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幽影の旅路  作者: ysk
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百鬼夜行編 ― 夜に歩む影の列 ―

登場人物一覧


――『百鬼夜行編 ― 夜に歩む影の列 ―』より



安倍あべの 晴明せいめい


平安随一の陰陽師。静かな笑みとともに、すべてを見通す眼を持つ。

十二天将を操り、舞と符を融合させた独自の術式を駆使する。

若き弟子・透牙に「理を越えて、心で見る」ことの意味を教える。

百鬼夜行では主導的に現場を導き、最終陣を展開して夜を鎮めた。



透牙とうが


若き陰陽師で、晴明の弟子。

地に掌を触れて現象の“構造”を読み取る干渉術を使う。

理と感のはざまで揺れながらも、誰よりも誠実に現象と向き合う。

百鬼夜行では夜行の「核」を見抜き、師の舞に合わせて干渉を導いた。

晴明を「師匠」と呼び、深い敬意と情を寄せる。



透哉とうや


透牙の弟子であり、旅の同行者。

柔和な性格の中に強い芯を持ち、祈祷と共鳴術を得意とする。

結と共に「時調・共鳴式」を編み出し、夜行に潜む“時の乱れ”を鎮めた。

旅の終わりでは、自らの未熟さを受け入れつつも、次の地へ進む覚悟を固める。



ゆい


透哉の相棒であり、祈祷師。

言葉よりも“祈り”で語る少女で、その声には人も妖も和らげる力がある。

夜行では祈りと調律を合わせ、透哉との共鳴によって群れを静めた。

柔らかでありながら揺るぎない強さを内に秘めている。



れん


外法師。禁術“断群陣”を使う結界師。

かつて故郷を守るため禁を犯し、放浪の身となった。

夜行の群れを二つに分け、命を代償に結界を維持し続けた。

彼の魂は風に溶け、今もどこかで結界を守っていると語られる。



犬童いぬどう 九郎くろう


妖を斬る剣士。粗野で無骨だが、真っ直ぐで誠実な心を持つ。

封じられた犬神「退犬丸たいけんまる」を宿す刀を携える。

晴明と衝突しながらも、共に夜行の核を追う中で信頼を得た。

戦いの夜、退犬丸を解放し、“犬神”として夜を裂いた。



あおい


旅芸人一座の巫女。

妖の血を引く“半妖”で、風狐の血脈を受け継ぐ。

かつて夜行に母を奪われた過去を持ち、

その悲しみを越えて“妖の側の視点”から真実を語る。

彼女の儀式が、夜行の由来を解く鍵となった。



風狐ふうこ


透牙と共に旅する式神。風を操り、妖気の流れを読む。

もとは葵の母に仕えていた守り狐であり、彼女の血と記憶を受け継いでいる。

夜行鎮静後は、蓮の墓碑を訪れ、静かに風の中で祈りを捧げ続けている。


用語

百鬼夜行ひゃっきやこう

 夜に妖怪が列をなして歩くとされる現象。

 本作では“怨念・記憶・未練”が混ざり合い、形なき群れとして顕現。

 討伐ではなく、祈りと調律によって静かに鎮められた。

断群陣だんぐんじん

 蓮が操る禁術。群れを分断し、外界と内界を隔てる結界。

 使用者の命を削る強力な術。

•時調・共鳴式じちょう・きょうめいしき

 透哉と結による共鳴術。

 術と祈祷を同時展開し、“時の乱れ”を整える新たな祈りの形。

十二天将陣じゅうにてんしょうじん

 晴明が展開する最上位の結界陣。十二の神気を呼び、天地を均す。

 夜明け前、群れを包むように展開され、夜行の終焉を導いた。

あらすじ


『百鬼夜行編 ― 夜に歩む影の列 ―』


夜の街道に、誰も知らぬ行列が現れるという噂が流れていた。

灯籠が揺れ、風が止む時――

闇の奥から、百の影が列をなし、月明かりを避けて進む。


透哉と結は、旅の途中でその宿場町に立ち寄り、

同じく調査に訪れていた晴明と再び相まみえる。

やがて明らかになるのは、

“妖の群れ”ではなく、“人の心に残る影”が形を得た夜行の姿。


討伐か、鎮魂か。

彼ら陰陽師が選ぶのは、夜を斬ることではなく、

夜とともに歩むための“調和の術”だった。


