第四十九話 『Last Tears Scarlet』
大変長らくお待たせしてしまい申し訳ありません。
最新話更新致したました。
本作は今回の話数を書きたくて始めた作品です。
いつもより長いですが、最後まで読んでいただけますと嬉しいです。
視線の先、闇夜の中に紅く燃える憎悪が揺らめていた。
いったいどれほど奪われ、執念深くなれば人を変えるほどの感情に至るというのか。
以前見た時は柔和で紳士的な振る舞いだったと記憶している。けれど今、正面で銃口を突きつける存在は別人にしか見えない。
「にして──」
「黙れ」
一言。直後には弾丸が放たれていた。本気で撃つ意志があると伝える牽制射撃だ。
弾丸は私の右側の木に直撃し、鼻をつく硝煙が微かに漂い始めた。
「まずは後ろの女性を解放しろ」
「おっとそうでしたね」
自身の喜びが先行し過ぎていて存在を忘れていた。
背後には麗花が蹲った状態でいる。
確かに彼女の処理をしなければまともに対話も叶わない。
とはいえ、背を向ければ組み伏せられ手錠をかけられるのも面白くない。
私は正面を警戒し顔を前に向けたまま、ゆっくりと後退り麗花の下へ近づいていった。
麗花に触れられる距離まで近づいた瞬間、
「おい!!」
「動けば喉を切ります」
麗花を無理やり立ち上がらせ、身動きが取れないよう左手で体を押さえこみ、右手で首元にナイフを当てがった。
怯えた表情をした麗花は「ひっ!」と苦鳴を漏らすが無視。
すぐに解放するつもりだ。少し耐えてもらう。
「この場の主導権を握られるのは面白くありませんので、手荒ですが脅させていただきます」
「『刎ね子』っ……!」
一方的に手錠をかけられるか、殺されるのかの二択。しかし、迫られた状況を私は拒絶した。
恐らくここが生と死の分岐点だ。
互いにとって、命を天秤にかけた最終局面。
いくら殺されてもいいと思える相手だろうと、易々と私の命を瀬波に差し出すつもりはない。
──満ち足りるまで、私の狂気に付き合ってもらいましょうか。
「それにしても、私が『刎ね子』であるとよく気づきましたね。無能な警察の一人である、あなたが」
「──。親友のお陰だよ」
銃口をこちらに向けたまま、瀬波は静かにそう答えた。
「完全犯罪を繰り返すお前の犯行は僕たちにとって脅威だった。何も掴めない日々を重ねれば重ねるほどに、みんなの士気は下がっていった。僕だって例外じゃない」
「────」
「でも、お前は失敗を犯した」
失敗。
その単語に体が重くなる錯覚を覚えた。
「瑛陵高校の同級生。阿久津大河の殺害」
「──っ」
「あの事件は確実に自分の首を絞めた。理解していて、同級生を殺す暴挙に至った。ただの暴挙じゃない。お前は一人を除いて、殺害場所を埼玉県と限定しながらさいたま市内で先に一人を殺していた。霜月侑という同級生を」
「────」
「両者に共通するのは、三芳芽亜と交流があった事。学校の人気者ってだけじゃカバーしきれない関係が、霜月侑と阿久津大河とはあった。阿久津に関しては、お前と最後に話してたって目撃証言も出てる」
「────」
「誰かに見られても問題ない。言い訳で誤魔化せる。その安直さがある生徒の疑念を答えに結びつけたんだ」
「ある生徒?」
「菜野琴葉だよ。埼玉県警捜査一課警部、菜野剛伸の娘」
想定はしていた。菜野琴葉が警察官である父親に私の変化を伝えるのを。
やはり彼女は阿久津を殺した日の後、父親に私の話をしていた。
疑念を結びつけたと瀬波は言った。
つまり、菜野琴葉は早い段階で私の変化に気づいていたのだろう。
卒業式の日に星加が気づいたように。
「お前が犯した失敗は一つじゃない。……秩父で夫婦を殺したな」
阿久津大河を殺した数日後、私は秩父市に赴いて民家を襲撃した。
中には二人の五十台前後と見られる夫婦が住んでいて、羅奈に外の見張りをさせた上で私はその二人を殺害した。
二人を一人で殺すには時間がかかり、終わった後に両方の首を切り落とそうとした。先に母親の首にナイフを当てている最中、事態は最悪の方向へ転んだ。
「あの晩、民家に現れたのはあなただったのですね。瀬波刑事」
「ああ。それと言っておく。お前が殺したのは──僕の両親だ」
まさか。でも、そうか。
ようやく理解した。瀬波が何故、私に異常なまでに執着し、憎悪を向けているのかを。
一方的に憎まれる理由が事情聴取以外の場のみではまるで理解できなかった。けれど私に両親を殺されたとなれば納得だ。
そこまで考えれば、瀬波の親友もおそらく私がどこかで殺していて、その分の怒りも重なり今に至ったと理解できる。
良い。
実に素晴らしい。
「しかしここまで聞いていて、あなたの親友が繋いだという発言の意味が見えてきませんね」
「お前、警察官を一人殺しただろ」
「警察……あぁ、確か橋の下で殺しましたね」
淡々と私が答えると瀬波は更に強い怒りを宿して、銃が軋む音を立てるほど強く握りしめた。
「お前が殺した警察官。名前を成嶋秋哉。僕の親友だ」
直前に考えていた瀬波の親友殺しについてすぐに答えがわかった。
羅奈と結託して殺した警察官。彼が親友だったとは、世界は本当に狭いものだ。
なんにせよ、警察官を殺した事が失敗だと思った事はない。
悪影響を及ぼしたのはリデルの女奴隷、渡井が残した嘘と阿久津大河の殺害、瀬波の両親を殺害した現場に瀬波が現れ姿を見られた事。後は……羅奈に現場を見られた事。
