第八話 『刎ね子』
インターネットでその異名を目にした時、これ以上ない程に自分に相応しいと感じた。
初めは動物から、次いで怒りのままに人を殺し、どこからともなく芽生えた異常な感情に体を動かして、私は快感を覚えるに至った。
だから──、
「な、なぁ、お前、まさか……」
尻もちをついた男は、包丁を手にした私を震える瞳で見上げている。
私は一歩距離を詰め、顔に笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。
そして、宣言する。
「お察しの通りです。私が──『刎ね子』です」
口馴染みの良い異名が、今の私に高揚感をもたらす。
目にかかる前髪を首を振って揺らし、恐怖で後ずさる男を壁際まで追い詰めた。
現在私がいるのは、埼玉県秩父市にある有名な心霊スポットだ。
人が寄り付かず、防犯カメラの少ない場所がどこかを探している時、ふと心霊スポットが脳裏を過った。
適当な心霊スポットととして最初に選んだのが秩父市の心霊スポットだ。
殺人の準備は徹底した。万が一目撃者を出した場合、目撃者の首も刎ねられるように。
防犯カメラの有無も確認し、一台もないことを把握。
最後に誰を殺すかだが、秩父市にあるこの心霊スポットは有名だ。
よくSNSでも配信者が撮影に来ている。
撮影の時間帯が深夜に集中していると目にして、行けば誰かしらいるのではないかと足を運んだ。
目の前にいるのが、まさに撮影に来た配信者だ。
真夜中だというのにカメラ片手に大声で心霊スポット内を歩き回っていた。
私は茂みに隠れ、男の顔を確認すると男が登録者数百人の無名配信者だとわかった。
有名であれ無名であれ私には関係のないけれど。
「じっとしていてください。動かれると面倒なので」
「がぁぁぁぁぁあああ‼︎‼︎」
右手に持った包丁を勢いよく腹部に突き刺すと哀れな男は絶叫を上げた。必死に腹部に刺さる包丁の刃を掴んで引き抜こうとしながら、男は苦しみに悶えている。
うるさい。黙ってほしい。
人が来るかもしれないというのに。
即座に右手から手を離し、ジャンパーの右ポケットから小型の木槌を引き抜いた。
それを男の側頭部目掛けて振り下ろす。
ドン、と頭蓋と木槌のぶつかる音と同時、数秒前まで絶叫を上げていた男が「うっ」と一度苦鳴を漏らしたのち、僅かに痙攣して、死んだ。
「何人殺しても、殺人は楽になりませんね……」
これで七人目。
多少手際は良くなってもそこまでだ。
今回は不意打ちなしで殺せたものの、私の力量では人間相手に不意打ちなしで殺すのは男女いずれも困難だ。
肝心の首を刎ねる行為は更に困難を極める。
人間の腕では刃物一振りで首を刎ねるのには、相当筋力を必要とし、研ぎ澄まされた技量も要求される。
残念ながら私には到底できそうもない。
「凶器を変え続けるのも難しいものですね」
今回、一人目以来初めて同じ凶器を使用した。
正確には種類が同じなだけで、一人目を殺した時に使った凶器とは異なる。
都度殺す用と首を刎ねる用とで凶器を事前に考えておき、新品を購入して実際に使用。使用後は処分する流れだ。
だが入手できる物に限度がある。
大きすぎれば持ち運びに困り、逆に小さすぎれば殺すのに手間がかかる。凶器の保管問題もある。
私が新品で購入して即日使用したのは今のところ二人だけだ。
殺人は準備に時間をかければかけるほど、証拠を残す可能性が減り、結果的に警察に捕まるリスクも減る。
隅々まで抜かりなく、準備を怠らず、後処理まで時間の許す限り完璧に行う。
完璧をやり遂げるのは得意だ。今までだってそうやって生きてきた。
「────」
これは『刎ね子』として生きる道を選んだ、私の望む歪んだ新たな人生だ。
目に見えて待ち受ける波乱に満ちた未来。
如何なる事象が起ころうとも構わない。
──私はただ、私がしたいことをしているにすぎないのだから。
◾️◾️◾️
六月十五日、月曜日。
薄暗い空の下、土砂降りの雨の中傘を片手に瑛陵高校の門を抜けた。
「おはよう三芳さん」
「おはようございます」
教室への道中、変わらず他者が求める理想を演じながら面倒な挨拶を返していく。
しかし、以前よりも胸の内にある苦痛は確実に和らいでいた。
理由は考えるまでもなく、動物を殺し、人を殺し、首を刎ねたことだ。
感情が怒りに満たされた時、物に当たるのが最もしてはならない行いだと皆が本能で理解している。