静寂の夜を裂いて歩む百の影――

そして、光を手に進む者たちの物語が、今、再び始まる。


第一章 夜行の兆し


 夜の峠は、風が鳴いていた。

 薄い霧が杉の枝を撫で、どこか遠くで鹿の声が響く。

 古びた宿の灯が、霧にぼんやりと滲んでいる。


 晴明は囲炉裏の前に座り、静かに湯呑を口に運んだ。

 対面には透哉と結。二人とも旅の塵を落としたばかりで、まだ外気の冷たさが肌に残っている。


「……この宿、少し妙ですね」

 結が囁くように言った。

「客が私たちのほかにいないのに、廊下で足音がしたんです。ずっと、列をなすように」


 晴明は目を細めた。

「この峠の宿に伝わる噂を聞いたか? “夜ごと、光の列が通る”と」


 透哉が頷き、懐から折りたたまれた書状を取り出す。

「今朝、町役から預かりました。

 ――“峠の宿場にて、夜の道を百の光が通り、人が消える”――。

 どうやら、旅籠の主人が怯えて、正式に陰陽寮へ依頼を出したようです」


 宿の主が、囲炉裏の脇で手を擦りながら口を開いた。

「先生方……わしらも何が起きているのかわからんのです。

 道を照らすような灯が、夜ごと並んで歩く。

 目を合わせたら、次の日に姿を見せない者が出る。

 ……どうか、見てくだされ」


 晴明は湯呑を置いた。

「依頼、承りました。今夜、我らが確かめましょう」


 その言葉に、宿の主は安堵の息を漏らした。

 だが、結はその表情を見つめながら、かすかに首を傾げる。

「恐れているというより……何かに“従っている”ような顔をしていたのですね」


 晴明は小さく笑みを浮かべる。

「結、観察が鋭いな。

 この宿場には、まだ“人の影”が残っているのかもしれない」


 透哉は懐の符を整えながら、外の風を感じ取った。

「風が止んだ。……そろそろ始まるか」


 その瞬間だった。

 外の闇に、微かな光がひとつ――ゆらり、と揺れた。

 それは提灯のような温かい灯りだが、火ではない。

 次に、二つ、三つ……やがて、道の先に列をなし始めた。


 百の光が、まるで行列のように峠を進む。

 霧の中を静かに歩むその姿は、人の形にも見え、影にも見えた。


 透哉が息を詰め、符を構える。

「……師匠、この感じ。妖気ではない。むしろ“人の残響”に近い」


 晴明は立ち上がり、灯を背に外へ出る。

「“夜行”か。……だが、形が整いすぎている。誰かが導いているな」


 そこへ、宿の裏から現れた影があった。

 黒衣をまとい、錫杖のような杖を携えた男。

 口元に笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄る。


「導いているのは、私かもしれませんな」

 低く響く声。


 晴明がその男に目を向ける。

「名を、聞いても?」


壬生蓮みぶ・れん。外法師と呼ばれています」

 男は軽く頭を下げると、夜行の列の方を見やった。

「彼らは、私が“解き放った記憶”の影。

 まだ、還る場所を知らぬ者たちです」


 透哉が前に出る。

「お前が、これを起こしたのか」


「起こした、というより――戻したのです。

 この峠に埋められた“記憶の列”をね。

 百鬼夜行とは、妖の群れではなく、人の祈りが形を失った残響。

 私はそれを、夜の道に帰しただけですよ」


 淡い笑みの奥に、どこか悲しみがあった。

 晴明は静かに口を開く。

「ならば、あなたの“帰し方”を、我らの術で確かめるとしよう」


 夜の風が、再び動いた。

 光の列がひときわ強く輝き、

 百の影が、まるで生者を見つめるように立ち止まる。


 結は小声で囁いた。

「……始まりますね、晴明さん」


「うむ。

 百鬼夜行――夜に歩む影の列。

 その真実を、見極めるとしよう」


 夜の峠に、鈴の音が一つ、静かに鳴った。


第二章 群れの影、風の舞


峠の宿は夜の帳に包まれ、窓から漏れる灯りが揺らめいていた。

外の風は静かだが、ふと耳を澄ますと、山の奥から微かなざわめきが聞こえる。