いったい、警察官を殺したことがどんな悪影響を及ぼしていたというのか。
「成嶋は僕に繋いでくれたんだ。必ず、『刎ね子』を捕まえて事件を終わらせてくれると信じて」
「あなたに何を繋いだと?」
「──ダイイングメッセージだよ」
瀬波の言葉を受けて私は衝撃を受けた。
ダイイングメッセージ。
死者が残す、犯人に関する情報提供。
面倒なマネをしてくれる。
「成嶋は二つのダイイングメッセージを残した。左手で数字の『4』。右手は不規則に書かれた三本線。初めは数字の意味がわからなかった。でも、イレギュラーの発生で数字について考える時間が増えた」
「渡井が何か言ったんですね」
「そうだ。渡井はこう言った。数字に意味があるって」
ここであの男の余計な置き土産が作用するとは。
女奴隷は根こそぎ始末しておくべきだったか。
「数字に意味があるとわかったところで、実際の意味を知るまでには時間がかかった。犯人の人数なのか、特徴なのか、次に殺害する日にちなのか。あらゆる可能性を推測した。そして今日、数字の意味が名前を示しているとわかった」
「────」
「数字の『4』だけで考えていたダイイングメッセージ。もしかしたら、右手も文字じゃないかって考えた。床を引っ掻いたとも見えるし、何か文字を書きかけて力尽きたとも捉えられる。だけどもし、既にこの三本線が字であるとしたら。そう考えている時、お前が新たに殺した被害者、三延時也の苗字を見て気がついた。右手は漢数字の『三』を示してるんじゃないかって」
「────」
「漢数字の『三』と数字の『4』。数は無視して読み方の部分にのみ注視すると、苗字が浮かび上がった。それが──三芳。お前の苗字だよ」
断言した瀬波は一歩私との距離を詰めた。
「一度は疑い、そして否定した三芳芽亜が『刎ね子』である可能性。でも、一連の犯行が三芳芽亜が行ったと考えれば繋がる点があまりにも多かった。成嶋が残してくれたメッセージのお陰で、やっとお前に辿り着けた」
「────」
「結局お前は、捕まらないことよりも衝動を優先した。その結果が僕に気づかせる結果を招いたんだ」
「──っ」
「女性を解放して投降しろ。お前はもう終わりなんだよ!」
周辺に響き渡る声量で怒鳴る瀬波。
私の失敗の全てに目を向け続け、外的要因さえも全て拾い上げて、瀬波碧斗はこの私に到達した。
回数を重ねる毎に失敗を重ね、首を刎ねたい衝動のままに動くようになった私とは違う。
瀬波は回数を経る毎に精度を上げ、可能性の推測範囲を広げた。
全ては今、この瞬間に至る為に。
「ふふふ」
「なにを笑ってる……」
「ふふふふ」
無意識のうちに笑みが溢れていた。
「うふふふ。ふふふふ。ふふふふ。」
「……っ」
「うふふふふふふ。ふふふ。ふふふふふふふふふ」
「おま……」
「あっははははははははははは!! あははは‼︎ きゃっはははははははは!!」
ああ!
そうだ! これを求めていた!
恐ろしいほどに膨れ上がった憎しみを!
表出る感情とは裏腹に滲ませる悲しみを!
それら全てを埋め尽くすほどの殺意を!
殺したい殺したい殺したい!!
私の手でこの男を殺したい!!
彼を殺したら、どんなに気持ちいいか!!
「きゃっははははははははは!!」
いきなり首を刎ねに行って、苦悶に陥る姿を死に際まで見届けて!
最後の瞬間には諦めだけが彼を支配する、そんな甘美な死を!
私は味わいたい!!
「きゃはは!! あっはははははははははは!!」
彼の命を弄びたい!
抱いて、叩いて、切って、刻んで、壊して、狂わせて、引きずって、嬲りに嬲って、絶望させたい!
なんでもいい! なにをしてもいい! なにもかもしたい!
相手が! 獲物が! 瀬波碧斗ならなんでも構わない!
命が尽きるまで! 心ゆくまで!
私が満たされるために全てを費やしたい!!
「……はぁはぁ」
溢れ出る歓喜と期待の感情にはしたなく笑ってしまった。
もはや、この欲求を抑えることなどできない。
私の心の赴くままに──瀬波碧斗を弄びたい。
「失礼。あなたみたいな存在に出会ったのが初めてだったので、つい」
「……お前」
私の言葉に瀬波の表情は更に険しさを増した。
思う存分に殺し合いたいところだが、先にやるべきことを終えなければ。
今の状態では自由に動けない。
「麗花」
「……っ!」
この場で麗花を殺すつもりはない。
由ヶ崎麗花はもう十分に生き地獄を味わっている。あの異常者から解放された今、麗花を殺すのは鬼畜以外の何者でもない。
どの口がという話ではあるが。
瀬波の姿を視界に入れたまま、口元が見えないよう麗花の後頭部側に顔が隠れるように立ち位置を僅かにズレた。
そして、麗花の耳元に口を寄せて、瀬波には聞こえず麗花には確実に聞こえる声量で私は話し始めた。
「今日まで道具として頑張ってくださったこと、感謝します」
「……ぇ、ぁ」
「ですがもう必要ありません。私を振り解いて、全速力でここから逃げなさい」
声のトーンを下げて残酷に私は麗花に不要だと宣告した。
すると、彼女は肩を小さく震わせた。
「いや、だよ……」
「あなたに拒否権はありません。黙って指示通りに動いてください」
「一人は……」
「今は一人ではないでしょうに」
「違くて……あなたが、『刎ね子』を、一人にはしたく、ない……」
私を一人にしたくない?