では私のように吐口が無く、溜まりに溜まってしまったフラストレーションはいったいどこに放出すればいいのか。
我慢して生活する人、慣れる人は本当の意味で良い育ちであり正常な判断能力の持ち主だと言える。
反対に抱え込みきれず自ら命を断つ人も一定数存在する。
そして、いずれの要素にも当てはまらない第三の枠。私のように生き物にストレスをぶつける人間だ。
我慢できず、慣れることもない。かといって自殺しようなんて考えは浮かばない。
人を殺してストレスを発散する人間は、ストレスを溜め込んだ者の最悪の極地と言える。
「恐ろしいほどに効果があるわけですが」
周囲に聞こえないように口の中で呟いた。
理想を演じることへの苦痛が和らいだ理由は、何も殺人と首を刎ねる快感だけではない。
人を殺すということは、罪を犯して悪人となることを指す。
つまり、誰かに見つからないように、警察に逮捕されないように立ち回らなければいけない。
あっけなく牢屋に囚われ、死刑を待つ日々などごめんだ。
そうならないために完全犯罪を成功させ続ける。
その完全犯罪成功のために割く思考が、私の理想を演じることへの苦痛だけだった意識を分散させる。
「ねぇ、テレビ見た?」
下駄箱で上履きに履き替えた後、背後から話し声が聞こえてきた。
「ネットで話題になってたやつでしょ? 首を切る殺人鬼──『刎ね子』とかいう」
首を刎ねる快楽殺人鬼。即ち『刎ね子』。
私の話を他クラスの少女二人がしていた。
「マジ怖いよね。記事になってた掲示板見たら夜眠れなくなっちゃってさー」
「あたしも見た見た! トラウマになるよあんなの」
『刎ね子』と呼び名が広まり、瞬く間に定着した理由は『首切りの殺人犯を見守る民』と名の付いた掲示板が発端だった。
初めは私の動向を面白がる人や事件を解決したい人が入り乱れ、好き放題に会話する場だった。
それがある一人の人物が名付けをしたいと発言したことで、混沌を極めていた掲示板の会話は一時的に名付けの内容のみとなった。
数日間、多くの掲示板の参加者が名前を出し合い、無数に出された案の中から選ばれたのが『刎ね子』だ。
『刎ね子』と決まって以降、再び考察や崇拝、懇願といった数多の内容が入り乱れている。
耐性がない人が見れば、あの掲示板に心理的恐怖を植え付けられる。
私から見れば、世の中にはこんなにも多くの異常者が存在しているのかと驚かされた。
同時に人間の負の側面をありありと見せつけられ、本人であるにもかかわらず不快感を憶えたほどに酷い掲示板だと言える。
「もう七人目だってよ」
「やべぇよな刎ね子。怖すぎるわ」
「警察無能すぎじゃない?」
「ね、思った。何してるの」
廊下を歩いていると、聞こえてくるのは『刎ね子』に関する話ばかりだ。
三人目までは話している人はほとんどいなかったのに、数が増えるごとに日々の会話に『刎ね子』の話が加わった。
拍車をかけたのは間違いなく掲示板の影響だろう。
これはあくまで推測に過ぎないが、他校では私の話をここまで多くの生徒が話してはいない気がする。
では何故、学校中で『刎ね子』の話題が上がっているのか。
その最大の要因は、
「侑ちゃん刎ね子に殺されたらしいね……」
「や、やめなよ、その話は」
『刎ね子』の一人目の被害者、霜月侑。
霜月侑は瑛陵高校の出身で二ヶ月前まで普通に学校に通っていた生徒だ。
私の手で最初に殺した人間である彼女の死因は、既に報道され二人目の被害者が見つかるまで複数のテレビ番組や配信サイトで取り上げられ周知されている。
未だに犯人が捕えられていないことに加え、追加で六人も『刎ね子』によって殺害されたことが、身近な人物が殺害されたことへの恐怖を強めている。
その結果、瑛陵高校では『刎ね子』に関する話題で持ちきりとなったのだ。
「────」
教室に入り、扉側から三列目先頭の教卓前の自分の席に座った。
「芽亜ちゃんニュースみた!?」
慌ただしく私にそう話しかけてきたのは、やや高めの位置に結ばれたポニーテールの少女、星加露葵だ。
霜月侑同様、高校一年から同じクラスで何かと私に関わってくる女生徒だ。
「えーっと、騒がれている殺人鬼のこと、ですか?」
「そうそう! あたしすっごく怖くて……」
やはり、彼女も『刎ね子』に関する話題を振ってきた。
下手な回答をすれば、余計な誤解を生む可能性がある。
この場はありきたりな返答で乗り切らないと。