透牙は座敷で巻の欠片を開き、透哉が隣で符を整理する。

結は戸口に立ち、夜の気配を見張っていた。


「……風狐、何か感じるか?」透牙が呟く。

風狐は肩で耳を立て、低く唸る。


その時、玄関の戸が静かに開き、一人の女性が現れた。

旅芸人一座の巫女、葵だ。衣の端が夜風に揺れる。


「この山道、夜になると……列が通るのを見ます」

葵の声は低く、しかし確かな重みを帯びていた。


晴明は符をひとつ掲げ、静かに答える。

「百鬼夜行……ただの伝承ではない。人の記憶が形を変え、夜に現れるのだ」


透哉は眉をひそめる。

「形……ですか?」


葵は少し笑みを含み、夜行の由来を語り始める。

「昔、怨みや恐怖を抱えた者の思いが、この道に集まったのです。

 人々が忘れても、夜に目覚め、列を成して歩き続ける……」


壬生蓮も姿を現す。

「人の記憶の行列……それが夜行だ。討つのではなく、導く。

 そのために、我ら陰陽師の技が必要になる」


透牙は深く頷き、透哉に手をかざす。

「見えるか、透哉。夜行の軌跡――我々が干渉できる範囲だ」


透哉は息を整え、符を手に取る。

「わかりました。師匠、結先輩、連携して干渉します」


結は静かに微笑み、巫女葵のそばで舞の動きを整える。

「夜行は敵ではない。ただ、道に迷う魂……私たちが導きましょう」


山間の宿の外、風狐が低く唸り、夜の気配が次第に濃くなる。

闇の奥で、微かな光の列が揺れる――百鬼夜行の影が、静かに、確かに、峠道を歩き始めていた。


第三章 断群陣の夜


峠の宿を出て、夜道に入った透牙と透哉、結、晴明の四人。

風は冷たく、月明かりが霧に溶け、道の先はぼんやりとしか見えない。


「ここだ……断群陣の軌跡を描く」

壬生蓮が呟き、手にした結界符を夜空に掲げる。

符から淡い光が流れ、地面に幾何学の紋様が浮かび上がる。


「第一式・断群」

結界が膨らみ、山道を覆い、夜行の列を二つに分けた。


透牙は掌を地に触れ、構造干渉術を応用し、列の片方に静かな圧を加える。

透哉は符を振り、気配の散逸を抑えるように調整する。

結は舞を取り、霧の奥で揺れる妖気を集める。

晴明は符をひとつ、地に置き、全体の結界を安定させる。


「……分かれた」

透牙の声に続き、透哉も息をつく。


だが、夜行の列の半分は、形なき群れとなり、霧の奥へと拡散していった。

「片方は……形が消えた」結が低く告げる。

「形を失っても、存在は消えていない。時の流れが乱れているのだ」

晴明は符の光を見つめながら言った。


風狐が耳を立て、空気の微細な震えを伝える。

「時の乱れ……か」透牙は眉を寄せる。

「そう、夜行は単なる列ではない。人の記憶が織り成す流れ、そして時間の軌跡だ」

壬生蓮が冷静に解説する。


透牙と透哉は符を掌で握りしめる。結は舞を変え、霧の奥で散らばった妖気を呼び戻そうとする。

しかし、形なき群れは捕えきれず、夜道に漂い続ける。


「……一度の術では、全ては制御できない」晴明は静かに言った。

「だが、導き方は見えた。次の手で、再び群れを誘導する」

透牙は低く頷き、透哉も符を握り直す。


霧の向こう、夜行の光の列は揺れ、再び形を取り戻そうとする。

四人は夜の道で息を合わせ、時の乱れと記憶の列に静かに干渉を続けていた。


この夜、断群陣は初めての発動を見せた。

だが、形なき群れの出現により、単純な封印ではなく、時間と記憶への新たな干渉が必要であることが示唆された。


第四章 吠ゆる刃、犬童九郎


霧深い峠道を、夜行の光の列が漂っていた。

透牙と透哉、結、晴明の四人は、形なき群れの追跡に集中している。


「このままでは拡散してしまう」透牙が掌を地に触れ、微細な干渉を試みる。

「符で誘導すれば、少しは収まるかもしれぬ」透哉が符を振り、霧の中に光の軌跡を描く。

結は舞を変え、霧の奥で揺れる妖気を手繰ろうとする。


その時、道の先で鋭い声が響いた。

「何をしておる! 妖をそのままにする気か!」

刃の音が夜霧を裂く。

