最終話 『生き地獄』
──翌日。
あの後、拘束した『刎ね子』を連れて僕と愛宮は埼玉県警警察署に戻った。
時刻は既に深夜三時を超えていたにも拘らず、署内には多くの警察官が残っていた。
理由のほとんどは『刎ね子』事件に関するモノ。
それもあって、僕が署に『刎ね子』を連れて戻ってきた時には、深夜であることなどお構いなしに騒々しくなっていた。
勝手に飛び出した僕が戻った事に加えて、手錠をかけて連れているのが『刎ね子』ともなれば驚愕するのは当然だ。
署には伊津野一課長もいた。
到着時点では僕に対する反応は芳しくなかった。しかし、僕よりも愛宮が伊津野一課長に対して怒りを剥き出しにしてものすごい剣幕で睨んでいた。
すると、伊津野一課長は諦めたのか「話はお前たちが休んだ後で聞く」と言い残してその時はそこで話は終わった。
謝罪をしたかった。独断専行を続け周囲に迷惑をかけたこと。散々反抗したこと。
でも、とても出来る状況ではなく一旦謝罪をするのを後にした。
一度気絶した状態の『刎ね子』を伊津野一課長に引き渡し、医務室にて寝かせ、目覚めてから話を聞くという形になった。
自宅に帰る気にもなれず、僕たちは仮眠室で朝を迎える事となった。
小さな丸机を間に挟み、互いに向かい合う形で木製のベッドの上に腰掛けた
「ところで、愛宮はどうして僕の居場所がわかったの?」
落ち着いたタイミングで僕は真っ先に愛宮に疑問を聞いた。
あの瞬間、愛宮が駆けつけてくれた事実は嬉しいと同時に疑問が頭の中を駆け巡っていた。
伊津野一課長に捜査を外され、僕は一人で『刎ね子』を追いかけ続けていた。他の誰にも言うことなく。
愛宮も例外じゃない。
ただ愛宮に言わなかったのは別の理由からだ。
愛宮に、僕の大切な後輩に──異常だと言われるのが怖かった。
本心でも理解していた。自分が異常なのは。
だから、周囲に『刎ね子狂い』と侮蔑されるのも仕方がないと思っていた。
それでも、愛宮にだけは『刎ね子狂い』とは呼ばれたくなかった。
僕にとって愛宮は最後の支柱だった。そんな相手に軽蔑されれば、『刎ね子』を追うことさえできなくなっていたかもしれない。
愛宮に独断専行で『刎ね子』を追っていることを伝えなかったのは、そうしたひどく身勝手な考えがあったから。
けれど、何も知らないはずの愛宮は、僕が『刎ね子』を殺す寸前の場に現れた。
どうやって僕の居場所を突き止めたのか。
それを最初に知りたかった。
「先輩の変化、ですかね」
「変化?」
そう言った後、愛宮はポケットから手のひらサイズの手帳を取り出した。
愛宮はその手帳を見ながら語り始めた。
「わたし、少し前から瀬波先輩がおかしくなってるの気づいてました」
「成嶋先輩。大沼一課長。そして瀬波先輩のご両親。先輩にとっての大切な人が『刎ね子』に殺されるたびに、先輩はどんどん暗くなっていましたよね。ご両親が亡くなられた直後からはわたしには別人のように見えました。いいえ、わたしでなくてもあの時の先輩の変化には気がつくと思います」
親が殺された後か……。
確かに、夢から覚めたてから『刎ね子』に対する憎しみだけが僕の中にあった。
振る舞いも言動も何もかも傲慢で、自分だけが最悪な想いをしていると勘違いして。
みんなおかしいって思ってたんだろうな……。
「だから捜査を外された時、先輩は一人で捜査をすると思ったんです」
「────」
「捜査を外されていて、捜査一課室への立ち入りも禁止。でも埼玉県警の署のどこにも瀬波先輩はいない。どこへ向かっているのかを確かめるために、しばらくの間跡をつけてました」
メモ帳のページを一枚捲り愛宮は話を続けた。
「向かう先は過去の殺害現場や被害者遺族の自宅など、いずれも『刎ね子』に関連するもので。先輩の動向を探り続けて数日。これを見つけたんです」
そう言って次のページを捲ると、折りたたまれた紙が愛宮のメモ帳に貼り付けられていた。
それを剥がして僕に手渡した。
渡された紙を開くと、
「これ……」
そこには僕がビッシリと書いた『刎ね子』事件の捜査内容が記載されていた。
内容は直近の内容と過去の内容の断片。
落としていたことに全く気が付かなかった。
メモは幾つもあるし、無くした時も考えて大量にコピーを取っていた。多くコピーしたせいで気がつかなかった。
「でも、これだけじゃ」
「──漢数字の『三』」
愛宮の静かな一声に息を呑んだ。
「わたし、瀬波先輩が一階の使われてない休養室で捜査資料を集めているの知ってました」
「……っ」
「今日はいつもと違って鍵が空いていたので勝手ながら中に入らせてもらいました。そしたら、ホワイトボードに『刎ね子』の最後の被害者、三延時也さんの『三』の字と瑛陵高校の生徒である三芳芽亜さんの『三』の字を結びつけているのが書いてあり、その下には『刎ね子』と赤字で書き残されていたので、先輩が『刎ね子』を三芳芽亜さんと断定して行動していると思って。三芳芽亜さんを追えば、瀬波先輩にも辿り着けると思ったんです」
そこまで話して愛宮は自分のメモ帳を閉じた。
そうか、ホワイトボード。
僕が『刎ね子』が三芳芽亜である確証に至ったのは、成嶋の残してくれたダイイングメッセージだ。
数字の『4』と漢数字の『三』。
初めは数字の意味がわからなかった。
しかし皮肉な話してではあるが、自称『刎ね子』の手下と名乗った渡井による証言で数字に意味があるとわかり、以降はダイイングメッセージが何を示すのかを考えながら捜査をしていた。
最後の最後に漢数字の『三』がつく被害者が出てようやく気づいたという、なんともみっともない結果だけど……。
「数字を気にしてたのは成嶋先輩のダイイングメッセージ、ですよね」
「うん。明らかに『4』て書かれてる左手側と、地面を引っ掻いたにしては不自然な三本線が書かれた右手側。ずっと引っ掛かっててさ。昨日やっと、漢数字の『三』だって気がつけんだよ。もし漢数字の『三』の意味が人名を指しているとしたら。そう考えて三芳の行動を『刎ね子』と照らし合わせたら合致した。ほんと、成嶋のおかげだよ」
脳裏に成嶋の顔を思い浮かべた。
いつも飄々としていて、でも僕が辛そうにしていたら気にかけてくれる優しい親友。
