と祈りのはざまで繰り広げられる、

陰陽師と修験者の、静かなる鎮魂の記録である。


第一章 北の里、寺の異変


 北の修験道の里に、冷たい風が吹いていた。

 冬の名残を含んだその風は、山の奥に潜む古寺の鐘を震わせ、どこか人の呻きにも似た音を立てている。


 透牙、透哉、結、斎、そして風狐。

 五人は雪解けの山道を進んでいた。先頭を歩く晴明の衣が、白い霧の中で静かに揺れている。


「……この里、何か“重い”ですね」

 結がつぶやく。彼女の掌には、淡い光を放つ護符が握られていた。

 その光が弱々しく揺らぎ、まるで怨念の気配を拒んでいるかのようだった。


 透哉が足を止め、周囲を見渡す。

「音が……少なすぎる。鳥も、風も、止まってる」


 斎が目を細めた。

「この里に古い寺があります。“元興寺がんごうじ”――かつて修験の行を納める場でしたが、今は無人です。夜ごと祠が鳴ると聞きました」


「鳴る?」

 透牙が問う。


 斎は頷き、淡々と続けた。

「鐘でも経でもない。呻き声のように、夜風と共に響くのです。……私は封印を試みましたが、祈祷の気が何かに押し返されました」


 晴明がその言葉に反応する。

「押し返された、か。……ならば、ただの幽霊ではないな」


 彼は袖の中から札を取り出し、風にかざす。紙片は淡く光を放ち、次の瞬間、黒い靄が一瞬だけ形を結んだ。

 それは人の顔のようでもあり、鬼の面のようでもあった。


「……がごぜ、だ」

 晴明が低く呟く。


「がごぜ?」

 透牙が眉を寄せると、晴明は静かに答える。


「人が悪意を抱いたまま死んだとき、その魂が寺の結界に囚われることがある。

 僧の戒律が穢れを拒めば拒むほど、怨念は歪み、やがて“がごぜ”となる。

 ――つまり、これは“人が作った妖”だ」


 沈黙。

 透哉が息を呑む。

「じゃあ、討つことは……」


「容易いが、無意味だ」

 晴明の言葉は冷たく、けれどどこか慈しみを含んでいた。

「討てば、怨念は霧散しても根は残る。ここで鎮めねば、またどこかで芽吹く」


 風狐が前方で小さく吠え、尾を広げた。

 その尾が指し示す先、山の中腹に古い寺の屋根がうっすらと見えた。


 結が息を呑む。

「……あれが“元興寺”」


「行こう」

 透牙が短く言い、杖を握り直す。


 斎は一歩前に出て、護符を結界に結びながら言った。

「この寺は、私の師の修行の地でもありました。……だからこそ、鎮めたい」


 晴明が静かに頷く。

「ならば共に行こう。術と祈り、どちらも必要だ」


 彼らはゆっくりと石段を登り始めた。

 山の空気は次第に冷たくなり、灯の消えた寺の中から、微かな鈴の音が――まるで人を誘うように、響いた。


第二章 寺の影、動き出す幽霊


 夜。

 北の山里に月はなく、黒雲が山を覆っていた。

 古い寺の屋根に風が這い、灯の消えた堂の中は、ひそやかに息づいている。


 静けさが、不自然だった。


 透牙は灯明を掲げ、堂の扉をそっと押し開けた。

 軋む音が夜気に溶け、冷たい風が頬を撫でる。

 その瞬間――壁の影が、動いた。


 滑るように走り、柱の裏へ、天井へ。

 まるで生き物が闇の中を泳いでいるかのようだった。


 風狐が低く唸り、尾の炎を灯す。

 赤い光が壁を照らすと、黒い影の中に、ひとりの僧の輪郭が浮かび上がる。


「……出たな」

 透牙が息をのむ。


 次の瞬間、堂の奥で、鐘がひとりでに鳴った。

 がらん――。

 重く鈍い音が夜を裂き、堂の柱が微かに震える。


 晴明が扇を開き、静かに前へ進む。

「これは、ただの幽霊ではない。怨念が形を持ち、己の信を見失った僧の残滓――“がごぜ”だ」


 斎が低く呟いた。

「この寺はもとより修験の場。罪を悔いながら死んだ僧が、経を読まずに祈りを終えた……。その魂が迷ったまま残ったのだ」


「ならば討つしか――」と透哉が言いかけたとき、

晴明の扇が静かに上がる。


「いや。討つは容易い。だが、“還す”には覚悟が要る」


 晴明の足元に淡い光が走った。