黒漆の鎧に身を包んだ剣士が現れ、妖の群れに向かって振るわれた刀が光を帯びる。


「犬童九郎……?」晴明が一瞬、眉を寄せた。

「妖退治の剣士だ。この者、力任せに斬る癖がある」透牙が低く呟く。


九郎の刀が、一体の妖の中心を断った。

すると、光の塊が弾け、妖の核とも呼ぶべき中心部が現れる。

「核……妖には中心がある。単なる列ではない、構造が存在する」晴明は符を握り直す。


九郎が刀を振るうたび、散逸しかけた形なき群れが縮まる。

「ふ、何をしている……! ただ斬ればいいというのではない!」晴明が声を張る。

九郎は振り向き、目を細める。

「術師ども、手控えておると妖が逃げるぞ!」


透牙は地に掌を置き、核の位置を掌感覚で捉えた。

透哉も符を光らせ、九郎の斬撃と術式を連動させる。

結は舞で揺らす妖気を集め、核の周囲に微細な渦を作り出す。


「なるほど……百鬼夜行は、妖だけの現象ではない。人心の怨念が集合し、形を成しているのだ」晴明が言った。

「妖と人の怨念が絡み合うから、形なき群れとして散逸する」透牙が理解を示す。


九郎は刀を納め、息を整えながらも警戒を緩めない。

「……だが、これで一体の核を確認した。残りも同じように処理できるかもしれない」


透牙は頷く。

「術式と符、そして舞を連携させれば、核を中心に群れを制御できる」

結も小さく舞を踏み、核を囲むように妖気を手繰り出した。

透哉は符を繰り返し振り、散逸する群れを誘導する。


夜霧の中、刃と符、舞と掌が融合し、形なき群れの捕捉と干渉の試行が始まった。

四人の連携により、群れは次第に核を中心に束ねられ、霧に溶け込む光の列の輪郭が少しずつ整い始める。


「この調子なら、全ての群れを誘導できる」晴明が静かに告げる。

犬童九郎は剣を鞘に納め、納得したように頷いた。

「ふ、術師どもと連携するのも悪くないな……」


夜の峠道に、静かな光の渦が揺れる。

形なき群れの捕捉、核の存在、そして人心の怨念との交錯――

百鬼夜行の全貌は、まだ明らかではない。だが、四人は確かに次の手を得たのであった。


第五章 時裂きの街道


夜の旧街道は、昼でも日光が届かぬような深い影に包まれていた。

旅人の足跡は消え、風もほとんど吹かない。

透牙と透哉、結、晴明は、この異常空間の端に立ち、光と影を慎重に観察していた。


「……ここも、核の影響が強いな」透牙が地面を指でなぞる。

「昼でも光が届かぬとは。まるで時間そのものが歪んでいるようだ」晴明が符を握り直し、微かに舞を踏む。


透哉が巻物を広げ、結と共に祈祷文を口ずさむ。

「透牙、今回の術式は君の掌の操作と共鳴させる。核を基点に群れ全体を制御する」

「了解。掌の感覚を合わせる」透牙は深く頷き、地に掌を下ろす。


結が両手を(かざ)し、祈祷を重ねる。

「これで“時調・共鳴式”は完成……。核に干渉して群れの揺らぎを封じる」


晴明が符を並べ、朱雀と玄武を陣に呼び出す。

朱雀の火の気配が街道を包み、玄武の地の気配が影の底を押さえる。

透牙の掌が核を感知すると、透哉と結の祈祷が共鳴し、街道の空間がわずかに震えた。


「核を中心に群れを束ねる……これが目標だ」透牙が低く呟く。

「核と群れが反応している。うまく行けば、形なき群れも一つに収まるはず」透哉が巻物を閉じず、符の光を維持する。


風が吹き、影が揺れる。

形なき群れの一部が拡散しかけるが、共鳴式の干渉に引き戻され、核の周囲に再び集まる。

結は舞の軌道を少しずつ変化させ、群れの輪郭を整える。


「よし、少しずつ安定してきた」晴明が符を一つ、地に置く。

「核の位置を中心に、群れが収束している……」透牙の掌の感触が確かに変化する。


群れの光が集まり、街道の影は静かに均衡を取り始めた。

核の中心に向けて、術師たちの符と祈祷、舞と掌が連動する。

「百鬼夜行は、単なる妖の集団ではない。人の怨念と記憶の集合体……それを核を基点に制御する」晴明が静かに言った。


夜風に揺れる枝の影が、まるで群れの息吹を映すように震える。

