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第九話 『残酷な運命』

 



「はぁはぁはぁ……!」


 女は全速力で茂みを駆け抜けた。

 夜闇に紛れ、傷や汚れが付くのも厭わず、ただただ必死に──命懸けで走った。


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 幸せになりたかった。幸せにしたかった。

 だが、そうするには常に金が付いてまわる。金がなければ、人は人として生きられない。


 一人しかいない大切な母親の病気を治すために、金が必要だった。

 しかし中卒である女には限られた選択肢しかなかった。

 いつ命を落とすかもわからない状況下で、時間をかけて稼ぐ考えは初めからなかった。


 となれば短期間で家賃を払い、光熱費を払い、通信料を払い、食費を払い、そして母の治療費も払う必要がある。

 一般的な職では、とてもじゃないが無理だ。


 一度で大金とはいかなくとも多額の金額を稼げる職は何かと考えた時、自らの肉体を犠牲にしてでも金を稼げる職を見つけ、女はその職に精神を殺して働いた。


 したこともない性的行為の連続。

 時には暴力的なモノまで受け入れて、女は母親を救う目標に人生を捧げた。


 そしてようやく、ようやく、母親を治療できるだけの金額を集められた。

 地獄の日々にやっとの想いで決着がつけられる。

 これからは母親と共に、明るい光の下で幸せになれると思っていた。


 ──けれど現実は、女が幸せになる未来を踏み躙る。


「はぁはぁ……うっ!」


 女はぬかるんだ地面に倒れて泥だらけになる。

 最悪なことに今日は土砂降りの雨。雷鳴も轟く悪天候だ。


 女が倒れたのはぬかるんだ地面に足を取られたわけでも、何かに躓いたわけでも、体力に限界が来したわけでもない。


 ──背中に鋭いナイフが突き刺さったからだ。


「った、い……うぐ、ぅ」


 背中に感じる激痛の熱に重なる恐怖と絶望感。

 女はまともに呼吸すらできなくなる。

 それでも、精神に来す全ての異常を押し殺して女は両手を地について立ち上がろうとした。


「せっ、かく……ここまで、来たのにっ!」


 終われない。終わっていいはずがない。

 幸せになるために、幸せにするために、地獄を許容して今日まで生き抜いてきたんだ。


 誰にも奪わせは、


「──顔を見るなり逃げるとは、失礼極まりない方ですね」


 声が聞こえた直後、女の背に再び激痛が走る。


「いやぁぁぁぁぁぁああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」


 空気が揺れたと錯覚するほどに女は絶叫した。


 その絶叫は物理的な痛みだけが理由ではなかった。

 耐えて耐えて耐え続けて、掴むはずの幸せを奪われて。苦しみが溢れ出ていてもなお壊れることのなかった心の防波堤が、粉々に決壊した。


「やだやだやだ‼︎ いやぁ‼︎」


「口を、閉じてください」


 叫び続ける女の背に二度、三度と繰り返しナイフが突き刺される。


「やだ、やだ。死にたく、ない……だれ、か……」


 女は合計六度ナイフで身体を刺された。


 意識が朦朧とする。

 もはや助かる見込みはないと、本能で理解する。

 だが女は、ひたすらに助けを求め続けた。


「たす、け、て……たす、けて……たすけ、てぇ……」


 脳裏に、母親との暮らしが蘇る。


 度重なる長時間労働で疲弊していても笑顔を絶やさなかった、心優しい母親。

 金銭的に厳しい中で発してしまった、幼少期の女の欲しい物を買ってくれたこと。

 夜勤明けの休日で本当は丸一日眠りたいはずが、サプライズだと言って遊園地に連れて行ってくれたこと。

 苦手な科目の成績が低く落ち込んでいたのを、決して叱らず次があると慰めてくれたこと。

 どんなに大変でも、必ず一食は温かな食事を用意してくれたこと。


 他にもたくさん、数えきれないほど母親が女に尽くしたことの記憶が蘇る。

 思い出して、溢れ出る感謝と病気を治してあげられない罪悪感に、涙が止まらなくなる。


「……うぐっ、ひ、ぅうぅぅ」


「さて、お別れです」


 しかし、泣き喚く女に無慈悲な声がかかる。


 全てが終わる。

 何もできないまま、無様に。


「では」


 全身に力が入らなくなる。

 声を出すこともできない。



『──あなたは私の自慢の娘だよ、有依梨』



 最後に、優しい母親の声が聞こえた気がした。