自分の心配かと思えばまさか私の心配をしてくるとは。
羅奈が余計なことを吹き込みすぎたらしい。
「別に私は大丈夫です。元より初めは一人でしたから」
「……でも」
「なにをぶつぶつ話してるんだ」
痺れを切らしたのか瀬波は苛立ち混じりにそういった。
当然か。突然会話を切り、沈黙が始まったのだ。何かしようとしているのではないかと疑いたくもなる。
さて。
さっさと麗花には退場してもらわなければ。
「もう一度言います。私を振り解いてここから全力で逃げなさい」
「わ、たしは……」
「 ──黙って言うことを聞きなさい」
引き下がろうとしない麗花に対して語気を強くし言い放った。
なぜ抵抗するのか。
麗花にとって私の存在など、唯一の家族である兄を殺した、謂わば仇のような存在。正確には羅奈が殺したとはいえ『刎ね子』の存在があの男を引き寄せたのだ。私が殺したも同然。
故に私を案じるなどあり得ない話だ。
あの男の地獄から救い出されたと感じているのかもしれない。
しかし、麗花は彼が死んだ時涙を流していた。そして過去を聞き、異常でも由ヶ崎麗花の人生において兄の存在は大事だったと知った。
そんな兄を殺した私を、麗花は恨むものではないのか。
それを抜きにしても、私は麗花を首刎ねの道具として使っているにすぎない。
羅奈のような『刎ね子』への忠誠心や信仰心も皆無。
なのに、一人にしたくないと意味不明な発言をした。
元から理解はしていないが、今の麗花は矛盾しすぎていて理解に苦しむ。
答えはどうあれもはや私には関係ない。
「んぅっ!」
数秒後、麗花を抑える腕に力を込めた。麗花は激しく全身を動かして私の手から逃れようとした。
軽く抑え込むような素振りを見せてから、私は麗花を自分の腕から解放した。
それから彼女は一瞬だけ私の目を見た後、指示通り全速力で走り出した。
「お元気で」
すれ違い様、私は麗花に伝えた。
本当の意味で、由ヶ崎麗花は地獄から解放される。
悍ましい感情から離れられる。
まだ光の下を歩くのは難しいだろう。
だがいずれは、陰に隠れずとも生きていけるようになる。
少なくとも、私はそう思っている。
何にも縛られず自由な道を進みなさい。麗花。
「あら。逃げられてしまいました」
「これでお前の盾はなくなったな」
「ええ。でもやっと、二人っきりになれましたね」
山の奥地に二人。
互いに形は違えど殺意を向け合っている。
なんと心地良いのか。
しかし、麗花という盾が消えた以上、私は無防備も同然。下手な動きをすれば即殺される状態だ。
手がないわけではない。
でも生憎と上手くいく保証がない。
相手はこの私に到達した唯一の警察官。
元の知力は言うまでもない。そこに警察官として必要な体術が備わっていると考えると、私の勝機は限りなく低い。
優位性があるのは精神面のみと言ったところか。
ああ、いい。
「最高ですね」
「あ?」
目前に迫る『死』の感覚。
人生におけるどの時間よりも生を謳歌している実感がある。
それも向き合っているのは単なる『死』じゃない。
限界を超えて私を、因縁の『刎ね子』を追跡し続けた警察官から向けられる『死』だ。
二度とない貴重な瞬間に心踊らずにはいられない。
「生きる意味がわからず今日まできましたが、この瞬間に巡り会うためと思えば、私の人生は価値あるものへと変わります」
「──っ」
「多くを殺してきました。多くの心を踏み躙ってきました。数多の恐怖を生みました」
「────」
「全て私にとって快感だった。しかし今、その全てを上回る快感が目の前にある。これほど恵まれた運命の調律は他にないでしょう」
瀬波へと手を差し伸べて、全身で私の多幸感を表現した。
世の中は理不尽で構成されている。
だから私は、人々の『理想』の体現などという愚行を行わずして生きられなかった。
崩壊は一瞬だ。しかし、粉々になったパーツを修復するには想像も絶する時間を要する。
その面倒を被りたくないがために、自分で自分を演じてきたのだ。
自分を演じずに済めばどれほど楽だったか。
思うがままに他者と会話し、行動を共にし、人並みに人生を歩めればどんなに楽であったか。
考えても詮無いことだ。それでも、考えない日々はなかった。
だが、それでいい。
私は自ら修羅の道を選んだのだ。
「殺した全ての被害者がお前の快感を満たすためだって、そういうのか」
「はい」
「首を刎ねるのが気持ちいいからって、そういうのか」
「はい」
「なんでなんだよっ……」
瀬波は最後に絞り出したような声を出した。
憎しみ一色だった表情をクシャッと歪ませて、ひどく悲しそうな表情に変化した。
