陰陽師旅記 ― 祠に眠る記憶 ―
登場人物紹介
(『陰陽師旅記 ― 祠に眠る記憶 ―』より)
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安倍晴明
平安陰陽寮に名を連ねる陰陽師。
穏やかで思慮深く、力よりも調和を重んじる。
妖や怨霊を“討つ”ことではなく、“還す”ことを目的とした祓いを行う。
古式の符と十二天将陣を用い、層(※用語なしの場合は「地の気の流れ」)の乱れを鎮める。
旅の中では、若き弟子・透牙を導く師としての姿が描かれる。
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透牙
晴明の弟子。
若く、感覚的な術の扱いを得意とする。
地の気や風の流れに敏感で、祠や古道など人が忘れた土地の「声」を感じ取る。
衝動的な面もあるが、晴明との旅を通して“祓い”の意味を学び、
討つ陰陽師から、癒す陰陽師へと成長していく。
式神「風狐」を従える。
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風狐
透牙の式神。
風の流れを読み、妖気や霊の動きを察知する。
普段は小さな白狐の姿をとるが、干渉時には風そのもののように姿を変える。
透牙の感情の動きに敏感で、時に言葉よりも早く危険を知らせる。
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透哉
晴明の弟子であり、透牙の兄弟子。
慎重で沈着、結界と符術に長ける。
無闇に祓うことを戒め、まずは「原因を正す」ことを重んじる。
断絶の地での再接続では、式の安定と護りを担当し、
晴明の意図を最も正確に理解する人物として描かれる。
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結
旅の途中で透哉と行動を共にしていた女性の陰陽師。
祓いの術よりも「鎮め」の力に優れ、穏やかな気を持つ。
感情に寄り添う祈りのような術を使い、土地の記憶を癒す役割を担う。
断絶の地では、封じられた記憶と共鳴し、再接続を支えた。
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登場する主な式・術
•第六式・記憶接:
消えた記憶の流れを辿り、土地に残る想念と接続する術。
•第七式・層縫・記憶軸:
接続した記憶を安定させ、他の気の乱れと調律する。
•第八式・層鎮:
還るべき記憶を静かに送り返し、土地の穏やかさを取り戻す最終の術。
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物語の舞台
山間の宿場町と、その奥にある峠の祠。
人が忘れ、記録からも消えた“断絶の地”を巡る陰陽師たちの旅。
それは、怨霊を退ける物語ではなく――
記憶を取り戻し、静けさを還す祈りの旅であった。
あらすじ
京の街に、再び“語られなかった声”が揺らぎ始めた。
非業の死を遂げた者たちの怨念が、記録の外で層に沈み、微かに蠢く。
その残響は、疫病や災厄、天変地異として街に影を落とし、住人の知らぬところで静かに拡がっていく。
透牙と晴明は、かつてない規模の怨霊の存在を感知する。
構造干渉術と十二天将陣を用い、術者としてではなく“層の干渉者”として立ち向かう二人。
街の層に潜む“語られなかった声”との対峙が、京の夜に静かに始まる――。
第一章 揺れる井戸、夜の依頼
山間の宿場町は、夜になると音を失った。
街道を外れたこの集落は、旅人の足もまばらで、灯籠の火だけが風に揺れていた。
透牙は宿の軒先に立ち、静かに辺りを見回す。
遠くで、井戸の水音がかすかに響いた。昼間は気づかなかった、微かな異常。
「おや、そちらの方が透牙殿か?」