透牙、透哉、結、そして晴明――四人の連携は、この街道を通る百鬼夜行の列に初めて干渉を成功させたのであった。


「よし、次は全体を監視しながら、核ごと群れを誘導する」透牙が呟き、皆が頷く。

街道の闇は深いまま、だが確かに秩序が芽生え始めた。


第六章 葵の記憶、狐の夜


峠の宿を出た夜、霧は濃く、月の光は枝の隙間をぼんやりと照らすだけだった。

透牙と透哉、結、晴明は、街道沿いの小さな社の前に立ち、風狐を傍らに見守った。


「ここからが本番です……」旅芸人一座の巫女、葵が低く呟いた。

彼女の手には、小さな白い狐の像が握られていた。

「母の記憶……夜行に奪われてしまったものを、取り戻すのです」


透牙は葵の背中を見て、そっと声をかける。

「焦るな、葵。俺たちがそばにいる」

晴明は符を握り、十二天将陣の展開準備を整える。


葵は息を吸い込み、祭壇の前で祈祷を始めた。

「第九式・記憶還」

透哉は巻物を開き、結と共に術式の共鳴を確認する。

「核を捉えた……これが夜行の別の核だ」透哉の声は少し震えていた。

「そう……母の記憶は、この核の奥に……」葵の瞳は決意で光る。


風狐が空気を嗅ぎ、尾を揺らす。

その瞬間、夜行の影が社の周囲に漂い始めた。

形なき群れの一部が、核に引き寄せられるように揺らめく。


透牙が掌を地に触れ、構造干渉術を展開する。

「第十式・核誘」

晴明は舞を取り、朱雀と玄武を符の上に呼び出す。

朱雀が炎の気配を放ち、玄武が地の気配で群れを押さえ込む。


葵は狐の像を掲げ、祈祷をさらに重ねる。

「母……帰ってきて」

光の線が夜空に立ち上がり、夜行の核に触れる。

群れの揺らぎが一瞬止まり、社の前に微かな静寂が訪れる。


「核の一部を呼び戻した……だが、全体はまだ安定していない」透哉が巻物を押さえ、符の光を強める。

「ここからが本当の勝負ね」葵は瞳を閉じ、母の記憶を呼び起こす。

形なき群れの中で、微かに光が集まり始める。

それは、失われた記憶の断片が夜行の中で再び形を持ち始めた証だった。


「うまくいった……?」透牙が風狐の耳を撫でる。

「まだ半分……だが、この調子なら核を中心に全体を制御できる」晴明が頷く。


夜空に霧が流れ、社の周囲には静かな風が吹いた。

夜行の群れは揺らめきつつも、核を中心に一つにまとまり始めた。

葵の母の記憶が、夜行の一部として再び息を吹き返す。


「ありがとう……」葵は狐の像を抱きしめ、涙を流す。

透牙は掌を地に下ろし、再び術式を安定させる。

「俺たちは、まだ終わっていない。これから全体を制御し、夜行を導く」


夜の社に、微かな光と影が揺れる。

それは、夜行の群れの一部が再び秩序を取り戻した瞬間だった。


第七章 百の群れ、ひとつの声


霧深い峠道を抜け、夜空に月が淡く浮かぶころ、夜行の全貌が姿を現した。

百を超える影が列をなし、足音を立てずに静かに歩む――その先に核があることは、透牙も透哉も結も感じ取っていた。


「これが……夜行の全貌か」透牙は低く呟く。

「討伐ではない。各自の術で導くしかない……」晴明の声は、冷静だが静かな緊張を帯びていた。


犬童九郎が駆け出し、古びた剣を構える。

「俺の手で、核の座を揺るがす!」

彼が振りかざした剣の先に、淡い光が立ち上り、退犬丸が解放される。

瞬く間に犬神の姿が現れ、夜行の群れの中で微かな秩序を生む。


透哉は巻物を広げ、結と共に術式を重ねる。

「時調・共鳴式」

術式と祈祷が同時展開され、群れの動きが緩やかに揺れる。

結は掌に符を握り、透哉の術と呼応させる。

「核に触れずとも、群れ全体の軌道は制御可能」


透牙は掌を地に置き、構造干渉術の軌道を描く。

朱雀の炎が夜空を焦がし、玄武の地の力が影の列を押さえる。

群れの中で怨念や人心が渦巻きながらも、徐々に秩序が生まれ始めた。


「百の群れ、ひとつの声……」晴明は低く呟く。

それは、ただの百鬼ではない――人の想い、怨念、悲嘆、すべてがひとつの大きな流れとして夜を歩んでいる姿だった。


犬神の咆哮が静寂を破り、夜行の核に微かな揺らぎを与える。