「君は、人並みの生活ができていたはずだ。親に愛されて、たくさんの愛情を注がれて育ってきたんじゃないのか……」
「────」
「友人だって君は多かった。瑛陵高校に聞き込みに行くたびに君の名前が上がって、みんな三芳さんが心配って口を揃えて言ってた」
「────」
「大勢に愛されてきたはずだ……なのに、復讐でもなんでもなく、自分の快感を満たすためだって……君は!」
「──だから!」
聞くに耐えない瀬波の言葉を遮って私は怒鳴っていた。
そして、明確に怒りを表情に出しながら現実を突きつけた。
「そうだと言っているでしょう?」
何を言われようと答えはただ一つ。
私が初めて動物を殺して、首を刎ねた日。
確信に至ったのは後日。霜月優を無情に殺して、その首をじっくり切り落とした日だ。
初めは罪悪感に心をかき乱された。
恐怖心に卒倒しそうにもなった。
けれど本心は違った。
鏡に映る自分の口元は弧を模っていた。
胸に手を当てて、今の自分が何を感じているのかを考えて。
罪悪感や恐怖心よりも、悍ましい感情が上回っていることに気がついた。
──首を切り落とすのが気持ちいい。
柔らかくナイフで肌を裂く感覚。
飛び散る鮮血の生温かさ。
次いで訪れるのは、ナイフが骨に到達した時の硬さだ。ただ力を加えるだけでは切り落とせない。体重をかける位置を調整し、角度を変えながら時間をかけて骨にナイフを入れていく。
そして十数分の時間を超えた先に待ち受けるのは、ストンと憑き物が落ちたかのような快感だ。
その日、私は理解した。
自らが狂人に成り果てたのだと。
それで良かった。
誰かの人生の歯車として『理想の体現者』で在り続けるくらいなら、私は常道を外れた化け物になる方を望む。
「そうか」
一言。
吐き捨てるように言った後、瀬波の表情から先ほどまでの悲しさは消え去っていた。
あるのは膨れ上がる『殺意』。
「お前を知ろうとした僕がバカだった」
「わかっていただけたのなら良かったです」
瀬波は片手で構えていた拳銃を両手に持ち直した。
▲▲▲
憎い。ひたすらに正面にいる女が憎い。
だが、もう終わりだ。
終わらせる機会が僕の手に巡ってきた以上、『刎ね子』事件はこの瞬間に終幕となる。
「やっとお前を──◾️◾️せる」
『刎ね子』と目を合わせ冷徹に告げた。
あの晩と同じ結果にはしない。
必ずここで『刎ね子』を◾️◾️す。
奪われた人たちの仇は、僕が取るんだ。
僕の『正義』に誓って。
「────」
なんだ。その顔は。
嗤うでもなく、怒るでもなく。
『刎ね子』は不思議そうな顔を浮かべていた。
「……面白いですね」
マジマジと僕の顔を見てから、ふっと口元を緩めて『刎ね子』は嗤った。
「お気づきでないようなので私が代わりに教えて差し上げましょうか」
「あ?」
気づくってなにを……。
「あなたが私にむけているそれは正義ではありません」
「──。何を言うかと思えばそんなことか。復讐で動いてる自覚はある。でも、お前を罰する事は紛れもない『正義』だ」
「筋金入りみたいですね」
戯けた様子で『刎ね子』は笑みを深めた。
全てを見透かそうとする穢らわしくて不愉快な目で『刎ね子』は僕を見ている。
それから僕の方へ指を刺した。
「わからないようなので明言してさしあげましょうか。警察官が──犯人を殺せるなんて言わないのでは?」
さっきから戯言を。
僕が『刎ね子』を『殺せる』といつ言った。
僕は『殺したい』ほどに憎いのは事実だ。
でも『殺す』つもりは、『殺す』、つもりは……。
『やっとお前を──『殺せる』」
「ぁ」
そう、だ。
いつからか、僕の脳内にモヤがかかっていた。それはある発言をする度に大きくなっていて、最近は同じ単語を発する度に頭に一時的なノイズが走る感覚を覚えていた。
指摘されて理解した。
赤い景色の夢を見て、現実で目覚めた時から。
憎悪以外の感情が僕にはあった。
──『殺意』。
親友を奪われ、憧れを奪われ、家族を奪われた。
内側で膨れ上がる感情を憎悪だと無理やり一括りにしていた。
表には決して出してはいけないと、本能で理解していたからだ。
それでも、抑えきれない領域にまで来てしまっていた。
偽者だったが『刎ね子』が捕えられたと知った時、僕の心は絶大な無力感の渦に呑まれていた。
何故喜びよりも無力感があそこまで僕を支配するのか、まるで理解ができなかった。
今ならわかる。
他の誰かじゃダメ。それは大前提だ。
なら僕の手で『刎ね子』をどうしたいのか。
大切な人を殺した悪人を──徹底的に叩き潰したい。