宿の女将が差し出す手紙を持って現れる。
「今日の夕方、都から御使いが来て、こちらに手配を……」
透牙は手紙を受け取り、巻の欠片を懐に忍ばせる。
淡い光を帯びた欠片が微かに震え、街の歪みを示していた。
「何か異変でも?」
晴明が旅装のまま透牙の隣に立つ。
「井戸の音が……夜になると、妙に響くのです」
女将は不安げに答えた。
透牙は井戸に近づき、欠片を掲げる。
闇に触れる光の輪が、静かに揺れる。
「第一式・層探」
低く呟くと、欠片の光が井戸の底へと浸透し、過去の痕跡を映し出す。
巻の余白に微かに形を取る影――非業の死を遂げた存在の残響だ。
晴明も符を取り出し、井戸の縁に置く。
淡い光が空間を描き、井戸の底に漂う怨念の輪郭を浮かび上がらせる。
「怨霊……疫病や災厄をもたらす前に、確認しておく必要がある」
晴明の声は静かだが、鋭さを帯びていた。
風狐が耳を立て、闇を凝視する。
微かに漂う空気の震えが、怨念の存在を告げる。
透牙は欠片を握りしめ、闇の奥を見据えた。
「封じるのではない。まずは、兆しを確認するだけだ」
光の輪が井戸の底を撫でる。声ではない、空気の振動としての怨念の残響。
夜の宿場町は、静かに息を潜めていた。
だが、透牙と晴明は、その沈黙の奥で揺れる“異常”に気づいていた。
旅の途中で立ち寄った、普通の宿場町――
そこで、陰陽師としての調査が静かに始まる。
第二章 井戸の底、残るもの
宿場町は、夜になると息を潜めた。
軒先の灯籠はかすかに揺れ、虫の声さえも遠ざかった。
人々は早々に戸を閉ざし、外に出る者はほとんどいなかった。
透牙は井戸の縁に立ち、巻の欠片を掌に握る。
淡い光が欠片から漏れ、井戸の底をかすかに照らす。
「第二式・層縫」
低く呟くと、欠片の光が井戸の底の水面に浸透し、微かな波紋が空間に広がる。
沈んだ記憶の層がわずかに震え、かすかな残響が浮かび上がった。
「井戸の底に残る痕……これは、非業の死を遂げた者の怨念か」
透牙は目を細め、欠片の余白に映る微細な揺らぎを追う。
晴明は静かに膝を落とし、両手を広げ舞を始める。
袖の端が風を切り、地面の符が淡く光る。
「闇に触れるのではない。空間の縫い目に触れ、層を整えるのだ」
透牙は掌を地面に軽く置き、第三式を展開する。
地面に接した掌の下で、微かな振動が指先に伝わる。
井戸の底に沈む残響が、術式の波に反応して震えていた。
風狐が耳を立て、闇の奥を凝視する。
「微かに生きている……いや、怨念そのものだ」
透牙の声は低く、しかし確かな手応えがあった。
光の輪が井戸の水面を包み込み、微かなざわめきが空気に滲む。
井戸の底の“残響”は、語らぬままに静かに答えていた。
透牙と晴明は沈黙の中で目を交わす。
「封じるのではない。ただ、兆しを確認し、層を整える」
晴明の声は静かで、揺らぎの奥に確信を宿していた。
夜の宿場町は、依然として静かだった。
だが、透牙と晴明は、その沈黙の奥で揺れる異常に、確かに触れていた。
陰陽師としての初の干渉は、こうして静かに始まった。
第三章 廃寺の灯、連なる式
宿場町の夜は、依然として静かだった。
だが、その沈黙は、ただの静けさではなかった。
透牙と晴明は、町の外れにある廃寺へと足を向けていた。
木々の間を抜け、石段を登ると、かつての堂宇の影が闇に沈む。
瓦は崩れ、苔むした柱が夜風に揺れる。
しかしその闇の中で、微かに“異常な熱”が漂っていた。
晴明は境内の中心に符を並べ始める。
紙の符は光を帯び、空間に淡い円を描いた。
十二天将陣の軌跡が展開される。
朱雀が炎の気配を灯し、玄武が地の気配を鎮める。
「ここからだ……層の奥まで届かせる」
晴明は低く呟き、袖を広げ、舞を始める。
舞は静かでありながら力強く、地面の符に光を送り、空気の揺らぎを読み取るように流れる。
透牙は掌を地に触れ、構造干渉術を展開する。