「人数もどんどん増えているそうですね。埼玉県で被害が出続けているので、星加さんと同じく、私も怖くてたまらないです……」
「うん……証拠もまったく出てないみたいだし、ちゃんと警察の人たちが捕まえてくれるのか不安だよ。次はあたしの番かもって……」
目の前に恐怖する『刎ね子』がいて、その『刎ね子』に対して事件の話をしている様はなんと滑稽なのか。
次は自分かもしれないと怯える星加露葵は、今の段階では殺害するつもりはないが。
霜月侑は真実を知らず土足でズカズカと私の心に踏み込んできた。それがあまりにも腹立たしくて、憎悪に支配された末に殺した。
あの殺人は勢いだった。
ただ、人を殺すきっかけとなり、結果的に首を刎ねる快感に目覚めることができた。現在の精神の安寧に繋がり、良いスタートをきれたと言える。
では、霜月侑を殺した時同様、自身が逆上するような言葉をかけられた場合どうするのか。
殺さない。殺した場合、警察に『刎ね子』が瑛陵高校の関係者だと公言するような形になる。
どんなに憎くても、二度と瑛陵高校の人間は殺すつもりはない。
星加露葵は命拾いしたといっていい。
「その、侑ちゃんも……」
目を伏せ、右手で左腕を掴みながら悲しむ星加。
その間に私はなんと返すべきかを思考する。
数秒間の沈黙を経て、先に私が口を開いた。
「悲しむばかりではいけません」
「芽亜、ちゃん……?」
「奪われた霜月さんが歩むはずだった明るい未来は、もう戻ってきません。けれど彼女と親しかった私たちが、絶大な悲しみと憎しみが蓄積していくのを霜月さんは良しとするでしょうか」
言葉を選び、ゆっくりと話していく。
悪意をもった偽善者となり、ありきたりで耳障りの良い言葉を並べて、確実に相手に寄り添っていく。
「私も霜月さんの訃報を聞いた時本当に悲しかった。同時に堪えきれないほどの憎悪が湧き上がりました。日を追う毎に膨れ上がる感情に、ふと考えたんです。これは、霜月さんが望んでいることなのかと」
「…………」
「きっと、霜月さんは私たちに笑顔を、優しく温かな感情を持つことを望むはずだと」
言って、私は無理に笑顔を作っているように見せる。
実際本当に無理にだ。
瞬間。一滴、星加の瞳から涙がこぼれ落ちた。
その涙をきっかけに星加露葵の瞳から、とめどなく涙が溢れ出てくる。
「……ぅ、うぅぅ! 侑ちゃんっ……」
咽び泣く星加につられて、周囲で私たちの会話を聞いていたクラスメイト涙を流し始めた。
そう。
途中から、男女問わずクラスメイトの視線が私に向いているのに気がついていた。
そうなることを想定して、単にありきたりな慰めの言葉をかけるのではなく、殺した霜月侑がどう思うかを主軸に前向きな気持ちにさせる内容を考えて話した。
簡単な言葉で会話を終えてもよかった。
ただそれは一対一での会話の場合だけ。複数人が一つの部屋に滞在する空間においては誰が聞き耳を立てているかはわからない。
まして学校内で最も親しかったことになっている私が、連日取り上げられる『刎ね子』の第一被害者が霜月侑であったと知ってどんな風に思っているのか聞き耳を立てるのは自然の流れだ。
私の話を聞いた生徒が「三芳さんすごく辛そうだった」となれば何も問題はない。
だが、簡単な慰めの言葉で星加との会話を終えれば、自身の感性で「なんか三芳さんあんまり辛そうじゃなかった」と捉えられる可能性がある。
悲しむ演技をしたところで、話す内容を勝手な解釈で悪く捉えられれば後が面倒だ。
私は瑛陵高校の大半の生徒が求める理想像を演じなければいけない。それ故に、常に様々な面で他者の一つ上を行く自分でいることを強制される。
星加露葵にかけた言葉は、求められる理想像を壊さないためにすぎない。
「三芳さんも辛いはずなのに……」
「霜月さんの分も頑張ろう!」
「後ろ向きでなんていられない」
反応は上々。
最後に一言付け加えて、星加との話を終わらせる。
「霜月さんとの思い出は、私たちの心の中にあります。それを大事にして彼女の分も幸せになりましょう」
我ながらとても気持ち悪いことを言った。
全身が痒くなる上に寒気がした。
「ありがとう芽亜ちゃん。お互いまだまだ辛いと思うけど、頑張ろうね!」
頬を涙で濡らし、瞳にはまだ大粒の涙が溜まっている。
しかし星加は涙を堪えて、明らかに空元気なものの、いつもの天真爛漫な自分を取り繕って笑顔を見せた。
それから彼女は駆け足に廊下に出て行った。
「……っ」
小さく深呼吸をする。
そして思った。
めんどくさ。