 地をなぞるように、複雑な円陣が広がる。

 十二天将陣。


 十二の守護神が象徴される符が瞬き、空気が重く変わる。

 晴明の声が響く。


「玄武、朱雀、金翅鳥――三陣、開。」


 風が止まった。

 光が走り、三方の方位から異なる色の陣が展開する。

 黒、赤、そして金。


 金の羽音が鳴り、朱の炎が揺れ、黒い影が地を這う。

 それらが交差し、がごぜの影を押し包んだ。


 だが――。


 鐘が再び鳴る。

 がらん、がらん――。

 影が裂け、光の中から腕が伸びた。

 腐った経巻を握る手。

 それが幾重にも伸び、天将陣を押し返す。


「晴明様!」

 透牙が叫び、風狐が前に飛び出した。

 炎の尾で腕を焼き払うが、すぐに煙のように再生する。


 晴明の声が冷静に響く。

「これは……寺そのものが宿主になっている。堂も、祠も、すべてが“身体”だ」


 結が祈りの旋律を紡ぐ。

 静かな歌声が堂内に広がり、灯明が揺れる。

 その祈りに合わせて、透哉が小陣を展開し、音の共鳴で術の力を増幅させた。


 だが、がごぜは呻き声をあげる。


『……我は経を捨てた者。赦しを求めることも許されぬ……』


 その声は、どこか悲しげだった。


 斎が拳を握る。

「罪を背負い、なお祈りを捨てられなかった者……。かつての修行僧に、似ている」


 晴明は扇を閉じ、目を伏せた。

「まだ、核は見えぬ。

 だが覚えておけ。怨念とは、滅ぼすものではない――“聴く”ものだ」


 夜風が吹き抜けた。

 鐘が最後にひとりでに鳴り、堂の灯が一斉に消える。

 闇の中で、がごぜの影は壁の奥に消えた。


 沈黙が戻った寺に、晴明は静かに言葉を落とす。


「この寺に眠るのは、呪いではない。

 ――祈りを失った声だ」


第三章 核の暴走、風狐の警告


 夜半――。

 山の寺に、突如として風が唸りを上げた。

 竹林がざわめき、堂の瓦が軋む。

 月も雲に隠れ、世界がひとつの呻きに覆われる。


 風狐が先に反応した。

 尾の炎が強く揺れ、金色の瞳が闇を射抜く。

「……透牙、風が荒れている。気をつけろ」

 晴明の声は静かだったが、その響きは緊張に満ちていた。


 堂の中――。

 木魚が鳴った。誰も触れていないのに、規則正しく、狂おしいほどの速さで。

 鐘が呼応するように打ち鳴らされ、空気が震えた。

 その瞬間、堂の柱の影が伸びた。

 幾筋もの黒い霧が立ち上り、やがてひとつの形を成す。


 ――“がごぜ”。


 かつて僧であった者の残滓。

 袈裟の裾を引きずり、顔は黒く崩れ、眼窩からは鈍い光が滲んでいる。


「核が――暴れている」

 透牙が息を呑み、術式を展開する。

 掌に青白い印が灯り、風狐の尾がそれに共鳴した。

 彼と式神の間に、ひと筋の光が走る。


「風狐、右から誘え!」

「了解だ、主よ!」


 風が一陣、堂を横切る。

 がごぜの影が揺らぎ、半身が崩れた――だが、すぐに再生する。

 黒い靄が舞い戻り、堂の天井に這い上がった。


 晴明が扇を開く。

「朱雀、金翅鳥――陽の二陣、展開。」


 紅と金の光が堂を包み、結界が形成される。

 炎の尾が円を描き、光の羽が空に舞う。

 その中央で、がごぜが呻いた。


『……我は捨てられし経、忘れられし祈り。

 何を拝めばよい……誰に赦されよう……』


 結が両手を合わせ、祈りの声を紡ぐ。

「落ち着いて……形なきものを、鎮めて……」

 旋律のような声が堂内を満たし、空気の震えがわずかに収まる。


 しかし、次の瞬間――。

 がごぜの胸の奥から、強烈な光が噴き上がった。

 それはまるで、心臓の鼓動そのもののように脈打ち、周囲の結界を押し広げた。


「核が視える……!」

 透哉が叫んだ。

 堂の中央、がごぜの胸の奥で、淡く脈動する球体が浮かんでいた。

 金でも炎でもない、灰色の光。

 ――それは祈りと罪が混ざり合った“魂の核”だった。


 透牙はすぐに印を組み、風狐と共鳴を深める。