欠片の光が地面を伝い、層の奥に沈んだ怨霊の輪郭に届く。
微かに揺れる残響が、空間の縫い目を震わせた。
「第三式・連鎖」
透牙が声を潜めて唱える。
舞の軌道に合わせて術式を再構成すると、朱雀の火が揺らぎ、玄武の地が小さく震える。
術式と舞が初めて完全に連動した瞬間、怨霊の輪郭が浮かび上がる。
それは、黒い影の塊でもなく、炎や煙でもない。
ただ、過去の非業の記憶が静かに形を取り、層に影響を与えていた。
透牙は深く息を吸い、欠片の光を指先で制御する。
怨霊の輪郭がわずかに反応し、光と影の中で揺れる。
「……確かに、存在している」
透牙の言葉に、晴明は静かに頷く。
夜風に揺れる苔の香、微かに焦げた土の匂い。
廃寺の空間は、術式と舞の結合によって、静かに調律され始めていた。
層の深い歪みが少しずつ整えられ、怨霊は争うのではなく、街の記憶の奥へ還される。
夜の静けさの中で、透牙と晴明は沈黙を共有した。
初めて舞と術式が連動した干渉は、普通の旅の陰陽師たちの手によって、静かに、しかし確実に成功したのだった。
第四章 峠の霧、残る裁き
宿場町を離れた峠道は、夜になると霧に包まれる。
木々の間を抜ける風は冷たく、月の光も霧の奥でぼやけていた。
透牙と晴明は、静かに道を進む。
前章で廃寺にて行った干渉の余波が、町全体の層に穏やかな影響を与えていることを、二人は感じていた。
「峠の先に小さな集落がある」
晴明が低く呟く。
「ここにも、微かな裁きの痕が残っている」
透牙は掌を地に触れる。
欠片の光が石畳を伝い、霧の奥に沈む残響に届く。
「構造干渉術・第四式・層縫」
彼の指先が微かに震え、術式が層の奥深くへと沈む。
晴明は舞の構えを取る。
袖が空気を切り、地面の符に沿って円を描くように動く。
朱雀と玄武が、霧の中で火と地の気配を灯す。
その気配は、霧に揺らぎながら、静かに集落の上空まで広がっていく。
「確かに、残る裁きが揺れている」
透牙の目に、微かに光る輪郭が映る。
それは、非業の死を遂げた者たちの残響であり、怨霊の輪郭でもあった。
だが、今は争うのではなく、層の中で穏やかに調和している。
透牙の掌の光と、晴明の舞の軌道が重なり、霧の中の残響に干渉する。
微細な揺らぎが収束し、層の中に新たな安定が生まれる。
「層が、少し落ち着いた」
晴明が静かに言った。
透牙は頷き、掌の光を収める。
夜の峠道は、再び静けさを取り戻す。
だが、霧の奥にはまだ微かな振動が残り、彼らの干渉の痕跡を確かに伝えていた。
宿場町での干渉の成果が、峠の集落にも及び、層の安定が町全体に静かに影響を与える。
透牙と晴明の連携は、舞と術式を通してさらに深まり、静かな陰陽師の旅の中で、新たな手応えを得た夜であった。
第五章 祠の前、揺れる記憶
峠の集落は、霧に包まれていた。
宿場町での干渉が終わり、空気は少しずつ澄み始めていたが、この小さな集落だけは、まだ何かを抱えているようだった。
透牙は巻の欠片を掌に乗せ、祠の前に静かに立つ。
「……ここにも、微かな震えが残っている」
彼の指先が地面に触れると、欠片が淡く光り、地中深くに沈む“記憶の痕”を浮かび上がらせた。
晴明はゆっくりと符を並べる。
朱雀の火の気配が祠を照らし、玄武の地の気配が周囲の土を静める。
「この祠に、かつての裁きの残響が残っている」
晴明の声は、夜の静寂に溶けるように低く響いた。
透牙は掌を回し、舞の軌道に合わせて術式を再構成する。
欠片の光が地面の震えと呼応し、朱雀と玄武の気配とともに、層の深奥へと伸びていく。
小さな祠の前に、かつて祀られた者の“記憶の震え”が浮かび上がる。
争うでもなく、語るでもなく、ただ静かに層の中で揺れていた。
透牙と晴明の連携によって、微かな波動が収束し、祠の層もまた穏やかに落ち着きを取り戻す。
「確かに……手応えがある」
透牙が頷く。
晴明も静かに微笑む。