大切な人たちに限らない。『刎ね子』に殺された人たちは皆、怖かったはずだ。痛かったはずだ。悲しかったはずだ。
人生の最後に、絶望したはずだ。
その人たちと同じ想いをさせてやりたかった。
たとえ、自分の手を汚す結果になったとしても──。
「殺してやる」
「あ、はぁ」
「『刎ね子』は僕の手で殺すっ!」
直後、状況は動いた。
──『刎ね子』視点──
「ぐっ……!」
私は瀬波に向かって隠し持っていたナイフを投げて、それに続けて私は瀬波の元へ走った。
銃口は変わらず私に向けられたまま。殺意は私が襲ってきたことで増幅しただろう。
それでも、瀬波は私に銃弾を当てられない。
咄嗟に投擲されたナイフを避ける動作をとったせいで、瀬波の重心がブレて足元がおぼつかなくなっていた。
その状態で無理やり瀬波は発砲するものの、銃弾は私を掠めることさえ叶わず彼方へと流れた。
「きゃはっ!」
腰に携えていた鉈を引き抜き、瀬波の顔面を確実に捉えて猛然と振り下ろした。
彼の顔面に消えない傷跡を──、
「あああ!!!!」
刻む結果にはならなかった。
懐から取り出した警棒を間一髪のタイミングで鉈と顔面との間に彼は構えた。
互いの息が掛かる距離感で狂気と殺意、双方異なる感情を宿した瞳で視線が交差する。
「お前がいなければ! お前さえいなければ!」
「あなたの親友や家族が殺される結末が、絶対に起こりえない事象だと断言できますか?」
「黙れぇぇ!」
鬼の形相で警棒に力を込める瀬波。男と女。それも体術を平均程度に会得している女子高生と、職務上必要な技術を詰め込んでいる警察官とでは初めから地力が違いすぎる。
当然の結果として、私が押していたはずが徐々に瀬波に押される形になった。
このままいけば押し切られる。
あっさり敗北しては面白くない。
もっともっと、瀬波と踊っていたい。
「うぉ!?」
わざと力を緩めると瀬波は体勢を崩して前に蹌踉ける。
私は瀬波の背後へと回り込み、振り上げた鉈を首筋目掛けて振り下ろした。
「ちぃ!」
「あら」
しかし地面に手をつき体を捻って、私が鉈を手にした右手を勢いよく蹴り上げた。
鉈は中空を回転しながら離れた位置に突き刺さる。
「これで──!」
「終わりにするとでも?」
常にあらゆる状況を想定する。
私は自分の身をもって思い知らされた。初めて人を殺した日に始まり、猟奇殺人鬼に遭遇した時に一層準備を整え、そして瀬波の実家を襲った日に尚も準備不足であると痛感させられた。
失敗を重ねるほどに人は変わる。
今の私は、本当の意味で完成されている。
腰に忍ばせていた折り畳み式のナイフを展開して、再び瀬波に向かって投げた。
当てる必要はない。相手の意識を反らせれば十分だ。
余程の強者でもない限り、人間は本能から命に関わる状況下で刃物などの道具を目にすると無意識に刃物に意識が集中する。
意識が逸れれば隙が生まれる。
隙が生まれれば、
「あなたを殺せる!」
左腰にベルトで備えていた桐を手に取り、振り向いた瀬波の顔を再度狙った。
「ぎっ……あぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
──ドン。
深夜の山に銃声が轟いた。
鼻を劈く硝煙の香り。ついで訪れる頬に滴る生温かい液体の感触。血だ。
どうやら頬を掠めたらしい。
遅れて痛みが私の全身を刺激する。
「ああ」
桐を持たない左手で頬に触れ、次に口元に触れた後、血の匂いと味を確かめる。
土混じりの錆びた鉄のような味。
暗くて手元はよく見えない。見ずともわかる。きっと、赤く染まっているのだろう。
胸の高鳴りが収まらない。
撃たれて、死にかけたはずなのに。
心が昂っている。
「あはぁ……」
息を切らしながら銃を向ける瀬波を視界に入れて、私は血濡れた唇を舐めて、嗤う。
いつかの夜、猟奇殺人鬼とのあれは殺し合いとは呼べなかった。
ただ私があの異常者に弄ばれただけの醜い空間だった。
でも今は、違う。
これは紛うことなき殺し合いだ。
相手に遊ばれていない。相手は手加減抜きに私を殺そうとしていて、私も同様に彼の命を終わらせるために全霊を尽くしている。
「はぁはぁ……」
肩で息をする瀬波がゆっくりと体勢を立て直してその場に立った。
軽く地面を足で叩いてから、私が投げたナイフを踵で蹴り飛ばした。
「────」
月光しか光源がない空間。
だが確かに、瀬波の瞳が殺意に紅く輝いているのがわかる。
周辺一帯を焼き尽くすほどの強い殺意が、暗がりを照らす業火となって襲いかかってくる。
楽しい。これが命を奪い合う感覚!
