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第七話 『示された道筋』

 



「……三人目?」


 震える声で愛宮が大沼一課長に問いかけた。


「ああ。私たちが目の前にしている遺体が三人目だ」


「そ、んな……」


「熊谷市で同日に遺体が発見された。鑑識から殺害されてから二週間以上経過していると連絡をもらっていてな。両者共に首を切り落とされた状態で見つかっていることから、同一犯と見て間違いない」


 普段あまり表情を変えない大沼一課長が、顔に多くの皺を刻んでいることから静かな怒りが伺える。


 告げられた許容し難い、理解し難い事実に僕は呆然とした。

 この短期間に二人。僕たち警察はまだ、一人目の殺人事件ですら、今なお証拠が掴めていないというのに。

 捜査している間に、犯人は既に新たな人間を手にかけていたなんて信じられない。


「そんなことがあっていいのか……」


 俯いて周囲には聞こえない声で僕は呟いた。


 一刻も早く事件の解決を。

 その想いを胸に、自らが掲げた正義に誓って全霊を尽くして奔走した一ヶ月間だった。

 僕だけじゃない。この事件に携わる全ての刑事が、同じ想いで行動していたに違いない。


 でも、何も出てこなかった。

 できる限りのことを尽くしたはずなのに、何一つ証拠が得られなかった。

 署に戻り経過報告のために集まっても、誰一人として欲しい情報が得られない。その度やるせなさに心を痛め続けた。


 警察は、人々を守るのが義務であり使命だ。

 警察として国民の安全を守る行動が全うできないのは、苦くて辛い。

 そして、悪夢のような状況下で今日の二人目──否、二人目と三人目が同時期に発見された。


 ……最悪だ。


「証拠はでてんすよね?」


 僕の隣に立つ成嶋が大沼一課長に質問した。


 二人目と三人目、どちらかの殺人に犯人が残した証拠があれば捜査が進展する。

 事件を、解決に導けるかもしれない。


 亡くなってしまった人たちのためにも今は──、


「──ない」


「なんの、冗談ですか?」


「この状況で私が冗談を言うとでも?」


 淡い期待は大沼一課長から言われた言葉に打ち砕かれた。

 絶望が重なる。


「……つまり犯人は、わたしたちが捜査している間に二人も殺していたわけですね」


「そうだ」


 真っすぐに大沼一課長を見れない。

 視界にモヤがかったかのようで、思考は辛さに塗り潰されそうになる。


「ふざけんな!」


 成嶋が怒声を上げた。


「一人目の被害者すら何も掴めてないってのに、こんなのアリかよ!」


「成嶋……」


 視線を右隣に向ければ、成嶋の顔に怒りと悔しさが溢れていた。


 周囲を見渡すと成嶋の声を聞いて、現場の警察官は皆目を伏せていた。

 成嶋の想いは、この場にいる全員の総意だ。

 みんな、現状が受け止めきれず、士気が下がっている。


「──俯くな」


 誰もが下を向いた時、大沼一課長はいつもの厳格さを宿した表情で声を上げた。


「私たちは確かに一人目の被害者の無念を晴らせていない。一カ月捜査を続けても証拠はゼロ。そこに新たに二人も殺害された被害者が発見されたとあれば、落ち込む気持ちも理解できる」