「これで、峠の集落も安定しつつある。だが、完全ではない。まだ微細な痕は残っている」
夜の霧が静かに揺れ、朱雀の火と玄武の地の気配が揺らぎに合わせて光る。
小さな祠の前に立つ二人は、静かな陰陽師の旅の中で、さらなる手応えを得ていた。
宿場町から峠の集落へと層の安定が広がり、祠に残る“裁かれた者の記憶”に触れることで、透牙と晴明の連携は確実に深まっていく。
第六章 断絶の地、届かぬ調律
峠の集落を後にした夜、透牙と晴明はさらに山奥へと歩を進めていた。
霧が深くなる中、風狐の耳がぴくりと反応する。
“層の震え”が、微かな振動として伝わってきたのだ。
「……透牙、感覚はあるか?」
晴明が低く問いかける。
透牙は掌を地面に置き、目を閉じる。
欠片の光が微かに揺れ、地中深く、術式も舞も届かぬ深層で微細な歪みを浮かび上がらせた。
「ここは……人の記憶からも、術式の届く範囲からも外れた場所だ」
透牙の声は静かだった。
視界に入るのは、ただ土砂に埋もれた断絶の地の痕跡だけ。かつて村があった場所は、風化と土砂の下に消え去っていた。
晴明は符を取り出す。
「十二天将陣……だ。だが、通常の展開では足りない」
彼はひとつの符を地に埋め、朱雀の火と玄武の地の気配を結ぶ。
微かに光が層の奥へ伸びるが、揺れは完全には止まらない。
「姿はない……だが、層の奥で何かが息づいている」
透牙の指先が欠片の光を通して揺らぎを捕らえる。
「これが、怨霊の兆しか……」
夜の山は静寂に包まれる。
だがその沈黙の奥には、確かに“届かぬ記憶”が、微かに揺れて息づいていた。
術式も舞も届かぬその場所に、透牙と晴明は新たな干渉の方法を模索し始める。
第七章 封じの地、記憶の再接続
夜の山は、深い静寂に包まれていた。
風は止み、霧は重く垂れ込め、夜の匂いだけが山肌を漂っている。
透牙と晴明は、かつて集落があった断絶の地に立ち、地面の奥に沈む微かな震えを捉えていた。
「ここまで深い層だと、従来の術式も舞も届かない」
晴明が低く呟く。
透牙は巻の欠片を掌に乗せ、地面に触れた。
欠片の光が微かに脈打つ。
「第六式・記憶接……」
透牙の指先から、光が層の奥へと静かに伸びていく。
晴明は朱雀と玄武の符を舞台に並べ、静かに舞を始める。
「第七式・層縫・記憶軸」
舞の軌道に沿って、層に沈む記憶の痕跡が浮かび上がる。
空気が微かに震え、夜の闇の中で、地の奥に眠る断絶の地の“記憶”が薄い光となって漂い始めた。
透牙の掌に残る欠片が、記憶の輪郭を掴み、少しずつ形を整えていく。
「届いた……か」
透牙は呟き、欠片を空中に掲げた。
光が層の奥へ浸透し、微細な震えはゆっくりと安定していく。
晴明は静かに頷き、舞を止めた。
「記憶の再接続は完了。だが、この地に封じられた痕跡は、まだ深い」
夜の山に漂う沈黙の中で、透牙と晴明は“封じられた記憶への接続”に成功した。
術式も舞も届かぬ断絶の地において、新たな干渉法が確立された瞬間だった。
第八章 旅の余白、層の静けさ
夜の山は、静かだった。
風は戻り、霧は薄れ、断絶の地に沈んでいた層が、わずかに呼吸を始めていた。
透牙と晴明は、地に座っていた。
掌の痕はまだ温もりを帯び、巻の欠片は微かな光を灯している。
「……記憶が、層に戻っていく」
透牙は低く呟いた。
「断絶されていた記憶が、再び軌道を持ち始めた。それに伴って、怨霊の姿も、はっきりしてきた」
晴明の声は静かだが、確かな手応えを含んでいた。
層の奥から微かな残響が立ち上る。
それは、怒りでも憎しみでもない。
ただ、守ろうとした者が裁かれた記憶――
その不条理が、怨霊として形を持ち始めていた。
晴明は、十二天将陣の符をひとつ、地に並べる。
だが、今回は陣を展開せず、層の軌道に合わせて、静かに“記憶の流れ”を見守る。
「この怨霊は、討つべきものではない。
記憶が戻れば、層は整う。