成嶋がダイイングメッセージを残していたから、僕は『刎ね子』に辿り着いた。
失いたく、なかった……。
「──。そういえば愛宮、伊津野一課長と何かあったの?」
「うっ、そ、それはぁ……」
ついさっき伊津野一課長と会った時、愛宮は明らかに怒りをむき出しにしていた。対する伊津野一課長の方も諦めような雰囲気を身に纏っていた。
普段なら絶対に見ない光景に僕も驚きを隠せなかった。
そしてやはり、何かあったようだ。
「実は、伊津野一課長も瀬波先輩が休養室を黙って使ってるの知ってて」
「まぁ、そうだよね」
「それで、わたしが瀬波先輩の元に急ごうとした時、バッタリ伊津野一課長鉢合わせちゃいまして。先輩のとこに行くなら降格させるって脅されて……」
「いくらなんでもそれは!」
「いいんです。実際、他の仕事を無視してまで先輩のところに行こうとしたんですから」
「…………」
「菜野警部にフォローしていただいたおかげで、無事に先輩のところへ来れました。処分についてはわかりませんが」
苦笑混じりに答えた愛宮を見て、僕の胸中で罪悪感が膨れ上がる。
僕が勝手に暴走しなければ。
僕が周囲の声を聞けていれば。
僕がもっと、後ことを考えてさえいれば。
「……僕のせいで」
「先輩?」
「僕のせいで愛宮を危険な目に合わせた。それだけじゃない。これからって時なのに、将来まで奪うかもしれないことをして……最悪だ」
「──違います!」
愛宮は机を勢いよく叩いて席を立ち、力強く言い放った。
「伊津野一課長を振り切ってまで先輩のところに行ったのはわたしの意思です。行かなければきっと後悔する。そう思ったから先輩の元に向かったんです」
「────」
「実際、数秒遅れていれば瀬波先輩は『刎ね子』を殺していたかもしれません。だけど、そうならずに済みました。あの状況下においては最善と言える結果になりました」
僕の目をまっすぐに見ながら話す愛宮。
彼女の瞳に一切の曇りはなく、本当に心の底から僕を案じてくれていたのだと伝わってくる。
「だから、なにもかも自分が悪いなんて言わないでください」
愛宮の訴えに目元が熱くなる。
同時に、胸の奥に溜まっていた黒い感情が晴れていくような、そんな温かい感覚に満たされた。
何度も思った。
──愛宮には救われてばかりだと。
今日だって、僕はまた愛宮に救われた。
愛宮彩瀬が僕の後輩として傍にいてくれたから、僕は折れた心を立て直し、失態にも気づくことができた。
なにもかも自分が悪いと思うな、か。
「……っ!」
「せ、先輩っ!?」
愛宮が僕のために尽くしてくれたことを思うと、とめどなく涙が溢れ出てきた。
普通なら見捨てられてもおかしくないことをしてきた。
優しくしてくれる愛宮を冷たくあしらい、酷い口の聞き方を何度もした。それでも愛宮は、自分が傷つくことも構わず僕の傍にいてくれた。
なのに僕は……、
「先輩」
「……っ」
「自分を責める言葉より、感謝の言葉を聞きたいです」
そう言って歯に噛むように笑う愛宮。
子供みたいに泣いてるんだろうな僕。
でも、そうだよね。
散々自分を責め続けた。少しくらい、感謝を口にしたってバチは当たらないはずだ。
他でもない愛宮がそうしてほしいと言ってくれているんだから。
ここからだ。
たくさん迷惑をかけた分、行動で示す。
そしていつの日か、再び周りにも自分自身にも、自分を認められるようになってみせる。
「──ありがとう愛宮」
正義に囚われず、僕は僕の道を進む。
ありのままの自分として生きていく。
「僕を助けてくれて」
いつぶりかわからない満面の笑顔を浮かべた。
◾️◾️◾️
誰かの話し声を聞いて僕は目を覚ました。
「……ん」
頭が痛い。披露感も尋常じゃない。
ここ数日、動きっぱなしだったし仕方ない。
最後の踏ん張りどころなんだ。
疲れたなんて言ってられない。
「──無事だったか愛宮!」
仮眠室の外から聞き覚えのある声が聞こえた。
おおらかな性格で、いつも僕や愛宮を気にかけてくれる逞しく、それでいて非常に優れた警察官。
「菜野警部」
なぜか咄嗟に外へ出るのをやめて扉の横に身を隠した。
戻りましたなんて、とてもじゃないが簡単に言えない。
今日まで愛宮さえも蔑ろにして行動してきた。菜野警部にだって、心配してくれたのに僕は聞く耳を持たずに独断専行し続けた。
どんな顔して会っていいか、わからない。
「伊津野一課長のことも含めてご迷惑をおかけしました」
「いいのいいの! てことは……瀬波も?」
自分の名を呼ばれて心臓が大きく脈を打った。
直後に流れ始めた沈黙から愛宮が無言で頷いたのだと推測できる。
もう、出ていく以外の選択肢はない。
「……っ」
ゆっくりと仮眠室の外へ出た。
それから愛宮の隣に立ち、菜野警部と向かい合った。
けれど、表情を見ることはできなかった。
叱られると思うからではない。
罪悪感から、どんな顔をして菜野警部と話せばいいかわからないから、顔を見れなかった。
「瀬波」
静かに菜野警部は僕を呼んだ。
自分のことを呼ばれて罪悪感に耐えられなくなり、僕は口を開いた。
「この度は大変ご迷惑を──!」
「──でかしたなぁ!」
「え?」
叱られると思っていた。
お前は大事な時に勝手なことをしておいて、よく戻ってこれたなと。
事件を解決すれば許されるとでも思ったのか、と。
だから、予想外な返答に間抜けな声を出してしまった。
「約一年も続いた事件をおれたちが進展ない中、最後は瀬波が一人でたどり着いた! 流石おれが見込んだ警察官だ!」
ばんばんと僕の背中を叩いて喜びを露わにする菜野警部。
あまりにも想定と真逆の反応に困惑した。
「怒らないんですか……?」
「うん?」
恐る恐る僕は尋ねた。
散々、僕は勝手をしてきた。
迷惑なんて言葉では片付けられないほどに。
「僕は親を殺されてから皆さんにずっと迷惑をかけてきました。指示に従わず勝手な行動をして、捜査会議では方針を否定しました。言動や振る舞いだって、立場を弁えないことばかりで」
「────」
「菜野警部や後輩の愛宮、伊津野一課長他の皆さんにも僕は、僕は……」
自分のしてきたことを思い返して、罪悪感が喉を詰まらせて次の言葉を告げなかった。
謝らないと。
今日まで積み重ねてきた失態を。
早く、早く謝らないと。