先のことなんてどうでもいい。
今を最大限に楽しむのだ。
彼を殺したら──どんなに気持ちいいのだろうか。
──瀬波視点──
殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す──。
「……はぁはぁ」
胸の内が熱い。油断すれば自我を失いかねない。
時間と共に膨れ上がる殺意が、全身を焼き焦そうと火勢を増していく。
『辛いのもわかるし焦るのも理解できる。でもさ、そういう感情ばっか膨らませてちゃ前が見えなくなるぞ』
ふと成嶋から言われた言葉が脳裏を過ぎる。
辛い。死にたくなるくらいに。
焦る。死にたくなるくらいに。
憎い。殺したくなるくらいに
殺したい。殺せば、殺してさえしまえば、全て終わる。
大丈夫だよ、成嶋。
まだ現実が見えてる。
暴走してないさ。
僕は、僕のまま。
なにも変わってない。
そうだとも。
何も変わってない。
誰も救えない。事件も解決できない。評価に沿う実力も持たない。
停滞したままだ。
だから、大丈夫だよ。
「続けましょうか」
直後、正面で『刎ね子』が桐を構えて前傾姿勢でこちらに向かってきた。
馬鹿が。
無防備に突っ込んでくるなんて殺せって言ってるようなもんだろ。
ここで殺せば終わりだ。
「ちっ」
「素敵」
『刎ね子』に照準を合わせて発報。しかし、弾丸は彼女に当たることはなく『刎ね子』にチャンスを与える結果に終わった。
警棒を出さないと。でなきゃ、
「遅いですよ?」
「くそ、が……!」
足がもつれて僕は尻餅をついた。
その隙を突かれ『刎ね子』は僕に馬乗りになり、両手に持った桐で目を刺そうとした。
「あ、っははははは!! さぁ! 私をもっと楽しませて!! 」
「づぁ……」
目を刺される寸手のところで、彼女の両手を掴んで命懸けの抵抗に成功する。
でもこのままじゃ目を潰される!
「きゃっははは!!」
「うぐっ……!」
笑い声が僕の神経を逆撫でする。
ここで死んでたまるか。
背負ってる人たちの分、無様な終わり方だけはできない。
目的は果たす。
今日まで『刎ね子』を追ってきた意味を思い出せ!
『正義』を──!
「おり、ろっ!!」
「……っ」
全力で『刎ね子』の腹部を蹴った。『刎ね子』は背後へよろけながら後退。その刹那を逃さず、地面から跳ね起きて『刎ね子』にタックルした。
「あはっ……女性に容赦ないですね」
挑発を無視し、右手に力を込めて『刎ね子』の顔面に殴りかかる。が、相手は動作を見切って軽く背後へ飛んで回避。
間髪入れずに彼女の蹴りが風を切って迫りくる。それを足首を掴んで動きを止めた。
「なっ」
「らぁ!」
空いた手で『刎ね子』の胸部を容赦なく打ち据える。
苦鳴を漏らす『刎ね子』を意にも介さず、続け様に鳩尾を殴った。
「けほけほっ……ああ、いい! いいです! 最高です! そのまま私を痛ぶりなさい! 殺意のゆくままに!!」
「うるせえって言ってんだろうがぁぁ!!」
落ちていた銃を拾い──発報。
しかし、またしても外した。今回は髪をかすめる程度に終わった。
「なんで当たらないんだよ!」
どうして!
こんなにも『刎ね子』を殺したいのに!
冷静さをかいてるから? 怒りで正しく銃を持てていないから?
いいや、違う。射撃技術は他の連中より上だ。
必要だと教わった。だから死ぬ気で研鑽を積んだはずだ。
少なくとも三メートルに満たない距離感で外すほど下手じゃない。
「もしかして」
「ああ!?」
「──私を撃てないのではありませんか?」
絶句した。
撃てない?
そんなはず、
「……ぁ」
手元を見下ろして気がついた。銃を持つ手が──震えている。
「まだ甘さが残っているのでありませんか?」
「違う!」
「殺したいほどに憎んでいる。距離は近くて恐らく射撃能力も高い。にも拘らず、当てられないなんておかしくはありませんか?」
残酷な血笑を浮かべて『刎ね子』は嗤った。
そんなはずない。
だって。だって僕は『刎ね子』を殺すために今日まで孤独に戦ってきたんだ。
憎しみだけを糧にして、後のことは考えず目的を遂行しようとしてきた。
その目的がようやく叶う時が巡ってきたんだ。
それなのに、撃てないわけがない。
「『正義』が理由だったり?」
そう言った直後、『刎ね子』はまっすぐにこちらに向かってきた。
避ける素振りもなくただまっすぐに。
「ふざけんなぁ!!」
「────」
発報。弾丸は『刎ね子』に当たらなかった。
違う。当てられなかった。
心のどこかで──殺すことを躊躇しているのか?
こんな醜悪な存在に何を躊躇う必要が、
「愚かしい」
「あ、がっ!」
最悪だ!
さっさと殺してれば刺されなくて済んだのに!
「お前ぇぇ!!」
隙をつかれて僕は右肩を桐で刺された。
痛みに思考が白くなりかけるが、防衛本能から左手を握り締めて『刎ね子』の腹部に一発叩き込んだ。
「おっ……」
腹部を押さえながら後退する『刎ね子』。
肩に視線を落とすとドクドクと血が流れ出ている。
痛い。だがそれ以上に、傷を受けた現実に嫌悪感が募っていく。
今更、何が正しいかなんて考えたくもない。
僕はもう堕ちるところまで堕ちると決めた。
あらゆる手を使って『刎ね子』に辿り着き、そして『刎ね子』を殺し、全てを終わらせると誓ったんだ。
それが瀬波碧斗の『正義』だ。
だから──、
「──っ!」
再び、『刎ね子』に銃を向けた。
すると、『刎ね子』は自身に向けられた銃と僕の顔を交互に見た後、狂笑を浮かべた。
「きゃっははははははははは!!!! さぁ! さぁあ! 撃て!! 私を殺せ!!」
「──っ」
「私を殺して満たされるといい。私もあなたに殺された事実に心を満たされ、それから! ──あなたを愛しましょう」
芝居がかった動きで両手を広げ、声高らかに言い放った。
やるんだ。今度こそ。
そうでないと追いかけてきた意味がない。
大切な人たちのために、復讐を果たす時が来た。
撃て。
撃って殺せ!
