二陣 ― 影を喰らう風 ―
登場人物紹介
二陣 ― 影を喰らう風 ―
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◆ 透牙
若き陰陽師。師のもとを離れ、各地を巡りながら妖退治を請け負っている。
表情は穏やかだが、心の奥には過去の“封印の失敗”による罪責を抱えている。
今回の任で「影を喰う風」と対峙し、恐怖の中でも己の信念を貫こうとする。
封印の代償によって、彼の“影”に新たな気配が宿る。
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◆ 瞬/白狐のシロ
透牙の式神。普段は小さな白狐の姿をしており、感情豊かで饒舌。
本来の名「瞬」は妖狐としての姿を現す時に使われる。
かつて祠に封じられていた存在で、透牙との契約を経て再び世に出た。
戦いの中では妖狐として顕現し、透牙を守るために己の“影”を囮に差し出す。
その行為が、二人の信頼を確かなものにした。
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◆ 沙久
南の村に住む少女。影を失った状態で発見される。
普段は心優しく村の子どもたちの面倒を見ていたが、数日前から“影が薄くなる”という異変に悩まされていた。
影を喰う風の最初の犠牲者であり、事件の核心に最も近い存在。
彼女の無垢な恐怖が、妖を強める要因となっていた。
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◆ 影喰
“影を喰う風”の本体。
古文書に記される、失敗した「影縫の儀式」から生まれた怨霊。
かつて陰陽師によって“影を固定する術”が試みられた際、その過程で生じた負の霊力が具現化した。
人の影を喰らい、その記憶と感情を糧として生きる。
風のように形を持たず、祈祷や護符を容易くすり抜ける。
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◆ 老陰陽師・典膳
透牙の師。直接は登場しないが、透牙が持つ古文書や儀式の知識の多くは彼の教えによる。
かつて「影縫」の術を研究し、失敗した一人でもある。
その名は、古文書の断片にわずかに残されていた。
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◆ 村人たち
恐怖に支配された南の村の住人たち。
夜になると家の中に灯を絶やさず、影を見ないように暮らしている。
彼らの“恐れ”そのものが、妖の糧となっていた。
影の囁き
南の山を越えた先、常霧の村。
昼なお薄暗く、風が通るたびに木々が鳴く。
その村に、今、奇怪な噂が広がっていた。
――影が、遅れて歩く。
――夜になると、影が笑う。
透牙は、藁葺き屋根の家並みを見渡しながら、静かに呟いた。
「……人の影が遅れる、か。妖の仕業にしては、妙に生々しいな」
白い狐の姿をした式神・瞬が、彼の肩に飛び乗る。
「影を喰う類かもしれぬな。あるいは、影そのものが怨念に変じたのかもしれない」
村の通りには、人影がほとんどない。
戸口は固く閉ざされ、灯りはどの家にも灯っていなかった。
時折、吹き抜ける風が、障子の隙間を鳴らす音だけが響く。
「……夜になる前に、話を聞く者を探そう」
透牙は腰の符袋を確かめ、足を進めた。
村の中央、古びた井戸のそばで、一人の老婆が膝を抱えて座っていた。
その瞳は虚ろで、焦点を結ばない。
「婆様、尋ねたい。影が笑うというのは、どういうことだ?」
透牙が声をかけると、老婆は小刻みに震え、掠れた声で呟いた。
「……あれは、風の中にあるのよ……人の影を、食う風……」
その声は、風と共に遠くへ溶けていく。
瞬が低く唸る。
「風に宿る妖……あり得ぬ話ではない。けれど、何かが歪んでいるな」
その時、村の奥から悲鳴が上がった。
透牙は振り返り、即座に駆け出す。
朽ちた祠の前、人々が集まっている。
その中心に――一人の少女が倒れていた。
透牙が膝をつき、脈を確かめる。命はある。
だが、少女の体を照らす光には、あるべき“影”がなかった。