 ◾️◾️◾️




「想定より手がかかりましたね」


 四肢を投げ出し、泥水に浸る女の死体を見下ろしながら呟いた。


 不意打ちで殺そうとしたものの、私と女性の距離が三メートル程度の場所で女性に振り替えられ、私が手にしたナイフを見て逃走。


 それも何かスポーツをやっていたのか、やけに足が速くて追いかけるのに体力を持っていかれたのは完全に想定外だった。

 土砂降りの雨の中、深夜の道をふらつきながら歩いている相手が足が速いなんて予測できない。


「まぁ、無事殺せたので問題ありませんが」


 ナイフに付着した血をハンカチで拭い、皮の鞘に納めてからショルダーバッグにしまう。それから新たに牛刀を取り出した。


 見たところ長い時間雨の中を歩いていたようで、おそらく皮膚がふやけて柔らかくなっているのではないだろうか。

 切れ味が良いこの牛刀なら、ふやけた皮膚に対してなら一層首を刎ねやすそうだ。


「ふふ」


 思わず溢れる笑み。

 毎回この瞬間のために、私は人生を賭けて殺人を続けているのだ。

 楽しみにしない方がおかしいというもの。


 鞘から牛刀を引き抜いて、それを女の首へと──、


「──っ! 誰!?」


 背後から草を踏む音が聞こえて、私は牛刀を構えながら振り返った。

 視線の先、人影があった。


「……っ」


 心臓の鼓動が速くなる。

 慢心していた。今の私なら、失敗は犯さないと。

 その結果、今の一度も出したことのない──殺害現場の目撃者を作ってしまった。


 人影に逃げる素振りはない。

 尻餅をついて震えながらこちらを見ている。

 暗くてよく見えないが、目撃者は私より背丈が小さい。


 目撃者と私との距離は近い。逃げられたとしても追いつける。

 行動を起こされる前に殺さなくては。

 殺した後で、さっき殺した女性と並べて二人分の首を堪能しよう。


「──っ!」


 右手に牛刀を持って走り出し、私は目撃者との距離を一気に詰めた。


「わっ!」


 私が間近に迫ると目撃者は──小さな少女は、驚いた様子でこちらを見上げている。


「一人だけのつもりでしたが、あなたは人を殺している最中の現場に遭遇してしまった。死んでもらいます」


 そう言って、怖がらせてから殺そうと思った。

 しかし、何故か幼い少女は怖がる素振りを見せない。何故か、私を近くで見るなり震えが止まり、不気味に笑っているのだ。

 恐怖で頭がおかしくなったのだろうか。


 初めての目撃者に焦りはしたが、周辺に他に人の姿はなく問題なく殺せそうだ。

 色々と引っかかる点はあるが、それは少女を生かす理由にはならない。


 私は牛刀を持ち直して、小さい少女の首目掛けて右腕を振り下ろして──、


「──あの『刎ね子』様に首を刎ねてもらえるとは、なんて奇跡!!」


 振り下ろした刃を首に当てる寸前で止めた。

 殺すのをやめた私を見て、両手を広げて満面の笑みを浮かべていた少女は「あれれ?」と困惑している。


 ……というか、私の方が困惑している。

 この少女、今なんと言ったか。


「今なんと仰いましたか?」


「え、あ、あぁ! 『刎ね子』様に首を刎ねられるのが奇跡だって言いました!!」


 胸を張って自慢げに話す少女。


 ……察しがついた。

 どうやらこの少女、私と同じで頭がおかしいらしい。

 私に殺されるのを喜ぶ時点で、混沌とした『刎ね子』の掲示板に書き込みを行っている一人に違いない。

 更に面倒なのは、掲示板の中でも最も異常者扱いされている、『刎ね子』を信仰している人間だ。


 察して、一つ大きな疑問が生まれた。


「何故、私が『刎ね子』であると思ったのですか?」


「え? だって、首を切ろうとしてたので。うそ、違うんです?」


 そこも見られていたとは。

 なら、隠すだけ無駄だ。


「間違っていませんよ。紛れもなく、私が『刎ね子』です」


「あぁ!! 運命のお導きに最大の感謝を!! 感極まってしまいますよぉ〜!!」


 少女は、両手を合わせて神に祈るようにブツブツと感謝を口にし続けている。


 この少女を、どう扱うべきか。

 問答無用でいつも通り首を刎ねて終いにするのが最善だと理解している。

 けれど、最善以外の可能性を少女に見出している自分がいる。


 殺人は常に完璧な準備と後始末を要する。

 当然、肉体と精神はそれに伴い莫大な疲労感に見舞われる。

 首を刎ねるまではいい。高揚感によって疲弊も無視できるからだ。

 しかし、後始末はそうはいかない。