 風狐の尾が八つに分かれ、それぞれが風の流れを制御する。

 透牙の掌の印が同時に回転を始めた。


 風と術が重なり合う。

 まるで二つの呼吸が同じ拍動を刻むかのように。


 風狐の声が頭に響く。

『透牙、今だ。核の動きが止まった!』

「第七式――風縫・封陣!」


 風が渦を巻き、核を包み込む。

 音が消え、堂内の空気が一瞬止まる。

 光が揺れ、そして――静まった。


 晴明が扇を閉じた。

「よくやった。今は鎮まっただけだ。

 だが、これは終わりではない。がごぜの核は、まだ“誰か”を待っている」


 結が小さく問う。

「誰か……?」

 晴明は灯明の明かりの中で目を細める。


「――かつて、彼に経を授けた僧。

 あるいは、それを忘れたこの寺そのものかもしれぬ」


 風が、再び小さく吹いた。

 風狐が耳を立て、低く唸る。


「透牙、風が告げている。……まだ、この寺の奥に“声”がある。」


 透牙は灯を掲げ、静かに堂の奥を見つめた。

 闇の奥で、確かに“何か”が呼んでいた。


第四章 斎の儀式、祈りと術の融合


 夜がまだ明けきらぬ頃、寺の境内は深い霧に包まれていた。

 月の名残が屋根瓦を淡く照らし、僅かに鐘の影を落とす。

 その静けさの中で、斎がひとり膝をつき、土に指で円を描いた。


「……古の儀式を使えば、幽霊を封鎖しやすい」

 彼の声は低く、だが確かな信念を帯びていた。


 晴明がその手元を見下ろす。

 斎が描く印は、修験の祈祷印――山と風、祈りと封の象徴。

 晴明は扇を閉じ、静かに頷いた。

「修験の儀式と陰陽の陣を合わせるのだな。危ういが……やってみる価値はある。」


 透牙が前へ出る。

「俺たちも動く。風狐、中心陣に入れ」

「心得た、主よ」


 風狐が霧の中を滑るように進み、中央に伏す。

 その尾が地を撫で、微かな風が四方に広がった。

 風の流れが霊気を掴み、堂の奥から再び“声”が漏れ出す。


『……ここは……まだ……祈りの途中……』


 結が目を伏せ、祈りの旋律を紡ぎ始めた。

 静かで透明な声が、境内の霧を震わせる。

 その声が、斎の経文と晴明の印と重なり――音が形を成した。


「透哉、共鳴式を重ねろ」

「了解……響け、“風祈調律”」


 透哉の指先が光り、術式が風狐の尾と共鳴する。

 霧の中に音の環が浮かび、幾重にも重なる波紋が核へと届いた。

 がごぜの影が、震えるように形を変える。


 やがて、堂の奥から僧の姿がぼんやりと浮かび上がる。

 黒い袈裟、細い手、そして穏やかながら苦しげな表情。

 その唇がわずかに動いた。


『……私は……祈りを捨てた……

 欲を持ち、罪を犯し、経を穢した……

 その罰として、風に呑まれ、がごぜとなった……』


 斎は経を唱えながら、微かに首を振る。

「経を穢したのではない。悔いが祈りに変わらなかっただけだ」


 その言葉に、透牙が声を重ねる。

「お前の祈り、まだ終わっちゃいない。

 この風に流せばいい――俺たちが導く!」


 晴明が印を結んだ。

「十二天将陣――金翅鳥、朱雀、玄武、護持せよ!」


 光が迸る。

 炎が輪を描き、水の線が絡み、金の羽が空を舞った。

 音と光と風が交わり、境内がひとつの祈りの場へと変わる。


 がごぜの核が、ゆっくりと脈動を止めた。

 僧の影が消えゆく瞬間、彼の声が柔らかく響く。


『……ありがとう。

 ようやく、祈りの終わりが見えた……』


 光が霧に溶け、風が静かに流れる。

 風狐が尾を揺らし、透牙の足元に戻ってきた。


「透牙、風が穏やかになった。もう、怨念はない」

「ああ……でも、まだ何かが残ってる」

 透牙が視線を堂の奥に向ける。

 そこには古びた木札が立っていた。

 ――“悪行僧 空然くうねん


 斎がそっとその名を読み上げ、掌を合わせる。

「この寺が、彼の祈りを忘れていたのだ」


 晴明が静かに言った。

「ならば我らが記そう。祈りは消えぬと――風に刻め」


 その言葉とともに、山の風が再び吹き抜けた。