そうすれば全部!
何もかも!
終わりに──、
「……っ」
あれ……?
どうして僕は──泣いてる?
「────」
とめどなく涙が溢れ出て来る。
自分の本心がわからない。
怒りなのか、憎しみなのか、痛みなのか、哀しみなのか、殺意なのか。
色々な感情がごちゃごちゃしすぎて、自分で自分がわからなくなっている。
でも。
今日までの悲劇と絶望の分を思えば。
この手にある重みこそが答えで、最善だ。
何度も問うてきた。
それは最善なのか? と。
何も、間違っていない。
その答えが出たからここにいる。
そう。正しいのは自分だ。自分に従えばいい。
これでいいよね──成嶋。
僕の『正義』は正しいですよね──大沼一課長。
納得、してくれるよね──母さん、父さん。
「──ッッ!」
拳銃を持つ両手に熱が溢れ出す。
今持てるすべての感情を『殺意』に集約して、ただまっすぐ、正面で嗤い続ける怪物に向ける。
未だ震え続ける両手を口の中で頬を噛み、痛みで無理やり震えを抑え込む。
殺す。
殺意を膨らませれば膨らませるほどに呼吸は浅くなる。次第に山奥に響き渡る川のせせらぎや揺れる木々の音、そして悪魔の如く嗤う『刎ね子』の声が遠ざかり、自分の鼓動の音だけが煩く聞こえるようになった。
脳裏に、今は亡き、大切な人たちの笑顔が過った。
彼らのために僕は『正義』を全うする。
彼らのために僕は自らを汚す。
彼らのために僕は『刎ね子』を殺す。
殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!
殺さなきゃいけんないんだ──!!
「うぅぅぅぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!」
──銃声が轟いた。
◾️◾️◾️
起きた事象に呆然と目を見張った。
銃声が轟いた直後、正面で嗤っていたはずの『刎ね子』から笑みは消え、不自然な格好で下を向いている。
左腕から力が抜け、静かに地面を見つめている。
微かに差し込む月光が『刎ね子』を照らすと、左肩から赤黒い血が流れていた。
発報され、血を流している。それ自体は必然だ。
でも、現状を引き起こしたのは僕じゃない。
──僕は撃てなかった。
あれだけ自らに言い聞かせておきながら、僕は『刎ね子』を殺せなかった。
本心が、殺してはならないと、引き金を引くことを躊躇した。
では、誰が発報したのか。
恐る恐る、銃声が聞こえた方角へ視線を向けた。
「──っ!」
そこには一人の女性が立っていた。
知っている人物だった。
それもただ知っている間柄じゃない。
互いを深く知るほどに付き合いは長く、捜査にはいつも彼女が隣にいた。
『刎ね子』狂いと周囲に蔑まれるようになった今も、変わらず。
彼女は、一度心が折れてしまった僕に声をかけ、再び前を向く決意をさせてくれた。
彼女の存在があったから、彼女が支えてくれたから、彼女が必死に言葉を伝えてくれたから。
瀬波碧斗は、今も一人で立てている。
長い茶色の髪を風に靡かせ、凛々しく、しかしどこか悲しさを表情に滲ませて女性は銃を『刎ね子』に向けている。
僕にとって、唯一残った大切な存在。
守るべき対象で、最後の支柱──愛宮彩瀬。
僕の後輩だ。
「えの、みや……」
どうして彼女がここに……。
僕がここにいると何故知って──、
「目を覚ましてください瀬波先輩!!」
一瞬だけ僕の顔を見て愛宮はそう言い放った。
そして、
「今のあなたは──目の前にいる殺人鬼と同じです!!」
「……な」
愛宮の言葉に心臓が大きく脈を打った。
僕が、『刎ね子』と同じ……?
何を理由に、そんなこと。
あ。
『殺す!』
「そう、だ」
大切な人を『刎ね子』に奪われた。
奪われるたびに僕の心はひび割れ、何かが壊れていった。
激しい憎悪を抱いて、異常だと周囲に言われながらも『刎ね子』を追い続けた。
僕の大切な人たちの仇を討つために。
本心では理解していた。
憎しみだと。
復讐心だと。
──殺意だと。
でも、その全てを僕はこう定義し続けた。
『正義』、と。
僕の『正義』に賭けて事件を終わらせると。
幾度も心に誓いを立ててきた。
人々の安寧を守る。それこそが正しく『正義』であるというのに。
あらゆる悪感情を、終いには殺意さえも含めて僕は『刎ね子』を殺すことを『正義』だなどと言い続けてきた。
「人を殺すことのなにがっ、正義だよ……」
僕は膝から頽れて地面に両手を付いた。
あまりにも自分自身が愚かだと理解して。
殺人を犯して事件を終わらせることが『正義』だとよく言える。
最低最悪。地に落ちた考え方だ。
「本当はわかっているはずです。成嶋先輩も、大沼一課長も、ご両親。瀬波先輩がしようとしていたことを望まないってことを」
「────」
「だから、思い出してください。瀬波先輩は、優しくて勇敢で、誰よりも人々を守る正義感に溢れた警察官である自分を! 」
『刎ね子』への警戒を続けたまま、愛宮はゆっくりと僕の前に立った。
彼女の肩は微かに震えていた。
恐怖心を押し殺してまで、僕を助けようとしてくれている。
なんて健気な、
「……ゃまを」
「──っ」
「──よくも邪魔をしたな」
体制はそのまま『刎ね子』はギロリとこちらを睨んだ。
地面に落ちた桐を拾い上げ、一瞬だけ僕の顔を見た後、愛宮の方を向いた。
その瞳に先ほどまでの狂気はなかった。
今あるのは、愛宮に対する明確な殺意だ。
「私と瀬波の仰せを邪魔した報い。受けてもらいましょうか!」
「ひっ……う、動かないで」
「臆病者が、粋がるなぁぁぁぁ!!」
声を張り上げた直後、『刎ね子』は桐を構えてこちらへ走ってきた。
愛宮は変わらず拳銃を『刎ね子』に向けている。しかし、両手脚は震え段々と後ずさっていた。
血を見れば気分を悪くする子だ。本物の殺人鬼が自分を殺そうとする場面なんて恐怖するに決まってる。
でも、内心に一つの確信があった。
愛宮は必ず『刎ね子』を撃つ。
どんなに辛い現実が相手だろうと、自分の感情を後回しにするのが愛宮彩瀬という女性だ。
「こないで!」
このままじゃ愛宮の手を汚すことになる!