 首を刎ねた時点でピークに達し、以降は高揚感が抜けて脱力状態となる。

 思考も散漫になり、現場をすぐに離れることへの焦りからもミスをしやすい状態に陥る。


 準備、決行、後始末。

 一番は後始末だが、いずれか一つだけでも作業の手数が簡略化できれば失敗を犯す可能性も減る。


 ──少女を殺人の道具として使いたい。


「んん? 『刎ね子』様?」


 今回で八人目。

 ここへきて初めてミスを犯した。九人目以降気をつけていたとしても、最初のミスは後の大きなミスに繋がる。

 私一人では、限界がある。

 世界の名だたる連続殺人犯が如何に異常で、手際が良いかを思い知らされるというものだ。


 とはいえ、少女を道具として使うのは大博打だ。

 この選択が最大のミスとなるかもしれない。

 牢屋に入ってから刎ねておけばよかったなんて考えたくはない。


 でも、限界を感じているのは紛うことなき事実。

『刎ね子』として生きる道を選んだ私の明暗を分ける選択だ。


「……賭けてみますか」


 私は口元に手を当てながら呟いた。


 少女が道具足りうる存在か。

『刎ね子』を警察に突き出さず、他者に拡散しない本物の信仰者かを確かめる。


 私は少女に三本の指を立てて、三つの質問をすることにした。


「三つ、聞かせてください」


「なんなりと!」


 言うまでもなく、彼女とは初対面。どこの誰かもわからない。

 まずは、少女が何者であるかを知る必要がある。


「一つ目の質問です。あなたについて、隠さず全て教えてください」


 私が質問すると、少女は目を丸くしてきょとんとした。


「失礼ですけど、羅奈のことを話すのが『刎ね子』様の役に立つんですか?」


「黙って、答えてください」


 ……いちいち疲れる。

 私が声のトーンを低くして言うと、少女は慌てて話し始めた。


「日ヶ先高校一年、新名羅奈です! 色々あって学校に行ってない絶賛不登校生!! 今は掲示板で『刎ね子』様教に属してます!!」


 見た目と答えた学年が一致せず、私は新名羅奈と名乗った少女を訝しげに見た。

 依然として私に怯える素振りもなく、横に揺れながら歪に笑い続けている。


 引っかかったのは、声高に言った不登校生の発言だ。

 『色々』の部分は瞳が虚なことが彼女の今日までの境遇を物語っている。

 それだけにとどまらない。

 新名羅奈の姿を頭から足先まで見下ろして、肌の露出している部分に幾つもの傷が付いているのが見えた。


 左頬に痣。首に吉川線。両手首に切り傷、両手に火傷痕。足首に打撲痕。

 衣服の下も酷い状態なはずだ。

 現在も不登校にも拘らず傷だらけなのは、自宅でのDVを示している。

 新名羅奈は、学校でいじめられ、帰宅すれば家族に虐待を受けていたことが伺える。


 世界に絶望し、希望を失い、結果『刎ね子』というシリアルキラーを信仰する。

 悲惨な人生を送ってきたことが容易に想像がつく。

 私とは対極の存在だ。


 残る質問はあと二つ。

 まだ少女が誰であり、何をしている人物かを聞いただけだ。

 次の新名羅奈が何故ここまで肉体的にも精神的にも傷めつけられているのかを聞き出さなければいけない。

 私の推測が事実であると確定すれば、新名羅奈は道具として扱う基準に達する。


「二つ目の質問です。あなたの過去を、包み隠さず話してください」


「……っ」


 やはり口を噤んだ。

 けれど、答えてもらう必要がある。


「言いたくない理由は、あなたの憐れな姿を見れば察しがつきます」


「なら、この質問はなしで……」


「──一つだけ、あなたの望みを叶えましょう」


 私がそう言うと、新名羅奈の沈んだ表情が驚きへと一変する。

 彼女との距離を一歩つめ、私は話を続けた。


「二つ目の質問に答えてくだされば、できる範囲ではあるもののあなたの望みを叶えてあげます」


「ほんとう、ですか?」


「ええ」


「──ゴミな父親を殺してってお願いも、叶えてくれますか?」


 私の服の裾を掴もうとした新名羅奈。

 一歩下がると、彼女の両手は弱々しく空振る。

 しかし彼女は、虚な瞳に激情を宿しながら私の目を見ている。


 今の距離を保ちながら、新名羅奈に告げた。


「はい。そのぐらい、大したことではありません」


 口元に笑みを湛えながら言った。

 すると彼女は、最初の不気味に笑う表情に戻り、淡々と自身の過去を話し始めた。





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