「……影が、ない……?」
瞬が呆然と呟く。
透牙は掌を地に当て、霊脈の流れを探る。
微かな冷気が指先に伝わった。
「影を喰う風……その本体が、この村に巣を張っている」
少年の声が、夜の静寂に溶ける。
沈みゆく夕陽が、少女の無影の姿を長く照らし出していた。
第二章 風の影喰
その夜、透牙と瞬は、影を失った少女の屋敷に宿を取った。
障子の向こうには、月明かりが白く滲んでいる。
しかし、風の流れがどこかおかしかった。
「……外は無風のはずだ。なのに、屋敷の中だけ風が通っている」
透牙は袖を押さえ、静かに呟く。
瞬が狐の耳を立てるように小さく首を傾げ、霊気を感じ取った。
「ただの風ではない。何かが、空気の中に溶けている。人の影の残滓……喰われた跡だ」
透牙は懐から護符を取り出し、部屋の四方に符を貼っていく。
四方結界の印を結び、低く声を落とす。
「封印の式、起動……“四方を鎮め、風を束ねよ”」
静寂が降りた。
その瞬間、障子の隙間から一陣の風が吹き込み、灯明が一斉に揺れる。
風の中に、かすかな囁きが混じった。
――返せ。影を返せ。
声は空気の奥底から響き、壁をすり抜け、透牙の足元にまとわりつく。
畳の上に落ちた影が、歪み、うねった。
「出たな……!」
透牙は印を結び、息を吸い込んだ。
「オン アビラウンケン シャラクタン!」
文殊菩薩の真言が空気を震わせ、護符の光が走る。
だが、次の瞬間――風が逆流し、護符が一枚、空中で弾け飛んだ。
「効かない……!?」
瞬が跳び上がり、透牙の前に立つ。
「風の妖は、形を持たぬ。力の流れを封じるだけでは、祓えぬのだ!」
部屋中の灯が一斉に消え、闇が押し寄せる。
その中で、透牙の影が床からゆっくりと剥がれ始めた。
「やめろ……っ!」
風が笑った。
人とも、妖ともつかぬ声で、空間を舐めるように響く。
――影をくれ。おまえの記憶を、形ごと。
透牙の体が引きずられ、光が吸い取られていく。
護符の力が尽きる、その瞬間――
「――退けぇぇぇっ!」
瞬の声が鋭く響き、白い光が闇を裂いた。
狐の姿が一瞬、蒼白い焔に包まれ、その体が大きく変わっていく。
金色の瞳が輝き、白狐の毛並みが風をまとい、尾が三つに分かれた。
妖狐・瞬。式神の真なる姿。
「透牙、息を整えろ。今度は我が行く」
透牙は息を荒げながら頷き、再び印を結んだ。
「……応える、瞬!」
瞬は風を喰らう風へと跳び込み、尾で空間を裂いた。
「我が名において命ず、影を返せ!」
風が悲鳴を上げる。
屋敷を揺らすほどの叫びが響き、影が黒煙となって弾け飛んだ。
光が戻り、透牙の足元に影が再び落ちる。
息をついた透牙は、汗に濡れた額を拭った。
「……助かった。ありがとう、瞬」
妖狐は尾を一振りし、穏やかに人語を返す。
「まだ終わりではない。この風は村全体に巣を張っている。影喰の根を断たねば、再び影は奪われよう」
透牙は頷き、夜空を見上げた。
雲を割って月が姿を見せる。
その月の光は、まるで彼らを導くように、村の外れ――古い祠の方角を照らしていた。
第三章 影縫の封印
夜が明け、朝霧が村の屋根を包んでいた。
透牙は、村の古文書庫に残された紙片を慎重に開いた。
墨のかすれた文字が、かろうじて読める。
――“影を縫い、魂を繋ぐ。
縫い損じ時、影は主を離れ、風と化す。”
透牙は眉をひそめる。
「……やはり、“影喰”は術の失敗で生まれたものだったか」
傍らで尾を揺らしていた瞬が、静かに言葉を継ぐ。
「影縫の儀――陰陽の秘術にて、影と魂を一つに縫い留める術。
だが、それが途絶えれば……影は主を喰らい、己の存在を保とうとする」
透牙は唇を引き結び、古文書を巻き戻す。
「この村の社に、その儀式の跡があると書かれていた。行ってみよう」
* * *
昼過ぎ、二人は村外れの古社へと足を運んだ。
社は崩れかけ、注連縄は朽ち、鳥居の下には風が渦を巻いていた。
瞬が低く唸る。
「……ここだ。風の根が、祠の底にある」
透牙は社の前に立ち、両手を合わせて深く息を吸い込む。
「封印を解いて、核を鎮めるしかない。
……瞬、結界の支えを頼む」
「心得た」
瞬の尾が三つに揺れ、風を静めるように結界の印を描く。