なんで、言えないんだ。
愛宮にはすぐに言えたのになんで──、
「……ぁ」
俯いたままの僕の肩に菜野警部が手が乗せられた。
「おれは怒らんよ」
「────」
「瀬波と同じ立場ならおれも同じことをしてた。とてもじゃないが、人のことを言える立場じゃない」
「そんなこと」
「あるんだよ。おれはお前たちが思うほど真面目じゃないのさ」
微笑を浮かべたまま菜野警部は話を続けた。
「それによく言うだろ? 誰だって失敗するって。おれだってよく失敗する。けど、その分学習して成長できてる」
「────」
「瀬波、お前はまだ若いんだ。今まで大きな失敗がなくて、たまにする失敗が大きかっただけの話だ。取り返しのつかないことをしたわけでもないんだよ。今回のことを教訓にして次に行く。──それでいいじゃないか」
どうして。
どうして、こんなにも優しい人たちばかりなんだ。
「最後に一言、言わせてくれ」
「はい」
そう言って菜野警部は僕の肩から手を離し、再び真正面から向かい合った。
そして、無邪気な少年のように歯を見せて笑い、僕へ拳を突き出して、
「──敵討ちできて、良かったな」
「……っ!」
一言。そう労いの言葉をくれた。
また涙が込み上げてきた。
酷いことばかりしてきたのに、怒らないだけじゃなく労ってくれる。
いったい、どれほど良い人たちを悲しませてきたのか。
もう二度と、周囲の人たちを悲しませたくない。
今日まで重ねた失態の分、いやそれ以上に。
これからの行動で誠意を示し、そしていずれ、ちゃんと恩返しをするんだ。
「はい! ありがとうございます!」
菜野警部の拳に自身の拳を当てて感謝を伝えた。
僕の様子に菜野警部は快活に笑った。
その後ろにいる愛宮もガッツポーズをしながら笑顔で僕たちを見届けていた。
笑顔溢れる空間が今の僕の心を明るく照らしてくれた。
この瞬間を僕は決して忘れない。
正義に──いや、違うな。
大切な人たちが、笑える未来のために、僕は僕の責務を果たす。
◾️◾️◾️
瀬波と対峙し、無様な終わりを迎えてから二日。
私が目覚めたのは翌日の昼だった。
警察署の医務室にて目覚め、医師により問題ないと判断されるや否や即刻始まった長時間の取り調べ。
覚えている限りの情報を赤裸々に、延々と話し続けた。
けれど、私は普通の殺人鬼とは異なり、いちいち誰かを事前に選定して人を殺していたわけではない。
状況次第で殺しやすそうな人物を適当に殺して首を刎ねていた。
だから、被害者の写真を見せられようとわからない人間は本当にわからない。
羅奈の父親やリデル、瀬波の親友という警察官のような重要人物でなければ記憶に残ることはない。しかし、警察は無理やりにでも情報を引き出そうと必死になって高圧的な取り調べを続けた。
別に何かを思うわけでもない。
相手も仕事だ。私が殺した被害者の遺族のためにも必要な作業。それが何も得られないと遺族に合わせる顔がなくなる。そうせざるを得ないから意味もなく長々と取り調べを続けたのだろう。
だとしても、壊れたロボットのように同じことを話す以外に私にはできなかった。
わからないものはわからないし、覚えていないものは覚えていない。
いつ誰を殺したのかなど聞かれても、覚えていない。
日頃朝食に食べているパンの枚数をいちいち数えていないのと同じことだ。
しかし、取り調べは続いた。
ただただ、退屈だった。
灰色の薄汚れた取り調べ室の机を見つめたまま、同じ回答の繰り返し。
時折こちらを見ろと怒鳴られ机を叩かれるものの、意識は現実と乖離し遠のいていくばかり。
体と意識は時間と共に離れていった。
体を動かしている認識は確かにある。でも、意識は自分の背後にあるような感覚で、第三者目線で見ている。そんな状態に陥っていた。
せめて取り調べが瀬波なら良かった。
誰だか知らない男に詰め寄られるほど気持ちの悪いものはない。
「────」
現在は裁判所にて勾留されている。
裁判は義務だがやる意味が果たしてあるのだろうか。
無罪になったとて、行き場などありはしない。一度終わった時点で物事は先へ行くことはない。
『刎ね子』は、捕えられた時点で終わったのだ。
さっさと死刑にして私を殺してほしい。
「──三芳芽亜。担当弁護士が来ている。出ろ」
格子の前に警官が現れ鍵を開けた。
果たして、私のような凶悪犯の裁判など実施する意味があるのだろうか。
私は罪を認めているし、精神疾患で無罪になりたいとも思わない。
死刑以外に私にはないというのに。
「……はぁ」
手錠と腰縄をつけられた後、警官が歩くのに合わせて歩き始めた。
廊下は静まり返っている。
日は入らず、金属の冷たい感触がやけに感じられる不快な環境。
気分は下がり続ける一方だ。
「入れ」
面会室の前に着き、扉を開けた警官に中へ入るよう促された。
警官の顔を見ることもなく私は面会室の中に足を踏み入れた。
私みたいな異常者を弁護を担当しようなどとよく考えるものだ。
どんな頭のおかしい人間が私の弁護を──、
「……っ」
ありえない。
「久しぶり──芽亜」
女性は椅子から立ち上がり、凛とした表情で私に向かって挨拶をした。
私の、『名前』を呼んで。
「────」
一瞬動揺したがすぐに意識を切り替えて私は女性に鋭い視線をぶつけた。
長く艶やかな黒髪を揺らし、手入れの完璧なスーツの着こなし。立ち姿はモデルかと疑うほどに綺麗な背の高い女性。
私はこの女性を知っている。知っているなんてものじゃない。
だって、この人は、
「お母さん……」
三芳梓──私の実の母親だからだ。
「座ったら?」
「…………」
先に椅子に座った母に言われて私も椅子に腰掛けた。
「どうしてここに」
「あなたの弁護を担当にすることになったからよ」
当然とばかりに母はそう言った。
未だに私の方では理解が追いついていない。
それくらい異質な状況だ。
「知ってるでしょ? お母さんが凄腕の弁護士だって」
「──。よく私の弁護をやる気になりましたね」
母の目を見ながら私は怒り混じりに言い放った。
「実の娘が人殺しで、しかも『刎ね子』だったんですよ? なのに──」
「あのさ」
「?」
「──私は芽亜と話に来たの。『刎ね子』と話に来た覚えはないんだけど」
