7-3
僕はあの場所に隠れた。
それは誰でも入れそうで、誰でも入れない場所。個室のようでいて、そうでない場所。ここなら安全だと思って避難したのだ。きっとここなら・・・そう思っていた。でも、誰かが扉をノックする。どうしてここが、声を出すわけにはいかず黙る。
「・・・」
それでもノックは止まない。
間違えなく確信があってノックしてる。
ここに僕が居るだろうと思ってる。
どうしよう、逃げ場がない。
ここなら大丈夫だと思ったのに。
「私だよ」
「おねぇ・・・・ちゃん?」
「お願い、開けて日陰ちゃん」
あぁ、ダメだ逃げれない。
僕は観念して扉を開ける。
「どうしてここが分かったの?」
「分かるよ、日陰ちゃん。
トイレ・・・好きだもんね」
高級ホテルかのような公衆トイレ。
公衆トイレとは思えないほど綺麗。
だから個室として利用しやすかった。
女子トイレだから、ここなら記者の人たちも入ってこれない。そう思ってた。
でも、姉は例外だ。
「あぁ、そうだよ。僕はここに逃げました、で、どうしようって?怒る?それとも殴る?」
明美さんにやられたことを思い出す。半ば自棄になりながら、僕は姉に対して接する。
「日陰ちゃん」
姉は手を振り上げる。
「っ・・・!」
僕は殴られると思い、目を閉じる。けれど、いつまで経っても殴られる衝撃は無かった。それどころか、柔らかで暖かな感触がそこにはあった。
「殴る訳ないないじゃない」
「どうして・・・姉だから?」
「姉だからじゃない、私が高橋日向だから」
「おねえ・・・ちゃん」
「辛かったね」
僕は姉に抱きしめられる。
「僕は・・・怖かったんだ。
あの日、小説家になろうと夢を目指したときに変な自信があった。自分は売れる作家になるって、だけど、その先を考えた時に怖かったんだ・・・人に僕の作品が責められるんだって」
「うん」
「人気になれば、称賛の声も多いけれど、それと同時に反対の言葉も多くなる。多くの人は言うんだ、そういう嫌な奴は全体のごく一部であって、気にしたら負けだって。でも、どうしても気になってしょうがないんだ。考えてもみてよ、教室の中には30人ほどの生徒が居る。そのうち29人は僕に対して危害を及ぼそうとか、そんなことは考えてないんだ。でも、たった1人・・・たった1人でも僕の事を傷つけると分かってる人が居たら怖いに決まってる。僕に危害を加える人が0にならない限り、僕は恐怖を感じ続けるんだ、そうでしょ、お姉ちゃん」
「うん・・・分かるよ」
「だから、あの日・・・僕の本の作者は高橋日向になったんだ。僕の名前で褒めてくれる人は居なくなったけれど、僕のことを傷つける人は誰も居なくなったんだ」
「だけど・・・今は違う。
今は・・・僕の名前も表に出てる・・・それがどうしようもなく怖いんだよ・・・お姉ちゃん」
「今はとても怖い状況だね」
「どうしたらいいのか・・・分からないんだ」
「このままでいいんだよ」
「このままでいいって・・・どういう意味なの・・・お姉ちゃん?」
「ネットの記事を見たんだ。すると、不思議なことに日陰ちゃんを責めてる人は居なかった」
「でも、それは真実じゃないじゃないか」
「真実である必要がある?」
「え?」
「このまま・・・このまま私が加害者として世間の人が思ってくれるのならば・・・日陰ちゃんは被害者で居られる・・・それでいいんじゃないの?」
「ダメだよ、そんなのダメ!」
僕は懇願する。
「どうして?」
姉は不思議そうな顔をする。
「だって、可笑しいじゃないか。それは真実じゃない、僕が悪いんだ、僕が姉を矢面に立たせたから」
「私だって協力者だった」
「それが僕がお願いしたから」
「それでも、私は拒否することは出来た。でも、それをしなかった。だって、日陰ちゃんがそうしたいって思ってたから断れなかった」
「だったら」
「私は裁かれるべきなんだよ」
「どういうこと?」
「私は本当は有名になる人じゃなかった。確かに綺麗な方だって自覚はあった。でも、それはあくまでこの町での話であって、世界を見渡してみたらもっと綺麗な人は沢山居る。私は本来は埋もれるべき人だった、でも日陰ちゃんという才能ある少女が私にチャンスをくれたんだ。有名になるね。私は承認欲求が抑えられなかった。だから日陰ちゃんの誘いに乗ったんんだ。それが世間に嘘をつく行為だって分かってるのにね・・・だからこれは罰なんだよ」
「お姉ちゃん・・・」
「だから、罰は私が受けるべきなんだ」
「罰?」
「今、家の前にマスコミが居るでしょ。彼らが居る限り私たちに平穏は訪れない。けれど、彼らを消すことは出来ない」
「そうかもしれないけど、でもどうしたら」
「誘導することは出来る」
「誘導?」
「私が記者会見を開く」
「ダメ・・・ダメだよ・・・お姉ちゃん・・・そこでこう言うつもりでしょ。ネットの意見は真実ですって・・・私が妹を・・・高橋日陰を搾取してましたって・・・そうしたら姉が加害者になってこの問題は解決する・・・そう考えてるんでしょ」
「それが私の罰だから」
「ダメ・・・そんなのダメだよ・・・お姉ちゃん」
「もう・・・決めたことだから」
「お姉ちゃん!」
「日陰ちゃんはここのトイレに隠れてて、マスコミが家から離れたら連絡するから」
そう言って、姉は公衆トイレから離れて行った。
「どうしたらいいの・・・どうしたらいいのか僕には分からない」
僕はその場で立ち尽くすしかなかった。状況を好転する方法が思いつかないのだから。