透牙は地面に膝をつき、掌に護符を広げた。
古文書の記述に従い、唱えるべき真言を口にする。
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ」
声が一度、二度、三度と重なる。
祠の空気が揺れ、地中から低いうなりが響く。
足元の砂が舞い、影がうごめいた。
「……出てきたな」
祠の奥から、黒煙のような影が溢れ出す。
その形は人でも獣でもなく、風そのものの怨念。
透牙の声に応じるように、風が嘲る。
――縫えぬ影に、陽は射さぬ。
瞬が前に出る。
「透牙、構えよ! あやつは“縫われ損じた影”そのもの。手加減は不要だ!」
透牙は印を結び、符を投げ放った。
「封じの式、三重の環を結べ――!」
護符が三方向に飛び、祠の周囲で光の円を描く。
しかし、影喰は風となってそれを弾き返した。
瞬の目が輝く。
「影を縫うには、影で縫え!」
妖狐の尾がひるがえり、祠の影を一本、地面に打ちつける。
その尾先に、透牙の声が重なった。
「三度の真言、響け――!」
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ!」
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ!」
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ!」
三重の声が響いた瞬間、祠全体が白く光り、風が悲鳴を上げる。
黒い影は裂かれ、風の粒となって空へと散っていった。
やがて静寂が戻る。
透牙は深く息を吐き、膝をついた。
「……終わった、のか」
瞬が静かにうなずく。
「封印は果たされた。影は縫い直されたのだ。
人の影も、風の影も――ようやく、もとの形に還った」
祠の奥では、影を失った少女の影が、ゆっくりと戻っていくのが見えた。
その背を見守りながら、透牙は呟いた。
「……影を縫うというのは、きっと命を繋ぐことなんだな」
瞬が微笑むように目を細めた。
「ゆえに“縫う”は、“祈る”に通ずる。陰陽の術とは、ただ滅ぼすにあらず。
……おぬしも、それを悟ったか」
透牙は空を見上げる。
霧が晴れ、月の光が祠を照らしていた。
風はもはや、何の囁きも持たぬ。
ただ、清らかな空気が静かに流れていた。
第四章 風、喰われる
夜が再び、村を覆った。
封じたはずの風が、呻くような音を立てて森を渡ってくる。
戸口を閉めた家々の灯りは消え、誰もが息を潜めていた。
社の前に立つ透牙は、胸の内にざらりとした不安を覚える。
「……封印は、完全ではなかったか」
瞬が尾を揺らし、風を嗅ぐ。
「風が“恐れ”を喰う。村人の怯えが、あやつを再び呼び起こしたのだ」
その時、社の鈴が鳴った。
カラリ――と、音が風の中で裂ける。
地を這うような気配が、透牙の足元を撫でた。
「来た……!」
透牙は護符を構え、符を夜空に放つ。
護符が光の輪を描き、周囲を囲う。
だが、風はその輪を呑み込むように渦を巻き、闇の形を取ってゆく。
それは、まるで人の影を集めたような“黒い風”。
影の中に無数の眼が光り、風鳴りの中で笑うような声が響いた。
――影を返せ。光を喰わせ。
透牙の背に冷たいものが走る。
気づけば、自らの影が地を離れ、風に吸い寄せられていた。
「くっ……!」
透牙は足元の印を結び、封を唱える。
「封じの式――三重の環を結べ!」
光が放たれるが、風はそれを飲み込み、さらに膨れ上がった。
影が透牙の足元から剥がれ、風に引き裂かれようとする。
「透牙ッ!」
瞬が叫び、狐の姿へと変じた。
紅の光が弾け、夜を裂く。
その身から放たれたのは、妖狐の影。
瞬は己の影を透牙の前に投げ出し、風の中へと飛び込んだ。
影と影がぶつかり合い、轟音が夜を揺らす。
透牙は歯を食いしばり、両手で印を結んだ。
「瞬、耐えてくれ! 今、陣を完成させる!」
指が震える。
声が、風にかき消されそうになる。
だが、瞬の声が届いた。
――恐れるな、主よ。影は縫える。風もまた、形あるものだ。
透牙は深く息を吸い、唱える。
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ!」