淡々と言った母の言葉の意味が一瞬理解できなかった。
しかし、すぐに答えが出された。
「家族に敬語使えって教育した覚えはないわ」
言われてみればそうだ。
私は基本、年齢や立場関係なく敬語を使う。それが自らの体現する『理想』を崩さないためにも必要だったから。
唯一敬語じゃない場面は、家族と話す時だけ。
それを『刎ね子』ではなく娘である『芽亜』と話に来たと母は表現した。
憎たらしい。
「……娘が人殺しで首を刎ねて喜ぶ狂人だったのに、よく弁護する気になったね。怖くて、気持ち悪いと思ってるくせに。それだけじゃない。私はお母さんの経歴に消えない傷をつけたんだよ。さっさと切りたいでしょ、私みたいな娘との縁なんか」
敬語から砕けた話し方に変えて私は現実を口にした。
三芳梓は日本では有名な敏腕弁護士だ。
勝率がゼロだと言われた冤罪事件の裁判において、母はあらゆる正攻法を使い見事に判決を無罪にしてみせた類稀なる実力者だ。
もちろん、凶悪犯の弁護も数えきれないほどに担当し最良の結果を残している。
だが、その凶悪犯は実の娘なのだ。
今すぐにでも縁を切りたいはずだ。私の元にまで話が来るくらいには、三芳梓の娘が『刎ね子』だったという報道が大々的に取り沙汰されているのだから。
『刎ね子』の弁護など、既に地に落ちた評判に更に追い討血をかけているに等しい行為。
真意がまるで読めなかった。
「どうせ判決は死刑。私は罪を認めているし、精神に疾患を理由に無罪を狙うつもりもない。やる意味ないでしょ、こんなの」
『刎ね子』の裁判は、確定した未来を綴る物語と同じだ。
目に見えすぎている結果を前に何ができる?
何もできない。時間の無駄だ。
「意味ならあるわ」
面会が始まった瞬間から変わらなかった母の表情は、突然悲しげな表情に変わった。
そして、
「──私は、芽亜の母親だから」
「──っ」
力強く母は断言した。
「芽亜が『刎ね子』だって聞いて悲しかった。でもそれと同じくらい、芽亜に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになったの」
「は……?」
「芽亜に寄り添えてなかったから、芽亜の話をちゃんと聞かなかったから、芽亜の現状を聞いてあげなかったから……言い出したらキリがないくらい、私は芽亜に母親らしいことを何もしてあげられてなかった」
今更、何を言っているのか。
「愛情を注いでいたつもりが、あなたを縛り付けていた。そのことに気がつけない時点で私は……母親失格よね」
「……っ」
なんだろう。
胸の奥に急に痛みが生まれた。
「自分の評判とか『刎ね子』の弁護とか私には関係ない。──私は芽亜のたった一人の母親なの。だから、あなたの弁護を担当するの」
胸を抑えながら母は断言した。
私を、十五人以上を殺害した『刎ね子』を弁護する理由を──自らが母親だからだと。
「おかしい」
思わず私は内心を口にしてしまった。
「なにを言われても私は芽亜の弁護を担当するわ」
私の呟きを拾って母は揺るがない意志を示した。
痛い。
疲れているのは間違いない。けれど、疲労とは無関係の痛みが私の胸の奥で疼いている。
張り裂けそうな、心臓を貫かれるような痛みが、さっきから増している。
「────」
その後も母が裁判に関する話をしていたようだが、私は謎の痛みから意識が逸らせず内容が頭に入ってこなかった。
気がついた頃には、私と母の面会は終わっていた。
◾️◾️◾️
車を走らせること一時間。
埼玉県のとある墓場に僕と愛宮は向かっていた。
『刎ね子』逮捕から二週間。
連日事件について報道され、世間は凶悪犯の逮捕に盛り上がっていた。
安堵感によるものもあれば、狂信者たちによるSNS内のデモなど様々な形で。
肝心の『刎ね子』は、取り調べを伊津野一課長本人が全て担当した。
相手は質問には全て答えた。しかし、二十四人の殺害された被害者の写真を掲示した中には「知らない」と答えた人物も多かったと一課長は話していた。
『刎ね子』が殺害した被害者の遺体は全員無事に発見されたものの、知らないと『刎ね子』が答えた被害者遺族を晴らし切ることはできなかった。
現在『刎ね子』は裁判所にて勾留中で来週には初公判が行われる。
弁護を担当するのはまさかの『刎ね子』である三芳芽亜の母親、三芳梓氏だと聞いて嘘かと話を疑ってしまった。
『刎ね子』の弁護をすると発表だと公になると、三芳梓氏は世間から大バッシングを受けた。
きっと理由があるのかもしれないが、僕には三芳梓氏の真意が全くわからなかった。
「先輩、次の交差点を右です」
「了解」
僕はこの二週間、菜野警部と愛宮に付き添ってもらい捜査一課のメンバーへの謝罪周りをしていた。
一人一人面と向かって僕は謝罪した。一課に限らず、留置所の受付の方や鑑識課の人たちにも僕は頭を下げた。
今後気をつければいいと言う人もいれば、お前のせいでと悪罵を口にする人もいた。
中には呼び出しに応じない人もいた。
僕自身、謝罪程度で許されたいとは思わない。
他でもない僕自身が誰よりも自分を許せていないのだ。
だから、ゆっくりと時間をかけて、いつの日かちゃんと許してもらうために今まで以上に努力すると決意を強くした。
伊津野一課長については、呼び出しに応じてもらえない上に避けられていた。
一番あの人には迷惑をかけてしまい、やはり顔も合わせたくないのだろうと思う。
でも愛宮はこう言った。
「伊津野一課長は瀬波先輩が嫌いなわけじゃありません。それだけは知っておいてください」
詳しい理由は教えてくれそうになかった。
けれど、愛宮は強く僕に対してそう言った。
伊津野一課長にどんな思惑があるのか。疑念は尽きないが、あの人にも認めてもらえるよう更なる精進を続ける決意は強まった。
謝罪周りを一通り終えたタイミングで、僕はやるべきことの一つを実行することにした。
それが──大切な人たちの墓参りだ。
親友の成嶋。
憧れの存在である大沼一課長。
そして、両親。
自分には墓参りの資格はないと行くことを躊躇していた。
しかし、愛宮に行かない方が失礼だと言われ、いい加減僕も逃げるのをやめようと認識を改めて、今日成嶋の墓参りに訪れることにした。
日を開けて大沼一課長と両親の元にも行く予定だ。