それだけで、怨霊は形を保てなくなる」
肩で耳を立てた風狐が、空気の震えが収まりつつあることを告げる。
透牙は掌を地に触れ、最後の式を静かに発動する。
「第八式・層鎮」
地面がわずかに沈み、再接続された記憶が層の奥へと静かに還っていく。
怨霊の姿は、輪郭を保ったまま、やがて霧の中に溶けていった。
それは、断罪でも浄化でもない。
ただ、記憶が戻ることで、存在が静かに解かれていく過程だった。
晴明は舞を取らず、ただ符をひとつ、地に残す。
「この旅は、普通の陰陽師の旅だった。
だが、層の奥に触れ、記憶を繋ぎ、新たな技を得た。
それは、静かで確かな成果だ」
透牙は巻を閉じる。
掌の痕は、もう熱を持たなかった。
だが、層の軌道は、確かに整っていた。
夜の山は、静けさを取り戻していた。
だが、その沈黙の奥には、確かに“繋がれた記憶”が、静かに息づいていた。
そして、旅は続く。
次の町へ、次の層へ。
透牙と晴明は、静かに歩き出した。
第九章 再会の宿、層の安定
山間の宿場町は、夜の静寂を保ちながらも、以前とは少し異なる空気を纏っていた。
風は穏やかに木々を揺らし、虫の声がかすかに戻り、町の層に沈んでいた微細な震えが落ち着き始めている。
透牙と晴明は、宿の縁側に座していた。
掌の痕と巻の欠片は、まだ微かな温もりを帯びている。
「透牙、ずいぶん長居してしまったな」
背後から声がかかる。振り返ると、透哉と結が並んで立っていた。
「透哉、結……来てくれたのか」
透牙は笑みを浮かべ、二人に近づく。
結は少し照れくさそうに頭を下げ、透哉は掌を軽く挙げた。
「宿場町の層、ずいぶん落ち着いているな。聞いたよ、断絶の地まで行ったんだってな」
透哉の言葉に、晴明は頷く。
「術式も舞も届かぬ場所で、記憶に触れてきた。層の安定は、少しずつ戻りつつある」
結が透牙の横に来て、そっと巻の欠片を覗き込む。
「透牙の掌の痕……まだ光を帯びている。でも、なんだか安心する」
「再接続された記憶は、層の奥で静かに息づいている。怨霊の姿も、もう形を保ってはいない」
透牙は低く言うと、巻を鞄にしまった。
「なら、次は……この町を含めた山道の安定か」
晴明は符を一枚取り出し、縁側にそっと置く。
朱雀と玄武の気配が、町の層にわずかに触れる。
四人は静かに立ち上がる。
宿場町の灯籠の火が揺れ、街道の空気がわずかに澄んだように感じられる。
透牙は掌を地に置く。
「第九式・層巡」
構造干渉術が、宿場町から峠道、断絶の地にかけて、層を静かに整えていく。
透哉も結も、巻の欠片を手に、透牙の動きに合わせて微細な軌道を描く。
四人の連携が、層の奥で残響を吸収し、微かな歪みを押し戻していく。
「これで、山間の町の層も安定した。旅路は続くが、まずはここで一息つけそうだな」
晴明は静かに頷き、朱雀と玄武の気配を収める。
夜の宿場町は、以前よりも柔らかく光を宿していた。
しかし、沈黙の奥には、確かに“繋がれた記憶”が息づいている。
透牙、晴明、透哉、結――四人は、静かな安堵を共有しながらも、次なる層へ向けて旅を続ける決意を胸に刻んでいた。
第十章 次なる層、静かなる干渉
宿場町を後にした四人は、山道を進んでいた。
夜の空気はひんやりとして澄み渡り、月明かりが木々の隙間を淡く照らす。
風の音も虫の声も、静かに混ざり合い、山道の層はわずかに振動していた。
透牙は掌を地に触れる。
「第十式・層巡拡張」
先ほどの宿場町で得た感覚を基に、術式を再構成する。
層の微細な震えが掌から指先を通じて伝わる。
晴明は符を並べ、舞を取りながら十二天将陣を再展開する。
朱雀の炎がわずかに揺れ、玄武の地の気配が静かに沈む。
「層の奥に、まだ小さな歪みが残っている」
透牙は眉をひそめ、巻の欠片を掲げる。
透哉と結も、それぞれの位置に立ち、掌と巻の欠片を同期させる。
「微細な残響でも、四人で動けば干渉は可能だ」