 大沼一課長は僕たち三人を見て話している。

 けれど違う。見ているのは僕たちでも、話している相手は、この場にいる全員に対してだ。


「辛いのはわかる。苦しいのもわかる。だからといって負の感情には屈するな」


「──ぁ」


「お前たちは警察官だ。国民の安全を守るのが使命だ。その警察が下を向けば、いったい誰が事件を解決するというのだ」


 僕は大きく目を見開いた


 大沼一課長も、何度も殺人事件の捜査を担当している。その都度心を痛めていることも僕たちと何も変わらない。

 警察官が事件から目を背ければ、他に事件を解決できる人間はいない。

 犯人を捕えることは叶わなくなる。


 そんなのは絶対にダメだ。


「瀬波。辛いか?」


 瞳を細めて、大沼一課長が僕にそう聞いてきた。

 一度深呼吸してから僕は頷いた。


「はい」


「なら虚勢でもいい。前を向け。どんなに辛くても、前を向いて捜査を続けろ」


「……っ」


「強がることも警察官には必要だ」


 そう言って、大沼一課長は僕の肩に右手を置いた。

 見上げれば一課長の口の端が小さく上がっていた。


 今一度、周囲を見渡す。

 もう、誰一人として目を伏せている人はいなかった。

 大沼一課長の言葉が前を向く理由を気づかせてくれた。


「ありがとうございます。大沼一課長」


 姿勢を正して、一礼。

 上半身を起こして、背筋を伸ばし、右手を額にやり敬礼。


「──正義に誓って、戦います」


 僕は堂々と宣言した。


 すると、左右に立つ愛宮と成嶋も僕と同じく一礼してから敬礼をした。


「それでいい」


 最後に一言言い残して、大沼一課長はこの場を離れた。


「流石、大沼一課長だ。ホントに頭が上がらない」


「そうだね。見習わないと」


 大沼一課長に鼓舞してもらったお陰で、視界が鮮明になった。

 心も冷静になり、思考も安定した。

 まず現状の整理をしないと。


 二人に「山頂の方に行こう」と声をかけて、僕たちはこの場を後にした。

 傾斜な坂道を登っていくと、あっという間に山頂に辿り着いた。麓と同様に立ち入り禁止のテープが貼られ、警察官と鑑識が集まっている。


 警察手帳を見せて中に入ると、真っ先にブルーシートの上に横たわる首から上のない小さな体が横たわっているのが見えた。


「すみません」と一言。鑑識の人の隣に腰を下ろし、遺体に目を向けた。


「また酷い殺し方だな」


 成嶋の呟きに苦い顔で頷いた。


 実際、酷い状態だった。

 全身に無数の切り傷が付けられていた。

 極め付けは下腹部にある抉られた様な跡だ。右下腹部から腰骨の辺りまで切り裂かれている。


「────」


 一カ月前、女子高生の霜月侑が殺害された。

 先に錐のような凶器で殺害した後、無惨に首を切り落とされたことが鑑識の調べでわかっている。

 遺体が発見されたのは三週間後。事件として捜査を開始したのも同日だ。

 以降、事件の証拠や証言はなく、進展は見られなかった。

 そして、現在だ。


 僕らが小山の麓で見た、五歳前後の子どもの頭部と目の前に横たわる小さな体。この遺体は三人目だと、大沼一課長から説明を受けた。

 何故か首と体が別の場所にある点については一度後回しだ。

 死亡推定時刻は三日前。


 今日、六月九日に三人目の遺体が発見されたのと同日、二人目の遺体が発見された。

 二人目も同様に首を切り落とされていたと。


 ……情報が足りない。二人目の被害者についても調べないと。


「愛宮、成嶋。今から熊谷市に向かう」


「了解です」

「おーけい」




 ◾️◾️◾️




「来たか」


 僕たちが現場に立ち入って最初に声をかけてきたのは、上司の伊津野警視だ。

 静謐な雰囲気を身に纏う彼は冷えた瞳で僕らを見た。


「お疲れ様です。被害者のご遺体は?」


 表情を変えないまま、伊津野警視は顎で促した。

 警視が目線で促した右斜め後ろへ目を向け、一瞬目を見開き、奥歯を噛んで無理やり意識を冷静にした。

 苦しむのも悲しむのも、今じゃない。


「お前はこの惨状をどう捉える」


 静謐な声に言われ、一人目の殺人事件の際に言われた言葉が脳裏に蘇った。


『──その判断は早計だ』


 目の前の状況だけで、過去の殺人事件の傾向を考慮して出した僕の安直な推測。あの時、視野を広げろとも言われた。

 おそらく伊津野警視は何か気づいているのかもしれない。