「着きましたね」
「こんな広いとこだったんだ」
林を抜けると辺り一体にたくさんの墓石が立ち並ぶ場所に着いた。
やっと墓参りに来れた事実に緊張感が胸中を占めている。
「さてと……あれ? 愛宮は行かないの?」
「昨日来たばっかりでして。それに二人きりで話したいこともあるんじゃないですか?」
「──。ありがとう」
愛宮の配慮に感謝して僕は一人で車を降りた。
地面は砂利道となっていて車でもかなりガタ着いたが、徒歩でも歩きにくい場所だ。
一歩ずつしっかりと踏み締めて、僕は墓参用の水桶と柄杓がある場所まで歩いた。
「────」
昼間でもまるで世界から切り離されたかと錯覚するほどに、静寂が支配する場所だ。
これだけ静かな環境なら亡くなられた人々も安心して眠れるに違いない。墓を建てるにはぴったりの環境だ。
「さてと」
水桶と柄杓の前まで来てそれらを手に持ち、近くの水道から水桶の中に必要量水を注いだ。
程よい重さを感じながら僕は目的の墓石を探した。
周囲に聞こえるのは鳥の鳴き声と風に揺れる木々の音、歩くたびに響く砂利の音。森の中の一角を切り取り建てられたこの場所は、自然を密に感じさせる。
つい駆け足になりそうな自分の心を落ち着けながら、僕は近くで眠る人たちへ配慮してゆっくりと歩いた。
そして、
「久しぶり。遅くなってごめん──成嶋」
手入れの行き届いた墓石。
そこには『成嶋秋哉』と刻まれている。
僕にとって苦楽を共にした親友であり、警察学校時代からの最高の同期。
──成嶋が眠る墓だ。
やっと、本当にやっと、これた……。
水桶から柄杓に水を汲み成嶋の墓石にかけた。
それから柄杓を水桶の上に置いて、両手を合わせて一例した。
「もっと早くに来るべきだったけど、気持ちの整理ができなくて。改めて本当にごめん」
謝罪を再度口にして僕は頭を下げた。
成嶋との付き合いは長い。だからこそ、彼の反応はなんとなく想像できる。
きっと、二度も謝れば「いいよ一回で」と言うに違いない。
実際にどう言われるかはわからない。
でも、僕は何度でも成嶋には謝りたい。
全部が全部自分のせいだと今は思っていない。けれど、危険な状況に置かれていると知っていて、どこか成嶋であれば大丈夫だと変に安心しきっていて。
一緒に帰っていれば結果は異なっていたかもしれない。
それに、成嶋の事以外でも──、
「ダメだ……自分のことばかりになってる」
頭を振って一度深く深呼吸をした。
今の自分は悪いことを考えすぎてしまう。
今日は成嶋と話に来たんだ。
考え事をしに来たんじゃない。
「あれから、色々あってさ」
聞いてもらいたい話がたくさんあるんだ。
数ヶ月ぶりの再会を、大事にしないと。
「成嶋がいなくなった後、中々立ち直れてなくて。子どもみたいに泣きじゃくったんだ。二十歳過ぎて情けないよね」
近況は愛宮が既に何度か墓参りに来ていると話していたため、その際に伝えているはずだ。
だから今日話すのは──僕の話。
「仕事も手につかなくなっちゃてさ。だけど、愛宮が勇気づけてくれたんだ。僕が正義を掲げるのは、たくさんの人を守りたいからじゃないのかって。震えたよ。愛宮の言葉のおかげで初心を思い出すきっかけになったし、成嶋のためにならないとも思い直すきっかけにもなって。すごいよ愛宮は」
成嶋が殺された日、僕は全てに絶望した。
でも、愛宮が立ち上がるために言葉を尽くしてくれた。愛宮が屋上に来ることはなく、言葉を叫んでくれなければ今も僕は下を向いたままだったに違いない。
愛宮には感謝してもしきれない。
「もう聞いてると思うけど大沼一課長も、僕の両親も……」
一瞬言葉に詰まった。
めいいっぱい空気を吸い、大きく深呼吸した。
それから再び話し始めた。
「辛いことだらけで。途中から自分を見失ってた。でも、一線を越えかけた僕を止めたてくれたのは、やっぱり──愛宮だった」
何度、愛宮に救われただろうか。
立ち直れたのも、過ちに気がつけたのも、こうして成嶋との再会を果たせたのも。
全部、愛宮がいてくれたお陰だ。
「ホント、どっちが先輩なんだか……愛宮の成長ぶりに驚きっぱなしだよ。また胸を張ってあの子の先輩であれるように僕も頑張るよ」
脳裏に優しい後輩の姿を思い浮かべて笑った。
それから表情を切り替えて、背筋を僕は正し真剣な表情を浮かべた。
「事件を解決できたのは成嶋が残してくれたメッセージがあったからだ。ちゃんと、届いたよ」
成嶋の残したダイイングメッセージ。
最後の最後、それが『刎ね子』の正体に辿り着く答えとなった。成嶋も最後まで僕の隣で支えてくれたのだ。
「まだまだやる事はあるけど心配しないで。事件は確かに終わった。それに──僕ももう、前を向けているから」
そう言った直後、春を感じさせる穏やかな風が吹き抜けた。
成嶋が僕に言葉を返してくれたのかもしれない。
なんて言ってくれたのかな、成嶋は。
「──ぁ」
突然の訪問者に僕は目を見開いた。
成嶋の墓石の前にある花立。そこにリンドウを入れた、僕と成嶋、二人がよく知る人物がそこにはいた。
それは、予想外の人物で。
「──伊津野一課長」
捜査一課長である伊津野一課長が、成嶋の墓の前に現れた。
「────」
一瞬だけ僕の顔を見た後、伊津野一課長は両手を合わせて黙祷していた。
ここ数日、僕は伊津野一課長に避けられていたがまさかここで会うことになるとは思いもよらなかった。
「邪魔したな」
「あの!」
この場をすぐさま立ち去ろうとした伊津野一課長を僕は引き留めた。
墓参り、まして成嶋の墓だ。友好的に接していなかった伊津野一課長がなぜ墓参りに来たのか。
疑問でしかなかった。
だから、真意を聞きたかった。
「どうして」
「──。部下を労うのは上司の勤め、だからだ」
「その言葉……!」
かつて、大沼一課長が口にしていた言葉。
成嶋の葬儀に参列した時、大沼一課長は成嶋に向けてこう言った。
──部下を労うのは上司の勤め。
義務的ではなく、誠意を込めて彼は成嶋を労っていた。
亡くなるまでの活躍を称えるために。
なんで伊津野一課長が同じ言葉を──。
「俺は過去に縛られて生きてきた」
頭の中を疑問が駆け巡る中、伊津野一課長は僕に背を向けたまま話し始めた。