透牙は掌の痕を通じ、群れの奥深くへ干渉を送り込む。

透哉と結の共鳴式も重なり、核の位置が徐々に浮かび上がった。


「全体の制御は……できている!」透牙の声が夜空に響く。

「あとは、核を導き、夜行を鎮めるだけ」晴明は符を置き、舞を取らずとも、群れの軌道を静かに見守る。


霧の中、百の影が揺れ、やがてひとつの大きな波のように収束する。

夜行は討伐されるのではなく、核を中心に秩序を取り戻し、夜の帳と共に静かに消え去った。


「……成功したな」犬童九郎が剣を下ろす。

葵は狐の像を抱きしめ、涙をこぼす。

「母の記憶……少し戻った……」


透牙、透哉、結、晴明。

それぞれが静かに息を整え、夜の帳に包まれた街道を見つめる。

百の群れは消え、残ったのは、人の想いと、術師たちの静かな連携の軌跡だった。


第八章 夜明け前の結界


夜は、まだ明けきらなかった。

空は墨のように濃く、霧は地を這い、夜行の残響がまだ微かに息づいていた。

その中で、晴明は静かに歩みを止め、掌に十二の符を並べた。


「――十二天将陣、全開放」


符がひとつずつ光を放ち、地脈と交わる。

東から風が、南から炎が、北から氷が、そして西から土が満ちる。

四方の力が重なり、十二の守護が交錯する巨大な結界が形成されていった。


透哉と結は、その中心で膝をつき、両手を合わせる。

「……祈りを」結が囁く。

「……調律を」透哉が応じる。


ふたりの声が重なり、まるで旋律のように大地を震わせる。

その響きは、戦いの術ではなく、癒しの祈祷。

夜行の残滓がわずかに揺らぎ、黒き影が霧に溶けるように消えていった。


その背後で、壬生蓮は結界の外縁に立ち続けていた。

額には汗が滲み、符の光が指先で散る。

「……まだ終わらせない……」

声は掠れ、血が口端から零れ落ちる。

それでも、彼は陣を崩さなかった。


結界が震えるたびに、蓮の身体は軋みを上げる。

それでも彼は笑っていた。

「――外法師の役目は、“夜”を閉じることだからな」


霧が裂け、空がわずかに白み始めた。

透牙が地に手をつき、最後の干渉式を展開する。

「……行くぞ、これで終いだ」


光が奔り、夜行の残響が完全に霧散する。

静寂。

ただ、鳥の声が遠くで聞こえ始める。


結界が解けると同時に、蓮の身体が崩れ落ちた。

透哉が駆け寄り、結が符で止血を試みる。

「蓮さん……!」

「……もう……大丈夫だ。朝が来た」

彼の視線の先には、昇る陽の光があった。


晴明は結界の中心に立ち、ゆっくりと符を閉じる。

「夜は、鎮まった。だが……これは終わりではない。

 人が影を忘れぬ限り、夜行は形を変えて現れるだろう」


透牙は静かに頷いた。

「それでも……俺たちは、その影を導く」


風が吹き、霧が晴れ、街道が姿を現す。

かつて夜行が通ったその道には、今はただ、朝の光が満ちていた。


葵は風狐を抱きしめ、目を細めた。

「……母の声が、少しだけ聞こえた気がする」

晴明はそれを聞き、穏やかに微笑んだ。

「それが、“鎮まる”ということだ」


峠を越え、陽が完全に昇る。

夜明け前の結界は、こうして静かに幕を閉じた。


第九章 旅路の果て、静かな道


夜行の影が消え、朝の光が街道を染めていた。

あれほど重く淀んでいた空気が、今はただ静かで、穏やかだった。

遠くで鳥が鳴き、風が木々の間を抜けていく。


誰も「終わった」とは言わなかった。

それぞれが、ただ、静かに歩き出していた。


晴明は、結界の跡にひとつの符を残した。

薄く焦げたその符は、夜行の余韻を吸い込み、静かに光を消していく。

彼は振り返らずに、山の向こうへと歩みを進めた。

その背はどこまでも静かで、まるで最初からそこに“在った”かのようだった。


透牙はその姿を見送り、深く息をつく。

「……師匠らしい去り方だな」

透哉が隣で苦笑した。

「いつも言葉少なに去っていく。

 でも、不思議と“まだ見ている”気がするんだ」


結は、掌の上に残る小さな符を見つめていた。

晴明が残した、“結び”の印。