 霧の中、僧の影が一瞬微笑んだように見えた。


第五章 幽霊の核、最終調整


 夜明け前。

 霧が薄らぎ、寺の鐘楼の上に一筋の光が差し始めた。

 その光を背に、晴明が扇を広げる。


「――十二天将陣、全開放」


 その言葉とともに、地脈が鳴動した。

 玄武が大地を固め、白虎が境界を裂き、青龍が水脈を呼び、朱雀が炎の環を描く。

 金翅鳥が羽ばたき、黒雷が空を裂く。

 六方より現れた天将の影が結界を覆い、寺全体を巨大な封印陣へと変えていった。


 透牙はその中心に立ち、掌を地に置く。

 指先が土を叩くたび、光の紋が地に刻まれ、式神たちが動き出す。


「風狐、北を抑えろ。祓鶴、東を。幻影烏、上空へ――霊猫、堂の下を頼む」

「了解、主よ」

 風狐の尾が舞い、祓鶴が光の羽を散らし、烏が夜の空を切り裂く。霊猫は影のように堂の基壇へ潜った。


 結が祈りの旋律を紡ぐ。

 その声は静かに、しかし確かに境内全体を包み込む。

「穢れは塵に、怨は風に……すべて、還れ……」


 透哉が手印を結び、共鳴式を起動させる。

「――祈りと術、共鳴せよ!」

 光の波が広がり、祈りの旋律が術式と重なっていく。


 結界が震え、がごぜの核が姿を現した。

 それは炎でも水でもない、黒と金の入り混じった渦。

 中に、無数の声が囁く。


『我らは見ぬふりをした……』『罪を流さず、祈りだけを残した……』


 斎が目を閉じ、数珠を握り締めた。

「……これは、空然ひとりの罪ではない。

 祈りを形式に変えた、この寺の僧たち――私たちの怠慢が招いた祟りだ」


 その言葉に、晴明が静かに扇を掲げた。

「ならば、封ずるのではなく“赦す”のだ」


 光が走る。

 十二天将陣が一斉に輝き、式神たちの気配が重なり合う。

 風が巻き、雷が鳴り、炎が歌い、水が震えた。


 透牙の声が響く。

「――式再構成、『風祈転界陣』発動!」


 地を這う紋が弾け、祈りと術が完全に一体化する。

 結の歌声が高くなり、透哉の共鳴が響き、斎の経が重なる。


 核が震え、音が静まり、闇が光に変わる。


 やがて――黒い霧が晴れ、そこに立っていたのは、かつての僧・空然の穏やかな影だった。

 彼は静かに手を合わせ、微笑みを残して消えていった。


 境内を、朝の風が通り抜ける。

 鐘がひとつ鳴った。

 それは誰の手にも触れられず、まるで魂の還りを告げる音だった。


 風狐が静かに尾を下ろす。

「……終わったな、透牙」

「ああ。だけど――この寺が祈りを忘れたとき、また同じことが起きるかもしれない」


 晴明がゆっくりと歩み寄り、風を見上げた。

「祈りは消えぬ。だが、祈る者が消える時、妖は生まれる。

 ……それが“がごぜ”の教えだったのかもしれぬな」


 斎が静かに合掌した。

「空然殿……あなたの祈り、確かに受け取りました」


 透哉と結が目を合わせ、小さく頷き合う。

 結の唇が、祈りの最後の言葉をそっと紡ぐ。


「風は祈りを運ぶ――忘れられた心に、いつか届くように」


 その瞬間、朝陽が霧の向こうから差し込み、

 がごぜのいた寺を、柔らかな光が満たしていった。


第六章 静かな寺、余韻


 朝の光が、山の稜線を照らしていた。

 霧はすでに消え、寺の屋根に積もっていた露がきらりと光る。

 夜を越えた境内には、あの怨霊の気配も、もはや残っていなかった。


 村人たちが、恐る恐る境内へと足を踏み入れる。

 堂の中を見て、誰もが息を呑んだ。

 焦げた木々の跡も、ひび割れた瓦も、まるで一夜にして修復されたように穏やかだったのだ。


「……本当に、祟りが消えたのか」

 村の長老が、震える声で晴明に尋ねる。


 晴明は扇を閉じ、静かに頷いた。

「祟りではない。迷いが、還ったのだ」


 その言葉に、長老は深く頭を下げ、合掌する。

「長いこと、あの鐘の音が怖うございました……ようやく、朝が戻った気がいたします」


 斎が境内の中央に立ち、数珠を手に祈りを捧げる。

 その姿は、昨夜までとは違っていた。