「してはならない過ちを失態を犯した。その過ちが、瀬波と成嶋を見ていると過去の自分と似ているように思えた。いずれ失態を犯す、過去の自分と」
「────」
「だから、非情に接することでお前たちの信念を折ろうとしていた。正義ばかり意識するお前たちを理不尽さで迫り、正義よりも俺に対する反発心が勝つよう仕向けていた。そうすれば、正義に苦しまずに済むと思ってな」
そんな意図があったなんて考えもしなかった。
「お前たちには余計な苦労をかけたな。──本当に悪かった」
背を向けたまま僕の顔を見ることなく伊津野一課長は謝罪を口にした。
彼の話を聞いて合点が言った。
僕たちが捜査一課に来てから数ヶ月経ったタイミングから、伊津野一課長の態度は日に日に冷たくなっていた。
明らかに僕たちを嫌っている、そんな印象を受ける態度だった。
思うところは確かにあった。しかし、能力不足だと自分を評価していた僕にとっては、伊津野一課長により自分を知る機会を貰えたのだと感謝の気持ちも大いにあった。
伊津野一課長が謝る必要はない。
僕の方が散々迷惑かけているのだから。
「僕の方こそ」
「謝罪はいい」
謝ろうとした僕の声を伊津野一課長が遮った。
「俺がしてきた行為は許されるべきものじゃない。それに『刎ね子事件』において誤った判断をしておきながら、お前を追い出す暴挙まで犯した。俺は、謝られるべき人間じゃない。どこまでも、愚かなままだからな」
そこに熱はなく変わらず声は冷たかった。
どんな過去があったかを僕は知らない。愛宮とも何かあったようだけれど、それについても詳しくは聞かない事にしている。
でも、今の伊津野一課長にこれだけは言っておきたい。
「いいえ。僕がしたことも許されるべきものではありません。大勢に迷惑をかけたのに事件を解決したからと言って無かったことにはなりません。だから、謝らせてください」
「──っ」
「本当に申し訳ありませんでした」
流れとして適切ではない。
しかし、今言わなければ謝る機会を逃す気がした。
誠意を込めて、深々と頭を下げた。
「それから」
そして、顔を上げて伊津野一課長の方を向きながら、もう一つ言いたいことを口にした。
「伊津野一課長なら何をすれば自分を正せるのかすぐにわかると思います」
「────」
「過去に何があったかは僕にはわかりません。ですが、いつまでも自分を卑下するのは間違っていること知っておいてほしいです」
自分を愚かなままだと形容した伊津野一課長。
けれど、多くの事象に対して出来る限りを尽くしている伊津野一課長を、愚かだと誰が言えるというのか。
「自分を認められないのは僕も同じです。それでも認められるようになるまで、今よりも自分を知って、新しいことにどんどん取り組んでいけば、いつか必ず自分を認められる日が来ると僕は信じています。だから伊津野一課長──諦めないでください」
僕が再び前を向いて歩む決意をしたように。
伊津野一課長も過去に囚われず、マイナスなことばかり考えず今と向き合ってほしい。
偉そうなことを言える立場じゃないけれど、これだけは伝えておきたかった。
「──善処する」
最後まで僕の方へ振り返ることはなく、伊津野一課長は一言残してこの場を立ち去っていった。
その背中はどこか重い空気感が薄れて見えた。
「っと、ごめん。背中向けて話し込んじゃって」
今一度成嶋の墓石の方へ向き、両手を合わせて一礼。
成嶋。今まで本当にありがとう。
君がいてくれたから、僕はずっと警察官としていられたんだ。
この先、また悩んだり間違えたりするかもしれない。でもしっかり乗り越えて進んでいけるように、頑張るからさ。
これからも僕と愛宮を見守っていてほしい。
「よし」
伝えたい事は伝えた。
ここへ来るまでは暗い気持ちが胸の奥に広がっていた。
けれど今は、少しだけ晴れやかな気持ちになれている。
これも成嶋のお陰かな。
「またくるよ」
水桶と柄杓を持ち僕は成嶋に挨拶して車に戻ろうとした。
瞬間──、
「──あんまり無茶するなよ」
背後から、声が聞こえた。
「──っ!」
咄嗟に振り返るもあるのは成嶋の墓石だけ。
声が聞こえるはずがない。
そしてその声は、僕もよく知る人物の声だった。
できるならまた会話をしたい、僕にとって大切な親友の声。
「うん!」
ここにはいないはずの成嶋の声に僕は笑顔で応えた。
◼️◼️◼️
──空虚な時間だけが過ぎていった。
瀬南碧斗との対峙の結果、私は無様に敗北を喫した。
気絶し手錠をかけられ、目覚めた時には警察署の医務室のベットの上だった。
その後すぐに始まったのが長時間に渡る地獄の取り調べ。
担当した警察官は私に高圧的な態度を取るでもなく、ただ静かに取り調べは行われた。
捕まれば終わりだ。それを理解していたから私は全てを諦め、警察官の問いに対して赤裸々に語った。
しかし、名前を出されてもわからず、場所を出されても適当に埼玉県の市内に限定して首刎ねをしていたため答えられないことも多々あった。
ドラマでの受け売りだがそうした場面は、警察官が声を荒げ高圧的に聞き出そうとする場面だと認識していた。事実、脅迫まがいな取り調べは話題にこそならないが確かに存在している証言がある。
けれど──私の取り調べは終始静かだった。
冷酷な男。一目でわかる冷たい表情の警察官は、声も荒げず高圧的にもならない。
一貫して「嘘はいい」、「答えろ」と言葉を並べるだけ。
その感情を伴わない『無』の取り調べは、私にとってあまりにも苦痛だった。
取り調べを終えた後、見張りの警官が「偽『刎ね子』頭おかしくなっちまったらしいぞ」と憐れみの視線を私に向けながら言った。
間違いなく羅奈のことだろう。
私の策は見事に失敗に終わった。
最悪の状況における最善の打開策だと思っていたのに。
そして現在も、空虚な時間は尚も続いている。
「──これより被告人、三芳芽亜に対する殺人等被告事件の審理を開始します」
無価値の日々に精神を磨耗させている間に、私の裁判が開廷した。
傍聴席は満席。被害者遺族か、メディアの関係者なのか、全く無関係の面白半分に来た道化か。
各々がどこに該当する人物かはまるで判別がつかない。
わかるのは『刎ね子』の無様な結末を見届けに来ただろうということだけ。
