8-1
静かな朝だった。
それは、これから起こるであろう喧騒の前触れのように思えて不安だった。
「行ってくるね」
姉が家を出るその瞬間だった。
「行くの・・・?」
「うん、マスコミの人たちが待ってるから」
「何処なの?」
「日陰ちゃんは来ちゃダメ」
「え?」
「だから、知る必要は無いの」
「でも」
「そういうことだから、行ってくるね」
姉は最後に僕を抱きしめる。
そして、玄関から出て行った。
追いかけるべきだ。
今なら間に合う、お姉ちゃん。
行かなくていい、僕が行くべきだって。
でも、その言葉は出てこなかった。
リビングに移動する。
そして、リモコンで電源をつける。
すると、マスコミの人たちが待機してるのが分かった。生放送だ、今か今かと待ち構えてる。
それは飢えた獣に生肉を与えるようなギラギラ感があった。ここに姉が放り込まれるのだと思うと、ゾッとする。SNSでも盛り上がってる。やはり世間は生贄を求めてるんだ、有名人の悪事が露呈するその瞬間を。人間性が破壊される現代の処刑。ダメだ、ここに姉を行かせるのは。唐突に、そう思えた。何度も何度も抱きしめ貰ったじゃないか。姉は僕の事を一度でも責めただろうか、いいや無かった筈だ。いつも僕の事を受け入れてくれた。それなのに僕はどうしてた?姉に甘えていただけじゃないのか?このままで本当にいいのか?いいや、ダメだ。僕は弱い、そのことは変わりない事実だ。だから、これからも僕は姉に甘えたい。抱きしめて欲しい。だったら、今ここで立ち上がらなければ姉はきっと僕を抱きしめてくれない。そんな気がしたんだ。
僕は冷蔵庫を開けて、苺ミルクを一気に飲み干す。
気合は充電出来た。あとは向かうだけだ。
やることは分かってる、正直に言えばいいだけだ。
玄関を飛び出して、僕は走り出した。
「うわああああああああああっ」
叫びながら、走る。
そして、思い切り転倒する。
運動神経が悪いので、走るとすぐに転ぶ。
「大丈夫かい?」
道行く人に心配される。
「大丈夫です!」
顔に泥がつく、
いや、顔だけじゃない。
服も泥だらけになる。
でも今はそんなことはどうでもいい。
転んだら、また立ち上がってやる。
僕は誤解していたんだ。
生きてさえいれば、人は幸せになれると。
こんな名言を良く耳にしていた。
だけど、ひねくれた僕は間違ってるとずっと思っていたんだ。生きて居たって、人は幸せになんてなれはしないって。必死に努力したって、叶わない人の方が多いって、だから頑張っても無駄だって、幸せになんかなれっこないって。
でも、そうじゃないんだ。
この言葉の意味は、その奥にあったんだって気づかされたんだ。
生きてさえいれば、人は幸せになれるってのは、
不幸になった時に、立ち上がって何時の日か幸せになれるんだって信じることだったんだ。
自分を信じるってのは怖いことだ。
失敗したときに人生が無駄だって気づかされるから。でも、初めから叶わないって信じるのは違う筈だ。目の前に少しでも可能性があるのならば、僕は希望を信じて歩きたいって思えたんだ。だからお姉ちゃん・・・お姉ちゃんが僕の希望なんだ。
今ここで、人生を終える必要はないんだ。
お姉ちゃんが居るのならば、生きてることにきっと意味を見出せる。そうでしょ、お姉ちゃん。
僕は立ち上がって、また走る。
けれど、また転ぶ。
あぁ、本当に自分の運動神経の悪さに嫌気を感じるよ。
「大丈夫かい?」
今度はおばさんに心配される。
「大丈夫です」
「ひざから血が出てるじゃないか」
「・・・」
「家が近くなんだ、良かったら車で病院まで送っててあげようか?」
病院、それもいいかもしれない。
言い訳が出来る。
姉の記者会見に間に合わなかったのは、
病院に行ってた所為だと理由が出来る。
怪我したのだから走れなかった、僕は頑張った。
向かおうと努力したんだ。
だから、お姉ちゃん認めて欲しい。
僕は頑張ったんだって。
そうしたら諦められる。
「いえ、こいつには必要ないです」
「明美さん」
いつの間にか彼女が来ていた。
「諦めるのか?」
明美さんが睨む。
「ううん、行く」
僕は断言する。
そうだよ、ここで諦めるのは違う。
怪我したからって何だよ。
小さいモノじゃないか、これじゃ人は死なない。
だったら歩くべきだよね。
「その意気だ」
明美さんはニッと笑う。
「お友達が来たのなら大丈夫ね」
そう言っておばさんが去っていく。
彼女は純粋に心配してくれただけのようだ。
「行こう、明美さん」
僕は力強く頷く。
「あぁ」
明美さんは同意する。
「つぅ・・・」
しかし膝を怪我してる所為で、上手く走れない。
いや、もともと運動神経が悪いのだから走れないけれども。どうしたらいい、そう思った矢先だった。
「あの、これ持ってきました」
「純太君」
「本を運ぶときに使う奴なんですが、役立ちますかね?」
「使えるよ、ありがとう」
「いやぁ」
純太君は照れくさそうに笑う。
「よし、俺と純太で押すぞ」
「はい!」
純太君は力強く返事する。
「僕をスタジオまで連れてって!」
「場所は」
明美さんは叫ぶ。
「生放送の場所は、テレビ局です!」
純太君がスマホで調べる。
「よっしゃ、爆走だぜ」
明美さんが全力で押す。
それは、ブックカートだ。
怪我した僕を乗せて、純太君と明美さんの2人で押して爆走する。
テレビ局の前までブックカートで突撃する。
「ちょっと、そこの人たち許可証は」
警備員の人が止めようとしてくる。
「関係者だ、バカ野郎」
明美さんは許可証を顔面に投げつける。
「ぶっ」
警備員は顔に当たったので驚く。
そこには僕の顔写真が入ってた許可証だった。
「エレベーターだ!」
僕が叫ぶ。
「でも、大勢の人が待ってます。
あれではいつ来るか分かりません」
純太君が気づく。
「仕方ねぇ、あっちだ!」
明美さんは方向転換して、ある場所に向かう。
「うわああああああああ!」
僕は悲鳴をあげることしか出来なかった。
「退け退け、ノロマども!」
明美さんはエスカレーターに強引に乗って走り出す。よくブックカートを押せるなと思う。
「おおっ」
「きゃあっ」
スタッフの悲鳴が聞こえる。
背後からいきなりブックカートに乗った謎の3人を見れば誰だって驚くだろう。
「着いたぞ!」
明美さんは叫ぶ。
僕らは生放送をしてるだろう、5階に到着する。
「お願い、行って」
僕は伝える。
「よし、来た」
明美さんは記者会見の会場目がけて突入するのだった。
「このまま本当に行くの?」
純太君は不安そうにする。
「当たり前だ、ここまで来たら後はもうどうにでもなれだ」
明美さんはそんなことを言う。
「行っけええええええええええ!」
僕は叫ぶ。そして、ブックカートに乗ったまま、扉を強引に突破する。そして、記者会見の会場へと突入するのだった。