 そして、同じことに僕が気づくだろうと期待ではなく当然のこととして、問いかけている。


 試されているのだ。


「被害者の関連性は?」


「現状はない」


「では、場所の方は?」


「ない」


 この時点で、今僕らが捜査している事件が何なのかは断言できる。


「これは無差別連続殺人事件だ。快楽殺人犯による、最悪の」


『無差別連続殺人事件』。

 多くの場合、殺人事件は明確な悪意を持った犯人が個人または複数を殺害するもの。

 だが今回は無差別連続殺人。

 加えて、首を切り落とす快楽殺人。

 そして極め付けは、三回ともに完全犯罪であることだ。


「この先、犯人の殺人の頻度が増える」


「うん? 何でそう思うんだよ」


「無差別の連続殺人を証拠なしで完遂し続けている時点で、犯人には相当な自信がある。最初は練習から始めて、手応えを感じて上手くいったと確信すれば同じことの繰り返しで大丈夫だって判断する。快楽殺人犯なら、欲求に駆られて次から次へと手をかけるんじゃないかな」


「つまり?」


「犯人は、目立つためにも殺人を繰り返すんじゃないかな」


 推測を口にすると、三人は異なる反応を示した。

 伊津野警視は気づいて当然とばかりに鼻を鳴らし、愛宮は困惑に眉を顰めた。

 そして成嶋はありえないと声を上げた。


「待て待て! 毎回翌日の天気まで気にして人を殺すようなヤツだぞ? それだけ犯人は慎重で、だから確実に証拠を消しておれたちに尻尾掴めないように完璧に犯罪を犯してる。自分の身を隠し続けるためにな。でなきゃ、自分で自分を苦しめるだけだろうが」


「逆だよ」


「逆?」


「自分の身を『隠す』ために完全犯罪をしてるんじゃない。僕ら警察に、世間に、自らの恐怖を示すために完全犯罪をしてるんだ」


「んな無茶苦茶な……」


 人によっては突拍子もない推測だと言うかもしれない。

 でも、三人続けて証拠一つ出さない犯人のやり口には意味があるように感じられる。

 ただ捕まりたくないから、そんな理由だけじゃここまではできない。むしろ罪悪感と焦りに苛まれて証拠を残してしまう。


 知略に限らず、余裕もある。

 天気さえも意識して、持てる全てを使って首を切り落としたいという異常な欲望を満たす。

 ……試されてる気がして気味が悪い。


「そういえば」


 成嶋と会話する僕の背後で伊津野警視が話し始めた。


「お前たちが話してた動物殺しの件だが、一つだけ二人目の被害者と同じ凶器が使われていたようだ」


「本当ですか⁉︎」


「人を殺す前に、犯人は動物を先に練習台にしていたらしい」


 思いがけない情報提供、それも事件を進展させうる特大の情報だ。

 早急に行動を移さなくちゃ。


「場所は?」


「さいたま市だ。詳細は署で伝える」


「わかりました。ありがとうございます!」


 伊津野警視からの情報提供に僕たち三人は喜びに互いの顔を見合わせた。


 成嶋の知り合いの警官は大手柄だ。

 これでようやくゼロじゃなくなる。


 この進展をきっかけにして絶対犯人に近くづいてみせる。

 もう停滞はしない。

 事件を、解決するんだ。



 ◾️◾️◾️




 ──数日後、新たに四人目と五人目の被害者が発見され、日本中が震撼することとなる。


 だが、全国民が異常な快楽殺人犯を恐怖しているわけではない。

 一部の人間は、未だ姿形の掴めない犯人の存在を面白がった。


 そうした者たちが集い、インターネット上にとある掲示板を立てた。

『首斬りの殺人犯を見守る民』と名の付いた掲示板は、真っ当な人間が目にすれば異常者集団の語らう不気味な光景に見えるだろう。


 交わされる内容は混沌としていた。

 完全犯罪を次も成功するのかと期待する者。

 殺害対象を決めるのに理由があるのではないかと考察する者。

 無能な警察に更に無能の烙印を刻めと応援する者。

 可能ならば自分をと自らの首を切り落としてほしいと願う者。


 ある日、掲示板で快楽殺人犯の正式な呼称を付けようと声を上げた者が現れた。

 多くの者が候補を挙げ、最終的に一人の人物が挙げた候補に満場一致となり決まった。


 後に、歴史上最悪の事件の犯人としてその名が刻まれる。




 ──『刎ね子』、と。




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