裁判が始まる前、私の弁護を担当する母はこう言った。
「なにがなんでも判決を軽くしてあげる」
あの時の母の表情は、初めて見る敏腕弁護士としての一面だった。
凛々しく逞しい。数々の歴戦を超えてきた強者としての風格。
もし、私が母を愛する心があれば。きっと無条件に母を信じて行末を委ねていたかもしれない。
そんな心、幼少期に捨て去ってしまったが。
「被告人は昨年、五月六日から今年三月十日にかけ計二十四人を殺害し──」
検察官が席を立ち、起訴状に記載された内容を読み上げた。
二十四人。随分と殺した。
全ては首を刎ねるため。
三代欲求さえも上回るほどの欲求に私は侵された。
けれど、その欲求が心地良かった。
真に私で在れた気がしたから。
「……っ、っ」
名前を読み上げれるたび、背後から誰かの嗚咽が聞こえてくる。
私は名前を読み上げられても誰が誰だったかわからない。
残酷な話だが、無差別連続殺人犯は等しく殺した人間などいちいち憶えていない。
無差別とはそういうものだ。
「以上、二十四名。間違いはないか?」
鋭い視線で私を見る検察官。
起訴状の問いに対し私は頷いた。
「はい。間違いありません」
悪びれるわけもなく私は簡単な質問に答えるかのように普通に答えた。
すると、肌に伝わってくるほどのピリついた感覚が全身に突き刺さってきた。
明らかに裁判所内の空気は重くなった。
以降も、裁判は続いた。
「被告人は心身衰弱状態にあったのは明らかです。単なる殺人に終わらず、首を切り落とす猟奇に走っているのが何よりもの証拠です」
第二回広判。
殺人犯の裁判は、弁護人が精神状態の異常を指摘し、実際に精神鑑定を行い異常が見られれば無罪になる可能性がある。
殺人鬼を弁護する際の常套手段だ。
しかし、私は無罪を望まない。
今すぐに否定したいが、私に発言の許可は降りていない。
後日、鑑定医に正しく伝えて異常がないと証言させなければ。
「被告人は統合失調症の傾向こそあれど、さしたる異常は生じておりませんでした」
第三回公判。
精神鑑定医はそう証言した。
第二回公判後、私はすぐに精神鑑定医の元に送られ、長時間に渡る精神鑑定が行われた。
しかし、私の受け答えが普通且つ言動も常人と変わらないため異常なしと判断された。
この結果を受け母は苦い顔をしていた。
無理もない。
なにせ、
「事件は極めて計画的だった事が確定しました。被告人には責任能力を問うべきだ」
精神異常がないとわかれば責任能力が問える。必然的に無罪と減刑の可能性は潰えた等しい。
初めからマイナスが万に挑むような無謀な裁判だ。
ここからは作業だ。
「被告人に質問します。何故、殺人を犯したのですか?」
第四回公判。
裁判長はまっすぐに私の瞳を見て疑問を投げかけてきた。
何故、殺人を犯したのか。
理由はただ一つ。
「私は、首を刎ねるために殺人を犯しました」
「────」
「殺人は過程に過ぎません。なので、首を刎ねるのに必要だからというのが回答になります」
事実を答えると裁判長は険しい表情を浮かべた。
横目に母の様子を伺うと悲しげな表情で私を見ていた。
「──っ」
まただ。また、発生源のわからない痛みが生じた。
胸の辺りに突然生じた痛みを堪えながら、私は表情一つ変える事なく以降も裁判に臨んだ。
母は必死に私を弁護していた。
弁護人としての凛々しさ回を重ねる毎に薄れているように思える。
自分でさえ不利と理解しながらの家族の弁護だ。
疲れているのは想像に難くない。
その後も裁判は続いた。
敗北が確定している無意味な裁判が。
◾️◾️◾️
──『刎ね子』逮捕から、一年後。
『続いてのニュースです』
屋上の柵に背を預けて、スマホを横向きに持ちながら僕はニュースを見ていた。
『本日午前十時より、二十五人を殺害した『刎ね子事件』の最終公判が行われます──』
『刎ね子事件』から一年。
あの歴史に残る最悪の事件が、ついに本当の終わりを迎える。
時の流れは恐ろしいものだ。
決して、忘れてはならないはずの事件。しかし、事件と無関係の人々の記憶から薄れている。
仕方のない事だと理解している。
それでも、『刎ね子事件』を追っていた側からすると、時の流れは残酷に思えた。
「もう一年も経つんですね」
微糖の缶コーヒーを片手に、愛宮は僕のスマホの画面を見てそう言った。
一年前。
『刎ね子』と僕が山奥で対峙した時。愛宮が来なければ今頃どうなっていただろうか。
未だに想像して、起こり得たかもしれない可能性に怖くなる。
でも今こうして再び愛宮と時間を共にし、埼玉県警で職務を全うする事ができている。
事件の最終的な決着をつけてくれたのは間違いなく愛宮だ。
世間では僕の名前を特定し、瀬波碧斗という警官が『英雄』などと評価する人々も一定数いる。
しかし、事件の内情を知る人々からは僕の当時の行いを振り返り「とてもじゃないが良い評価を与えきれない」と言われる。
それで良かった。
『若き天才』とも評されてもいたが、今は全く呼ばれなくなった。
自分には大きすぎる評価である種の枷にもなっていた。それが無くなった今、変に評価や見られ方を意識せず、初心に帰って仕事をこなせている。
──『正義』の捉え方が変化したのも、理由の一つ。
事あるごとに『正義』に誓う、『正義』に賭けてと口にしてきた。
次第に僕の中での『正義』は異質なこだわりに転じてしまった。市民を守るのが『正義』のはずなのに、事件を終わらせさえすればいい。それこそが『正義』だと考えるにまで至ってしまった。
同じ過ちは二度と犯したくない。
だからこそ、自分の歩み方を今一度見つめ直そうと本気で思ったのだ。
一年では変化も成長もそう大きくはない。
でも、何年も重ねればもっと自分は成長させられると信じている。
何年かかろうと本当の意味で正しい警察官になるために、この先も努力あるのみだ。
「さて」
スマホの画面を消して胸ポケットにしまった。
すると、愛宮は少し驚いたような表情を浮かべた後、穏やかに笑った。
もう『刎ね子』に囚われていないことが、何よりもの変化だ。
愛宮はそれを感じ取ったのしれない。
「行こうか」
「はい!」
警察官である以上、悲劇に立ち会い、激情に駆り立てられる機会も多いだろう。