透哉が低く言うと、結は頷き、透牙の動きに合わせて小さな軌道を描く。
山道の奥、谷間に広がる草原の先――
そこには、かつて人が往来した痕跡がうっすらと残る、知られざる古道の層があった。
断絶されたままの記憶と怨念が、微かに渦を巻いて沈んでいる。
透牙は息を整え、深く掌を地面に押し当てる。
「第十一式・層接続」
構造干渉術が古道の層に向けて拡張され、微細な残響を拾い上げる。
晴明は舞の軌道を調整し、朱雀と玄武の気配を層の奥へと送り込む。
その動きは、術式でも舞でも届かなかった深い記憶への静かな接続だった。
「見えない存在も、消えた記憶も、層の奥で待っている」
結の声が風に乗る。
透牙の掌に、微かな痕が浮かぶ。
それは、術式ではなく構造そのものに触れた証だった。
夜の山は、依然として静かだ。
だが、四人が連携することで、層の奥に潜む微細な歪みは確実に整えられ始めていた。
「これで、次の層への干渉も可能だ」
晴明は符を地に残し、舞を止める。
「術者ではない者としての存在が、この層の調律に役立つ」
透牙は巻を鞄にしまい、透哉と結と共に静かに頷く。
「次の層も、確かに手応えを感じられる。歩みはゆっくりだが、確実だ」
山道の奥、古道の層は静かに息づき、四人の存在によって徐々に安定していく。
夜は深いが、沈黙の奥に確かに“繋がった層の軌跡”が生まれていた。
旅はまだ続く。
しかし今、四人は、次なる干渉の手応えを得て、静かに歩みを進めることができた。
第十一章 怨霊の顕現、層の最終安定
夜の山道は、深い霧に包まれていた。
月明かりはほとんど届かず、木々の影が長く伸びる。
透牙、晴明、透哉、結の四人は、古道の層の中心に立ち、互いに距離を取りながら掌を地に触れる。
「第十二式・層統合」
透牙が低く呟き、掌を地に押し当てる。
巻の欠片がわずかに光り、層の奥深くへと微細な震えを送る。
晴明は符を静かに並べ、舞を取る。
朱雀の炎が柔らかく揺れ、玄武の地の気配が静かに沈む。
透哉と結もそれぞれの掌で小さな軌道を描き、四人の干渉が同期する。
「……来る」
透牙の指先が震えた。
層の奥から、かすかに人の形を帯びた影が浮かび上がる。
それは、非業の死を遂げた怨霊の姿――
かつて村を守ろうとした者が、理不尽に命を奪われ、層に沈んでいた存在だった。
怨霊は怒りや憎しみをむき出しにしているわけではない。
ただ、裁かれず、忘れられたまま残された“層の声”として、静かに形を持っていた。
「焦るな、術式で抑え込むのではなく、層の流れに返すのだ」
晴明の声が静かに響く。
朱雀と玄武の気配が怨霊の周囲に広がり、層の奥へと戻す道筋を示す。
透牙は掌をさらに深く押し当てる。
「第十三式・層還」
巻の欠片が温かく光り、怨霊の輪郭が層に吸い込まれるように溶けていく。
透哉と結も掌を地に押し、怨霊の残響を静かに誘導する。
微細な震えが層の奥に収束し、やがて山道の静寂が戻る。
「終わったか……」
結が小さく息を吐く。
「はい、怨霊の姿は完全に顕現した上で、層に安定しました」
透牙は巻を閉じ、掌の痕を確認する。
そこにはもはや熱も残らず、静かな印だけがあった。
晴明は符をひとつ、地に残す。
「これで、層は整った。術者としてではなく、存在として干渉した結果だ」
山の夜は、再び静寂を取り戻した。
しかし、その沈黙の奥には、確かに“繋がった層の記憶”が息づいていた。
非業の死を遂げた者の声は、討伐でも浄化でもなく、層の奥で静かに安らいでいた。
透牙は仲間たちと目を合わせ、深く頷く。
「普通の旅のつもりだったけど……確かに手応えがあった」
透哉も結も、静かに微笑む。
夜の山道を背に、四人は次の目的地へと歩き出す。
怨霊の顕現を経て、層の最終安定は確立された。
そして、旅はまだ終わらない。
新たな層、新たな歪み、次の干渉への道は、静かに彼らを待っていた。
エピローグ 静寂の層、旅の余韻