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ!」
「オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジンバラロシャナ ソワカ!」
三度の真言が響いた瞬間、護符が地に落ち、陣が完成した。
光が爆ぜ、影が裂ける。
瞬の影が風の中で白く輝き、透牙の影と重なる。
風は悲鳴を上げ、やがて音もなく、夜の闇に溶けていった。
……風が止んだ。
透牙は膝をつき、荒い息を吐く。
傍らでは、元の姿に戻った瞬が尾をゆっくりと揺らしていた。
「……無茶するなよ、瞬。自分の影まで差し出すなんて」
透牙が苦笑すると、瞬は小さく鼻を鳴らす。
「主を守るのが式神の務めだ。……それに」
尻尾をくるりと回し、軽く笑う。
「おぬしの慌て顔を見るのも、悪くはなかった」
「おい、それどういう意味だ」
「さあ、どういう意味だろうな」
透牙が額に手を当て、思わず吹き出した。
「まったく……お前ってやつは、敵より厄介だ」
「光栄だな、主上」
瞬は得意げに胸を張り、狐の姿のまま大きく伸びをする。
夜明けが近づく。
社の屋根に朝風が流れ、静かに梢を撫でた。
透牙は空を仰ぎ、深く息をついた。
「影を縫い、風を鎮めた……。次に来るのは、どんな依頼だろうな」
瞬が目を細める。
「主の影がある限り、風はまた呼ぶだろう。
……だが、次は共に笑って迎えようぞ」
二人は並んで歩き出す。
朝日が昇り、影が地を伸びていく。
その影は、もう別々ではなかった。
結文
静まり返った社の境内に、風はもう吹かない。
透牙は護符を胸に戻し、ゆっくりと息を吐いた。
「……怖かったけど、逃げなかったな」
その言葉に、瞬が小さく笑う。
「陰陽師らしくなったではないか。
恐れを抱いたまま、それでも立つ。――それが“陰”を制する術よ」
透牙は微かに口元を緩め、夜空を見上げた。
雲の切れ間に、星が一つ瞬いている。
「ありがとう、瞬。……お前がいてくれて、よかった」
「ふん、当然だ。主が倒れたら、誰が飯をくれる」
思わず吹き出し、透牙は肩の力を抜いた。
風が止んだ夜、村はようやく静寂を取り戻す。
社の鈴が、遠くでひとり鳴った。
その音とともに、透牙の懐に一通の封書が滑り落ちる。
封には、都の印。
見慣れぬ墨の文字で、こう記されていた。
――「影、乱るる都にて待つ」
透牙は眉をひそめ、手紙を握りしめた。
その刹那、足元の影がわずかに揺らぐ。
黒い輪郭の中に、一瞬、別の“眼”が光った。
「……今のは、まさか――」
透牙が振り返ると、瞬が低く尾を揺らしていた。
「封印の代償、かもしれぬな。
影の内に、別のものが棲みついたのだ」
透牙は静かに目を閉じ、呟く。
「なら、次は――俺の影を、封じる番だ」
夜が明ける。
新たな旅路の風が、東の空を撫でた。
あとがき
――二陣 「影を喰らう風」
静かな風が止み、影が再び地に還る。
この章を書き終えたとき、まるで一陣の後に吹く“余韻の風”のような感覚が残りました。
「影」とは、光があるからこそ生まれるもの。
けれどその“影”がもし、恐れや罪、後悔と結びつくものだったなら――
人はそれを切り離そうとし、消そうとするのかもしれません。
透牙と瞬の物語は、そんな“見えない恐れ”とどう向き合うかを描くために生まれました。
彼らが戦っているのは妖でありながら、
実は“人の心が生む闇”でもあるのです。
二陣では、透牙が初めて“誰かを救う”という意味を知り、
瞬が“誰かのために傷つく”ことを選びました。
この二人の関係は、戦いを経るごとに変わっていきます。
絆は、契約という形を超えて――互いの心の支えとなるものへ。
封印の代償として、透牙の影に宿った“異なる気配”は、
次なる試練への伏線です。
それは外の妖ではなく、彼自身の中に眠る“もう一つの影”。
三陣以降、透牙が自らの心とどう向き合うかを描いていく予定です。
風は止んでも、物語はまだ終わらない。
この静かな夜のあとにも、また新たな影が生まれる。
次の陣で、再び透牙と瞬が歩む道を――
どうか見届けていただけたら幸いです。
――筆者