しかし、感情に支配されて自分を見失っては意味がない。
辛い時こそ、前を向かなくちゃいけない。かと言って無理に溜め込む必要もない。
そのことを愛宮を始め、大切な人たちからたくさん教わった。
何事もほどほどにだ。
いつの日か自分をしっかりと認められる日が来たら。
今度は僕が誰かの支えになれるように。
成嶋。
大沼一課長。
母さん、父さん。
──みんなの分、これからも頑張るよ。
◾️◾️◾️
裁判所内は静寂に満たされていた。
三月十日。
私が逮捕されてから一年が経過し、裁判は判決公判を迎えた。
傍聴席は初回から満席。母曰く裁判所の外も大勢の人々が『刎ね子』の結末知りたさに集まっているらしい。
結果などわかりきっているというのに、何が楽しくてこんな場所まで足を運ぶのかまるで理解できない。
「────」
第四回公判以降、敷かれたレールの上を走るだけの無駄な裁判が続いた。
弁護を担当する母があらゆる視点から私を弁護した。しかし、検察側はそれら全てを容易く否定し圧倒的優位性を維持した。
なにより、弁護される私自身が検察の発言全てを肯定し、母の弁護を否定し続けたことが裁判の無意味さを確固たるものとした。
母を否定するたび、私の胸の内側に針で刺されたような痛みが生じた。
それがどの感情に起因しているのかわからなかった。
けれど、痛みは回を重ねる毎に増していった。
結局、今日まで痛みの答えは出なかった。
出す必要がなく考えないようにしていたのもある。が、答えを知ってはならないと、本能が訴えていた。
本当に、訳がわからない。
『無』の時間を過ごしすぎたあまり、私は別の意味で狂ってしまったのかもしれない。
「判決を言い渡す」
裁判長が判決文の書かれている紙を手に取り厳かに言った。
死刑以外にないだろう。
想定していた中で最悪の結末だ。
死ぬことが最悪というわけじゃない。死は十分想定していた。ただどうせな死ぬなら、あの若く憎悪に焼き焦がされた青年のような人物に殺されて死にたかった。
決して投獄され、法により裁かれる死など望んでいない。
どこで掛け違えたというのか。
幼い頃から『理想』を体現するべく精神を磨耗させながら生きてきた。些細なミスはあれど全てを台無しにするミスを犯さず、外側だけならまさしく完璧と言える人生を歩んできた。そうせざる得なかったから。
私は狂気に堕ちたことを失態だとは思わない。
人生とは楽しく生きるものだ。その楽しみが、私にとっては首を刎ねることだった。
楽しいから、快感だから首を刎ねていた。故に『刎ね子』になった自分を否定しない。
でももし。
『刎ね子』とならずに済む選択肢があったのなら教えてほしい。
私が納得し、周囲も納得する生き方ができる可能性が存在したのなら、教えてほしい。
私に『理想』を演じる以外の人生があったのなら、教えてほしい。
「主文。被告人を──死刑に処す」
冷えた裁判所内にその一言が重く響き渡った。
裁判長は深く深呼吸をしてから、紙を机上に置いて私と目を合わせた。
「理由を述べます」
「────」
「被告人の全ての犯行には計画性と残忍性があり、且つ他者の意を慮れない冷酷さが見られました。動機は極めて身勝手で命を容易く踏み躙るものです。弁護人は家庭環境や人間関係を指摘しましたが、家庭環境は一般的な家庭と比較しても非常に恵まれている。人間関係も多くの人々に慕われる交友関係の広さを有していた。故にこれらの内容から犯行の残虐性を減ずるに足る理由には到底なりえません」
「────」
「被告人の供述からも反省の意が感じられず、むしろ自分のために必要であったと肯定するかのような口ぶりでした。刑事責任は極めて重大であります。以上の内容を踏まえ、被告人に極刑以外にないと判断致します」
そう言って裁判長は書面を閉じた。
そして、再び深く息を吸い、
「──以上を判決とします」
判決を言い渡されたからと言って、とくに何かが私の中で変わることはなかった。
逮捕された時点で私は終わっていた。
わかりきった結末を知っただけ。それ以上でも以下でもない。
ただただ、疲れた。
「……っ、っ」
誰かが嗚咽する声がやけに鮮明に私の耳に聞こえた。
遺族が泣いているのだろうと思い、声の方へ顔を向けると嗚咽していたのは──母だった。
「……ぅ、っ、っ」
机に手をつき、口を押さえながら泣いている。
泣いている姿なんて初めて見た。
凛々しく美しい女性。それが私の母。
逮捕されて少しはその凛々しさが薄れるものと思っていたが、裁判中も娘である事実も関係なしにいつも通りの姿のまま弁護していた。
そんな母が、泣いている。
「──っ」
……痛い。
痛い痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!
『──生き地獄を味わえ』
脳裏に、山奥で対峙した警察官から、気絶する寸前に言われた言葉が過った。
最初は意味がわからなかった。
確かに最悪な結末だが、単純に退屈な思いだけが逮捕されてから私の胸中を満たしていた。
「……ぁ」
そういう、ことか。
痛いのは、母が泣いているからだ。
痛いのは、母が苦しそうだからだ。
痛いのは、母を否定してきたからだ。
最後の最後の最後まで、私は三芳梓という本来大事にすべき母を否定した。
あなたの母親だからとまで言ってくれた母を、否定した。
私は今、罪悪感に締め付けられている。
だから、心が痛みを感じている。
──ああ、これは。
「──生き地獄だ」
これにて『刎ね子 ──首を刎ねる女子高生──』は完結となります。
49話の後書きでも書かせていただきましたが、本作は48話のラストから49話のお話を書きたくて始めた物語です。
前作『地に落ち、黒く染まる』よりも重たい内容でしたが、無事完結させることができてホッとしています。
『刎ね子』を見つけて、読んでくださった読者の皆様のお陰です。本当にありがとうございました。
次回作は短編を予定しています。
暗いお話にはならない……と思います。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
改めて『刎ね子』を見つけてくださった読者の皆様、最後までありがとうございました。