 肩に宿る気配が軽く、どこか晴れやかだった。


「晴明殿……」

 祈りを終えた斎が、深く頭を下げた。

「救われたのは師ではなく、己だった。あの怨念の中に、自分の未熟が見えた気がします」


 晴明はその言葉に、わずかに口元を緩めた。

「未熟を知る者こそ、修行を続けられる者だ。……それを、空然も望んでいたのだろう」


 透牙が境内の端に立ち、祠の上に貼られた護符を見上げた。

 それは昨夜、結が書いた新しい封符だった。

 風が通るたび、紙が柔らかく揺れる。

 そこにはただ一言――

 「ゆるす」 と記されていた。


 結が隣に立ち、静かに呟く。

「この言葉、今まで書くのが一番難しかった気がします」

 透哉が笑う。

「でも、これでやっと“終わり”じゃなく“始まり”にできたんじゃないかな」


 その言葉に、風狐が小さく鳴いた。

 肩に乗った葉羽が尾をふる。

「風も穏やかになった。……がごぜの魂も、きっと眠ってる」


 斎が振り返り、一行に言う。

「私はもう少し、この寺に留まります。修験者として、祈りを整え直したい」


 透牙が頷く。

「じゃあ、また会いましょう。今度は“封じる”じゃなく、“共に祈る”ために」


 風が山を抜けた。

 朝日が差し込み、鐘楼の影が長く伸びる。

 その影の先には、北の修験道へ続く山道がある。


 晴明が一歩踏み出し、振り返らずに言った。

「次の地にも、迷える魂はあるだろう。――だが、今は風が味方している」


 透牙、透哉、結がその背を追い、風狐と葉羽が軽やかに駆ける。

 霧のない山道を、朝の風が渡っていった。


 その風の中に、確かに誰かの声が混じっていた。

 ――ありがとう。もう、迷わない。


 寺の鐘が、静かに二度、鳴った。

 それは鎮魂の音であり、次の旅の始まりを告げる音でもあった。

エピローグ 風の道、再び


 山を下りた先の谷は、深い霧に包まれていた。

 陽はすでに傾き、風だけが、途切れなく吹いている。

 その風に、透牙は小さく目を細めた。


「……この風、少し懐かしい」


 風狐が足元を駆け、葉羽が枝の上で尾を振る。

 どこか遠くで、かすかな鐘の音が響いた。

 あの寺の鐘とは違う、もっと寂しく、もっと柔らかい音だった。


 結が足を止め、霧の向こうを見つめる。

「ねえ、見える? あそこに、また寺があるみたい」


 霧の中に、淡く浮かぶ屋根の影。

 苔むした石段が、静かに山腹へ続いている。


 透哉が地図を広げ、首をかしげた。

「こんな寺、記録にはなかったはずだけど……」


 晴明は扇を軽く開いた。

「世に知られぬ寺は、怨念の眠る場所でもある。

 がごぜが消えた今、その“名”が風に乗って、新たな呼び声となるのだ」


 透牙が足元の苔を踏みしめる。

「行くんですね」

「風が導く限りはな」

 晴明は霧の中を見つめ、微笑を浮かべた。


 風が山の尾根を越え、霧をひとすじ裂いていく。

 その向こうに、黒ずんだ石碑が見えた。

 苔の隙間から覗く文字――そこには、うっすらと刻まれていた。


 「我、がごぜを鎮めし地」


 その言葉を見つめ、透牙は息をのむ。

 ――まるで、あの寺そのものが風に形を変え、またどこかに現れたようだった。


 晴明が静かに告げる。

「怨念は消えぬ。ただ、形を変えて、また人の心に宿る。

 だからこそ、我らの旅は終わらない」


 結が手を合わせ、祈りの言葉をひとつ。

 霧の中、鐘が三度、微かに鳴る。

 その音が消えるころ、空には新しい月が昇りはじめていた。


 透哉が微笑む。

「行こう。次の“風の道”へ」


 晴明、透牙、透哉、結、斎、そして風狐が並んで歩き出す。

 霧の中で、その背を包む風は、まるで祈りのように優しかった。


 ――そして、静かに霧の奥で、もうひとつの鐘が鳴った。


 それは、終わりを告げる音ではなく、

 “新たな鎮魂のはじまり”を知らせる音だった。

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