「――道が続く限り、式は途切れない」

彼女はその言葉を思い出し、そっと符を胸にしまう。


三人が立っていた街道は、夜行が通り抜けたその道だった。

だが今は、ただ朝の光と風だけが吹き抜けていた。


透哉が足を踏み出す。

「……結、行こうか」

「うん。次の地でも、誰かが“恐れている夜”があるかもしれない」


風狐が小さく鳴き、葵が残した布を咥えて走り出す。

その背を追うように、透哉と結も歩き出した。


「……また夜が来ても、今度は恐れずに進もう」

「うん。夜が来るのは、光がまだある証だから」


街道の先、朝の霧がゆっくりと晴れていく。

道はまだ続いていた。

彼らの足跡を包み込むように、柔らかな光が差し込む。


旅路の果ては、静かで、穏やかで――

けれど確かに、新しい始まりの気配を孕んでいた。


エピローグ 風狐の帰還


朝の光が、ゆっくりと山の端を越えていった。

夜行が消えた峠の街道には、もう一片の影も残っていない。

ただ、冷たい風が吹き抜け、夜の名残を運んでいく。


風狐が、丘の上で立ち止まっていた。

耳を立て、どこかを見つめている。

その視線の先には、壬生蓮の墓碑があった。


荒れた土の上に、小さな符が立てられていた。

焦げた跡のあるその符には、晴明の筆跡でこう記されていた。


「蓮、風を結びし者。

その身は滅びず、道に還る。」


透哉と結が、静かに墓前に立つ。

風狐が尾を低く垂れ、地に鼻を寄せた。

その姿は、まるで主の帰還を待っているかのようだった。


結が小さく呟く。

「……風は、まだここにいるのね」

透哉は頷いた。

「蓮の術は“風に託す結界”だった。

 だから、風が吹く限り――彼はこの地を守り続けてるんだ」


風狐が一度だけ鳴いた。

それは寂しさではなく、確かな“誇り”の響きを帯びていた。


透哉は掌を合わせ、目を閉じた。

結も隣で祈る。

“安らかに”という言葉よりも、もっと静かな想いを込めて。


丘を渡る風が、やさしく二人の髪を揺らした。

その中に、微かに蓮の声が混じったような気がした。


「――行け。まだ、道は続いている」


透哉は微笑み、風狐の頭を撫でる。

「行こう。……見ていてくれ、蓮」


風狐が小さく鳴き、朝の風に溶けるように走り出す。

透哉と結がその背を追い、再び街道へと踏み出す。


彼らの背後、墓碑の上の符がそっと光を放ち、

やがて風に散った。


――百鬼夜行は、終わった。

だが夜は、まだどこかで歩いている。

そして彼らもまた、歩き続ける。


夜と朝の狭間を、祈りと共に。

あとがき


――夜が明けた。

それは戦いの終わりであり、祈りのはじまりでもあった。


百鬼夜行という題を掲げながら、この章では“退治”ではなく“鎮め”を描きました。

妖たちはただの怪異ではなく、誰かの記憶であり、願いの残滓。

晴明たちが剣ではなく心で夜を越えたように、

この物語もまた、闇の奥にある「静けさ」を探す旅でした。


蓮の断群陣、葵の祈り、透哉と結の共鳴。

それぞれの術は違えど、根にあるのは“生を守るための想い”です。

そして、風狐が墓碑に風を送るその姿に、

失われた者たちの祈りが静かに還っていくような気がします。


この「百鬼夜行編」は、晴明一行の旅路のひとつの区切り。

けれど、夜はまだ完全には明けきっていません。

次に彼らが向かうのは――

山深く、風と雲が呼吸する場所。



次回予告 天狗てんぐ


『風裂きの山 ― 天を翔ける者 ―』


山の霧に紛れて現れる、翼を持つ異形の影。

修験者を名乗る天狗が、山を越える者の魂を試す。


透牙と透哉、そして晴明は、

「天狗の面」をめぐる奇妙な事件に巻き込まれていく。

それはただの妖ではなく――

人が“天”を見上げる心そのものだった。


登場:

天狗てんぐ ― 山に住む異形の者。空を飛び、修験者や僧侶を惑わす。

出典:仏教説話、民間伝承より。

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