それだけは絶対にダメだ!
どうすればいい! どうすればどうすればどうすれば!
何が最善だ──!
『──正義も、ほどほどにな』
脳裏に世界で最も憧れた人が死に際に放った言葉が蘇る。
同時に、ある一手が僕の中で電撃的に思い浮かんだ。
最善かはわからない。
ただ少なくとも、大事な人が悲しまないやり方のはずだ。
「ありがとうございます。大沼一課長」
口の中だけで呟いて僕はその場を立ち上がった。
そして──。
「こない……ぁ」
愛宮から拳銃を取り上げ『刎ね子』へと向けた。
すると『刎ね子』は表情を憎悪から再び狂気へと変化させ残酷な笑みを浮かべた。
「あっはぁ。立ち上がってくれるのですね! 私を殺しなさい瀬波! それとも私に殺されますか!?」
「瀬波先輩!」
『刎ね子』との距離は目前。
そのタイミングで愛宮が僕を呼んだ。
彼女の方へ振り向いた。
それから微笑を浮かべて、言った。
「大丈夫だよ、愛宮」
「……先輩」
再び『刎ね子』の方へと視線を向けた。
たくさんの犠牲者の想いを背負い、僕は事件を終わらせる。
終わらせるに相応しい人間になるんだ。
「きゃはははははははっ!!」
「──っ!」
飛びかかってくる『刎ね子』と目が合う。
避けなければ確実に顔面を刺される距離。
今だ。
「え?」
右手の指先で拳銃を半回転させ、銃口を僕の掌に収めて横に飛んだ。
突然の不審な動作に『刎ね子』は理解ができていない様子だった。
それでいい。
「終わりだ!」
空いた左手で『刎ね子』のうなじに手刀を叩き込んだ。
バタンと大きな音を立てて『刎ね子』は地に伏せた。
「愛宮、手錠を」
「え、あ、はい!」
愛宮も現状を飲み込めておらず口を開けたまま僕の様子を伺っていた。
彼女に声をかけると慌てて懐から手錠を出し僕に手渡した。
「『刎ね子』。いや、三芳芽亜。お前を殺人及び死体遺棄を始め他数々の容疑で──逮捕する」
逮捕宣告をし、『刎ね子』の両手を後ろに回して手錠をかけた。
「こんな、終わり、認めたくない……」
手刀の影響により『刎ね子』の意識は朦朧としていた。
手錠をかけられた後も恨み節を吐いていた。
僕はその場を立って『刎ね子』の頭の前に立った。『刎ね子』は恨めしそうに僕を睨むが、そんなものは無視して話し始めた。
「お前にとっては辛い日々があったのかもしれない。だからって、人を殺していい理由にはならない」
「……づぁ」
「僕はお前を殺さない。喜ばせるだけだからな。お前が殺した人たちの分、いやそれ以上に。生きて罪を償ってもらう」
冷め切った瞳で『刎ね子』を見たまま、最後に一言言い残した。
『刎ね子』に。三芳芽亜という殺人鬼の心に、終わりを刻み込むために。
「──生き地獄を味わえ」
数秒『刎ね子』と目が合った。
瞳に込められていたのはやはり憎悪だった。
それから『刎ね子』の全身から力が抜け、気絶した。
「……ふぅ」
「瀬波先輩!」
ほっと息を吐くと足元がおぼつかなくなり、地面に倒れそうになった。
その瞬間、愛宮はすぐに僕の元へ駆け寄り肩を支えてくれた。
愛宮には助けられてばかりだ。
彼女が来なければきっと今頃、僕は『刎ね子』を撃ち殺していたに違いない。
本当に感謝してもしきれない。
そうだ。
先に言っておかないと。
「ありがとう愛宮。僕を、助けに来てくれて」
柔らかく微笑み僕は愛宮に感謝を伝えた。
すると彼女の瞳から大粒の涙が溢れ始めた。
「う、うぅ……うぅぅ……良かった。ほんとうに無事で、良かったです……」
涙する彼女の肩をそっと抱いた。
落ち着いたら、ちゃんと話そう。
愛宮だけじゃない。迷惑をかけた大勢の人たちとも話さないと。
しなければいけないことも、伝えなければいけないことも、本当にたくさんあるから。
ここに、約一年間続いた惨殺事件──『刎ね子』事件は終わった。