朝の光が、山間の宿場町の屋根を優しく照らす。
夜の霧はすっかり晴れ、軒先の灯籠は日差しに揺れる。
街道沿いの小径には、人の足音が戻り、鳥の声も響き始めていた。
透牙は巻を背負い、晴明、透哉、結と共に宿場町を後にする。
「……層が、静かになったな」
透牙の言葉に、晴明が静かに頷く。
「怨霊は顕現し、記憶と共に還された。討伐ではなく、調律としての干渉が成った」
透哉が微笑む。
「層が安定しているのを感じる。これで町の人々も、知らぬうちに救われたわけだな」
結は少し肩をすくめ、地面に目を落とす。
「静かすぎて、まるで何もなかったようだけど……確かに何かは動いた」
山の道を歩く四人の足元には、微かな層の震えが残る。
それは誰も意識しない、しかし確かに存在する“静かな変化”だった。
非業の死を遂げた者の声は、もう怨霊として現れることはない。
層の奥深くで、ただ静かに安らぎ、街の未来を支えている。
透牙は巻を閉じ、肩をすくめる。
「普通の旅のはずだったのに……色々あったな」
晴明は薄く笑う。
「術者としての技を磨くことも、存在としての干渉を知ることも、どちらも大切だとわかった。次に繋がる旅だった」
山の道は長く、まだ終わりではない。
四人の歩みは、次の町、次の層へと向かう。
夜の静寂に触れ、記憶の断片に干渉し、そして層を安定させる。
それは“普通の陰陽師の旅”として始まったが、確かに深く、確かな歩みとなっている。
やがて、山道の先に柔らかい朝霧が立ち込め、四人の姿を包んだ。
静寂の中、層の安定は、新たな旅の予感と共に息づいていた。
次回予告 百鬼夜行 ― 夜に歩む影の列 ―
夜の闇が山間を覆う頃、古い街道の奥に、静かに列が現れる。
灯籠の光では照らしきれない影が、夜の帳に溶け込むように動く。
「百鬼夜行……だ」
透牙が低く呟く。
晴明は符を手に取り、慎重に目を凝らす。
「目撃すれば災いが訪れると伝わる、夜の妖怪の行列。絵巻物や説話集にのみ描かれる影たちだ」
宿場町を旅する彼らの前に、夜の闇を徘徊する百鬼の列が忍び寄る。
人々の家々の戸締まりは厳重だが、列はどこからともなく現れ、街道を進む。
透牙と晴明、そして透哉と結。
陰陽師たちは、静かに身構え、妖怪の行列に立ち向かう。
退治ではなく、列を見極め、災いを防ぐ――それが今回の務めだ。
次回、『百鬼夜行編 ― 夜に歩む影の列 ―』
夜の街道に潜む妖怪の行列と、陰陽師たちの慎重な戦いが描かれる。
あとがき
静かな山間の町、霧の夜、忘れられた祠。
この物語は、そんな小さな風景の中で生まれました。
陰陽師という存在を、戦いや祓いの象徴ではなく、
“記憶を整える人”として描いてみたい――
その思いから、この旅は始まりました。
怨霊という言葉の裏には、
必ず「残したかったもの」や「伝えられなかった声」があります。
それは恐れでも怒りでもなく、
ただ、忘れられたことへの悲しみであることが多い。
晴明と透牙がたどったのは、
そうした声を討つのではなく、還す旅でした。
霊を祓うのではなく、
その存在が生まれた理由を知り、受け入れる――
そんな祓いのかたちがあってもよいと思うのです。
また、今作では「層」や「異能」などの設定をあえて排し、
日常の延長線上にある“霊の在り方”を描きました。
人と土地の記憶、祠に眠る想い。
それらは昔話のようでありながら、
今もどこかで続いている静かな真実のようにも思えます。
最後に。
この物語を読んでくださったあなたが、
もしも夜の風や霧の静けさの中に、
小さな祠や灯籠の光を見つけたなら――
その奥に、かすかな「記憶の声」が息づいているかもしれません。
それを怖れずに、ただ耳を澄ませてみてください。
きっと、晴明と透牙が見たのと同じ“静かな世界”が、
そこに広がっているはずです。
―― 『陰陽師旅記 祠に眠る記憶』 終




